第六話 炎と光
少女は屋根の上から僕たちを見下ろしていた。
その手に握られた剣には、まだわずかな炎が揺らめいている。
「アリスさん!」
リリアが驚いたように声を上げた。
「あっ、リリア!」
アリスと呼ばれた女性は、嬉しそうに手を振った。
「知り合いなの?」
「はい。アリスさんは──」
「っと、その前に!」
アリスは屋根の端へ足をかける。
「え?」
次の瞬間、そのまま勢いよく飛び降りた。
「ちょっ……!」
軽やかに地面へ着地する。
そして何事もなかったかのように、こちらへ駆け寄ってきた。
「怪我してる人は?」
「この子は大丈夫です。ノエルさんが守ってくれました。」
「そっか!よかったー!」
アリスは安心したように胸を撫で下ろした。
さっきまで、あの魔物を一瞬で倒した人とは思えないほど明るい。
「それで──」
彼女の紅色の瞳が、僕へ向けられる。
「……?」
なぜか、じっと見つめられた。
「あの……」
「ノエル・ルドベキア……?」
「え?」
次の瞬間、彼女の瞳がぱっと輝いた。
「本物だー!!」
「ええっ!?」
アリスは目を輝かせながら、ずいっと顔を近づけてくる。
「本当にノエルなんだよね!?あのノエル・ルドベキア!」
「あ、あのって言われても……」
思わず人差し指で頬を小さくかく。
「十年前に世界を救った英雄!」
「……英雄。」
その言葉に、先ほどの青年の言葉が頭を過ぎった。
『世界を救った英雄がいた。』
やはり、気のせいだとは思えない。
「あれ?」
アリスが不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない。」
「アリスさん。ノエルさんはまだ記憶が……」
「あっ!そうだった!」
アリスは離れて、両手を合わせる。
「ごめん!私、嬉しくってつい……!」
「大丈夫だよ。」
「よかったー!」
アリスは安心したように笑った。
「そういえば、まだちゃんと名乗ってなかったね。」
アリスは僕へ向き直る。
「私はアリス。アリス・フレアード!黎明の翼の戦闘部隊に所属してるよ!」
「戦闘部隊……」
「うん!これでも前線で戦ってるんだから!」
先ほど降り注いだ炎の剣を思い出す。
あれほど苦戦した影狼を、一瞬で倒してしまった。
「……すごく強いんだね。」
「えっ?」
アリスは目を丸くした。
それから、少し照れくさそうに笑う。
「えへへ……ありがと!」
「アリスさんは、とても頼りになる方なんですよ。」
「リリアまで!もう、照れるってー!」
二人のやり取りを見て、思わず笑みがこぼれる。
どうやら、かなり親しいみたいだ。
「それにしても、アリスさんはどうしてベルフォードに?」
「ああ、それね!」
アリスはぽんと手を打つ。
「別の任務が終わって、黎明の翼に戻る途中だったの。そのついでにベルフォードの人たちに顔を出そうと思って。そしたら悲鳴が聞こえてきたから、急いで来たってわけ!」
「それで屋根の上に……」
「うん!屋根を走った方が早かったから!」
「屋根を……」
「アリスさんらしいですね。」
リリアがくすりと笑った。
「相変わらず無茶するなぁ、アリス先輩。」
カイルが呆れたように口を挟む。
「なに?助けてあげたのにその言い方。」
「いや、めちゃくちゃ助かったけどさ。」
「でしょ?」
アリスは得意げに胸を張る。
「まあ、俺がもう少し本気出してれば──」
「あれ? さっき結構苦戦してなかった?」
「…………」
「カイル?」
「……さて! 俺たちはまだ任務中だ!」
「あー!誤魔化した!」
アリスは楽しそうに笑う。
「と、とにかく!まずは周囲の安全確認だ。あいつ一体だけとは限らないからな。」
「はーい。」
「リリアも頼む。」
「分かりました。」
二人が広場の周囲へ視線を向ける。
僕も後を追おうと──ふと、足を止めた。
「……」
先ほど助けた子どもが、まだその場に立っていた。
小さな身体は震えたままで、不安そうに辺りを見回している。
「……大丈夫?」
しゃがんで目線を合わせると、子どもは小さく頷いた。
「お父さんかお母さんは?」
「……お母さんと、はぐれちゃった……」
「そっか。」
僕は少し考えてから、そっと手を差し出した。
「じゃあ、一緒に探そう。」
子どもは僕の手を見つめる。
やがて、小さな手が僕の手をぎゅっと握った。
「ノエル。」
「あ……ごめん。すぐ行く。」
「いや。」
カイルは僕と子どもを見て、小さく笑った。
「その子についててやれ。周りは俺たちで確認する。」
「……いいの?」
「こういうのも任務のうちだ。ちゃんとそばにいてやるんだぞ。」
「……うん。ありがとう。」
カイルたちは周辺の確認をするため、離れていった。
「お母さんとどこではぐれたか分かる?」
「……噴水のところ。」
「そっか。じゃあ、きっと探してるよ。」
「……うん。」
小さな手が、僕の手をぎゅっと握る。
まだ怖いのだろう。
「大丈夫。見つかるまで一緒にいるから。」
そう声を掛けると、子どもはようやく少しだけ笑ってくれた。
「あそこで休憩しよっか。」
広場の端にあるベンチへ向かい、二人で腰を下ろした。
「……お兄ちゃん。」
「どうしたの?」
「お兄ちゃんは、怖くないの?」
子どもの揺れる瞳が、僕の顔を見つめる。
「……怖いよ。」
僕は小さく呟いた。
「あの魔物を見たとき、すごく怖かった。」
「お兄ちゃんも?」
「うん。」
子どもの手を握りながら、さっきのことを思い返す。
「でも、君が襲われそうになったときは……怖いって考えるより先に、身体が動いてた。」
「……どうして?」
「どうしてだろう。」
自分でも分からない。
記憶を失う前の僕なら、その答えを知っていたのだろうか。
「ただ、君を守らなきゃって思ったんだ。」
「……」
「それに──」
僕は前を見つめる。
その先には、周りを確認するみんなの姿があった。
「みんなもいる。だから怖くても大丈夫。」
僕は安心させるように笑った。
「怖いままでも、できることはあるみたいだから。」
「……僕にもある?」
「きっとあるよ。」
僕は小さな手を両手で包む。
「いつか、この手で誰かを守ってあげて。」
「うん……!」
子どもから笑顔が零れた。
「ミア!」
すると、遠くから女性の声が響いた。
「お母さん!」
子どもがぱっと顔を上げる。
広場の入口から、一人の女性が駆けてきていた。
「ミア……!」
僕が手を離すと、子どもは女性の元へ駆けていく。
女性はその小さな身体を抱きしめた。
「よかった……本当によかった……!」
僕はその姿を見て、胸を撫で下ろす。
「お兄ちゃん!」
「ん?」
「助けてくれてありがとう!」
「……うん。」
笑顔で手を振る子どもに、僕も手を振り返した。
「ここはまだ危ないかもしれないから、お母さんと一緒に避難しててね。」
「うん!」
その子はもう一度大きく手を振ると、お母さんと一緒に避難している人たちの元へ戻っていった。
守れた。
その事実に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
怖かった。
それでも、あの子を守りたいと思った。
どうしてあんな光が出たのかは分からない。
自分のことなのに、分からないことばかりだ。
ふと、手のひらへ視線を落とす。
金色の光は、もう消えていた。
それでも──
あの子を守れた。
今は、それだけで十分な気がした。




