第三章 剣は最強、社交は壊滅
正式なお披露目は、入城から一週間も経たないうちに設定された。
ヴァルディス宮廷における「客将の紹介」という形式の催しで、要は貴族たちの前に立って挨拶をする場だ。イリスからそう説明を受けた時、リゼットは了承した。戦場に出るよりずっと簡単なことだと思った。
その認識が甘かったと気づいたのは、当日の朝だった。
「こちらのドレスをお召しいただきます」
イリスが衣装箪笥から取り出したのは、薄い銀青色のドレスだった。正確にはドレスというより礼装に近いが、リゼットが普段着る軍装とは全く異なる。腰から裾にかけて細かな刺繍が入っていて、袖が長い。
「……これを着るのか」
「宮廷の正式な場ですので」
「剣は携帯できるか」
「腰に佩くことは難しいかと。短剣を隠し持つ程度なら」
「帯剣なしで人前に立つことは想定していなかった」
「慣れていただけると幸いです」
慣れる気がしなかった。しかし異国の宮廷の作法に文句をつけるのも筋が違う。リゼットは渋々ドレスに袖を通した。
鏡を見た。
自分の顔をしているが、自分に見えなかった。赤みのある金髪は肩のあたりで揃えられていて、淡い青銀の瞳は、いつもより少し硬く見えた。日に焼けすぎてはいないが、剣を握ってきた体は細いだけではない。肩や腕には、礼装の布では隠しきれない力の線がある。
刺繍の入った袖と裾が、どうにも落ち着かない。体が細身だから似合わないわけではないと思うが、肩が窮屈だ。剣を抜く動作ができない袖は、着ている間ずっとわずかな圧迫感を与える。
「フィグ」
「なんじゃ」
「正直に言え。おかしくないか」
フィグは台の上からリゼットを見た。ほんの少し観察した。
「おかしくはない。ただ、ぬしが着ているというより、ドレスがぬしを着ているようじゃ」
「それはおかしいということではないのか」
「事実の描写じゃ」
役に立たない、とリゼットは思ったが、フィグの言っていることは正確だと自覚もしていた。
広間は思ったより広かった。
城の中央区画にある大広間で、高い天井に魔術の灯が連なっている。すでに貴族たちが集まっていた。男女合わせて五十人ほど。全員がリゼットを見た。
見られること自体は慣れている。英雄として人前に立つことは多かった。ただ、その視線の種類が戦場のものと違った。戦場では「この剣が頼りになるか」という目で見られる。今は「この駒をどう使うか」という目で見られている。
セレネがすでに広間の中央にいた。黒髪に白い礼装、灰紫の瞳が穏やかにこちらを見ている。その隣に立てと視線で示された。
リゼットはそちらへ歩いた。歩きながら、裾を踏まないように気を遣った。気を遣いながら歩くと、歩き方がおかしくなる気がして余計に気を遣った。
「よくお似合いです」
隣に立った瞬間、セレネが小声で言った。
「……そう見えるか」
「少し肩が上がっています。力を抜いてください」
言われて気づいた。肩が上がっていた。意識して下げると、少し楽になった。
「剣を持っていないと落ち着かないのですか」
「そういうわけではない」
「そういうわけがあるように見えます」
正面を向いたまま小声でやりとりするのは、妙な緊張感があった。
宮廷の高官が進み出て、リゼットの紹介を始めた。アルヴェイン王国第一王女、竜殺しの英雄、ヴァルディス公国への客将として迎えられた、という内容だ。広間に拍手が起きた。形式的な拍手だとわかった。
挨拶をした。準備した言葉を言った。問題なく終わった、と思った。
そこから先が問題だった。
正式な紹介の後は、いわゆる歓談の場になった。
貴族たちが次々と寄ってきた。英雄への賛辞、アルヴェインの様子への質問、ヴァルディスへの印象を尋ねる言葉。それらは型通りで、型通りに返せた。
だが、問題はすぐに起きた。
「客将殿は、ヴァルディス軍との合同演習についてはどのようにお考えで? 我が家の軍は北方を担当しておりますが、もし連携が可能なら、ぜひとも」
