08. 王妃の参詣
八月の半ば、日差しはまだぎらつきながらも日陰に涼風が流れ出す頃、王城の正門前広場にわたくしたちはいた。
第一騎士団が居並ぶ中、第三騎士団の二〇名とわたくしたち用の馬車、そして注文通りの酒樽四つが運び込まれた荷車の馬車が列をなしている。
今更だけど、やっぱり大仰過ぎない?
「いってらっしゃいませ。旅路の安全に光明神のご加護と無事が在らんことを」
神官長ドニロドトスが厳粛な表情を作りながら、形式通りの祝福を口にする。
結局わたくしに一蹴されたあの後、訪ねてくることは一度もなかったわね。ほんと、解りやすいったら。
「ブリン卿と彼の部下たちがそうしてくれるでしょう」
そう言い残して馬車に乗り込もうとしたとき、ふとバルコニーに立つ人影が見えた。
――――なんだ。見送りには来ないものだと思ってたら、そんなところにいたのね。
わたくしは朝日に照らされ輝く銀髪へと一礼を向けてから、そのまま馬車へと乗り込んだ。続いてエディスが乗ると側戸が閉められ、出発の角笛が鳴り響く。
引っ張られる馬車の最初の揺れを感じ、やがてそれは細かな振動へと変わっていった。
窓の外の風景も見慣れたものから、徐々に人々が生活する街並みへと移り変わっていく。
(最後に『外』を見たのはいつだったかしら)
考えて、思わず皮肉気な笑みが口元へ浮かぶ。
決まっている。八年前だ。
わたくしのこれまでの『外』は、この八年間は王都の城壁の中でしかなかった。八年間、城壁外のエリネッド侯爵領へは足を踏み入れることもなかった。許されていなかった。
一〇歳で結婚させられたその時に、お父様――エリネッド侯爵はわたくしにもう帰る場所は城と思えと、そう言ったのだ。これから『帰る』場所は城であり、収まる場所は王の横であり、決して侯爵領ではないのだと。
領地で自由気ままに振舞っていたベルグリンデにはもう戻れないのだと――――
「あの、妃殿下?」
「……ああ、ごめんなさい。なにか言った?エディス」
「あ、いえ。お顔色が優れないので……酔い止めのハーブをお出ししましょうか?」
「大丈夫よ。ありがとう」
言われてみれば八年ぶりの馬車での旅だ。幼少期は慣れたものだったし、これでも外を駆け回るのが好きだったから平気だった。でも、王城に押し込められてからはこんな遠出をしたことはない。
多少の酔いは覚悟しなくてはいけないかもしれない。
それにしてもエディスが酔い止めまで常備してるとは。いつもハーブティーの調合も手早く美味しくやってくれるし、レイン伯爵家はそういう知識への教育もしてるのかしらね。
そう考えるとわたくしの幼少期に学んだことってなんだったかしら。
王妃教育?あれは例外よ。侯爵家関係ないじゃない。
(……強いてあげるなら、精霊言語かしらね)
古文書を読み解いたり、魔法の素養があったりするわけでもない人間が、もはや触れることはまずないだろう古代の言葉。
しかしエリネッド侯爵家は祖先にエルフの姫を迎えたこともある、という一点でそのつながりたる言葉の教育を連綿と保ってきた。わたくしも、幼いころからみっちりと勉強させられたわ。
(あまり役に立ったことはないけどね)
そう、今までは。
行きの旅程は問題なく消化され、わたくしたちの一行は中つ国の国境と目される丘陵地帯を越えた後も、モンスターや野盗、獣の群れに遭遇することなく北東神殿への参道とされる石畳の道へたどり着いた。
まあ、こんな武装集団で固められた馬車列に特攻するような野盗がいたら獲物を見る目がなさすぎるので、大人しく鍬でも振るった方が身のためだろう。それに北東神殿の場合、神殿はダンジョンを背にする形で建っており、その間には大きな川もあるため、自然とモンスターの主要な出没地帯は川を渡った先だ。
つまり、北東神殿周囲は七つある神殿の中でもかなり安全な方なのである。
……やっぱり警備過剰よね。騎士二〇名って。
ちょっと遠い目になっていたわたくしの意識を、車窓側へ身を乗り出したエディスの、すこし弾んだ声が引き戻す。
「わあ……賑わってますね」
「そうね。ここは中つ国からも近くて、そちらへ向かう旅人の休憩地点でもあるから」
参道周囲は参詣者を出迎える宿屋や食堂、参詣者を護衛する冒険者や、神殿を出た僧侶などを仲介するギルドが集まりちょっとした町の様相を呈している。そしてそんな彼らで賑わう道を貫くように進むこの一行。
