第一話 剣
目を覚ましてから、約一ヶ月が経とうとしていた。
あっという間だった。
リハビリに始まり、エインとの訓練、クロウとの実戦。
毎日が慌ただしく過ぎていき、気づけば体も少しずつ思い通りに動くようになっていた。
「朝早くから精が出ますね。」
今日もいつものように自主訓練をしていると、不意に聞き慣れた声が届く。
「今、お時間ありますか?」
「もちろん。どうしたの?」
「セレスさんから、ノエルさんと一緒に中庭に来てほしいと連絡がありました。」
「セレスが?」
「はい。」
どうしたんだろう。
でもここ数日、セレスの顔を見ていない。
「じゃあすぐに準備するよ。」
僕は木剣を片付けるために、早足で武器棚へ向かった。
──────────
穏やかな風が頬を撫でる。
中庭に踏み入れると、中央に立つ大樹が真っ先に目に入った。
初めてここに訪れた日と変わらず、どこか全て見守るように静かに枝を広げている。
その木の下で、白銀の髪をなびかせたセレスがこちらを待っていた。
「セレス。」
セレスに向けて片腕を上げる。
「来たか。」
「はい。何かお話があると聞きました。」
セレスは小さく頷く。
そして僕の前に立つ。
「今日、お前に初任務を命じる。」
その言葉に、思わず息をのむ。
「……初任務。」
「内容は街の視察だ。危険度は低い。だが、現場を知るには十分だ。」
「分かった。」
セレスはリリアに視線を向けた。
「リリアには同行をお願いしたい。」
「はい。でも、二人だけですか?」
「いや、もう一人いる。そいつとは現地で合流するよう命じた。任務経験も豊富だ。分からないことがあれば遠慮なく聞け。」
「分かりました。」
セレスは静かに頷く。
「……だが、その前にお前に渡すものがある。」
「渡すもの?」
「武器だ。」
思わず息をのむ。
実戦用の武器。
それは、アルバの一員として認められた証なのかもしれない。
目を覚ましたばかりの頃は、歩くことさえままならなかった。
そんな僕が、今こうして武器を手にしようとしている。
胸の奥で、小さな期待が膨らんでいった。
「ついてこい。」
僕はセレスの後について歩き出した。
──────────
黎明の翼本部の別棟。
そこでは、作業着を着た人たちが忙しなく働いていた。
金属を打つ甲高い音が建物の外まで響き、熱気を含んだ空気が辺りを包んでいる。
セレスは金属製の扉を開いた。
「入るぞ。」
中へ足を踏み入れる。
炉の熱気が肌を包み、鉄の匂いが鼻を突いた。
壁には大小様々な剣や槍、棚には整然と並べられた武器が置かれている。
奥では真っ赤に熱した鉄を打つ音が、一定のリズムで響いていた。
「すごい……!」
思わず声が漏れる。
「ここが黎明の翼専属の工房だ。」
セレスは静かに言う。
これが工房……!
工房の中を見回していると、部屋の奥で槌を振るっていた人物がこちらに気がついた。
長い白髭を蓄えた、小柄ながらも逞しい体つき。
ドワーフ族だ。
「セレス様!」
満面の笑みを浮かべると、ドシドシと床を鳴らしながら駆け寄ってくる。
「お待ちしてました!……それにノエル君!」
こちらを見る琥珀色の瞳は、嬉しそうにきらきらと輝いていた。
「やっと顔を合わせられたよ!」
「……ごめん、まだ思い出せていないんだ。」
するとドワーフは大きく笑う。
「気にしなくっていいよ!思い出なんて、これから作ればいいんだからさ!」
その笑顔に少し肩の力が抜ける。
「紹介しよう。」
セレスは僕へ視線を向けた。
「鍛冶師のフィンだ。」
「よろしくね、ノエル君!」
勢いよく差し出された手に、思わず笑みがこぼれる。
「よろしく、フィン。」
大きなその手に僕の手を重ねた。
「うんうん!聞いていたより、元気そうで安心したよ!工房のみんなも『いつ来るんだろう』って待ってたんだから!」
フィンが工房の奥へ振り返る。
「兄貴ー!来たよー!」
「兄貴?」
金属を打つ音が止む。
炉の奥から、一人のドワーフがゆっくり歩み寄ってくる。
長い白髭を胸元まで蓄えたその姿からは、長年工房を支えてきた職人の風格が漂っていた。
無駄のない足取りで僕の前へ立つと、一度だけ僕を見つめる。
「……ノエルか。」
低く落ち着いた声だった。
「工房長のガロンだ。」
セレスが軽く紹介をすると、ガロンは小さく頭を下げた。
「……よろしく。」
「こちらこそよろしく、ガロン。」
ガロンは静かに僕を見つめる。
「兄貴!それだけ!?」
「……十分だ。」
「もー!だからみんな最初は怖がるんだよ!」
ガロンは何も言わず、ただ小さくため息をついた。
「ガロン。例のものは?」
「……持ってくる。」
ガロンは再び工房の奥へと入っていった。
しばらくすると、何かを持って戻ってきた。
「……十年。お前が帰ってくるのを信じて、手入れを続けてきた。」
ガロンは一本の剣を、両手で静かに差し出した。
「これがお前の剣だ。」
「僕の剣……」
恐る恐る柄へ手を伸ばす。
指先が触れた、その瞬間だった。
胸の奥で、言いようのないざわめきが広がる。
懐かしいような、切ないような。
初めて触れるはずなのに、不思議と違和感はなかった。
ゆっくりと握り締める。
まるで、この手に馴染むことを知っていたかのように、剣は自然と収まった。
「……。」
思い出せない。
それでも、この剣だけは僕を覚えていてくれた。
そんな気がした。
静かな重みが、手の中に確かにあった。