軍事の話だった。ただし内容は表向きの連携話で、実際には「セレネと我が家どちらに近いか」を探っている匂いがした。しかしどこまでが本題でどこからが探りなのか、文脈がはっきり読めない。
「現時点では具体的な任務内容が決まっていないため、お答えが難しい状況です」
「そうですか。では個人的に、北方の地勢についてご見解を聞かせていただけませんか。竜殺しの眼から見た、という観点で」
北方の地勢。竜殺しの眼から、という言い方は、リゼットの能力への遠回しな言及だ。古竜の気配を察知できることは広く知られている。それを軍事利用したいという意図が透けて見えた。
どう返すのが正解か。明確な拒否は角が立つ。曖昧にかわすのが適切か。しかし曖昧にしすぎると脈ありと取られかねない。
リゼットが言葉を選んでいる間に、セレネが横から入った。
「まあ、北方の地勢でしたら、我が家の文官の方が詳しゅうございますよ。リゼットに聞くより、そちらにお問い合わせいただいた方が確実かと」
穏やかな声だった。微笑みながら言うので、拒否に聞こえない。しかし内容は完全な断りだった。貴族は苦笑して引き下がった。
次も似たような展開だった。今度は婚姻の話を遠回しに打診する一群で、リゼットが答えを準備している間にセレネが言葉で片づけた。
さらに別の貴族は、純粋に竜殺しの英雄への好奇心からくる質問だったが、リゼットは相手の言葉の中の比喩表現を文字通りに受け取ってしまい、場が一瞬止まった。
「……竜殺しほどの方が『剣の腕はたいしたことはない』とは、ずいぶんなご謙遜で」
「謙遜ではない。今の隊列なら自分より強い者が三人いると思う」
「……はあ」
相手は引きつった笑みで去った。
セレネが小声で言った。
「今のは謙遜として受け取ってもらった方が、その方のためでしたね」
「本当のことを言った」
「それはわかります」
「何が問題だったんだ」
「この場で自軍の弱点になりうる情報を開示することが、です」
リゼットは黙った。それは確かにまずかった。戦術的な配慮が社交の場でも必要だとは、あまり考えていなかった。
半刻ほど経って、女騎士が来た。
入城の日に遠目で見た女だ。近くで見ると、歳はリゼットと同じくらいで、姿勢が良く、黒に近い濃い栗色の髪を後ろでまとめている。軍装ではなく礼装だが、それでも騎士らしい立ち姿だった。
「客将殿にご挨拶を」
声が少し硬かった。礼は正確だったが、目はリゼットを測っていた。隠す気がない。
「ミレイユ・フォルタンと申します。セレネ殿下付きの近衛として任を預かっております」
「リゼット・アルヴェインだ。よろしく頼む」
「こちらこそ……ご質問がよろしいですか、客将殿」
「ああ」
「竜殺しとは、実際のところ、どのような戦闘を」
これは純粋な武人の興味だと、リゼットにはわかった。探りでも駆け引きでもない目をしていた。戦闘の話なら得意だ。リゼットは少し気が楽になった。
「古竜は正面から斬れない。鱗の硬度が剣の耐久を超えるからだ。眼の下か、翼の付け根の隙間か、腹部の合わせ目か。要は柔らかい場所を探して、そこへ全力で入れる」
「それだけでは」
「それだけではない。古竜は瘴気を放つ。近づくだけで感覚が狂う。正確に動くために、瘴気を気配として察知する感覚と、それに潰されない意志の強度が要る。技術より精神の問題が大きい」
「なるほど」
ミレイユは少し考えた。
「では、通常の騎士訓練でその精神的な耐性を養うことは」
「難しい。竜の瘴気に慣れるには、竜に近い場所に立つしかない。代替訓練は気休め程度だ」
「率直なお答えに感謝します」
ミレイユの目が少し変わった。敵意が薄れたわけではないが、相手を見る目になった、とリゼットは思った。
「しかし」
「まだ何かあるか」
「セレネ殿下のおそばには、わたくしがおります。客将殿が何をお考えか存じませんが、殿下の護衛はわたくしの務めです。それを侵すようであれば、黙っておりません」
