第一話 扉の向こう
朝日が病室の窓から静かに差し込む。
柔らかな光が白い部屋を優しく照らしていた。
ゆっくりと目を開く。
見慣れた白い天井。
目覚めたあの日は、この場所がどこなのかさえ分からなかった。
けれど今は違う。
少しずつ歩けるようになり、仲間と食卓を囲み、笑うことも増えた。
思い出せないことは、まだたくさんある。
それでも、この場所で過ごす時間は、不思議と心を落ち着かせてくれた。
コンコン──
「失礼します。」
扉が開き、セレナが穏やかな笑みを浮かべて入ってきた。
「おはようございます、ノエルさん。」
「おはよう、セレナ。」
「それでは少し診させてくださいね。」
セレナがそっと僕の手に触れる。
すると、彼女の手に淡い光が灯った。
「痛むところはありませんか?」
「うん。昨日より体が軽い気がする。」
セレナは優しく微笑む。
「順調ですね。」
セレナは端末を操作し、手際よく記録を残していく。
「歩行も安定していますし、今日から病室を出ても問題なさそうです。」
その言葉に一瞬、目を見開く。
「本当なの?」
「えぇ。もちろん、無理は禁物ですけどね。」
病室をゆっくりと見渡す。
白い天井。
柔らかいベッド。
朝日が差し込む窓。
何日ここで過ごしたんだろう。
「……ありがとう。」
気づけば、そんな言葉が口からこぼれていた。
「医療班として当然のことをしたまでですよ。」
セレナは笑顔で返した。
コンコン──
再び扉が叩かれる。
「失礼いたします。」
シリルが丁寧に頭を下げて部屋に入ってきた。
「お部屋の準備が整いました。」
「部屋……?」
思わず聞き返す。
「はい。今日から病室ではなく、ご自身のお部屋でお過ごしいただきます。」
少しだけ胸が高鳴る。
僕の部屋。
記憶はなくても、昔の僕が過ごしていた場所。
「案内してもらってもいいかな?」
「もちろんでございます。」
シリルは穏やかに微笑み、一礼した。
「では、ご案内いたします。」
セレナはそっと端末を閉じる。
「私はここまでですね。」
「ありがとう、セレナ。」
「何かありましたら、いつでも医療棟へ来てくださいね。」
「うん。」
ベッドから立ち上がり、セレナに軽く頭を下げてから、シリルと共に病室を後にした。
病室を出て数歩進んだところで、ふと足を止めた。
名残惜しかったのかもしれない。
振り返ると、セレナが穏やかな笑顔で見送ってくれていた。
病室を出てから数分。
シリルに案内されながら、居住棟の廊下を歩く。
行き交う隊員たちは足を止め、穏やかな笑顔で挨拶を交わしてくれた。
「おはようございます、ノエルさん。」
「おはよう。」
少し照れくさりながらも、僕も挨拶を返す。
知らないはずなのに。
それでも、こうして名前を呼ばれるたびに、この場所で過ごしてきた時間が確かにあったのだと感じられた。
廊下を歩いていると、向こうから見覚えのある藤色の髪が揺れた。
「あ、ノエルさん。」
リリアだった。
小走りでこちらへ駆け寄ると、ほっとしたように笑みを浮かべる。
「シリルさんから、お部屋へ向かわれると聞いたので。」
「そうだったんだ。」
「……少し気になってしまって。」
照れくさそうに微笑むリリアを見て、思わず笑みがこぼれる。
「じゃあ、一緒に行こう。」
「はい。」
リリアは嬉しそうに頷いた。
シリルはそんな二人を見て、小さく微笑む。
「お話をしているうちに、もう到着しております。」
シリルが一枚の扉の前で足を止めた。
「こちらが、ノエル様のお部屋でございます。」
目の前には木目調の落ち着いた扉。
ここが、十年前まで僕が過ごしていた部屋。
どんな時間を過ごしてきたのだろう。
静かに息を吸い込み、ドアノブへと手を伸ばした。
扉を開けると、朝日が静かに部屋を照らした。
木の温もりを感じる机やベッドが並び、使い込まれた本棚が壁際に置かれている。
初めて見るはずの部屋。
それなのに、どこか懐かしい気がした。
「お部屋は、以前のまま残しております。清掃だけは続けておりました。」
「ずっと?」
「もちろんでございます。ノエル様の帰る場所ですから。」
「……ありがとう。」
シリルは微笑みながら一礼した。
僕は机に近づき、そっと天板を撫でた。
その流れで椅子に座ってみる。
……不思議と落ち着く。
「いかがでしょう?」
僕は部屋をもう一度見渡した。
机。
本棚。
窓から差し込む朝日。
どれも初めて見るはずなのに、不思議と心が落ち着いた。
ゆっくりと息を吐く。
「……うん。」
自然と笑みがこぼれた。
「すごく気に入ったよ。」
その言葉を聞いたシリルは小さく微笑む。
隣では、リリアもどこか安心したように胸を撫で下ろしていた。
部屋にはしばらく静かな時間が流れる。
誰も言葉を発さない。
それでも、その沈黙はどこか心地良かった。
ふと、机の上に置かれていた小さな写真立てが目に入った。
僕は気になって、そっと手に取る。
「……昔の写真です。」
リリアが静かに隣へ並ぶ。
「これが今の大樹なんですよ。」
写真の中央には、まだ人の背丈しかない一本の苗木が写っていた。
あの大樹がこんなにも小さかっただなんて。
思わず、写真と外の大樹と見比べる。
……こんなにも大きく育つんだ。
写真をそっと机へ戻す。
静かな朝の空気が部屋を満たしていた。
「……よろしく。」
誰に向けての言葉なのか、自分でも分からない。
それでも、その一言は自然と口をついて出ていた。
新しい一日が、静かに始まろうとしていた。




