第一話 休日
「ノエル。今日は暇か?」
「……暇?」
エインからそう聞かれたのは、魔法の訓練を始めて何日か経った頃だった。
「午後からルカと魔法の訓練をする予定だけど。」
「……またか?」
「うん。」
エインは呆れたように息を吐く。
「お前、最近ずっと訓練してるだろ。」
「そうかな?」
「そうなんだよ。」
朝は剣の訓練をして、午後からはルカの研究室で魔法の訓練。
どちらも自分からやりたくて続けていることだから、あまり気にしていなかった。
でも、こうして振り返ってみると──
「……確かに、最近は訓練ばかりかも。」
「だろ?」
エインは肩をすくめた。
「というわけで、今日は休め。」
「……というわけで?」
「たまには訓練以外のこともしろ。」
「でも、ルカと約束してるし……」
「ルカには俺から言っておく。」
「いいの?」
「一日くらい問題ねぇだろ。」
「ルカ、楽しみにしてると思うけど。」
「お前の魔法を調べるのをか?」
「……たぶん。」
「なおさら休め。」
「……分かったよ。」
「よし。」
エインは満足そうに頷く。
「じゃあ、付き合え。」
「……何に?」
「街に行く。」
「街?」
「ああ。俺もちょうど出るつもりだったんだ。」
「それで僕に声をかけたの?」
「まあな。」
「最初から休ませるつもりだったんだ……」
「最近のお前見てりゃ、誰だってそう思うって。」
「……そんなつもりはなかったんだけど。」
「分かってるよ。」
エインはそう言って歩き出す。
「ほら、行くぞ。」
「うん。」
僕もその後を追う。
そのままエインと廊下を歩いていると──
「ノエルお兄ちゃーん!」
後ろから、聞き慣れた元気な声が響いた。
「シャロ?」
振り返ると、シャロがこちらへ勢いよく駆けてくる。
「ノエルお兄ちゃん!」
そのまま僕のところまで走ってくると──
「っと!」
シャロは目の前で急ブレーキをかけた。
「……危ないよ。」
「えへへ、ごめん!」
シャロは楽しそうに笑うと、僕とエインを交互に見上げた。
「二人でどこ行くの?」
「街に行くところだ。」
「街!?」
シャロの瞳がぱっと輝く。
「遊びに行くの!?」
「まあ、そんなところかな。」
「じゃあ、私も行きたい!」
シャロが期待するように僕を見る。
「僕はいいけど……」
そう言って、隣のエインを見る。
「なんで俺を見るんだよ。」
「エインが誘ってくれたんだし。」
エインは小さく笑う。
「別に構わねぇよ。」
「ほんと!? やったー!」
シャロが嬉しそうに両手を上げる。
「じゃあ、行こ!」
「お前が仕切るのかよ。」
「だって早く行きたいもん!」
「はいはい。」
エインは苦笑しながら歩き出す。
僕もその後を追おうとして──
「ノエルお兄ちゃん、早く!」
「あ、ちょっと……」
シャロに手を引かれながら、僕たちは黎明の翼を後にした。
──────────
ベルフォードの街門を抜けると、賑やかな大通りが目の前に広がった。
行き交う人々の声。
通りに並ぶ店から漂ってくる、美味しそうな匂い。
軒先には色とりどりの商品が並び、その前では店主と客が楽しそうに言葉を交わしている。
前に来たときにも歩いたはずの道。
それなのに──
「……なんだか、前と違って見える。」
「ん?」
エインが僕を見る。
「前に来たときは任務だったからかな。こんなにゆっくり街を見る余裕、なかった気がする。」
「そりゃそうだろ。あのときは遊びに来たわけじゃねぇからな。」
「今日は遊びだよ!」
シャロが僕の手を引いたまま、嬉しそうに振り返る。
「ほら、ノエルお兄ちゃん! あっちもいっぱいお店あるよ!」
「分かったから、そんなに引っ張らないでって。」
「ははっ。今日は好きなだけ見て回れ。」
エインにそう言われ、改めて大通りを見渡す。
任務でも、訓練でもない。
今日はただ、この街を歩くために来たんだ。
通りを歩いていると、ふと店先から小さな炎が上がった。
「……?」
思わず足を止める。
大きな鉄板の前で、店の人が片手をかざしていた。
その手の先に灯った炎が鉄板を熱し、その上で何かが香ばしい音を立てて焼けている。
「あれ……魔法?」
「ん?」
エインが僕の視線を追う。
「ああ。火の魔法だな。」
「料理にも使うんだ。」
「そりゃ使うだろ。」
「そうなんだ……」
その先では、水の魔法で店先を洗っている人がいる。
別の店では、風を起こして洗った布を乾かしている。
道の端では、欠けた石畳を土の魔法で整えている人もいた。
「前に来たときも、あんなふうに魔法って使われてたのかな。」
「さあな。たぶん使ってたんじゃねぇか?」
「……僕が気づいてなかっただけ?」
「そういうこともあるだろ。」
「そっか……」
