表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜殺しの姫は、今日も隣国の魔女に飼われている  作者: 明石竜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/26

第二十章 兄上の国、魔女姫の檻

 ガイゼルがヴァルディスに到着したのは、書簡が届いてから一週間後だった。

 表向きは外交調整のための訪問だった。封印崩壊への両国共同対処を協議する、という名目で、随行の外交官と護衛を連れてきた。

 城の正門で出迎えた時、ガイゼルはいつもと変わらない顔をしていた。穏やかで、整っていて、王太子らしい顔だった。

「リゼット」

「兄上」

 名前を呼ばれた。政治的な呼びかけではなく、兄が妹を呼ぶ声の出し方だった。それがかえって、リゼットの中で何かを複雑にした。

「顔色がいい」

「そうか」

「ヴァルディスの生活は合っているようだな」

「それなりに」

 ガイゼルの視線がセレネに移った。セレネが一歩前に出た。

「ガイゼル王太子殿下、ようこそヴァルディスへ。セレネ・ヴァルディスです」

「セレネ殿。噂にたがわぬ方ですね」

「光栄です。どうぞごゆっくり」

 二人が挨拶をしている間、リゼットは横で見ていた。

 ガイゼルはセレネを値踏みしていた。丁寧に、穏やかに、しかし確実に。セレネはその視線を受けながら、完璧な笑みで応じていた。

 どちらも底が見えない、とリゼットは思った。

   

 夕食は正式な晩餐の形を取った。

 ガイゼルとセレネ、それぞれの側近が同席する形で、大広間より小さな晩餐室が使われた。リゼットはセレネの隣に座った。ガイゼルはセレネと向かいの位置だった。

 最初の一刻は当たり障りのない話だった。

 ヴァルディスの秋の気候、アルヴェインの収穫の話、両国の交易の近況。ガイゼルは話し上手で、場を温める話題の選び方が自然だった。

 しかし一刻が過ぎた頃、ガイゼルが話題を変えた。

「封印崩壊について、率直に話させてください」

「もちろんです」

「アルヴェインとしては、封印の維持が最優先事項です。古竜の復活は、両国だけでなく周辺国にも影響します。協力して対処したい」

「ヴァルディスも同じ立場です」

「では、対処策については合意の方向で動けますか」

「対処策の内容によります」

 セレネの答えは短かった。ガイゼルが続けた。

「封印媒介案については、アルヴェインとしても検討に値すると考えています」

「媒介に使われる人間の意思は」

「本人の意思を確認した上で、という前提です」

「本人の意思を確認した結果、断った場合は」

「それは」

 ガイゼルが少し間を置いた。

「断らないと思っています」

「なぜですか」

「リゼットは国のために戦うことを選んできた。今回も同じ選択をすると、兄として信じています」

 信じています、という言葉の重さを、リゼットは晩餐室の空気の中で感じた。

 ガイゼルは嘘をついていなかった。妹を案じる声と、国のために使う声が、同じ響きをしていた。

   

