53話:適正な条件
朝一番で、グレンとトビアスから報告を受けた。
市場通りの商会のうち、帝国系から融資を受けていたのが三件。いずれも開業して間もない小さな商会で、立ち上げ資金として借りている。契約条件はゲルツ商会のものと同型。額はまだ小さい。合わせて金貨五百枚弱。
「三件とも、自分から進んで借りたわけではなさそうです。声をかけられて、条件を見て、悪くないと思って」
トビアスの声が静かだった。自分もそうなりかけたから分かるのだろう。
「ありがとう。二人とも」
帳簿を閉じた。昨日の計算は終わっている。複利の推移。一年後、二年後、三年後。放置すれば三件の残高が雪だるまになる数字を、もう一度見た。
「今日、全商会向けに布告を出す。融資に関する新しいルールよ。帝国系にも、それ以外にも。全員に関わる話だから、説明会を開きたい」
トビアスが頷いた。
「グレン、見回りをお願い——」
「自分も行きます」
言葉が重なった。私が言い終わる前にかぶせてきた。
「セバスには引き継ぎました」
もう済んでいる。昨日の夕方から、こうなることを見越して動いていたのだろう。
「……頼んでないわよ」
「はい」
否定しない。言い訳もしない。ただ、そこに立っている。
「なぜ?」
聞いてしまった。聞かなくてもいいのに。
グレンが少し間を置いた。
「……自分が、そうしたいので」
護衛だから、ではなかった。任務だから、でもなかった。
胸の奥がぎゅっとした。顔に出すな。出すな。
「——好きにしなさい」
声が少し高かったかもしれない。高くなかったと思いたい。トビアスがいる前だ。
トビアスは何も言わなかった。空気を読む人だ。
「では自分は加工場に戻ります。説明会には出席します」
トビアスが一礼して出ていった。
***
セバスに見回りの引き継ぎを頼んだ。
「街の様子を見てきてほしいの。帝国系の動きだけ気にしてくれればいい。危ないことには首を突っ込まないでね」
「かしこまりました」
「出る前に少し時間をちょうだい。ルールの中身を詰めたいの」
四つの条項を並べて、一つずつ潰した。セバスが穴を突き、私が返し、また突かれる。踏み倒しの問題、利率の水準、まともな融資まで止めてしまわないかどうか。セバスの質問は的確で、数字で返せばすぐに納得する。
最後にセバスが核心を突いた。
「帝国系が素直に従うとは思えません。取り立てに出た場合は」
「三件の融資を、領地が適正利率で貸し直す。帝国系の債権を買い取る」
「五百枚弱。今の領地財政で——」
「慈善じゃないわ。三件がこの領地に根付けば税収で回収できる。今ならまだ傷は浅い。半年放置していたら、こんな金額では済まなかった」
セバスが頷いた。
一通り終わって、帳簿を閉じた。窓から光が差している。もう昼前のいい時間だ。
「……そうだ、セバス。見回りまで代わってもらって、ごめんなさいね」
セバスが微笑んだ。グレンを一瞬だけ見て、何も言わずに頷いた。
「お任せください」
何を任されたのか、聞かない方がいい気がした。
***
昼過ぎ、集会所に全商会の代表を集めた。
帝国系が三人。それ以外が六人。トビアスもいる。グレンが壁際に立っている。
帝国系は奥の列に固まって座った。ゲルツ商会の代表が椅子の背にもたれて腕を組んでいる。
【ゲルツ】
現在価値:1,100
潜在価値:1,150
(……随分と優秀ね)
この数字で辺境に来ている。商売の腕だけでなく、人を見る目も確かなのだろう。開業したばかりの商会を狙って声をかけ、断れない条件を出す。トビアスが見抜けなかったのも無理はない。
手前の列では、融資を受けていた三件がそれぞれ少し離れて座っていた。目が合わないようにしている。
集会所の扉を閉めた。椅子が軋む音がやけに響いた。
「本日は融資に関する新しいルールについてお伝えします。アーレン領内の全ての融資取引に適用されるものです」
四つの条項を読み上げた。融資条件の全容開示。利息の上限。返済不能時の保護。仕入れ先の抱き合わせ禁止。
読み終わると、最初に手を挙げたのは布と糸の商人だった。
「利息の上限を設けると、融資が受けにくくなりませんか」
「上限は月利一分五厘です。この範囲で十分利益は出ます。出ないとすれば、それは融資ではなく別の目的で貸していたということになります」
布商が引き下がった。奥の列で、ゲルツの代表が指先で肘を叩いていた。
次に乾物屋。
「返済保護があると、借りた側が返さなくていいと思いませんか」
