第五話 魔力
ルカが解析を始めてから、しばらく経った。
魔導書の上には、複雑な術式が浮かんでいる。
文字や線は絶えず形を変え、ときおり水滴となって落ちていく。
「……。」
ルカはその術式をじっと見つめながら、何かを書き込んでいた。
僕には何が書かれているのか、さっぱり分からない。
隣を見ると、リリアも静かにその様子を見守っている。
「……リリア。」
「はい?」
「これ、分かる?」
僕は宙に浮かぶ術式を指差す。
「そうですね……少しなら。」
「分かるんだ。」
「ルカさんの術式は、少し特殊ですから。」
「へえ……。」
もう一度、術式へ目を向ける。
線が重なり、文字がほどけ、また新しい形へと組み変わっていく。
複雑ではあるものの、その姿は綺麗に見えた。
「──よし。」
不意に、ルカが声を上げた。
「何か分かった?」
「うん。分からないことが分かった。」
「……それは分かったって言うの?」
「研究では大事なことだよ。」
そう言ってルカは小さく笑みを浮かべた。
「少なくとも、ノエルの魔力そのものに大きな異常はない。」
ルカは浮かんでいた術式を指先でなぞる。
「魔力はちゃんとあるし、流れも悪くない。だから──」
「だから?」
「次は、ノエル自身に魔力を動かしてもらおうかな。」
「……僕に?」
「うん。まずは、魔力を感じるところから。」
「魔力を感じるって、どうすればいいの?」
「そうだね……。」
ルカは少し考えるように顎へ手を添える。
「ノエルは、自分の身体の中に魔力があるって言われても分からないよね?」
「うん。全然。」
「じゃあ、まずはそこからだね。」
ルカは僕の前まで来ると、片方の手を差し出した。
「手、貸して。」
「こう?」
差し出された手に、自分の手を重ねる。
「今から僕の魔力を少しだけ流すよ。」
「ルカの魔力を?」
「うん。自分の魔力が分からないなら、まずは他の人の魔力を感じてみるといいよ。」
「なるほど……」
「力を抜いて。何か感じても、無理に掴もうとしなくていいから。」
「分かった。」
言われた通り、身体の力を抜く。
すると──
手のひらから、ひんやりとした感覚が伝わってきた。
「……冷たい。」
「それが僕の魔力。」
「これが……」
水に触れているわけでもない。
それなのに、澄んだ水が身体の中へゆっくりと流れ込んでくるような、不思議な感覚があった。
「じゃあ今感じたものと似たようなものを、自分の中で探してみて。」
「……やってみる。」
僕は小さく息を吐いて、目を閉じる。
集中して、自身の中にある魔力を探した。
けれど、ルカのような魔力は見当たらなかった。
「どう?」
「何も。」
「そっか。」
「……やっぱり駄目かな?」
「ううん。」
ルカは首を横に振った。
「初めはそんなものだよ。焦らなくていい。」
その言葉に僕は頷いた。
「とは言っても……どうしようかな。」
「どうしたの?」
「魔力を感じる感覚って、人によって少し違うからさ。言葉だけで教えるのは難しくて。」
「そうなんだ。」
「何かいい方法はないかな。」
ルカは腕を組んだまま、しばらく考え込む。
「でしたら──」
リリアが何かを思い出したように口を開いた。
「LINKを使ってみるのはどうでしょう?」
「LINK?」
「はい。以前、ノエルさんに使い方を説明したことがあるんです。」
リリアはそう言って、自分のLINKを取り出す。
「LINKは、少量の魔力を流すことで起動しますから。」
「あ……」
その言葉で思い出した。
初めてベルフォードへ向かった日のこと。
リリアから使い方を教えてもらったものの、結局あのときは自分で起動できなかった。
「なるほど。」
ルカはLINKを見ると、小さく頷いた。
「それならちょうどいいかもしれないね。」
ルカはそう言うと、白衣の内ポケットへ手を入れた。
「確か、この辺に……」
「……確か?」
「あった。」
取り出した手には、小さなLINKが握られていた。
