07. 勇者の指針
自分の名前が、この国では言いにくい音なのだと気づいたのはいつだっただろうか。
イオリフト、と聞き間違えられたり、書き間違えられて、直されたり。
育ての親である師匠と方々を点々としながら暮らして、新しいところにつくたびに名乗っていたから、物心ついた時にはもう理解していた気がする。
名前を付けてくれたのも師匠だ。生みの親の顔は知らない。
師匠曰く、俺が生まれたときに精霊たちが『大騒ぎ』したせいで大変なことになって、それで師匠に引き取られることになった、らしい。
でも別に、寂しいとか感じたことはなかった。師匠は特別優しいとかでもない――――いやどっちかっていうと修行はめちゃくちゃ厳しい爺さんだったけど、俺の家族、親は師匠だと思ってたから。
それから少ししてヴィオが家族に加わって、でも師匠がヴィオは神聖魔法の才能があるって神殿に預けて……また、お互い大きくなってから再会して。
旅に出ろ、と師匠に言われたのは一五の時だった、と思う。たしか。
そもそもあちこちに庵を結んで、しばらくしたら出ていく、という旅暮らし同然だったけど、師匠は俺に独り立ちしろ、と言ってきた。
自分一人でどこまでやれるか思い知ってこい、なんて言ってたっけ。
あれはきっと、自分一人でやれることなんて知れてるから、仲間を見つけろって意味だったんだ。
その時の俺はよく解ってなくて、とりあえず解った、とだけ返した。
それから神殿でヴィオを、からからに乾いた風の吹く砂漠の街でゼニラを、南方山脈への霧深い道中で雑技団にいたカイドウが加わって。
風の吹くまま気の向くままなんてよく言ったものだけど、ほんとに俺の旅っていうのはそんな感じだった。暑くなったら涼しいところを目指したし、寒くなったら暖かいところへ行って。
そして行く先々で、旅路の邪魔になったり、その土地の人を困らせてるモンスターを退治したり、護衛の仕事をもらったりして。
だからほんとに、特別なことなんてなにもしてない――――と、思ってたんだ。
『感謝の気持ちを軽んじていい理由にはなりません』
あの人にぴしゃりと言われるまでは。
あの人――深い色の髪と強い瞳の、王妃様。俺の名前を、きれいに呼んでくれたひと。
抱きあげたらびっくりするぐらい軽くて、お城の女の人ってこうなのかと思ってたら、目を覚ますなり俺の名前を呼んでくれた。
その時――――ずっと昔にも、あの声で呼んでもらった気がしたんだ。
それは大切な思い出だった気がするけどどうしても思い出せなくて、思わず聞いちゃったけど、お部屋に運んだあと王妃様は初めましてと言ってたから、多分俺の気のせい……なのかなあ。
けどその時から俺は、王妃様に「ユーリヒト」と呼んでもらう事が、好きになったんだと思う。
魔王討伐なんて大仕事任されるとは思ってなくて、でも王妃様に応援してもらえたことは嬉しくて、なんか大ごとになっちゃったなと思いながら歩いてたら、いつの間にか王都の城壁門まで来ていた。
行商人や荷車の列に混じって大門を潜ると、途端に『外』の風が吹く。
人がいっぱいいる街のにおいが、青草を潜り抜けた風に流されて飛んでいく。
ああ、外だなあと土と草の香りを目いっぱい吸い込んだ。お城にいたのはほんの一週間だったけど、ずいぶん長いあいだあそこにいたような気がした。あそこはいつもほんのりいい匂いがしてたな。人ごみのそれとは違う、花とか薬草とかみたいな、いい匂い。
でもやっぱり、俺は外のにおいの方が好きかなあ。夏が終わりに向かってる、このにおい。
「で、どーするの?北までびゅーん?」
そんなことを考えてたら、右下から声がした。ゼニラが言ってるのは、俺の風魔法でみんなを運ぶのかってことだ。飛ぶのは楽でいい。集中さえ切らさなければ、地面のでこぼこや鬱蒼とした森を抜けることもないし、なにより方角を間違わなくて済む。
「そうだなあ」
のたのた歩きつつ、お城でもらった地図を広げる。
