表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】帳簿令嬢の答え合わせ ~その不正、すべて帳簿が覚えています~  作者: Lihito


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/72

52話:同じ形

「融資の話、詳しく聞かせて」


トビアスが椅子に座った。グレンが紅茶を持ってきた。三つ。


「今日の昼過ぎに、市場通りの香辛料商に声をかけられました。最近開業したばかりだと話したら、立ち上げ時は資金が要るだろう、うちで融資ができると」


「どこの商会」


「ゲルツ商会です。帝国系の。サフランと黒胡椒を扱っている店です」


今朝、市場通りで見た店だ。帝国風の黄色い看板。


「条件は聞いた?」


「ざっくりとは。融資額は金貨二百枚まで。月々の返済は金貨八枚。返済期間は三年」


「契約書は?」


「これです。まだ署名はしていません。先にアイリス様に見ていただこうと」


契約書を受け取った。紙は厚い。帝国式の書式。文字は小さいが、読めないほどではない。


広げた。一枚目。融資条件の概要。トビアスが言った通りの数字が並んでいる。金貨二百枚。月八枚。三年。


「月々金貨八枚、三年間か。単純に計算すると総額は金貨二百八十八枚ね。二百枚借りて、八十八枚が利息。この数字だけ見ると、まあ高くはない」


「はい。リンデ商会の月の売上から考えても、八枚なら問題なく払えます」


二枚目をめくった。利息の計算方法。


読んだ。もう一度読んだ。


「トビアス、この月々八枚って、誰が計算した数字?」


「ゲルツ商会の方が出してくれました」


「あなたは計算した?」


「……いえ。八枚なら払える、とだけ」


「グレン、ちょっとこれ見て」


グレンが机の端から寄ってきた。契約書を二人の間に置いた。


「ここ。利息の計算。『未返済元利金に対し、月ごとに利率を乗じて加算する』」


グレンが目を落とした。


「月ごとに加算。普通の利息とは違うんですか」


「普通の利息なら、借りた二百枚に対してだけかかる。でもこの書き方だと、先月の利息にも今月の利息がつく。利息が利息を生む」


トビアスの顔が変わった。


「……それは、つまり」


「月に八枚返しても、残りの借金に利息がつく。その利息にまた利息がつく。最初のうちは小さい。でも返済が進むにつれて、八枚のうち利息に食われる分が増えていく。元本がなかなか減らない」


「でも三年で終わると」


「三年で終わるとは書いてないわ。『返済期間三年、ただし未返済残高がある場合は完済まで継続』。月々八枚で足りなくなったら、三年過ぎても返済が続く」


トビアスが契約書を覗き込んだ。目が文字を追っている。


「……読めませんでした。いえ、読めたはずなんですが、そういう意味だとは」


「この書き方は気づきにくいようにできてる。月々八枚という数字だけが目に入るように」


グレンが口を開いた。


「月々の返済額は最初に約束した額から変わらないのに、いつまでも終わらない。そういう仕組みですか」


「そう。借りた側は毎月ちゃんと八枚払っている。払えている。だから問題ないと思う。でも実際には元本がほとんど減っていない」


次のページをめくった。


「——これ」


指が止まった。


「『返済期間中、原材料の仕入れは融資元の指定する取引先から行うこと』」


トビアスが首を傾げた。


「そこは、条件のいい仕入れ先を紹介してもらえると聞きましたが」


「最初はそうかもしれない。でもこの条件がある限り、仕入れ先を自分で選べない。向こうが値段を上げても、トビアスは断れない」


「……コストが上がっても、返済額は変わらない」


グレンだった。


「利益が減る。利益が減れば返済が苦しくなる。苦しくなれば——」


「返済が遅れる。遅れたら、ここ」


最後のページを開いた。小さい字で書いてある。


「『返済遅延時、未払額に対し月ごとに遅延金を加算する』。遅れた分にも利息と同じ仕組みがかかる」


部屋が静かになった。


「そして返済不能になった場合、ここに書いてある。店舗、在庫、取引先との契約権——全部、融資元に移る」


トビアスの顔から色が引いていた。


「全部ですか」


「全部よ。今の法律には『もう払えません』で終わりにする仕組みがない。完済するか、全部持っていかれるか。二つに一つ」


契約書を閉じた。


この形を、知っている。


月々の返済額だけを見せて、総額を見えなくする。払えている間は問題に気づかない。気づいた時にはもう抜けられない。仕入れを縛って出口を塞ぎ、遅延で絞り上げ、最後に全部回収する。


(——人を追い詰める仕組みは、いつも同じ形をしている)


