51話:条件が良すぎる
市場通りが、狭くなった。
正確には道幅が変わったわけではない。両側に店が増えた。仮設の屋台だった場所に、木組みの常設店舗が建ち始めている。布と糸の店は先週から営業を始めた。その隣に乾物屋。向かいに革細工の工房。
リンデ商会ができてから、流れが変わった。「ここに商会がある」という事実が、商人を引き寄せている。物が通る場所に、物が集まり始めている。
通りを歩いた。グレンがすぐ隣を歩いている。
見慣れない店が目に入った。黄色い帝国風の看板。棚に香辛料が並んでいる。サフランと、帝国南部でしか採れない黒胡椒。隣の区画にも、帝国産の金属加工品を扱う店があった。鍋、刃物、蝶番。質はいい。
(帝国系の商会も入ってきているのね)
一つ、二つではなかった。通りを歩くだけで三つは目に入る。帝国産の品を扱う店。それぞれ別の商会だが、品の出所は同じ地域だ。
排除する理由はない。条件を聞いたが、まともだった。場所代を払い、税を納め、品を売る。うちにとっては税収が増える。住民にとっては選択肢が増える。帝国の商人だからという理由で断れば、他の商会も警戒する。
「……活気があるのはいいことね」
独り言だった。グレンが少し振り向いた。
「南の区画も、問い合わせが増えているようです」
報告ではない口調だった。歩きながら、見たことを言っただけ。前ならこういう言い方はしなかった。
「ルッツが喜びそうね」
「今朝、走り回っていました」
少し笑いそうになった。堪えた。堪えたが、口の端が動いたのをグレンに見られた気がする。見られていないといい。
グレンは何も言わなかった。前を向いたまま、いつもの顔で歩いている。でも口元がほんの少し緩んでいるように見えたのは——見なかったことにした。
隣を歩く歩幅が、いつの間にか揃っている。合わせたつもりはない。でも合っている。
***
執務室に戻ると、セバスが机の前に書類の束を揃えて待っていた。
「アイリス様、商会登録の届出がまた三件です」
「三件」
「はい。布商のフリッツ商会、革細工のコルト工房、それから帝国系の香辛料商です。届出の書式はこちらで整えました。税率と区画の割り当てを確認いただければ」
セバスが書類を広げた。三件分の届出。商会名、代表者名、取扱品目、希望区画。セバスの字で税率の計算が添えてある。
「……セバス、先週も二件あったわよね」
「はい。合わせて八件になります。リンデ商会の設立以降、急に増えました」
「処理、大丈夫?」
「かしこまりました、と申し上げたいところですが」
セバスが微かに笑った。
「区画の管理はルッツと分担しています。届出の処理は私が。ただ、このペースが続くようでしたら、事務の補助を一人いただけると助かります」
二十三年、一人でこの領地を回してきた人が、人を求めている。それだけ仕事が増えた。いいことだ。
「手配するわ。セバスが使いやすい人を選んで」
「ありがとうございます。——それと」
セバスが一瞬、間を置いた。
「今朝、書簡が二通届いております。ヴァルト商会とロッソ商会から」
返事が来た。
セバスが書簡を差し出した。受け取った。封を確認する。ヴァルトの紋章と、ロッソの紋章。
「ありがとう、セバス。届出の分は今日中に確認して返すわ」
「かしこまりました」
セバスが一礼して出ていった。出ていく時、ドアの手前で一瞬振り返った。グレンの方を見た——ように見えた。何も言わなかった。
(……今の、何)
気のせいかもしれない。気のせいだと思いたい。
グレンは机の端に立っている。いつもの場所。何も変わっていない。変わっていないのに、セバスの視線の意味を考えてしまう自分がいる。
(やめなさい。書簡)
帳簿を引き寄せた。数字。数字を見なさい。
***
ヴァルトの書簡を開いた。
王都の市場について。丁寧な字で、状況が書いてある。
市場は落ち着いている。納入ペースも戻った。ただ、以前とは中身が違う、と。帝国系の商会がさらに増えている。以前は「顔ぶれが違う」だったが、今は「顔ぶれが入れ替わった」に近い。そして、新しい商会の多くが融資つきで入ってきている。
「融資つき」の四文字で手が止まった。
新規参入で融資つき。条件が良い。初期費用が安い。——聞こえはいい。でも、融資をつけてくる理由は何だ。
ただの商売か。それとも。
次のページ。新しく入った商会の名前が三つ書いてある。ただ、融資の具体的な条件までは掴めていないらしい。「当事者間の契約のため、利率や返済条件は外からは確認できません」と添えてあった。
見えない。数字が見えない。融資がついているという事実だけでは判断できない。同じ融資でも、条件次第で毒にも薬にもなる。
ロッソの書簡を開いた。
こちらは短かった。
港町の状況は悪化している。周囲の商会が次々と帝国系の融資を受けている。返済が苦しくなっている商会が出始めている。ロッソ商会自身はまだ持ちこたえているが、孤立しつつある。
最後の一行。「直接お会いしてお話ししたい」。
書簡を並べた。ヴァルトとロッソ。王都と港町。場所は違うが、書いてあることの方向は同じだ。帝国系が広がっている。融資をつけている。
アーレン領にも帝国系は来ている。今朝、市場通りで見た。あの店も融資をつけて入ってきたのだろうか。分からない。うちに来ている商会の条件はまともだった。少なくとも今の時点では。
だが港町では、まともに見えた条件の先で商会が苦しんでいる。
ヴァルトの方は、もう少し情報が要る。融資の契約条件の詳細。利率と返済条件。数字が見えないと判断できない。
ロッソの方も気になる。「持ちこたえている」という書き方は、裏を返せば限界が近いということだ。でも、今の私には港町で何が起きているか、まだ見えていない。
ペンを取った。
ヴァルト宛の返書。融資を受けた商会に直接当たってほしい。利率、返済期間、担保の有無。契約書の写しが取れればなおいい。
ロッソ宛の返書。融資の具体的な条件が分かれば教えてほしい。取り立ての実態も。
二通、封をした。
窓の外で、市場通りの喧騒が聞こえる。人が増えた音。物が動く音。荷馬車の車輪。誰かの笑い声。
いい音だ。いい音のはずだ。
でも書簡の文字がまだ頭に残っている。「融資つき」。「返済が苦しくなっている」。「持ちこたえている」。
(考えすぎかもしれない。でも——)
帳簿の人間は、数字が揃いすぎている時に一番警戒する。条件が良すぎる話には、必ず理由がある。
まずは数字を集めよう。今は、セバスの届出を片付ける方が先だ。
帳簿を開いた。数字に戻った。
その時、ドアがノックされた。
「アイリス様、少しよろしいでしょうか」
トビアスだった。袋をまくったまま。作業の後だろう。
「どうしたの」
「実は、今日、融資の話を持ちかけられまして」
手が止まった。
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