 晩餐が終わった後、ガイゼルがリゼットに個別に時間を求めた。

 セレネが同席しようとした。

「二人で話させてもらえますか」

 ガイゼルが穏やかに言った。セレネが少し止まった。

「リゼットさえよければ」

「私は構わない」

 セレネが出ていった。

 二人きりになった。ガイゼルが椅子に座った。リゼットも座った。

「顔色がいいと言ったが、本当にそう思った」

「ありがとう」

「ここでの生活は」

「悪くない」

「そうか」

 ガイゼルは少し間を置いた。

「話が難しいことは分かっている。ただ、兄として話させてほしい」

「聞く」

「リゼット、おまえのことが心配だ」

「心配してくれるなら、封印媒介案を推すことはしないはずだ」

「心配しているから、考えている。おまえが自分で選ぶ形にしたい。強制ではなく」

「強制ではなく、選ばせる形で同じ結論に誘導したいということか」

 ガイゼルが少し黙った。

「……そう聞こえたか」

「そう聞こえた」

「言葉が足りなかった。誘導するつもりではなかった」

「しかし封印媒介案を推している」

「国として、最善策を検討しているだけだ」

「その最善策の中に、私の命がある」

 ガイゼルは目を伏せた。否定しなかった。

「リゼット、おまえが嫌なら」

「嫌かどうかではない。この話は、私が嫌かどうかで終わる話ではなくなっている」

「どういう意味だ」

「両国の上層が動いていて、宗教勢力も動いていて、時間が迫っている中で、私一人の嫌という言葉がどこまで機能するかの話だ」

 ガイゼルは答えなかった。

 しばらく沈黙があった。

「おまえを大切に思っている。本当に」

「知っている」

「国のためだけに言っているわけではない」

「それも知っている」

「では」

「だから難しいんだ、兄上」

 リゼットは窓の外を見た。ヴァルディスの夜の灯が石畳に落ちていた。青みがかった光が、いつもより少し遠く見えた。

「大切に思っていて、同時に国の論理で動く。どちらも本当のことだ。それが問題なんだ」

「国を守ることとおまえを大切にすることは、矛盾しない」

「今回は矛盾している」

 ガイゼルが何かを言おうとした。しかし言葉が出てこなかった。

 初めて見る顔だった。ガイゼルが言葉を失う場面を、リゼットは今まで見たことがなかった。

「私は自分で考えて、自分で決める。それだけは言える」

「リゼット」

「今夜はそれだけだ、兄上」

 リゼットは立ち上がった。

 扉の前で、一度だけ振り返った。

「アルヴェインのことを、嫌いになったわけではない」

「……そうか」

「それだけは伝えたかった」

 扉を閉めた。

   

 廊下に出ると、セレネがいた。

 少し離れた場所の壁際に、イリスと一緒に立っていた。通りかかっただけ、という顔ではなかった。

「終わりましたか」 

「終わった」

「お疲れ様でした」

 三人で廊下を歩いた。

 しばらく歩いてから、セレネが伝えた。

「明日、ガイゼル殿下と正式な協議があります」

「わかっている」

「その前に、一つ伝えておきたいことがあります」

「何か」

「協議の場で、わたくしはリゼットの返還を求める主張に応じません。明示的にお伝えしておきます」

「返還を求める主張が来るとわかっているのか」

「来ます。既に書簡で示唆されています」

 リゼットは少し考えた。返還。アルヴェインに戻る、ということだ。戻って、封印媒介として使われる。

「セレネ殿下」

「なんですか」

「あなたが私を返さないのは、なぜだ」

「返したくないからです」

「政治的な理由ではないのか」

「政治的な理由もあります。ただ、主な理由は返したくないからです」

「返したくない理由は」

 セレネが歩きながら、少し間を置いた。

「命を道具として扱う場所に、あなたを返せません」

「それは私のためか、あなたのためか」

「両方です」

 廊下の灯が揺れた。

「正直だな」

「あなたには嘘をつきたくないと言いました」

「言った。覚えている」

 イリスが少し先を歩いていた。気を遣っているのか、自然な速度でそうなったのか、わからなかった。

「リゼット」

「何か」

「今夜、眠れそうですか」

「わからない」

「眠れなければ、来てください。部屋で書類を見ています」

「迷惑ではないか」

「迷惑なら誘いません」

 それだけだった。

 リゼットは自分の部屋に戻った。

 フィグがいた。台の上で丸くなっていた。

「兄上との話はどうじゃった」

「難しかった」

「そうか」

「悪い人間ではない。それが難しい」

「悪い人間なら、わかりやすかったということじゃな」

「そうだ」

 フィグが伸びをした。

「ぬしは、自分がどうしたいかは決まっているか」

「まだ全部ではない。ただ、決まっていることが一つある」

「何じゃ」

「他人に決めさせない。それだけは決まっている」

 フィグが少し黙った。

「それが決まっていれば大丈夫じゃ」

「そうか」

「残りは後から決まる」

 リゼットは窓の外を見た。

 眠れない気がしたが、セレネの部屋に行く気にもなれなかった。行きたい気持ちはあった。しかし今夜は、一人で考える時間が必要な気もした。

 兄の手も、魔女姫の檻も、どちらも自分を離してくれない。

 だが、どちらを選ぶかとは違う話だ。

 どちらかを選ぶのではなく、自分で決める。その決め方を、まだ探していた。

   

