正解
教室は、静かだった。誰もが背筋を伸ばし、同じ方向を見ている。規則正しく、整えられた空間だ。
席に着く。椅子の高さ、机の位置、視線の角度。……何も変わらない。
前方で教師が口を開く。
「本日は、貴族としての礼節について——」
聞き慣れた声。聞き慣れた内容。知っている。
視線を落とす。指先が机の上で静かに重なる。動かない。
以前も、こうしていた。正しく、間違えないように、目立たないように。
「では、エレノア様」
名前を呼ばれ、顔を上げる。
「この場において、アルヴェリア公爵家として最も適切な対応は何でしょう」
一拍。短い沈黙。
来る。同じ問い、同じ流れ、同じ答え。
口を開けばすぐに言える。完璧な解答。評価される言葉。
でも、それでは何も変わらなかった。
視線を上げる。教師の目。周囲の空気。全員が“正解”を待っている。
違う。胸の奥で小さく揺れる。
わずかに息を吸う。
「——状況によります」
空気が止まる。
教師の眉が、わずかに動いた。
「……続けてください」
静かな声。
「形式だけでは判断できません。相手の立場や、その場の意図によって、最適は変わります」
教室の空気がわずかに揺れる。誰も何も言わない。それでも、視線が集まる。逸らさない。
教師が口を開く。
「……模範的な回答ではありませんが、間違いではありません」
それだけで、十分だった。
小さく息を吐く。それでいい。それで、変わる。
視線を戻した瞬間、わずかに気配が動く。横へほんの少しだけ視線を向ける。
淡く冷たい色の髪。感情を読み取らせない目。
アレクシス・フォン・アルヴェリア。
こちらを見ている。逸らさない。
やはり、違う。前は違った。ここでこんな答えはしなかった。見られる理由もなかった。
でも今は違う。
「……理由は」
低い声が落ちる。
教室がわずかに揺れるが、教師は止めない。
視線を向ける。正面から。逃げない。
「経験です」
短く答える。
間。
それ以上は言えない。
アレクシスの目が、わずかに細くなる。
「……そうか」
それだけ。けれど、視線は外れない。
違和感が静かに残る。
授業は続く。何もなかったように。正しく、整然と。
けれど、同じではない。もう前と同じではない。
授業の終わりを告げる音が響く。椅子が引かれ、一斉に動き出す。
その中で、動かない視線が一つ。
立ち上がる。振り返らない。でも分かる。まだ、そこにいる。
確信はない。それでも足を止めない。
教室を出る。光の中へ。
ほんの少しでいい。それでも、変わっている。自分で選んでいる。
一歩。また一歩、進む。
その背を、静かに追う視線があった。
「……説明がつかない」
誰にも聞こえない声。
それでも、その言葉だけが確かに残った。