こんな詳しい地図、地図屋に頼んでもきっと普通には売ってもらえない。山や森、神殿やダンジョンの位置、いろんな国境が描き込まれている図面の、一番上。地図の真ん中にある王都から見て、まっすぐ上。
北の果てに、魔界に繋がる門が描かれている。
「……路銀に余裕もあるし、今回は歩きかな。馬を借りてもよかったけど」
ぼんやりしてたら街から出ちゃったし。まあこれは俺のせい。ごめん。
えー歩き?と不満そうなゼニラに苦笑して、俺は地図を見やすいように折りたたんだ。
「それに――――その方が君も追って来やすいだろ?」
立ち止まり、振り返る。
その人影は逃げも隠れもしなかった。ただ、通り過ぎた荷車の陰からするりと、滑るように出てきただけ。
「やっぱお気づきでしたか。いや、さすがは勇者様々ですねえ」
飄々として悪びれない声がして、深緑の斑模様に染められたマントの肩が上下する。少ない身軽な荷物に小ぶりなナイフと年季の入ったブーツ。見るからに旅歩き、それも森や山を踏破してきた熟練のレンジャー然とした姿。顔はフードの陰になってるけど、声が若い。
「そもそも隠れてもおらんかっただろう。その気がないのはさすがに解る」
カイドウが笑いながら返す。その通り、彼が本気で隠れて追跡しようとしてたら、多分城門を出てもしばらくは気づけなかったはず。
「それもお見通しで――っと、やれやれ、これじゃ大番頭に言い訳できねえや」
「大番頭?あなた、誰かの言いつけで私たちをつけてたのっ?」
「仰る通りで」
ヴィオへそう言ってフードを落としたそのレンジャーは、日に焼けた赤毛とそばかすが印象的な、やっぱり俺より少し上くらいの若い男の人だった。
「俺はレンジャーのタクサスってもんです。冒険者ギルド通じて大番頭、というか王妃様からおたくらの様子を見とけって言われましてね」
「王妃殿下から……?」
俺の左隣にいるヴィオの声からは、困惑の色がにじみ出ていた。
杖を握りしめる音が微かに俺の耳へと届く。
「妃殿下は、そんなに私たちのことを心配されてるの……?この旅が失敗するんじゃないかって……」
「あー逆です、逆」
そんなヴィオに対し、タクサスと名乗ったレンジャーはグローブの嵌った手をひらひら上下させる。
「あんたらの活躍を生で見れねえもんだから、すこしでも早く知らせろーってやつです。ま、でっけえ伝書鳩がくっ付いてきてるとでも思ってくだせえや」
あ、魔界まではついてかねぇんで、と付け足して肩を竦めてみせる。
カイドウは「やる気があるのかないのか解らん奴だ」と笑いながらも、その黒い目でさらりと彼のことを見、そして俺の方を見やった。
うん。カイドウもこう言ってることだし、大丈夫だろう。
もし半端に腕の立つ人だったら今回の旅は危ないし撒かなきゃいけないなーと思ってたけど、その心配はなさそうだ。今のところは。
「じゃあタクサス……さん?魔界門まで、よろしく」
「さん、なんてよしてくだせえやむず痒い。タクサスで結構ですよ勇者様」
「なら俺もユーリヒト、でいいよ。タクサス」
「了解です、ユーリヒト――――『遥かから来る運命の担い手』……か。なんかキマってますねえ」
さらりと言われた思いがけない言葉に、一瞬反応が遅れた。
「……精霊語がわかるの?」
「ま、森歩きのはしくれですからね。ドルイドの真似事もちっとばかし齧ってる、程度のもんでさ」
精霊言語――師匠曰く共通語が生まれる前の大昔は、この言葉が大陸中で使われてた、んだとか。その頃は誰もが精霊と交感して、魔法を使えた、とも。
いまじゃ古代詩や、エルフ族とかドワーフ族とか、人間より長生きする種族の一部、それか彼らと交流があったり、ヴィオやゼニラみたいに魔法に通じた人じゃなきゃ使われてない言葉だ。
俺は師匠に叩き込まれたから、魔法行使以外じゃなんとか日常会話はできますってぐらい。後者は普段使わないから、忘れそうになるんだよね。
「んじゃ自己紹介もこの辺にして、そろそろ出発しますか?」
「うん、いこっか」
「……って、義兄さん、そっち南の道!」
