第二十二章 古竜、再び空へ
全員が揃ったのは、深夜だった。
執務室には入りきらないため、城の作戦室が使われた。大きなテーブルに地図が広げられ、ランプが複数灯された。集まったのはセレネ、リゼット、イリス、ミレイユ、ノエル、フィグ、それに軍部の上位将校が二人だった。
ガイゼルにも連絡が届いた。夜半に別棟から来た。
ノエルが計測データを説明した。
「封印核の振動が、これまでの計測で最大値を記録しました。振動周期が短くなっています。崩壊のパターンとして、これは最終段階に近い挙動です」
「最短で一ヶ月と言ったな」
ガイゼルが確認した。
「最短で、です。早ければ半月という可能性も排除できません」
作戦室が静かになった。
半月。一ヶ月。数字が具体的になると、空気の質が変わった。
「対処策の決定を急ぐ必要があります」
軍部の将校が言った。
「封印媒介案の実施を、早急に」
「別の手段を探しています」
セレネが伝えた。
「時間がありません、殿下」
「時間がないことは知っています。ただし確認できていない手段がある以上、最初から一択に絞るべきではない」
「確認できていない手段とは何ですか。具体的に」
「ノエル、資料を」
ノエルが羊皮紙の束を出した。この数日、深夜まで資料室にいた成果だ。
「百年前の封印術式について、当時の魔術師たちが残した技術記録です。これを見ると、封印の構造は竜殺しの力を消耗させる形になっていますが、それが必然だったわけではありません。当時の術式が選んだ形です」
「つまり」
「別の術式で封印を構築できる可能性があります。竜殺しを媒介として消耗させるのではなく、封印の負荷を分散させる形で」
「可能性、ですか」
「まだ理論段階です。ただし根拠があります」
ノエルが説明を続けた。技術的な内容で、リゼットには半分しか理解できなかったが、全員が聞いていた。
ガイゼルが口を開いた。
「可能性と現実の間には距離があります。半月で確立できますか」
「正直に言います。確立できるかどうかは、まだわかりません」
「わからない手段に賭けることはできない」
「わからない手段に賭けることと、確実に命を削る手段を選ぶことは、どちらが現実的か、という問題でもあります」
ガイゼルがセレネを見た。セレネはガイゼルを見た。
「平行して進めましょう」
リゼットが言った。
全員の視線が集まった。
「別の術式の研究を続けながら、状況に応じて判断する。どちらかに決め打ちにする必要はない。時間が来た時に、その時点での最善を選ぶ」
「状況に応じて、というのは」
「古竜が完全に復活する前に封印が可能なら、新しい術式で試みる。間に合わなければ、その時考える」
「その時考える、では遅い場合があります」
「遅くなる前に考え続けることと、今決め打ちにすることは違う」
ガイゼルが少し黙った。
「リゼット、おまえは」
「私のことは私が考えます。今夜はそれだけです」
将校たちが顔を見合わせた。セレネが動かなかった。動かないことで、リゼットの言葉を否定しなかった。
「わかった」
ガイゼルが言った。
「ただし、決断が必要な時が来たなら、遅らせないように」
「承知している」
会議が終わったのは、夜明け前だった。
人が散らばっていく中、ミレイユがリゼットの傍に来た。
「今夜の判断は正しかったと思います」
「正しいかどうかはまだわからない」
「それでも、あなたがあそこで言ったことで、場が動いた。それは確かです」
「ミレイユ」
「なんですか」
「あなたは今から何をする」
「騎士として、準備をします。古竜が復活するなら、戦闘が起きます。殿下の傍に立てるように整えます」
「それでいい」
「あなたは」
「同じだ」
ミレイユが少し頷いた。それから、珍しく少し柔らかい顔をした。
「先日の稽古の課題、少し直ってきました」
「続けろ。右の戻りもまだ遅い」
「承知しました」
ミレイユが去った。
フィグが肩の上で言った。
「ぬし、さっきの話し方は前と変わっておるぞ」
「どこが」
「自分のことを、自分の言葉で言っておった。前は役目のためにとか、任務として、という言い方をしておった」
リゼットは少し考えた。
「そうかもしれない」
「変わったな」
「ああ」
「悪い変化ではないな」
「そうだと思う」
その夜を境に、準備は本格化した。
ノエルは資料室と執務室を往復しながら、新しい術式の研究を続けた。セレネが補助についた。二人で深夜まで作業していることがあった。
ミレイユは騎士団の訓練を強化した。リゼットも加わった。
リゼットは訓練をしながら、自分の体の状態を確認し続けた。今までは感じないようにしていた感触を、今は正面から感じようとしていた。