何事かという視線が方々から寄越されてるのは、決して気のせいではないだろう。
すこしの間だけお邪魔するわね。
目指すは北東神殿の主殿。この馬車の揺れもあとすこしだ。
「――――北東神殿へようこそおいでくださいました、王妃殿下」
事前に報せていたおかげだろう。参道から主殿前へたどり着いたわたくしたちは、そこから神官たちの円滑な誘導で入場を果たした。
騎士の手を借りて馬車から降りるなり、居並ぶ神官たちの間から進み出てきた僧衣姿の初老の男性が、わたくしたちへ向かって深い礼を見せる。
これはまた、神殿長直々の歓待とは。
「歓迎に感謝します、神殿長。本当はお忍びでくるつもりだったのに、こんな大所帯で押しかけてごめんなさいね」
「いいえいいえ!とんでもございません。ダンジョンは川の向こうとはいえ、ここもモンスターの襲来に備えて然るべき土地でございますから」
そう言ってくれて助かるわ。口先だけでも、ね。
わたくしはにこりと微笑んで見せると、荷車の荷下ろしを始めようとしていた騎士たちへ振り返る。
「ああ、それ、下ろさなくていいわ。わたくしたちの荷物もね」
「は――――」
馬から降りたブリン卿たちの視線がわたくしへ集まるのに気づかないふりで、わたくしは神殿長へと振り返る。挨拶のときの柔和な笑みが明らかな戸惑いに塗り替わっていたけれど、やはりそれにも気づかないふりでわたくしは先を促した。
「参りましょうか。神殿長」
石造りの神殿の内部はひんやりとした空気に満ちていた。それにやはりというかなんというか、同じ石造りでも、流れる雰囲気が王城のそれとはまったく違う。
ここは静かで、人と人の気配が遠い。そしてなにより、その天井を支える柱から壁にまで施された数多のレリーフと、そこに息づく伝承の気配が王城よりずっと近い。
礼拝用のヴェールを被ったわたくしは、薄布の影からその陰影を透かし見つつ、神殿長に案内され、主殿の礼拝堂へと足を踏み入れた。
天井の多角形の窓から降り注ぐ光が、最奥の祭壇だけを照らしている。
神殿に祀られているのは、創世をなした光明神。太陽と月と星。天上の光のすべてが信仰の対象だ。祭壇にはその光を取り込み輝く光輪とそれを冠した神像が、礼拝堂の薄暗がりの中、浮かび上がっていた。
ここで輝くのは神の像だけであり、人々はその光へ祈ることのみが許される。
神殿長は廊下の半ばで立ち止まり、無言のままその手を伸べてわたくしを先へと促した。
わたくしもまた円形の床の中央を通ってまっすぐ祭壇へ進み出ると、形式に則り恭しく跪き祈りの姿勢を取る。
その姿が、一心に勇者の無事を祈る王妃らしく見えるように。
内心では、まったく別のことを考えながら。
(創世の神、光明神よ――――祈りの場をこのように利用することを、どうかお許しください)
「如何でしたでしょうか、妃殿下。当神殿の礼拝堂は……」
「とても素晴らしいものでしたわ、神殿長。それにほかの参詣者も多くいる中、特別に独りになれるよう図らってくださったことも感謝します。おかげで自身の祈りに集中できました」
「それはようございました」
表面上は和やかに会話しながらも、神殿長の声にどこか縋るような焦りめいたものが滲み始めている。
形式通りの祈りを終えたわたくしが、それ以上長居することなくさっさと礼拝堂を後にしたからだろう。他の敬虔な参詣者のように、神像一つ一つの由緒を訪ねることも、円形床のモザイクタイルで描かれた太陽と月と星の素晴らしさを褒めることもなく。
おまけに、あるはずのものがないのだ。おそらく神官長ドニロドトスが事前に報せただろう、奉納品の引き渡しが。
これで決定的にドニロドトスの面子は潰れるだろうが、まあ、そんなことは知ったことではない。
(だってわたくし、一度だって神殿への奉納品、なんて言ってないものね)
ご愁傷様、と内心で呟きつつ、ふと目に入ったレリーフの前でわたくしは足を止めた。
神殿のレリーフはどれも光明神や聖人たちの逸話にまつわるものだが、これは。
「神殿長、こちらのレリーフは……」
「!ああ、そちらはでございますね。かつて魔界と我々の世界との大戦さがあり、我々人間たちが勝利し、降伏した魔界が世界の裏側に追放された逸話を題材にしたものでございます」
薄暗がりに沈む天井近くから床までを四段に仕切って描かれているそのレリーフは、たしかに戦争と勝利、そして降伏と追放の物語だろう姿形をしていた。