慌てたヴィオの声と一緒にマントの端を掴まれる。ぐえ、ちょっと喉がしまった。
ヴィオは心配性だから、いっつもちょっと大げさだ。大丈夫だよ、となだめて放してもらうと、俺は手元の地図の一点を指さした。
「ほら、王妃様が言ってたろ。困難に遭った人たちを助けてほしいって。だからさ、今回は例の瘴気が発生したっていう土地の様子を確かめてから、北に行こうと思うんだ」
「あ……」
ヴィオの紫色の瞳が瞬く。ダンジョンと同じようにバツ印がついた、中つ国の辺境。
これは瘴気が発生している危険地帯を現すマークだ。
本来なら、神殿が監視してるダンジョンにしかつかないけど、これはダンジョンから離れた中つ国の中にある。今回の旅、王様の依頼の原因にもなった土地だ。
瘴気の発生規模と期間にもよるけど、瘴気に含まれる魔素は動植物を凶暴化させる。
その凶暴化状態が世代交代で固定化されて、モンスターという新種が生まれる。って師匠が教えてくれた。
だから新しい瘴気の湧いた場所は、凶暴化した動植物が湧いてる可能性があるうえ、そこに住んでる人たちは対処に慣れてない可能性が高い。
「まだ民間の冒険者ギルドとかで対処できる規模なら大丈夫だと思うけど、一応」
「それー、すっごい遠回りになるよ」
「ごめん」
反対方向だもんなあ。俺はゼニラの指摘に頭を掻きながら苦笑した。
「でも、頼まれちゃったからさ」
自分を助けてくれたように、誰かを助けてあげてほしいって。
それこそ、俺たちがいままでしてきたように。
だから今回の旅も、すごい遠回りになるけど、俺のわがままだけど。
「もぉ、仕方ないなあ」
「うむ、毎度ながら一度決めたら梃子でも動かん」
「まあ、人助けになるなら、私もそれで……」
うん。そう言ってくれてよかった。
「じゃあ、南の領地まで出発!」
「おー」
「応」
「はあ……」
そうして俺たちは歩き出した。そんな俺たちから少し離れて歩き出したタクサスの、なるほどねえ、という呟きが風に乗って届いたけど。なにがなるほどなんだろ。
そのうち話してくれるかな。みんなみたいに、一緒に旅が出来たらいいなあ。
俺はまだ鮮やかな青が広がる空を見上げながら、そういえば今日の昼飯はどうしよっかなあなんて考えた。ちょうど真ん中を過ぎようとしていた太陽に、ゆっくり雲がかかっていくことへ気づかずに。
――――たしかあれは、七歳のときだった。
俺はまだ自分の精霊交換能力――魔力をうまくコントロールできなくて、時々物を壊したり吹っ飛ばしたりしてた。師匠は一回もそれに怒ったことはなかったけど、かといってコントロールするための修行内容を軽くしてくれるわけでもなかった。
『いいか、ユーリヒト』
見ていろ、と師匠の白い手が河原の石を掴む。角がとれて丸っこくなって、でも何角形ともいえない不思議な形の、どこにでもある石。
師匠はその石を手のひらに載せると、詠唱もせずにふわりと浮かせて見せた。かと思うと石はくるくると右回りに回ったり、ぴたりと止まっては逆方向に回ったりし始めた。
俺の目には、師匠の手のひらと石の間に風の精霊たちがいるのは解ったけど、まるで花みたいに広がったり閉じたりするその力の円環の作り方はてんで解らなかった。
『風の魔法に精通すると、こういうことが出来るようになる』
師匠は手のひらの上にあったそれを五本指で支えたかと思えば、今度はその指を一本一本減らし始め――最後は小指一本で石を支えだした。
そしてぽかんと口を開けたまま見てた俺に、当たり前のようにこう言った。
『お前もできる。やれ』
できるわけないだろ、と子供心ながらに思ったのも、よく覚えている。
俺は自分の手でつかめる石を探して、まずはそれを浮かそうとしてみた。
師匠は風の精霊を回転させていたから、そうすれば、とイメージして精霊たちを呼び込んでみる。
すると石は手のひらから浮いて――――川の中へすっ飛んでった。
風に載せようとすると、その力が弱いと動かないし、強いと飛んでく。一回師匠の顔面に吹っ飛ばしてしまったけど、師匠は避けるでもなく、ただ石が師匠の鼻先手前でぴたりと止まって落ちただけだった。
