60話:自分たちの金で
宿の部屋にこもって二日目。テーブルの上に紙が広がっている。商会ごとの月商の推定。融資の相場。返済に回している額。港町の記録とヴァルトの報告書を横に置いて、数字を組み直している。
帝国系の融資を止める。止めた後に必要な金を、どこから、いくらで、どう回すか。
「……足りない」
計算した。王都で帝国系の融資を受けている商会の総額を推定して、自分の資金と並べた。桁が違う。アーレン領では私が肩代わりできた。あの規模だったから回った。王都は無理だ。
グレンが紅茶を置いた。今日で三杯目。
「アイリス様。少し休まれたほうが」
「休んでも数字は変わらないの」
紅茶に手を伸ばした。温かかった。一口飲んで、カップを置いた。
「……グレン、ちょっと聞いてくれる」
壁際に立っていたグレンが、少し近づいた。
「アーレン領と同じことをやろうとすると、私の資金では全然足りない。王室に出させるのも筋が悪い。カイルさんに頼んだところで、監査院にそんな予算はない」
「では、どこから」
「それが分からないから二日こうしてるのよ」
言ってから、少し苛立ちが声に出たことに気づいた。グレンに当たっても仕方ない。
「——ごめんなさい」
「いえ」
グレンは気にした様子もなかった。少し間があって、口を開いた。
「一つだけ。王室でもアイリス様でもないとすると、金を持っているのは商会自身ではないですか」
「商会自身……」
「あの場にいた人たちは、帝国に利息を払う余裕はあるわけです」
手が止まった。
帝国に払っている利息。あの金は帝国の懐に消えている。同じ額を別の場所に出したら——。
(待って。それだ)
一人で全部出す必要はない。みんなで少しずつ出して、一箇所に集めたら。一社では足りなくても、束になれば足りる。その金を、困った商会に回す。返済は戻ってくる。減らない。
ペンを取った。
「グレン、もう少し付き合って」
「はい」
紙の端に書き始めた。一社あたりの月額。集まる総額。貸し出しの利率。回収のサイクル。数字を並べて、グレンに見せた。
「月に金貨十枚を二十社から集めたら二百枚。これを適正な利率で回して——」
「返済が戻れば、基金は減らない」
「そう。帝国に吸われていた分が、そのまま自分たちの手元に残る」
グレンが頷いた。否定しなかった。穴があれば言う人だ。言わないということは、筋は通っている。
三日目の夜まで詰めて、四日目の朝にカイルに資料を送った。返事は昼に来た。「面白い。場は用意します」。
***
二度目の会合。同じ広間、同じ顔ぶれ。
前回とは空気が違った。敵意はまだあるが、少なくとも座って待っている。前回は立ったまま睨んでいた者もいた。
立ち上がった。
「代替案を持ってきました」
全員の目がこちらに向いた。
「各商会が毎月少額ずつ出し合って、共同の基金を作ります。資金が必要な商会は、そこから適正な利率で借りる。返済は基金に戻る。これを回していく仕組みです」
「帝国の金の代わりに、自分たちの金を出せということか」
前回最初に声を上げた男だった。今日は声が落ち着いている。
「違います。帝国に払っている利息を思い出してください。あの金は帝国の懐に消えて、二度と戻ってこない。基金に出した金は消えません。基金の中に残る。あなたが困った時に、あなた自身が借りられる」
「同じ金を出すなら、吸われるか手元に残すかの違いだと?」
「そうです」
男が黙った。否定はしなかった。
別の商会主が身を乗り出した。
「理屈は分かる。だが既に帝国系から融資を受けている商会がこの中にいくつもある。その額を全部賄えるだけの基金をどうやって集める」
「一度に置き換えるのは無理です」
あっさり認めた。何人かの目が動いた。
「まず新規の融資を基金で回す。帝国に新しく借りる必要をなくす。既存の分は返済が苦しくなった商会から順に、基金で借り換えます。入口を塞いで、出口から順に剥がしていく」
「その間に潰れる商会はどうなる。自分が潰れるかもしれないのに、他の商会のために出す余裕はない」
別の席から飛んできた。切実な声だった。
「余裕の問題ではありません。あなたの取引先が潰れたら、あなたの売上も消えます」
(この人たちは分かっているはずだ。商売は一人では回らない。仕入れ先が死ねば仕入れられない。卸先が死ねば売れない。帝国の融資はその鎖を一本ずつ切っていく。隣が倒れてから気づいても遅い)
「隣の商会が倒れるのは他人事じゃない。仕入れ先が死ねば仕入れられない。卸先が死ねば売れない。自分のために出す金です。隣を守ることが、あなた自身の商売を守ることになる」
沈黙が長かった。前回と違う沈黙だった。考えている沈黙だ。
「——本当に回るのか。聞いたことがない仕組みだ」
「アーレン領では、私が自分の資金で融資を肩代わりしました。帝国系を締め出した後も、領内の商会は回っています」
正直に言った。ここで嘘をついても意味がない。
「ただし王都の規模では、私一人の資金では足りない。だからこの仕組みが要るんです」
最初の男が腕を組んだ。考えている顔だった。
「仮にその基金を作るとして——誰が管理する」
最後の問い。ここが核だ。
「帳簿は私が組みます。出入りの全てが見える形にする。どの商会がいくら出して、いくら借りて、いくら返したか。全員が確認できるようにします」
「あんたが金を握るということか」
「金には触りません。誰にいくら貸すか、どの条件で貸すか。判断は皆さんがする。私がやるのは帳簿を整えることだけです」
(帝国の搾取が成り立つのは、数字が見えないからだ。複利も遅延条項も、帳簿を開けば分かる。全部見える場所に置けば、同じ手は使えない)
「あなたたちの金で、あなたたちが判断して、あなたたちが回す。私はその帳簿を読めるようにするだけです」
広間が静まった。
全員が納得したわけではない。腕を組んだままの者もいる。だが、最初の男が小さく頷いた。
「……少し、考えさせてくれ」
拒否ではなかった。
***
広間を出た後、一人の商会主が残っていた。四十がらみの、目の落ち着いた男。会合中は発言していなかったが、こちらの話をずっとメモしていた。
「アイリス・ヴァレンシア様。少しお時間をいただけますか」
「ええ」
「弊社も帝国系の融資を受けています。今のところ返済は回っていますが、先の条件を見て——正直、不安になりました」
資料をちゃんと読んだ人間の目だった。
「もし基金の仕組みが動き出すなら、うちは参加を検討したい。詳しい話を聞かせていただけませんか」
「もちろん。明日、時間を取ります」
商会主が一礼して去っていった。
カイルがこちらに歩いてきた。
「前回とは明らかに違いました。何人かは本気で考え始めている」
「でもまだ足りない。一社や二社じゃ法にはならない」
「ええ。ですが——今日の空気は、確かに動いていた」
カイルの声に、初めて手応えのようなものが混じっていた。
帰り道、グレンが隣を歩いている。
(一歩。まだ一歩だ)
でも前に進んでいる。
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