戦争の段には禍々しい鎧兜を纏った存在と相対する五人の戦士、おそらくは人間、エルフ、ドワーフ、獣人族たちの象徴が描かれている。
「しかしながら、追放された魔界に住む者たちは御存じの通り、その後も邪神を信奉し瘴気を産み出す魔族となり果てました」
嘆かわしいことです、と続ける声がわずかに遠くなる。
わたくしは、戦士と相対する存在を注視していた。
「あれが、魔族なのでしょうか。それとも彼らの信奉する邪神ですか?」
「魔族の長、魔王と伝わっております」
「では――――邪神とはこのレリーフの中で一体どれを指すのでしょう」
「それは……邪神そのものにつきましては、魔族が信奉する邪なる神としか伝わっておりません。このレリーフ上にも存在はしていないでしょう」
「我々が勝利したということは、邪神は討たれたのでしょうが、なぜ魔王は生きているのでしょう」
「追放された者たちの中から、新たな魔王が生まれているものと考えられております……」
わたくしの矢継ぎ早の質問に、戸惑いを見せながらも神殿長はなんとか答えてくれた。
礼拝堂の美しさに興味を見せなかった王妃が、こんなおどろおどろしいモチーフに食いつくとは思っていなかったのだろう。
だが、それはわたくしにとって今まで神殿で見たものの中で、なによりも関心を持つべきもの。目を釘付けにし、指先を凍えさせるに十分なものだった。
神官長が「魔王」と答えた存在の鎧兜姿。それが悪夢で見た『冥王の鎧』ととても似通っていたから。
その「魔王」は、戦争の段以外には出てきておらず、降伏の段には相対する人物たち――倒れ伏した者たちと、やはり五人の戦士の姿がある。
(あれが、魔王?わたくしたち――人間の間ではそう伝わっているの?)
神殿の成り立ちは中つ国の創設よりも古い。
そして、神殿を管理するのは主として人間だ。
(なぜなら人間は、一番弱くて短命だから……)
モンスターや瘴気の脅威にさらされた時、一番の危機に陥るのが自分たちだから。
だから必死になってダンジョンの脅威を観測し、時に対処してきた。
だが――――伝承についてはどうだろうか。
(人間の間で古い言葉は喪われていく。精霊言語がそうだったように……)
もしも、神殿の伝承が長い歴史の中で歪んでいったのだとしたら。
あの悪夢の冷たい影が、一際重みを増してわたくしの背後に迫っていた。
(いいえ、例えそうだとしても)
――――それを確かめるために、わたくしは『外』にやって来たのだ。
「……妃殿下?」
「失礼しました。拙い質問にお答えくださってありがとうございます」
「いえ、とんでもございません。それで、この後でございますが」
「ええ、早速出発いたしますわ」
「は……お、お泊りになられるのでは」
冷たい影を振り切るように、わたくしは背筋に力を込めて笑みを作る。
「先を急ぎますの。今回はご案内、ありがとうございました」
唖然とする神殿長に一礼し、わたくしは残り短くなった外界への廊下を足早に突き進んでいった。
薄暗い神殿内から一歩外に出ると、昼の熱を残した風が肌をさらっていく。
知らず冷えていた体が温められるのを感じながら、わたくしは入口に控えていた騎士たちに目もくれず、喧騒の聞こえる方へと歩を進めた。
神殿から出てきたわたくしに、騎士の次に気づいたのはエディスだった。妃殿下、と駆け寄ってきた彼女の目には戸惑いが見て取れる。
「この騒ぎは何事?」
「それがですね。神殿に用事があるという方がいらしてて……」
「ああ、そういうことね」
ということは、わたくしがずいぶん待たせてしまっていたのね。
「ついてらっしゃい、エディス」
「は、はい、妃殿下」
わたくしは真っすぐに喧騒の方へと歩を向けた。途端、わたくしに気づいた騎士たちがわらわらと寄ってきて人垣になる。
「危険です、殿下」
「危険はないわ」
「ですが――」
「ブリン卿!」
ヴェールを脱いでエディスに預けながら、わたくしは人垣の向こうへと声を張った。
ここまでくれば喧騒というより言い合いの内容も、その声の主が誰かも解ったから。
喧騒が止み、人垣を割って片方の声の主が姿を見せる。
「妃殿下……」
「神殿で待ち合わせをしている、という者が来ているのでしょう?」
「は、申し訳ございません。いまは入れない旨を何度も説明しているのですが」