消耗がある。竜の残滓との共鳴が、時々ある。それが命を削っていることは、今はわかっていた。わかった上で、どう使うかを考えていた。
死ぬために使うのではなく、生きて戻るために使う。それが今の決め方だった。
準備が続く中、セレネが訓練場に来た。
「少し話せますか」
「今終わったところだ」
二人で訓練場の端に移動した。
「術式の研究が進んでいます。まだ完全ではないですが、理論的には成立する可能性が高まりました」
「どのくらいの精度で」
「七割程度の確信です。残りの三割は、実際に試してみないとわからない部分があります」
「七割は高いか低いか」
「通常の魔術実験では、最初から七割あれば充分に試みる水準です。ただし今回は、失敗した場合の代償が大きい」
「代償とは」
「術式が途中で崩れた場合、封印核への余計な負荷になります。崩壊が早まる可能性があります」
リゼットは少し考えた。
「七割の成功と、三割の崩壊加速。残りの選択肢は封印媒介案」
「そうです」
「あなたはどちらを選びたいか」
「聞きますか」
「聞く」
セレネが少し間を置いた。
「新しい術式を試みたい。ただし、リゼットの体に許容できる範囲の負荷で、なおかつあなた自身が同意できる場合に限ります」
「条件が多い」
「私が同意できる範囲は、あなたが傍にいる場合だ」
セレネが少し止まった。
「傍にいます」
「なら、七割に賭ける」
「本当に、あなた自身の意思ですか」
「そうだ」
リゼットは即答した。
行くなと言われたから、行くのではない。
行けと言われたから、行くのでもない。
国のために差し出されるのでも、誰かに守られて隠されるのでもない。
自分で行く。
生きて戻るために、自分で選ぶ。
約束した三日はまだ終わっていなかった。けれど、もう先延ばしにする理由はなかった。
「兄上の命令でも、アルヴェインの判断でも、ヴァルディスの都合でもない。私が、あなたの術式に賭けると決めた」
セレネはしばらく黙っていた。
「……わかりました」
「根拠は聞かないのか」
「聞きます」
「あなたが傍にいれば、残りの三割を二割に縮められる気がする」
「数字に根拠はありませんが」
「根拠はない。ただそう思う」
セレネが少し笑った。
「わかりました。並行して進めることにします。リゼット、無理はしないでください」
「無理はする」
「しないでください」
「なら、言い方を変える。死ぬための無理はしない」
セレネが息を止めた。
「私は、封印の道具になるつもりはない。あなたに守られるだけのものになるつもりもない。自分で戻ってくる」
「……約束できますか」
「約束する」
そう言ってから、リゼットは少し考えた。
「約束は、守るものだったな」
「ええ」
「なら、守る」
準備が整いきる前に、封印核が再び大きく揺れた。
今度は夜明け前だった。リゼットは眠っていて、夢の中で感じた。竜の残滓が引っ張る感触が夢に入ってきて、目が覚めた。
起き上がると、城のどこかで鐘が鳴り始めた。
警戒の鐘だった。
廊下に出ると、騎士が走っていた。
「何があった」
「旧戦場からです。斥候が古竜の動きを確認しました」
「復活したか」
「まだ完全ではないようですが、半復活の状態で地上に出てきています。国境近くに向かっています」
リゼットは部屋に戻った。軍装をつけた。剣を佩いた。
フィグが肩に来た。
「行くか」
「行く」
「無理をするな」
「する」
「わかっておる。だから言うな、と言うでない。それでも言う」
「……わかった」
廊下を走った。作戦室に向かった。
セレネはすでにそこにいた。夜着の上から外套をかけていた。イリスが横で書類を処理していた。ノエルが術式の計算をしていた。
「リゼット」
「状況は」
「古竜が半復活状態で旧戦場を出ました。完全な復活ではないですが、この状態でも周囲への影響は大きい。国境付近の集落に被害が出る前に対処が必要です」
「術式は」
「持っていけます。現地で試みます」
「間に合うか」
「間に合わせます」
ガイゼルが来た。
「共同で動きます。アルヴェインの騎士も出します」
「ありがとうございます」
セレネが短く礼を言った。
ガイゼルはリゼットを見た。
「リゼット」
「兄上」
「気をつけろ」
「わかっている」
ガイゼルはそれ以上言わなかった。
ミレイユが騎士団を集めてきた。
「準備できています」
「出発は」
「今すぐ動けます」
セレネがリゼットを見た。
「行きますか」
「行く」
「一緒に行きます」
「わかっている」
もう、守る側と守られる側ではない。
並んで死地へ行く。
それが今夜の出発だった。
城門が開いた。馬が走り始めた。夜明け前の空に、星がまだ残っていた。
旧戦場の方角に、かすかな光があった。
封印核が、古竜と共に、夜明けを待っていた。




