第七話 英雄
それから数日。
ルカの研究室で魔法の訓練をする日々が続いていた。
魔力の流れと、魔法の発現。
どちらも自然にできるよう、ルカがサポートしてくれている。
あとは──
「なるほど。この魔力の感じは──」
ルカの研究心を満たすために。
ルカは僕の手のひらに浮かぶ光をじっと見つめている。
「……昨日より少し弱い。」
「弱い?」
「うん。何かあった?」
「何かって?」
「気分が落ち込んでるとか、身体が重いとか。」
「別にないけど……」
「じゃあ、眠い?」
「眠くないよ。」
「お腹空いてる?」
「……少し。」
「それかな。」
「そんなことで変わるの?」
「分からない。」
ルカは楽しそうに魔導書へ何かを書き込む。
「だから調べてるんだよ。」
「僕のお腹の空き具合まで?」
「必要な情報だからね。」
「本当に……?」
「たぶん。」
「またそれ……」
「あ、動かさないで。今いいところだから。」
光を動かさないように、手のひらに魔力を留める。
少し意識が外れると、勝手に光が動いていくみたいで、まだまだ練習が足りない。
「……よし。」
しばらくして、ルカが魔導書から顔を上げた。
「もういいよ。」
「終わった?」
「うん。」
僕は魔力の流れを止める。
手のひらに浮かんでいた光が、静かに消えていった。
「今日も何か分かった?」
「少しだけね。」
ルカは魔導書へ何かを書き込みながら答える。
「でも、分からないことの方が多いかな。」
「やっぱり珍しいんだね。」
「うん。だから、少し前に大書庫でも調べてみたんだ。」
「光輝魔法を?」
「それも。」
「それも?」
ルカの手が止まった。
「……ノエルのことも調べてみた。」
「僕のこと?」
「うん。」
「何か分かった?」
「それが、ほとんど何も。」
「何も?」
「うん。光輝魔法についても、ノエル自身についても。」
ルカは少し考えるように魔導書へ目を落とした。
「……変なんだよね。」
「何が?」
「ノエルは十年前、英雄って呼ばれてたんでしょ?」
「そうみたいだね。」
「それなのに、記録がほとんど残ってない。」
「……」
「それに──」
ルカは僕を見る。
「昔のノエルを知ってる人は、今もいるよね。」
「うん。」
「セレスも、リリアも。」
「そうだね。」
「だったら、どうしてノエルは昔の自分のことをほとんど知らないの?」
「え?」
「光輝魔法の名前だって、セレスに教えてもらったんだよね?」
「うん。」
「じゃあ、他のことは?」
「他のこと?」
「昔どんな魔法を使ってたとか、どんな任務をしてたとか……十年前に何があったのか、とか。」
「……」
言われてみればそうだ。
僕は僕のことをあまり知らない。
十年前、ある戦いのあとに眠りについたこと。
僕が黎明の翼の一員だったこと。
そして、仲間たちと共に戦っていたこと。
目を覚ましてから、いくつかのことは教えてもらった。
けれど、それ以上のことはほとんど知らない。
「……詳しいことは、聞いたことないかも。」
「十年前の戦いについても?」
「うん。ある戦いのあと、十年の眠りについたってことはセレナから聞いたけど……」
「それだけ?」
「……たぶん。」
「そっか。」
ルカはそれ以上何も言わず、少し考え込む。
「何か気になる?」
「うん。」
「何?」
「ノエルのことを知ってる人は、今も黎明の翼に何人もいるでしょ?」
「そうだね。」
「だったら、もっと昔のことを聞いててもおかしくないと思って。」
「……」
「別に、みんなが何か隠してるって言いたいわけじゃないよ。」
ルカはそう言って、少し困ったように笑った。
「ただ、話してないのには何か理由があるのかなって。」
「理由……」
その言葉が、妙に引っかかった。
今まで考えたこともなかった。
僕が覚えていないから、知らない。
ただ、それだけだと思っていた。
でも──
僕が覚えていなくても、覚えている人はいる。
「……リリアも、知ってるんだよね。」
「うん。」
「エインも、セレスも……セレナも。」
名前を口にするたび、不思議な感覚が胸に残る。
みんな、昔の僕を知っている。
それなのに僕は、その頃のみんなのことを何も覚えていない。
「でも──」
ルカは顎に手を当てて小首を傾げる。
「それなら、どうして記録まで残ってないんだろう。」
「……」
答えられるはずもなかった。
僕自身、今までそんなことを考えたことすらなかったのだから。
「ルカは、どう思う?」
「分からない。」
ルカはすぐに答えた。
「ただ──」
魔導書へ視線を落とす。
「ほとんど記録が残ってないっていうのは、少し変だと思う。」
「……そうだね。」
英雄。
そう呼ばれていたらしい僕のことを、僕自身が知らない。
そして、その僕について書かれたものすらほとんど残っていない。
今まで気にも留めなかったことが、一度気づいてしまうと妙に頭から離れなかった。
ふと、リリアの顔が浮かぶ。
「……リリアは。」
「うん?」
「昔の僕のこと、どれくらい知ってるんだろう。」
「どれくらいかは、僕にも分からないよ。」
「そっか。」
「僕が黎明の翼に入った頃には、ノエルはもう眠ってたからね。」
「そっか。」
「でも、リリアがずっとノエルを待ってたのは知ってる。」
「……僕を?」
「うん。」
ルカは小さく頷く。
「いつ目を覚ますかも分からないのに、ずっと。」
「……」
僕は何も言えなかった。
リリアが僕の帰りを待っていたことは、なんとなく分かっていた。
けれど、改めてルカの口から聞くと、胸の奥に不思議な温かさが広がった。
「だから、昔のノエルのことは僕よりずっと知ってると思うよ。」
「うん……」
ふと、目を覚ましてからのリリアを思い返す。
いつもそばにいてくれた。
何も覚えていない僕に、昔の僕を押しつけることもなかった。
でも──
昔の僕とリリアが、どんな時間を過ごしていたのか。
僕は、何も知らない。
「……ノエル。」
「ん?」
「僕も気になるけど、今ここで考えてても答えは出なさそうだよね。」
「……そうだね。」
「だったら、今できることをしよう。」
ルカはそう言って、僕の手元へ目を向ける。
「昔のノエルが何をできたのか分からなくても、今のノエルにできることは増やせるから。」
「今の僕に……」
僕も自分の手を見る。
数日前までは、自分の魔力を感じることすらできなかった。
それが今は、自分の意思で光を生み出すことができる。
まだ、思うようには扱えないけれど。
「……うん。」
僕は小さく頷いた。
「じゃあ、続きをやろうか。」
「もちろん。」
そう答えてから、ふとルカを見る。
「……でも、ルカ。」
「何?」
「僕の魔法を研究したいだけじゃない?」
「……」
ルカが黙った。
「ルカ?」
「それもある。」
「あるんだ……」
「だって、まだ分からないことだらけだからね。」
ルカは楽しそうに魔導書を開く。
「ほら、もう一回出してみて。」
「やっぱり研究したいだけなんじゃ……」
そう言いながら、僕は手のひらへ魔力を集める。
ぽう、と。
小さな金色の光が、再び手のひらに灯った。