一瞬、何かが重なった。ここではない場所。今ではない時間。同じ構造の、同じ罠。


振り払った。今はいい。


「トビアス。この融資は受けない。いいわね」


「もちろんです。受けるつもりは——いえ、もし先にアイリス様に相談していなかったら、受けていたかもしれません」


トビアスの声が小さくなった。


「数字のことは分かるつもりでした。でも、この書き方は——」


「分からないように書いてあるのよ。あなたが読めなかったんじゃない。読ませないように作ってある」


グレンが契約書に目を落としたまま言った。


「この条件で、港町の商会は融資を受けている」


三人とも黙った。


ロッソの書簡。「持ちこたえている」。取り立てが始まっている。返済が苦しくなっている商会が出ている。


これが原因だ。港町で起きていることの。


「アーレン領にも帝国系の商会が来ているわ。同じ条件で融資を持ちかけている可能性がある」


「リンデ商会以外にも、既に受けた商会があるかもしれない」


グレンの指摘は正しい。


「確認する。市場通りに入っている商会に、融資を受けたかどうか聞いて回る。——トビアス、加工場側からも聞ける範囲で探ってくれる?」


「分かりました」


トビアスが立ち上がった。契約書を見た。


「これ、お預けしていいですか」


「ええ。むしろ手元に置いておきたい」


トビアスが一礼して出ていった。


執務室に二人になった。契約書が机の上にある。


窓から夕方の光が入っている。加工場の煙突から煙が細く上がっている。いつもと同じ景色のはずだった。


「……グレン」


「はい」


「この仕組みを止めるには、ルールを作るしかない。領主権限で」


グレンが頷いた。


「ただ、ルールを作っても、既に融資を受けた商会がいたら手遅れかもしれない。うちに来ている帝国系の商会が何件あって、そのうち融資を持ちかけているのがどれか。まずそこを知りたい」


「明日、市場通りの商会を回ります」


「お願い。——それと」


言いかけて、止まった。グレンに聞くことではないかもしれない。帳簿の話ではない。数字の話でもない。


「……何を」


「ルールを作るとして、どこまで踏み込むべきだと思う?」


聞いてしまった。護衛に聞くことではない。でもこの人には聞ける。いつからか、そうなっていた。


グレンは少し間を置いた。


「融資そのものを禁じるのは難しいかと。商人は資金が要る。問題は、条件を隠して貸すことと、拜けられない形で縛ることだと思います」


「……そうね。融資を禁じたら、まともな商会も入れなくなる」


「条件の開示と、拜けられる仕組み。その二つがあれば、少なくとも知らずに嵌まることはなくなる」


報告の口調ではなかく意見だった。聞かれたから答えたのではなく、考えていたから出てきた言葉。


「グレン、あなた最近、報告以外のことも嗋るようになったわね」


言ってから、しまったと思った。意識させたら戻ってしまうかもしれない。


グレンが一瞬、黙った。


「……報告ではありませんでしたか」


「ううん。報告より助かった」


窓の光が傾いてきた。執務室が少し暗くなる。


グレンが机の上を見た。紅茶が三つ。トビアスの分は手つかず。私の分とグレンの分は、いつの間にか空になっている。冷めてから飲み干したのだろう。いつ飲んだか覚えていない。


グレンが盆を取りに動いた。三つの湯飲みを載せて、ドアに向かう。


「淹れ直します」


「——え、いいわよ。もう夕方だし」


「少しかかります」


聞いていない。もうドアの向こうに消えていた。


一人になった執務室。契約書と、帳簿と、静かな部屋。


さっきまでグレンがいた場所の空気が、まだ少し温かい気がする。気のせいだ。気のせいに決まっている。


でも、この人が戻ってくるまでの時間が、少し長く感じるようになったのはいつからだろう。


(……考えない)


契約書を開いた。もう一度、最初から読み直す。今度は帳簿用の紙を横に置いて、数字を書き出していく。複利の計算。一年後、二年後、三年後。返済額と残高の推移。


数字は嘘をつかない。この契約で借りたら、三年後の残高がいくらになるか。書けば分かる。


ペンが走る。数字が並ぶ。集中できている。


足音が聞こえた。紅茶の匂いがした。


グレンが盆を持って戻ってきた。湯飲みを一つ、机の端に置いた。湯気が立っている。


「ありがとう」


自然に出た。もう何度目か数えていない。


濃いめの、いつもの味がするはずだ。でも手を伸ばすのは数字を書き終えてからにしよう。


グレンが机の端に戻った。定位置。何も言わない。ペンの音だけが部屋に響いている。


この沈黙が嫌じゃなくなったのも、いつからだろう。

お読みいただきありがとうございます!

もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、

広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!

ブックマークもぜひポチッとお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