僕は手のひらを見つめる。
魔法を使えるようになって、まだ何日も経っていない。
だからなのか、街で当たり前のように使われている魔法が、どれも新鮮に見えた。
「ノエルお兄ちゃん!それよりあれ食べたい!」
「え?」
「あれ!」
シャロが一つのお店を指さす。
視線を向けると、店先には小さな焼き菓子がいくつも並んでいた。
焼きたてなのか、甘い香りがここまで漂ってくる。
「美味しそう……」
「でしょ!?」
「食べてみようか。」
「ほんと!?」
「うん。」
そう答えて、懐に入れていた財布へ手を伸ばす。
ベルフォードでの任務を終えたあと、僕にも報酬が支払われていた。
目を覚ましてから、自分で買い物をするのはこれが初めてだ。
「……」
そこで、ふと手が止まった。
「どうしたの?」
「いや……」
店先に書かれた値段を見る。
「これって、高いの?」
「え?」
シャロが目を丸くした。
「僕、お金の感覚もよく分からなくて……」
「……そこからか。」
エインが呆れたように笑う。
「値段が三百リルって書かれてるだろ?」
「書いてあるね。」
エインが一枚のコインを取り出す。
そのコインには百を示す数字が刻まれていた。
「こいつが一枚百リルだ。つまり?」
「えっと……このコインを三枚出せばいいんだね。」
「そういうこと。」
「じゃあ、三百リルは高いの?」
「これくらいの菓子なら、まあ普通だな。」
「普通……」
「お前、本当にそこから覚え直しなんだな。」
「仕方ないでしょ。覚えてないんだから。」
「ははっ、悪い悪い。」
「じゃあ、三百リルなら買っていい!?」
「え?」
「今、普通って言ったよね!」
「お前が払うわけじゃねぇだろ。」
「ノエルお兄ちゃんが買ってくれるもん!」
「……いつ決まったの?」
「さっき!」
「そうだったかな……」
でもいい機会かもしれない。
僕は店の方へと近づく。
「いらっしゃい!」
商人が明るく出迎えてくれた。
「あら?あなたは……」
商人が僕の顔をじっと見つめる。
僕もその商人には見覚えがあった。
「リリアちゃんと一緒にいた子よね?」
「あ、はい。」
「やっぱり!」
商人は大きく笑った。
任務の時に、星型のクッキーをサービスしてくれたあの商人だった。
「今日も任務?」
「いえ、その……」
「ノエルお兄ちゃんと遊んでるの!」
シャロが横からぴょこっと飛び出す。
「あら、シャロちゃん。いらっしゃい。」
「こんにちは!」
「今日はずいぶん賑やかなのね。」
商人はそう言って、僕たちの後ろにいるエインへ視線を向ける。
「そちらのお兄さんも一緒?」
「ああ。」
「エインおじさんがノエルお兄ちゃんを連れ出したんだよ!」
「おい。言い方。」
「だって本当でしょ?」
「まあ、本当だけどよ……」
エインは困ったように頭を掻いた。
「それで、今日は何にする?」
「これ!」
シャロが迷うことなく焼き菓子を指さした。
「一つ三百リルのやつ!」
「はいはい。シャロちゃんはそれね。」
「ノエルお兄ちゃんも同じの食べよ!」
「僕も?」
「せっかくだもん!」
「じゃあ……二つください。」
「あら。今日はあなたが払うの?」
「はい。初めてなので、ちゃんとできるか分かりませんけど……」
「初めて?」
「買い物するのが。」
「まあ。それじゃ、六百リルよ。」
「六百……」
財布の中から、百リルの硬貨を一枚ずつ取り出していく。
一枚、二枚、三枚──
「ノエルお兄ちゃん、慎重だね。」
「だって、初めてなんだから。」
「間違えても俺たちがいるから大丈夫だって。」
「それでも間違えたくないよ。」
六枚の硬貨を確認して、商人へ差し出す。
「これで合ってますか?」
「ええ、ぴったりよ。」
「……よかった。」
「ははっ。お前、随分緊張してたな。」
「仕方ないでしょ。」
商人から焼き菓子を受け取り、その一つをシャロへ渡す。
「はい。」
「ありがとう、ノエルお兄ちゃん!」
シャロは嬉しそうに受け取ると、さっそく一口かじった。
「んー!美味しい!」
「そんなに?」
「食べてみて!」
僕もまだ温かい焼き菓子を一口かじる。
「……美味しい。」
甘い。
それに、焼きたてだからなのか少し温かい。
「だろ?」
なぜかエインが得意そうに言う。
「エインが作ったわけじゃないでしょ。」
「細けぇことはいいんだよ。」
「ノエルお兄ちゃん、次はあっち行こ!」
「もう?」
「まだいっぱいあるよ!」
シャロが残った焼き菓子を手に、大通りの先を指さす。
その先にも、たくさんの店と人が見える。
さっきまで知らなかった魔法の使い方。
きっと、この街にはまだ知らないものがたくさんある。
「ほら、ノエル。行くぞ。」
「うん。」
焼き菓子を片手に、僕は二人の後を追った。




