第四話 研究
「話は聞いてるよ。」
ルカはそう言うと、周囲に浮かんでいた本へ視線を向ける。
「昨日、ベルフォードで不思議な魔法が出たんだって?」
「うん。金色の光が突然出てきて……」
「金色の光……」
ルカの蒼青色の瞳が、わずかに輝く。
「今も出せる?」
「それが、出そうとしても何も起こらないんだ。」
「そうなんだ。」
残念がるかと思ったけれど、ルカはむしろ興味を惹かれたように僕を見る。
「じゃあ、少し手を見せてもらってもいい?」
「手?」
「うん。」
言われるまま、右手を差し出す。
ルカは僕の手にそっと触れる。
そして目を閉じ、しばらく沈黙が続いた。
「……ルカ?」
「何?」
「触れただけで分かるの?」
「ううん。さすがにこれだけじゃ分からないよ。」
「分からないんだ……」
「だから調べるんだ。」
ルカは目を開けて、柔らかく笑う。
「分からないことを知るのが、僕の仕事だからね。」
そう言うと、ルカは手元の本を閉じた。
それに合わせるように、周囲に浮かんでいた本が一冊、また一冊と元の本棚へと戻っていく。
「詳しく調べるなら、研究室の方がいいかな。」
「では、移動しましょうか。」
「うん。」
リリアの言葉に頷いたルカが立ち上がる。
その姿を見ながら、僕はふと尋ねた。
「ルカは、ずっとここで研究してたの?」
「今日は朝からね。」
「やっぱり、魔法のことになると夢中になるんだね。」
「そうかな?」
「リリアが言ってたよ。研究に夢中になると、周りが見えなくなるって。」
「ああ……」
ルカは少し考える。
「よく言われる。」
「自覚はあるんだ……」
「でも、気になるものを見つけると途中でやめるのは難しいから。」
「ふふっ。彼はいつもこうなんですよ。」
リリアが小さく笑う。
「そうなんだ……」
…………?
「……彼?」
思わずリリアを見る。
「はい?」
「今、彼って言った?」
「はい。ルカさんのことですけど……」
「……」
僕はゆっくりとルカへ視線を戻した。
「なに?」
「……ルカって、男なの?」
「うん。」
あまりにもあっさりと返され、言葉が止まる。
「…………」
「どうしたの?」
「いや……その……」
言っていいのか少し迷ったけれど、ここまで聞いてしまった以上、隠す意味もない。
「女の子だと思ってた。」
「ああ。」
ルカは特に驚く様子もなく頷いた。
「よく間違われるから、気にしなくていいよ。」
「よくあるんだ……」
「うん。それに、間違われると得することもあるからね。」
「得すること?」
「それは秘密。」
ルカは人差し指を立てて、悪戯っぽく笑った。
「気になるんだけど……」
「そのうち分かるかもね。」
そう言って、ルカは手元の本を抱える。
いつの間にか、周囲を飛び交っていた本もほとんど元の棚に戻っていった。
「じゃあ、行こうか。」
「うん。」
ルカに続いて、僕たちは大書庫を後にした。
大書庫を出て、廊下を歩いていく。
研究室はそれほど離れていないらしく、しばらくするとルカが一つの扉の前で足を止めた。
「ここが……」
「うん。僕の研究室。」
ルカが扉を開いた。
「少し散らかってるけど、遠慮せず入って。」
「……少し?」
思わず聞き返してしまった。
部屋の中には、机の上や棚だけでなく、床にまで本や資料が積み上げられていた。
見たことのない道具もあちこちに置かれていて、何に使うものなのかさっぱり分からない。
「これで少しなの?」
「うん。歩けるから。」
「基準そこなんだ……」
「またシリルさんに怒られますよ。」
「そのときは片付けるよ。」
「前にもそう言っていましたよね?」
「そうだった?」
「……覚えていないんですか?」
リリアが困ったように笑う。
……どうやら、いつものことらしい。
「まあ、その話は置いておいて。」
ルカは何事もなかったように、部屋の奥へ進んでいく。
「置いておくんですね……」
リリアの小さな呟きは聞こえていないのか、ルカは抱えていた本を机の上に置いた。