「免除ではありません。返済計画の再設定です。元本は残ります。むしろ、返せる形に直すことで回収率は上がるはず」
トビアスが口を開いた。
「開示義務について。総返済額を書面で示すというのは、融資を受ける側にとっては助かります。ただ、計算が分からない者はどうすればいいでしょうか」
「領地の帳簿官が確認できる窓口を作ります。計算が分からなくても、持ち込めば確認できるようにする」
六人の商会代表が頷いていく。手前の列に、少しだけ背筋が伸びる空気が広がった。
静かだったのは、帝国系の三人だった。ゲルツの代表は腕を組んだまま動かない。隣の二人が一度だけ目を見交わした。
ゲルツ商会の代表が足を組み直した。大柄な男だ。積んできた真面目な議論を、少し上から見ているような目だった。
「——率直に申し上げまして。この条件では商売にならない。我々は撤退させていただく」
「このルールは全ての融資に適用されるものです。今、皮細工さんも布商さんも納得されましたけど、お困りの点は具体的にどの条項でしょうか」
ゲルツの代表の目が揺れた。「どの条項」と聞かれると、答えにくい。答えれば、自分たちの融資がどの条項に引っかかるかを自分で言うことになる。
「……総合的に見て、ということだ」
「総合的に困るというのは、つまり四つ全部に引っかかるということですね」
部屋の空気が動いた。布商が隣の乾物屋を見た。トビアスが目を伏せた。融資を受けていた三件の商会の代表が、自分たちの契約書の中身を思い出している顔をしていた。
ゲルツの代表が椅子から立ち上がった。
「総合的にだ。それなら撤退させていただく。——ただし」
見下ろすように、融資を受けていた三件の商会に目を向けた。
「既に融資を受けている方々には、即時全額返済を求めます。契約上の権利ですので」
部屋の温度が落ちた。
三件のうち一人が、膝の上で拳を握った。指が白い。隣の商人が椅子の脚を掴んだまま固まっている。立ち上げ資金として借りた金を、全額即時で返せるわけがない。本人たちが一番よく知っている。
布商が声を出しかけて、飲み込んだ。トビアスの顎が強張っている。
ゲルツの代表が私を見た。「こうなることはお分かりですよね」という目だった。領主が折れると思っている。
「どうぞ」
帳簿を開いた。
「その債権、私が買い取ります。三件分の残債、合わせて金貨四百八十二枚。本日中にお支払いします」
ゲルツの代表の口が開いたまま止まった。
「返済を求めていただいて構いません。ただし相手はこの三件ではなく、アーレン領になります」
誰かの椅子が鳴った。布商が前のめりになっている。乾物屋が隣を掴んだ。トビアスが顔を上げた。
ゲルツの代表の口が、開いたまま閉じない。さっきまで足を組んで見下ろしていた男が、立ったまま何もできなくなっている。
残り二人の帝国系が、ゲルツの代表を見た。助け船は出てこない。視線を戻した先に、私がいる。帳簿を開いたまま、待っている。
ゲルツの代表が立ち上がった。一礼もせずに出ていった。残り二人が黙って後を追った。
部屋が静かになった。誰かが息を吐いた。
融資を受けていた三件の商会が、まだ青い顔をしていた。
「安心して。返済条件は改めて出します。今の契約より、ずっと楽になるから」
一人がぎこちなく頭を下げた。もう一人が、それに続いた。三人目は何も言えないまま、目だけ赤くなっていた。
***
説明会が終わった。集会所から執務室に戻る道を、グレンと並んで歩いた。
夕方の風が涼しかった。市場通りの向こうで、帝国風の看板を外している人影が見えた。もう動き始めている。
「……あの三件、今月の返済が来週です」
グレンだった。報告の口調ではなかった。
「知ってる。セバスが戻ったら書類を作るわ」
「はい」
並んで歩いた。半歩横。いつもの距離。
執務室に着いた。机の前に座った。帳簿を開こうとして、やめた。今日はもういい。
グレンが紅茶を淹れに行った。何も言わずに。
戻ってきて、机の端に湯飲みを置いた。湯気が立っている。
一口飲んだ。
濃いめの、いつもの味。今日は少しだけ甘い気がした。茶葉が同じなら、気のせいだ。
気のせいでいい。
「ありがとう」
グレンが頷いた。机の端に立って、自分の湯飲みを持っている。
窓の外で、帝国風の看板がもう一枚外されていた。
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