ただ上へ
これから二人が行うことは自殺行為に等しいことだ。生きて地上に辿り着ける確率は紙のように薄く、一切の失敗は死に直結する。本来は絶対に取るべき手段ではない。ただ――。
「やるしかねぇんだ!! 行くぜぇ!!」
ロゼは揺れる手すりに足を駈け勢いよく跳び出した。黒鎖を引きずった左手を大きく振るうと跳んだ先に見える鉄骨に巻き付け、そこを支点とし反動を利用して上方へ飛ぶ。レイズも後に続き跳び出し、器用に黒鎖を配管に巻きつけると遠心力と黒鎖の収縮を利用してスピードを付け大きく飛び出した。
そう、二人はこの命を捨てるような行為を続け地上まで到達するつもりなのだ。
ロゼは空中で次のポイントを探しながら思った。自分でも呆れるほど危険な策を選んでしまった、と。突然のトラブルや時間的なメリットを考えれば致し方ない選択であったかもしれないが、それにしてもあまりに無謀ではないか、と。そして何より――。
少し離れた空中で必死に飛ぶレイズに眼を向ける。
――可愛い後輩を自分の選択に巻き込んでしまったこと。そのあまりに情けない現状に、自分の非力さに心臓が絞られる。
歯を食いしばるロゼは黒鎖を横に伸びる配管に伸ばした、その時だった。
「ロゼさん危ない!!!」
ハッと我に返ったロゼは頭上を見上げた。そこには自分の身体目掛けて飛来する鉄棒が眼前に迫っていた。咄嗟に身体を捻って躱すが完璧には間に合わず、鉄棒は頬に掠りながら落下、ナイフで切られたような傷跡からは赤い血が間見える。
「掠り傷だ!! 問題ねぇ!! それよりもっと降ってくんぞ!!」
上を目指す二人の目線の先にはいくつもの鉄塊が迫っていた。恐らく揺れに耐えきれなくなった廃墟の一部がバラバラに分解したのだろう。様々な形の鉄塊が凶器となって降り注ぐ。
二人は揃って舌打ちをすると左右に分かれて黒鎖を伸ばし、無理矢理進行方向を曲げてやり過ごすが、次のポイントを把握できていないが為に動作が遅れる。その隙を付いた様にまたも鉄塊が流星のように飛来、ロゼは柱に、レイズは太い配管の影に隠れるようにして回避するがそこも足場がある訳ではない。直ぐに次のポイントに飛び、空中を駈ける。
この状況において戸惑うという事が何を意味するのか、二人は一連の出来事で理解した。迅速な判断と俊敏な動きを欠いたら終わりだ。停滞は死に直結する――と。
「時間が経つほど崩れてきやがるぞ!! スピード上げろ!!」
「後を追います!! 障害物に気を付けて!!」
二人は必死だった。一切のミスが無いよう全神経をフル稼働させてただただ上へ、廃墟の残骸の中を縫うようにして飛ぶ。
飛翔体や遮蔽物が増えていく中で二人のスピードは明らかに上がっていた。この絶望的な状況の中にいながら器用にも対応してきているのだ。黒鎖の扱い、飛翔体への立ち回り、次に飛ぶポイントの判断が即座にできるようになっている。
二人は同じ配管を黒鎖の支点として巻き付け左右に分かれるようにして飛ぶと、頭上から降り注ぐ細かな破片が橙色の光によりキラキラと輝くのが目に映った。光の元には先ほどまで大型のファンが備わっていたであろう空洞がぽっかりと空いている。そこから外の夕焼けが差し込んでいるのである。若干の藍色を帯びているのを見ると日没まであと数刻も無いことが覗えた。
「日が沈んだら進めなくなる! 時間がねえ!!」
「あの空洞から外へ!! 上に登るより早い筈です!!」
レイズが言い放つと同時にロゼが方向転換する。上方へ飛んでいた身体を平行方向へ。二人は黒鎖を利用してスピードを極力落とさずに空洞に進んだ。巨大な廃墟であるため空洞の空いた壁際までは距離があるが、上まで登る事を考えればかなり距離を短縮できている筈だ。