宣戦布告だ、とリゼットは思った。しかし隠す気がない分だけ、わかりやすかった。
「私はセレネ殿下の護衛として来たわけではない」
「それは存じております」
「ならば問題ない」
「…………」
ミレイユは何か言いたそうだったが、言わなかった。礼をして去った。
歓談の場が終わり、貴族たちが引いた頃、リゼットは柱の陰に退避していた。
疲れた。剣の稽古で三刻動いた後より消耗している気がする。戦闘で五人相手にする方がはるかに楽だ。言葉と視線の重さは、刃の重さとまるで違う種類のものだ。
フィグが肩の上に戻ってきた。どこかでつまみ食いでもしていたのか、口元が甘そうな匂いをしていた。
「惨敗じゃったな」
「わかっている」
「ぬし、相手の皮肉を二度ほど真に受けておったぞ」
「わかっている」
「あの貴族の『お強うございますね』は賛辞ではなく嫌みじゃったのに、礼を言ってしまっておったぞ」
「わかって……そうだったのか」
「そうじゃ」
リゼットは目を閉じた。知らなかった。完全に知らなかった。
「剣以外では本当に何もできないな、私は」
独り言のつもりで言った。だから返事は期待していなかった。
「そんなことはありませんよ」
声がして顔を上げると、セレネが立っていた。歓談の場を締めて、広間の整理を指示してから来たらしく、わずかに早足の気配があった。手に茶の入った杯を二つ持っている。
「飲みますか」
「……もらう」
受け取った。温かかった。
セレネは隣の柱にもたれた。広間の方を見ながら、自分の茶を飲んでいる。
「慣れないだけです」
「何が」
「言葉の駆け引きが、です。あなたは武人として鍛えられてきた。社交は別の種類の訓練が要ります。慣れれば、もう少し楽になる」
「慣れる気がしない」
「そう言いながら、先ほどミレイユとは話せていたでしょう」
「あれは剣の話だった」
「それでも話せた。話せる場所から広げればいい」
断定しない言い方だった。叱るでも過度に励ますでもない、事実の整理のような話し方だ。リゼットは少し面食らった。アルヴェインで失敗をした時は、大抵もっと評価がはっきりしていた。良いか悪いか、使えるか使えないか。
「今日は場慣れのための場でもありました。本格的な外交の席はまた別です。焦らなくていい」
「……今日の場で、私が足を引っ張った場面はいくつあった」
「三か所です」
即答だった。
「ただし、目立った失点は一か所だけです。残りは処理できる範囲でした」
「どれだ」
「北方の話のところで、わが軍の配置について少し触れすぎた。あの貴族は情報を集めていますから、あの言い方は使われる可能性がある」
「……次からは気をつける」
「ええ」
セレネは上品に茶を飲み終えた。杯を台に置いて、リゼットを見た。
「一つ聞いてもいいですか?」
「何か」
「アルヴェインでは、失敗した時にどんなふうに言われていましたか」
質問の意図がわからなかった。
「……普通に指摘される。次はこうしろ、と」
「それだけですか?」
「それ以上は特に」
セレネはわずかに目を細めた。何かを確認したような顔だった。
「そうですか?」
「なぜ聞く」
「いいえ、なんでもありません」
なんでもない顔ではなかった。しかし追及するほどのことでもない気がして、リゼットは黙った。
広間の灯が少し落ちた。夕方の光が、少しずつ夜に沈んでいく頃だった。
「剣では守れても、言葉では守れない」
小声で言ったのは自分でも気づかなかった。
セレネが少し間を置いてから、言った。
「今日のあなたが、誰かを言葉で傷つけましたか」
「……いや」
「では守れていない、とは言えない。まだ武器を持っていないだけです」
リゼットは返事をしなかった。
正しいかどうかわからなかった。ただ、茶の温度だけが確かだった。
剣では守れても、言葉では守れない。その事実が、リゼットを初めて情けなくさせた。