 翌朝、正式な協議が始まった。

 晩餐室より広い部屋で、両国の外交担当と高官が並んだ。ローヴァンも来ていた。

 最初は、外交的な前置きが続いた。両国の関係の確認、封印崩壊への共同認識の確認。

 そのあと、ようやく本題に入った。

「対処策として、封印媒介案が最も現実的な選択肢であると、アルヴェインは考えています」

 ガイゼルの外交官が言った。

「ヴァルディスとしては、別の手段を模索しています」

 セレネが返した。

「別の手段の具体的な内容は」

「現在調査中です」

「調査中ということは、確立していない」

「そうです。しかし封印媒介案には問題があります」

「問題とは」

「リゼット殿の意思の問題と、媒介後の生存可能性の問題、そして代替手段が存在する可能性が排除されていない問題です」

「時間がありません」

 ガイゼルの外交官が食い下がった。

「時間がないことと、最善でない手段を急いで取ることは別です」

 そこへ、ガイゼルが直接言った。

「セレネ殿。あなたは妹を国から奪おうとしているのですか」

 晩餐室が静かになった。

 セレネはガイゼルを正面から見た。

「いいえ」

「では」

「国がリゼットから命を奪おうとしているのです」

 その言葉が、部屋の空気を変えた。

 ガイゼルが固まった。外交官たちが互いに視線を交わした。ローヴァンだけが表情を変えなかった。

「感情的な発言ですね、セレネ殿」

 ガイゼルが穏やかな声で言った。

「感情的な発言です」

 セレネが認めた。

「認めますか」

「認めます。そして感情的な発言であることと、正確な発言であることは、矛盾しません」

 ガイゼルは少し間を置いた。

「リゼット本人の意思は」

「今ここで聞いてください」

 セレネがリゼットを見た。

 全員の視線がリゼットに向いた。

 リゼットは少し考えた。今ここで答えるべきことは何か。封印媒介案への賛否ではない。今この場で、自分が言うべきことは。

「私は自分で決めます。アルヴェインにも、ヴァルディスにも、他の誰にも、決めさせません。時間をください」

「時間は」

「三日だ」

 ガイゼルが少し考えた。

「三日で答えを出せるか」

「出す」

「わかった。三日待つ」

 セレネが何も言わなかった。何も言わなかったが、リゼットの方を見た。一瞬だけ、計算のない目で。

 それから、また外交の顔に戻った。

 協議はその後も続いたが、リゼットにはほとんど聞こえなかった。

 答えは出るかどうか、まだわからなかった。

 しかし兄の手も、魔女姫の檻も、どちらも自分を離してくれない中で、リゼットは初めて、自分の手で扉を開けようとしていた。


 協議室を出ると、廊下の空気が少し冷たく感じた。

 扉の向こうでは、まだ外交官たちの声が続いている。封印、国境、共同管理、責任。どの言葉も正しい。正しいからこそ、リゼット一人の命は、その中に簡単に組み込まれてしまう。

 アルヴェインのために。

 ヴァルディスのために。

 世界のために。

 どれも、聞き慣れた言葉だった。

 リゼットは、その言葉で剣を抜いてきた。間違っていたとは思わない。守れたものもある。救えた人もいる。

 けれど、それだけで終わるなら、自分は最後まで誰かの剣でしかない。

「小娘」

 肩の上で、フィグが小さな声で呼んだ。

「なんだ」

「顔が怖いぞ」

「そうか」

「迷っておる顔ではないな」

 リゼットは少しだけ黙った。

「まだ迷っている。ただ、ひとつ増えた」

「何がじゃ」

「生きて答えを出す、ということだ」

 言葉にしてから、胸の奥が少し静かになった。

 封印媒介になるかならないか。アルヴェインに戻るか、ヴァルディスに残るか。セレネの手を取るか、兄の命令を退けるか。

 それらはまだ決まっていない。

 けれど、死ぬことで答えにするつもりはなかった。

 誰かに使われて終わるために、竜を斬ったわけではない。

 誰かに守られて眠るためだけに、ここに来たわけでもない。

 自分で生きて、自分で選ぶ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