58話:誰が言うか
王都の門を潜った時、最初に目についたのは看板だった。
帝国系の名前。一つ、二つ——数えるのをやめた。以前この街に来た時には見なかった名前が、大通りの一等地に並んでいる。
活気はある。人は歩いている。荷馬車も通っている。だが港町で見た景色が頭の奥にこびりついていて、どうしても重なる。
あの港町も、最初はこうだったはずだ。活気があって、融資を受けた商会が回っていて、誰も困っていないように見えた。
今はもう板で塞がれた店が並んでいる。
「——行きましょう」
グレンが半歩前に出た。人混みの中を先導している。荷物は既に宿に預けてある。こちらが何も言わないうちに、到着前に手配を済ませていたらしい。
***
監査院。
応接室の扉が開いた。カイルが立っていた。前回より少し痩せた気がする。それでも表情は変わらない。こちらを見て、軽く頭を下げた。
「お久しぶりです、アイリス・ヴァレンシア様」
「カイルさん。急な連絡ですみません」
「いえ。書簡の内容は拝読しました。——お座りください」
席についた。グレンが壁際に立った。
鞄からヴァルトの報告書と、港町で自分がまとめた記録を出した。テーブルの上に並べる。グレンが先に資料の束を開いて、カイルの側から読めるように向きを揃えていた。
いつの間に。目が合った。グレンは何でもない顔をしていた。
「まず港町の件から。帝国系の融資を受けた商会が、次々と経営不能に陥っています。ロッソ商会——以前、取引先として紹介した軟膏の商会です——が辛うじて残っていましたが、周辺はほぼ壊滅していました」
「壊滅、というのは」
「帳簿を閉じた商会が七割以上。残っているところも返済に追われて事業が回っていない。土地と通商権の移転が始まっています」
カイルの目が細くなった。
「こちらがヴァルト商会からの報告書です。王都の融資条件が書いてあります」
カイルがページを捲った。指が止まった。
「……利息が複利で回っている」
「ええ。しかも遅延ペナルティと仕入れ先の抱き合わせ条件がついています。港町と同じ構造です」
「返済不能まで、どのくらいですか」
「条件通りに進めば、二年。月々の返済額は払える範囲に設定してあるから、借り手は問題に気づかない。気づいた時には元本が倍になっている」
カイルが報告書をテーブルに戻した。しばらく黙っていた。
「……薄々、おかしいとは感じていました」
「融資が広がっていることは把握していた?」
「はい。ただ、条件が表面上はまともに見えた。複利と遅延条項を組み合わせた時の効果まで、正直なところ読みきれていませんでした」
正直に言う人だ。前から変わっていない。
「アーレン領では、対策として四つのルールを導入しました。融資条件の全容開示義務、利息の上限、返済不能時の保護、抱き合わせの禁止。帝国系の搾取はこの四つで無力化できます」
資料の最後のページ。アーレン領で施行した条項の写しをつけてある。
「これを王国法として施行すべきだと考えています」
カイルが条項に目を通した。ゆっくりだった。一条ずつ読んでいる。読み終えて、顔を上げた。
「……中身は正しい。四つ揃えないと意味がない、という設計も理解できます」
「でも?」
「王国法にするには、主要商会と有力領主の賛同が要ります。慣例です。監査院だけでは通せない」
分かっている。だからカイルに相談しに来た。
「賛同を集めるのは簡単ではない、ということ?」
「簡単ではない、ではなく——今のままでは、ほぼ不可能です」
カイルが言い切った。
「あの市場の件の後、王都では多くの商会が苦しい状況に陥りました。信用が縮んで、資金が回らなくなった。そこに帝国系の融資が入った。彼らはそれで持ち直した商会を多く抱えています」
「帝国が恩人、ということね」
「そうです。その恩人を追い出す法律に、彼らが賛成するとは思えない」
カイルが少し間を置いた。
「そしてもう一つ。あなたはご存じでしょうが——あの市場の混乱は、あなたが原因だと思われています」
空気が変わった。壁際のグレンが微かに動いた気配がした。
「帝国の仕組みを暴いたのは事実です。その結果、市場が崩れたのも事実です。あなたの行為が間違っていたかどうかとは別に、そう見られている」
「……ええ」
否定しなかった。否定できなかった。
あの市場を壊すつもりはなかった。不正を不正として指摘しただけだ。でも結果として壊れた。壊れた隙に帝国が入った。
正しいことをしたつもりだった。正しかったと今でも思う。でも「正しかった」で納得してくれない人がいる。
「制度の中身が正しくても、あなたが提案すれば反発を招く可能性が高い。中身ではなく——誰が言うか、の問題です」
カイルの声には責めるような色はなかった。事実を事実として伝えている、それだけの声だった。
「協力はします。ただ、数を揃えるための方法を見つけなければ、この条項は紙の上の正論で終わります」
カイルがもう一度条項の写しを見た。
「中身が正しいのは確かだ。だからこそ、通し方を間違えてはいけない」
頷いた。それだけで精一杯だった。
***
監査院を出た。
夕刻の王都。通りには灯りがつき始めている。さっきまでの帝国系の看板が、薄暗い中で余計に目立つ。
グレンが隣を歩いている。何も言わない。
(分かっていた)
分かっていた。壊した自覚はある。壊すつもりがなかったことと、壊した事実は別だ。カイルに言われたことは全部正しい。
でも、正しいと分かっていても、実際に言葉にされると少し重い。少しだけ。
「……あなたがやったことで、救われた人間がいます」
グレンだった。前を見たまま、歩きながら言った。
「アーレン領にも、この王都にも」
少し間があった。
「自分もその一人です。あなたが間違っていたなら、自分はここにいません」
足が止まりかけた。何か返そうとした。言葉にならなかった。
グレンは振り向かなかった。半歩先に出て、そのまま歩いている。背中が真っすぐだった。
(——ずるい)
胸の奥が熱くなった。さっきまで沈んでいたはずの場所が、じわりと溶けている。何か大きなものを貰った気がするのに、この人はいつも何でもない顔をしている。
少し早足になった。グレンの半歩後ろに追いついた。
灯りが増えていく通りを、二人で歩いた。
(方法は、見つける。絶対に)
さっきより、頭の中がずっと軽かった。
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