『続けろ』
本当に、修行に関しては容赦のない爺さんだった。
それから俺は毎日、日の出から日が落ちるまで、飯時以外は河原で石を回しては吹っ飛ばす、そんな修行を繰り返してた。
正直、飽きが来ていた。
風の精霊は気まぐれというが、その動きは読もうと思えば結構わかりやすい。
彼らは横に横にと動く。下から上にはほとんどいかない。上から下、にもあまりいかない。横に滑って、くるりと斜めから一回転することはあっても。だから理屈では解ってるのだが、どうにも上手く動いてくれない。
師匠はどんな形の石でも自在に操ってみせたが、実際にやってみるとあれがどれだけむちゃくちゃなことだったのかがよく解った。
だから俺は修行にいくと行って河原に繰り出しては、まず出来るだけ丸い石を見つけることを最初の課題にした。丸い石だと風の滑りが一定方向になるのだ。形が歪だと角度ごとに風の吹き方を変えなければいけない。
だから、丸い石、丸い石、と呟きつつ河原を俯きながら歩いて時間を潰していた。近くの河原から『丸い石候補』がなくなるまで。
そんなことをしていたから、その日はずいぶんと歩いて、下流のほうまで来てしまっていた。あまり庵から離れると人に会ってしまうかもしれないから――獣は、まあなんとか出来るけど――気を付けていたのに。
『丸い石、さがしてるの?』
気づいた時には、その子に見つかってた。森の苔みたいな緑の布に、金色の糸で施された細かな刺繍が朝露に濡れた草みたいに光ってた。緑の――あれをドレスと呼ぶのだと知ったのはずいぶん後の話だ――スカートを翻して、その子は石だらけの河原に一人でいた。
『わたくし、水晶をさがしてるの。あなたは丸い石をさがしてるの?』
屈託なく話しかけられて、しかも独り言まで聞かれていたと気づいて、俺は混乱した。だって俺は、物を壊してしまうから。燃やしたり、濡らしたり、吹っ飛ばしたり。
だから師匠以外の人間にはあまり近づけない――近づきたくなかった。
『どうしたの?……あ、わたくしの言葉がわからないのかしら』
黙りこくってる俺に、ぽつりと彼女が独りごちた。
『わかる』
『!ああ、よかった!』
思わず答えてしまって、しまったと思ったけど遅かった。
『ねえ、水晶をみてない?』
『……み、みてない』
『そうなの。やっぱりさがすのって大変ね』
ため息を吐く姿が大人びていたけど、彼女もずいぶん河原を歩いてるらしいことが、そのスカートの裾についた土埃でよく解った。
探し物が見つからない同士なんだ。そんなことを思ってしまったから。
『うん……大変だ』
『ね。あなたも丸い石をさがしてここまできたの?おうちはどこ?』
『ずっと、うえのほう』
『そうなの。じゃあうえにいっても水晶はないのね』
少女は至極残念そうに呟いた。
『どうして、水晶をさがしてるの』
『水晶はわるい気をとってくれるんですって。だから、お母さまにあげるの』
家族がいる子なんだ。俺は師匠の顔が頭に浮かんだ。
師匠は厳しいけど、ちゃんと出来たら「よくやった」と褒めてくれる。お前ならできると思った、とも。
『……水晶、さがそうか』
『え?』
『丸い石、さがすの手伝ってくれたら、おれも水晶、さがすよ』
見つけたら、君にあげるよ、なんて。ぼそぼそと続けた。修行をやり遂げなきゃいけないと思ったから。だから、その子が俺の手を掴むなんてまったくの予想外だった。
『ほんと!?ありがとう!』
『う、あ……て、手!』
『手?これは握手よ』
『あく、しゅ』
はなせと言おうとしたのに、出来なかった。
『お友達になったらこうするのよ。よろしくね』
その子があんまりに嬉しそうに笑うから。友達なんかじゃないって言うのもなんだか変な気がして、結局何も言えないまま。俺は彼女の白くてやわらかい手が一度、二度、自分の手を上下に振るのを見ていた。
この子は俺を怖がらない。でも、怖いところを見てないからだ。
見られたくない。そう思った。
