39. 王者と勇者・その一
その荒廃した城は、『外』へ開かれることなどなかった。この三千年間、一度たりとて。
しかしいま、三千年の果ての境にあるというかのように、城門は開かれ、橋は下ろされていた。
勇者たちの一行は一年以上もの時間をかけてたどり着いたその城の前に立っている。荒廃しところどころが木々に覆われ、あるいは崩落しながらも静寂の威容を失っていない城を仰ぎ見て、勇者が一声呟く。
「行こう」
無言で彼に追従する仲間たちの足音が、摩耗した石畳から跳ね橋の板木を踏む音へと変わっていく。
「!」
橋を渡り終えた一行は、その先のやはり荒廃した、それでも堂々たる広さの正門前広場に居並ぶ一団を目にした。
大柄な者、小柄な者、角がある者、ない者。多種多様な姿ではあったが、勇者たちの目はその重厚な鎧に身を包み、正門前の道を開けるように居並ぶ彼らこそがこの地を守護する軍の幹部集団であることを見抜いた。
その中から一際大柄かつ、物々しい鎧姿の武者が一行の前へと進み出てくる。
物腰だけとっても、戦士たちの目には相当にできることが明らかだったその武者は、勇者と数歩手前の距離で立ち止まると、徐にその兜の表面を跳ね上げ、脱いだ。
「!!」
滝のように流れ落ちる豊かな髪、それに縁どられた白く秀でた額に通った鼻梁。僅かな光を湛えた瞳に、大きくも鋭く切れ上がった目元――その美貌を前に、勇者たちは誰ともなく肩を揺らした。要の地についてからこの方、住民は子供から老人まで整った風貌の者たちしか目にしてこなかったが、目の前の人物は彼らと比べても明らかに美しいと言えた。
僅かに緊張した空気が流れる中、幹部団から進み出てきた一人へ兜を預けたその女性は、あらためて勇者たちを見やり、口を開いた。
「ようこそ、我らが王城へ。貴公らの案内役を仰せつかった、国軍総大将ルルフェイ・ライネローエである」
「将軍……閣下」
「将軍で構わない。まずは我らの同胞たちの多くを救い、また多くのモンスターを退けてくれたことに、国軍総大将として、また一族の一人として御礼申し上げる」
将軍の名に恥じない、柔らかくも芯の太さと通りのよさを持つ声が勇者たちに降り注ぐ。
だが形式的な謝辞の裏側に、隠しきれない警戒の色が滲んでいることも、一行は気づいていた。
おそらくは隠す気もないのだろう。まるで、こちらを歓迎すると同時に、牽制するかのように。
「早速だが、国王陛下が貴公らをお待ちである。玉座の間へとご案内しよう――――ついてきてくれ」
踵を返したルルフェイを前に顔を見合わせた勇者たちも、また後に続く。
一行が足を踏み入れた要の地の王城の中は、人の気配というものがなかった。
いつもどこかしらに人の気配があり、何もかもが整然としていた中つ国の王城を引き合いに出すまでもなく、その城の中は多くの扉が閉ざされ、窓も閉ざされるか、あるいは欠け落ちていた。
ただ、その荒廃した静寂に対して、ダンジョンや遺跡で感じるような黴臭さ、埃臭さといったものは玉座の間に至っても感じることはなかった。
やがてルルフェイが、一際重厚な石造りの扉の前で立ち止まる。彼女は一行が全員揃っているのを確認するかのように見渡すと、その扉に両手をかけた。
本来なら侍従や衛兵が四人がかりで、あるいはそれ専用の装置で開かれそうなその扉を、彼女の両手は苦もなく開いていく。
重たい石が床と擦れ合う地鳴りのような音と共に、その扉は一行の前へと開かれた。
「国軍総大将ルルフェイ、御命に従い魔物退治の一行をお連れいたしました」
まずはルルフェイが入り、敬礼と思しき姿勢をとって声を張る。
大柄な彼女の背後からぞろぞろと入場した勇者たちは、ルルフェイが絨毯の脇に退いて初めて、その玉座を目にした。
玉座は、最初窓から差し込む光の陰に沈んでいた。そこに座す人物もまた。
だが勇者を中心に一行の全員が肩を並べるに至って、僅かな衣擦れの音と共に、その人影は立ち上がり、光の中へと進み出てきた。
「っ………」
「ぁ……」
普段他人の美醜に疎い勇者すら、思わず息を呑んでいた。傍らの義妹が思わず漏らした声も聞く限り、自分の驚きが正しかったのだろうと、その衝撃を受けた頭で思いながら。
ルルフェイの美貌が強さを兼ね備えた女性美のそれなら、彼女と同じく大ぶりかつ捻じれた角を備えたその人物は――――古代の神々が自らを彫刻したような、完璧な黄金律の美貌だった。
「要の一族ってなぁ美形しかいないんですかね……」
「どうやら、そのようだな」
仲間が感嘆めいた声で、密かに囁き合う。
その圧倒的な美を前にやや呆然としていた一同を制するように、厳しい表情になったルルフェイの声が飛んだ。
「陛下の御前だ。敬意を表せ」
「っ!」
我に返った者たちから一斉に礼の姿勢を取る。勢い自分のつま先というより膝を見ることになった勇者の頭上へ、玉座から声が降ってきた。
今はすでに懐かしい、あの表世界の満天の星が輝く夜空を音にしたら、こんな音になるのではと思うような声が。
「よい。面を上げよ」
王の言葉は端的だった。そろそろと顔を上げた勇者に続き、仲間たちも顔を上げていく。
王は静かに、しかし彫刻めいた無表情を崩すことなく、淡々と続ける。
「魔物退治の稀人一行よ。単刀直入に聞く。そなたたちは何の目的があり、何処から参った。ここ数百年、そなたたちのような姿形の者たちは目にしておらぬ。特に――――お前」