「ちゃんと持ってるんだね。」
「一応、アルバの研究員だからね。」
ただ、ルカが持つLINKは僕が持っているものと、少し形が違う。
「……それって本当にLINK?」
「うん。」
「形が違うような……」
するとルカが小さく笑う。
「これはただのケースだよ。」
「そんなもの、いつ作ったんですか?」
「少し前にね。」
「また勝手に改造したんですか?」
「改造じゃないよ。外側を変えただけ。」
ルカはそう言って、リリアの手元を指差す。
「リリアだって、飾りを付けてるでしょ?」
「これはただの飾りです。」
リリアのLINKをよく見ると、小さな白い花の飾りが付いている。
「似たようなものだよ。」
「……違うと思いますけど。」
「まぁまぁ、その話は一旦置いといて。」
ルカが僕の方へ向き直り、LINKを差し出した。
「起動してみようか。」
「これを?」
「うん。」
ルカからLINKを受け取った。
形は違っていたけれど、手に収まる程度で僕のものと大きさ自体は変わらないように感じた。
「次は、さっきとは少しやり方を変えてみよう。」
「変える?」
「うん。今度は身体の中から魔力を探さなくていい。」
ルカは僕の手の中にあるLINKを指差した。
「そのまま、LINKに触れている手のひらに意識を向けてみて。」
「手のひらに?」
「うん。魔力は意識を向けた場所に集まりやすいんだ。」
「集まりやすい……」
「何かを探そうとしなくていいよ。手のひらに集中して、何か変化がないか感じてみて。」
「分かった。」
僕は手のひらへ意識を向ける。
何かを探そうとはせず、ただそこに集中する。
最初は何も感じなかった。
「……」
それでも、そのまま意識を向け続ける。
すると──
「……ん。」
手のひらの奥に、ほんの僅かな温かさを感じた。
「どうしたの?」
「なんか……温かい。」
さっきルカから伝わってきた、ひんやりとした感覚とは違う。
小さな熱が、手のひらの内側に集まっているような感覚。
「それがノエルの魔力かもしれない。」
「これが……?」
「うん。じゃあ今度は、その感覚をLINKへ流すようなイメージでやってみて。」
「流す……」
手のひらに集まった温かさへ意識を向ける。
それを、手の中にあるLINKへゆっくりと流すようにイメージする。
「……」
けれど、何も起こらない。
「もう少しだけ。」
ルカの声に頷き、もう一度意識を集中させた。
「……あ。」
ふっと、手の中に淡い光が灯った。
思わず、目を見開く。
「ついた……」
「はい。」
隣から、リリアの嬉しそうな声が聞こえた。
「できましたね、ノエルさん。」
「うん……」
手の中に灯った光を見つめる。
前は何も感じることができなかった。
けれど今は、自分の中にあったものを感じて、自分の意思でここまで動かすことができた。
「これが……僕の魔力なんだ。」
「そうだよ。」
ルカが小さく頷く。
「ちゃんと自分で動かせたね。」
僕はしばらく、手の中の光を眺めていた。
ほんの小さなことなのかもしれない。
それでも、少しだけ前に進めたような気がして──
ふっ。
「……ん?」
一瞬、光が消えた。
けれど、すぐにまた灯る。
「……?」
ふっ、ふっ、と。
今度は何度も光が明滅する。
「ルカ。」
「うん?」
「これ……点滅してるけど。」
「してるね。」
「大丈夫なの?」
「……」
ルカがLINKを覗き込む。
その間にも、点滅する間隔は少しずつ短くなっていく。
「ああ。」
「何?」
「魔力を流しすぎてる。」
「え?」
「魔力を流すのを止めて。」
「……止める?」
「うん。」
「どうやって?」
「……」
「ルカ?」
「忘れてた。」
「何を?」
ルカはにこりと笑う。
「止め方を教えるの。」
「え?」
その間にも、手の中のLINKはますます激しく明滅していく。
「……これ、大丈夫なの?」
「たぶん。」
「たぶん!?」