僕も足元の資料を踏まないよう気をつけながら、その後を追う。
「ノエルはそこに座って。」
「分かった。」
指差された椅子へ向かおうとして、ふと机の上に置かれた本が目に留まる。
大書庫にあった本とは、どこか違う。
「そういえば、ルカ。」
「なに?」
「その本は?」
「これ?」
ルカが本にそっと手を置く。
「魔導書だよ。」
「魔導書……?」
「知らない?」
「……うん。少なくとも、今の僕には覚えがない。」
「そっか。」
ルカは魔導書を開く。
「簡単に言えば、魔法を記録しておくための本かな。ただ、これは僕が自分で作ったものだから、普通の魔導書とは少し違うけど。」
「自分で?」
「うん。研究した術式とか、解析した魔法とか。気になったことは大体ここに書いてあるよ。」
そう話すルカはどこか楽しそうだった。
噂通り、こういった研究が好きなようだ。
「じゃあ、そろそろ始めようか。」
「何をすればいい?」
「そこに座ってくれればいいよ。」
ルカに言われた通り、椅子に腰を下ろす。
「さっきも言ったけど、今はその金色の光を出せないんだよね?」
「うん。今朝も試してみたけど、何も起こらなかった。」
「なら、まずはノエル自身の魔力を調べてみよう。」
「僕の魔力?」
「うん。魔法が使えなくても、魔力そのものがなくなったわけじゃないからね。」
ルカはそう言って、僕の前に片手を差し出した。
「手を出して。」
「こう?」
右手を差し出すと、ルカがその下に手のひらを向ける。
「少しじっとしててね。」
その瞬間──
「……水?」
ルカの手のひらに、小さな水の球が生まれた。
水球はゆっくりと浮かび上がり、僕の手の周りを漂い始める。
「僕の魔法だよ。」
ルカが指先を動かす。
水球が形を変え、細い水の輪となって僕の手を包み込んだ。
冷たい。
けれど、不思議と濡れている感覚はなかった。
「何をしてるの?」
「ノエルの魔力を少しだけ、この水に溶かしてる。」
「魔力を……水に?」
「うん。」
ルカの表情が変わる。
さっきまで浮かべていた柔らかな笑みが消え、蒼青色の瞳が水へ向けられていた。
「こうすると、魔力がどんな性質を持っているのか調べられるんだ。」
「そんなことができるんだ……」
「全部じゃないけどね。」
やがて水の一部が小さな雫となり、開かれた魔導書の上へ落ちていく。
「あっ……」
雫が触れた瞬間、ページに書かれていた文字が水面のように揺らいだ。
いくつもの文字や線が浮かび上がり、複雑な模様を描きながら形を変えていく。
「これが……術式?」
「うん。」
ルカは答えながら、浮かび上がった術式をじっと見つめる。
「…………」
「ルカ?」
返事がない。
さっき大書庫で見たときと同じだ。
「ルカさん?」
リリアが声を掛けても、ルカは術式から目を離さない。
やがて──
「……変だな。」
小さく、そんな言葉が漏れた。
「変?」
「うん。」
ルカの指先が、浮かんでいる術式の一部をなぞる。
「魔力そのものはちゃんとある。流れも、そこまでおかしくない。」
「じゃあ、どうして……」
「それが分からない。」
「……分からない?」
ルカはしばらく術式を見つめていた。
けれど、その表情に困惑はない。
むしろ──
「……面白い。」
「え?」
ルカの蒼青色の瞳が、さっきまでとは明らかに違う輝きを帯びていた。
「もう少し、詳しく調べてみてもいい?」
「う、うん。」
「ありがとう。」
ルカは嬉しそうに魔導書へ視線を戻す。
「これは、思っていたより時間がかかりそうだ。」
そう言いながらも、ルカはどこか嬉しそうだった。
「……楽しそうだね。」
「うん。」
ルカは迷うことなく答える。
「分からないことが、一つ増えたから。」
「それって、嬉しいことなの?」
「僕にとってはね。」
そう言って、ルカは再び術式へ視線を戻した。
僕も自分の手のひらを見る。
光輝魔法。
名前を知っても、その力についてはまだ分からないことばかりだった。