王の目が動いた。勇者の青と、欺瞞を許さない光を秘めた王者の瞳が交錯する。
「尋常の者ではないな」
その声は確信に満ちていた。勇者たちが彼の圧倒的な力の気配を感じると同時に、彼もまた勇者の力のほどを見抜いていたのだった。
僅かな沈黙が落ちる。
ぴんと張り詰めた沈黙を、唐突な空を割く音――――挙げられた片手の、その音が破った。
急な物音と動きに反応し、咄嗟に剣の柄を握ったルルフェイの目へ飛び込んできたのは、ただ何も持っていない右手を挙げた、ある意味で間抜けな勇者の姿だった。
呆気にとられる彼女を残し、朗々たる声が玉座の間に響く。
「発言していいでしょうか。陛下」
「……許す」
王もまた、僅かな間を開けて応える。
勇者は一つ頷くと手を下ろし、真っすぐに王を見つめながら口を開く。
「俺たちは全員、この世界の裏側からやってきました。人間、エルフ、ドワーフ、獣人……こういう種族に、お聞き覚えはないでしょうか」
「!」
「ッ伝承の……」
今度こそ、王はその白皙の美貌へ驚愕の色を露わにした。息を呑んだルルフェイの呟きが、彼の耳にも届く。
そう。それは要の地ではとうの昔に、もはや擦り切れ、摩耗し消えかかっているような伝承に残る響きだった。
そんな彼らの驚愕の空気に、どさり、という無造作すぎる音が割って入る。
「ちょっとお待ちを――――あれ、えっとどこだっけ……」
再び身構えたルルフェイだったが、彼女の目に映ったのはやはりというか、自分の下ろした雑嚢を漁る勇者、というなんとも間の抜けた姿だった。
その緊張感のかけらもない様子に、彼の仲間も一人はため息をつき、あるいは目元を手で覆い、あるいは首を横に振っている。
「ありました!」
不意に動きを止めた勇者が、今度はしゃがんだまま、ばっと手を上げた。再度――――一応剣の柄を握ったルルフェイだったが、その手に握られていた物がただの大ぶりな封筒であると気づくや、若干の疲労感を覚えつつ構えを解いた。
そんな彼女の様子に見向きもせず立ち上がった勇者が、一歩前に進み出る。
「陛下にお届けするよう、俺たちの世界の王様たちから預かった書状です」
「表の世界の、王たちから……」
呟いた王の目が、構えを解き姿勢を正したルルフェイへと向けられる。
その視線を受けて、ルルフェイは勇者へ歩み寄ると両手を差し出した。
儀礼に則り、勇者もまたルルフェイの手へ両手で持ち直したその封筒、円卓会議の封蝋が施されたそれを静かに乗せる。封蝋自体はやや傷つき、剥がれかかっていたが。
封筒を受け取ったルルフェイが踵を返し、真っすぐに玉座へと向かう。
そして王の左手――――勇者たちから見ての向かって右手から、恭しく首を垂れつつその封筒を両手で捧げた。
封筒を手にした王は一応剥がれかけの封蝋の紋章を確認するも、剣、斧、矢、牙、角、五つの象徴が組み合わさり円を描くそれに、当然ながら見覚えはない。
王はここで、この封を切るべきか否かを一瞬逡巡した。
だが、常に冷静だった彼の意識が答えを決する前に、その手は封蝋を剥がし、中の書状を取り出していた。
差し出されたままのルルフェイの手へ、空になった封筒を戻すと、彼女はそれを手に引き下がっていく。
封筒が大ぶりなら、畳まれ収められていたその書状もまた大判の羊皮紙だった。
指先が震えないように意識しながら――彼はあくまで王者だ――羊皮紙を開いていく。
そこには、長い文章が流麗な筆致で綴られていた。だが、長く見えたのは同じ文面が二種類の言語を用いて綴られているためだと、彼はすぐに気づいた。
一つは、馴染み深くも使われなくなって久しい古代よりの言葉。もう一つは、数代前の稀人がこの地に残した、いまは彼も用いている『共通語』と呼ばれるそれだ。
三千年。要の地に生を受けて数百年を生きている王であっても、その断絶の以前に何があったのかを鮮明に知るすべはなかった。まして、表世界の王たちの意思など。
内心の緊張を悟られまいとしながらも、真剣な表情で文面を追うその目を、勇者たちは離れた場所からただ見守っていた。
長い沈黙が下りる。
当初、勇者は王の目が真剣に文章を読み進めるのをただ見ていた。
だが、時間が経つにつれて王の通った鼻梁の先にある眉間に皺が寄り、徐々にその溝を深めていくことに気づいた。
王が静寂を破り、書状を持つ手を自身の右に任せて下げる音がした。
再度、両者の視線が交わる。王は勇者を、勇者は王を見つめる。
一方の愚直さに対し、一方は、厳しく、また険しい眼差しを送っていた。
「…………世界を、救う、勇者……お前が……」
「あ、はい」
王の絞り出すような声に対し、勇者の朴訥とした返事が返る。
その時ルルフェイは、王の手が戦慄くのを見た。
彼女が何かを口にするより先にその手は拳へと変じ、右手に握られていた書状に無残な皺が寄る。
「――――ふざけるな」
王は、その書状を投げ捨てた。忌まわしいと言わんばかりに、己の足元へ。
「――――」
それと同時、びり、と肌に無数の針が刺さったかのような殺気と怒気が勇者とその仲間たちを襲った。
当初の冷徹な仮面を打ち捨て、明確に憤怒を露わにした王者を前に、勇者一行の間で緊張が走った。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
下の☆☆☆☆☆から評価をいただけますと大変励みになります。ぜひお願いいたします!