『あ、そうだわ。あなたお名前は?わたくしはね――』
その時だった。お嬢様、と太くよく通る声が土手の向こうから聞こえてきたのは。その声を聞いた途端、彼女の顔がさっと曇った。その間にもお嬢様、とその声はどこか必死な響きであちこちに散らばっている。
『――いけない。わたくし、いかなきゃ。見つかったらあなたまでおこられちゃう……』
手が、離れた。スカートの裾を掴み上げた少女が、急いで河原の土手へと上がっていく。
そして途中で思い出したように振り返って、立ちすくんでる俺に手を振った。
『約束よ!丸い石、わたくしもさがすから!』
『……う、うん!』
『水晶と交換ね!ええと――』
『ユーリヒト!』
言いあぐねた彼女へ、思わず叫んでいた。
「ユーリヒト」と彼女の唇が動くのが見えて。
『またね、ユーリ!』
彼女は手を振って、今度こそ振り返らずに土手を駆け上り、背の高い茂みを掻き分けてその向こうへと消えていった。
俺が手を振り返していたことなんて、きっと気づいていなかった。
俺は丸い石から『丸い石っぽい石』を探すついでに、師匠にもきいて河原の水晶がありそうなところを漁るようになった。あの子がまたきたとき、がっかりさせたくなかった。
そしてなにより、あの子とまた握手をするとき――あの子の名前を聞くときに、びくびくしたりしたくなかったから、石を回す修行もまた真面目に始めた。
そのうち風の精霊を横に動かすんじゃなくて、斜めに動かして一回転させることで石を吹っ飛ばさず回せるようになり、回すたびに転げ落ちていた石を手のひらに留められるようになった。
そこまでくると要領がだんだんわかってきて、慎重に精霊の数を増やして、ついに俺は石を――回しながらだが――浮かせられるようになった。
そこから石を停止させたまま浮かせるのは、割と簡単にできた。回転する精霊を少し放して、土台にしてやればいい。
ただ師匠にできたと報告したら、師匠がその場で選んだ石でやらされてズルがバレたけど。何度も練習を繰り返すうちに、そんな石でも浮かせられるようになっていた。
俺が石の代わりに自分を浮かせられるようになった頃、庵の窓辺にならべた水晶は、三つを数えていた。
けれど、光の粒をちりばめたみたいなあの緑色のドレス姿を見ることは、二度となかった。
「――――さん、義兄さん、起きて!」
「んえ?」
「んぇ、じゃないわよ。もうすぐ着くから、降りる準備して!」
ヴィオの手が揺さぶるのをやめたかと思うと、小石に乗り上げたのか荷台がガタンと音を立てて揺れた。
その拍子に腕枕がずれて、俺は横の添え木に頭をぶつけてしまった。地味に痛い。
「もう、なにしてるの」
「はは……でも目は覚めたよ」
夢を見てた気がするけど、今の衝撃ですっぽぬけちゃったな。
「お二人とも、次の分かれ道で南方領の境まで行けるそうですぜ」
積み上げられた荷物の向こうから御者と話してたタクサスが声をかけてくれた。といっても俺たちも大した荷物はないんだけどね。
幌馬車は南方領へは向かわないから、ここからは歩きになる。板の上で固まった体を伸ばしていると、同じくこういうときは大体寝ているゼニラが、積まれた麻袋の上からおりてきた。カイドウはタクサスと同じく荷物の向こうのスペースにいるらしい。
「上機嫌?」
「ん?」
ヴィオの横に座ったゼニラが、不意にそんなことを聞いてきた。
「精霊たち、踊ってる」
「ん~?はは、そうだな。覚えてないけど――――いい夢だった気がするよ」
幌馬車の荷台の端から、あらためて外を、轍の残るこれまで通ってきた道を見る。
もうとっくに王都は森や丘の向こうに消えてしまっていたけれど、不思議とこの道の向こうにあの都があるんだと、そしてそこにはあの人がいるのだと思えた。
幌馬車が止まった。カイドウが御者に謝礼を渡してなにか笑い合ってるのが聞こえる。
「さて、行こうか」
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