「あそこまで飛びゃあ助かる! もうちょいだぜ!!」
レイズは横目で先輩執行官を見ると横に並んだ。
この人はいつもこうして自分を奮い立たせてくれる。どんな時でも、そう、まさに今現在の様な絶望的な状況の中にあったとしてもその楽観的な見た目や素振りとは裏腹に心を震わせられるような言葉をかけてくれる。
大丈夫だ――。
この人と一緒ならこの窮地も乗り越えられる――、そう思った瞬間だった。
視界の片隅に一閃、斜めからの身体を穿つ衝撃が身体を襲った。腹部に強烈な痛みを感じ眼を落すと、右の脇腹から直径二、三センチほどの鉄棒が生えていた。完全に自分の身体を貫通し、どっしりとした重量感を刻んでくる。
レイズの中に微かに沸いた油断を、死神は見過ごさなかった。
「レイズ!!!!」
空中で見開かれた眼にロゼが猛スピードで近づいて来るのが映る。表情は戦慄していた。この世の終わりの様な顔と言ったところだろうか。
瞬きもしない間に身体がロゼの腕の中に納まった。ロゼはレイズの下腹部を見ると泣きそうな顔を浮かべながら舌打ちをした。
「これじゃ抜くこともできねえ……! 畜生がぁ……!!」
二人は落ちていく。レイズを抱える為に両手の黒鎖を解いたロゼを支えるものは何も無い。
レイズは遠退いていく意識と狭くなっていく視界の中でぼんやりと考えた。
向かう先は死――、自分も。そして、この人も――。
その瞬間、レイズの目が見開いた。と同時に左腕を上方に向け黒鎖を放出し廃墟の空間にぶら下がる。
「レイズ!?!?」
「こんなところでは、死ねない……。 死なせない……!」
――行きますよ、ロゼさん――、そう伝えるかのようにロゼと目を合わせ薄い笑みを浮かべると、レイズは雄叫びを上げた。下腹部から響く痛みなど圧殺するかのような身体の硬直と気の爆発を以て意識を引き戻し、黒鎖を一気に収縮させまたも天を目指して跳んだ。自分を抱えるロゼごと飛び立つようにして信念の元に再び行動を開始する。
「振り返らずに上を目指して下さい!1 後を追います!!」
「く……わかった!! 耐えろよお前! 絶対死ぬんじゃねえ!!」
いらない心配をかけないように、もし自分が途中で力尽きても彼だけは登り切れるように、レイズは決死の覚悟で促した。
鉄棒が刺さった下腹部からジワジワと痛みの波が押し寄せている。それなりの量の出血もしているだろうが、だからと言って動きを止める訳にはいかない。
まだこんなところで死ぬわけにはいかないんだ――と、歯を食いしばる。
飛翔体を何とか躱しながら眼前に飛ぶロゼの背中を追う。ちょうど空洞の空いたところと同じ高さまで戻ってきた筈だが、二人の目に先ほど見えていた空洞は無く太い光の筋もない。ただ辺りがボウッと薄暗いだけである。
何かがおかしい――その考えた時、ロゼが自分の名を呼ぶのが聞こえた。彼の方を向くとなにやら片手で壁際を指差している。指された先に目を走らせる。と、そこには地震によりグニャリと曲がり潰された壁が目に入った。
あれは――。
「!!」
眼を凝らした瞬間、ロゼの言わずとしていたことを理解した。眼に見えるあの曲がった壁は先程の空洞である。もともと大型ファンの枠であったため造りが他の壁より脆く揺れにより潰された後だった。その証拠に至る所から細い光の筋が覗える。
――近道は使えない――。
レイズは苦虫を潰した様な表情を浮かべ、再びロゼの背中を追う。どれだけその道が険しくてもすでに二人には選択肢など残されていないのだ。