「かまわないわ。待ち合わせ相手はわたくしよ」
「は……?」
「その冒険者、通してちょうだい」
騎士たちのざわめきと渋面を硬直させたブリン卿の後ろから、のんびりしつつどこか太々しさのある声が聞こえた。
「いやあ、追い返されるかと思いやしたぜ」
にゅ、とブリン卿の肩の向こうに節くれだった手が見えたかと思うと、マントに覆われた肩をぽんぽんと気軽に叩く。
「そういうわけなんだよ。な。だから言ったろ?待ち合わせてるって」
「貴様――――」
その手を払いのけるのと同時に半歩下がったブリン卿の向こうで、払われた手の主は気にした風もなく笑いながら、わたくしへと芝居がかった礼を見せた。
日焼けした肌に無精ひげ。筋骨隆々とした冒険者か無頼漢かといった見た目ながら、その礼は非常になめらかだ。
「中つ国の王妃殿下にお目にかかります、手前はラウール。大番頭からのご依頼で、殿下を御座の森までご案内します」
「御座の森だと!?」
「だからそう言ってんだろ兄さん。あ、これ証文な」
「貴様、なぜそれを先に」
「依頼主が来ちゃいないのに出すわきゃねえだろ」
ラウールと名乗った冒険者が、毛むくじゃらの胸元が除くシャツとベストの隙間から折り畳まれた羊皮紙を取り出し、わたくしやブリン卿にも見えるように広げて見せる。
「確かに、本物ね」
わたくしの紋章と、ファーウェイの紋章が並んで捺されているそれを確かめて、わたくしは一つ頷いた。
ラウールの手が懐に入った瞬間警戒態勢に入った騎士たちは、その書面とラウールの言葉に驚愕と動揺を隠せないでいたが、いち早く硬直から脱したブリン卿が厳しい顔つきでわたくしへと振り返った。
「妃殿下、恐れながら危険に過ぎます。このような話は伺っておりません」
「卿に命ぜられたのは『わたくしの護衛』だけなのだから当然よ」
しかし今更、その程度の渋面で怯むわたくしでもない。
「あらためてグウィンアルトの王妃が命じます。わたくしを無事に御座の森まで連れて行き、国へ連れて帰りなさい」
「しかし――――」
「森側にはもう謁見の連絡をしてあるのよ?伺わなければそれこそ問題になるわ」
「な……ッ!?」
愕然としたブリン卿を置いて、言うべきことを言い終えたわたくしは踵を返した。
小走りにわたくしの後を追いかけてきたエディスが、馬車へ乗り込もうとしたわたくしへ声をかける。
「あ、あの妃殿下。御座の森ってもしかしてあの、エルフ族の……」
「もしかしなくても、その御座の森よ」
「ええええええ」
賑やかな声に一つ笑って、わたくしは馬車のステップを昇った。
●
「聞きしに勝る肝っ玉の据わった王妃様じゃねえか」
ラウールと名乗った冒険者がもみあげとつながった顎鬚を撫でつつ、面白げに王妃の去った方向を見ている。
だが残されたブリンの胸中は、ラウールの不敬を咎めるどころではなかった。
現国王陛下に率いられ幾多の内乱を潜り抜けてきたが、今この時ほど自己が試されるだろう判断に迫られた覚えはない。しかし、だがしかし。
「団長、これは……」
「団長――」
すくなくとも、不安を露わにする部下たちの前で、これ以上の動揺を見せるわけにはいかなかった。
「鎮まれ!陛下に伝令を出せ――――我々はこれより王妃殿下の命に従い、御座の森へ向かい、森の御前に謁見する!隊列を組み直せ!」
「ッ了解しました!」
団長の一喝で不安を吞み込んだ部下たちが駆け出すのを、ブリンは拳を握り締めながら見守るほかないのだ。王妃が「荷物を下ろす必要はない」と言ったときに何故気づけなかったのかと、己を責めても時はすでに遅すぎた。
「騎士サマも大変だね、こりゃ」
「貴様、妙な真似をしたら……」
「しませんって」
ブリンの一睨みを受けたラウールはひらりと手を振ると、自身の部下なのだろう一団の方へ飄々と歩み去っていく。
冒険者に信用が置けるわけがない。だが、あの紋章は本物であると、他でもない王妃自身が保証し、なにより森側との謁見連絡が済んでしまっていると言われた以上、ブリンの選択肢はないも同然だった。
「御座の森……」
それは古い、あまりにも古い森の名前。
愛馬に跨ったブリンが、現国王陛下の即位時に伴われ一度だけ訪れたことのある、おそらくはこの世で最も美しく――――危険な森の名前だった。
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