34. 勇者の旅路・その四
シシリを発つ時がきた。
ここから北東へこう進めば魔界門がある、と女王陛下は俺たちの地図に細かな道筋を書き加えてくれた。
その順路を見た俺は迷った末、みんなとも相談してアステルたちをシシリへ置いていくことにした。
魔界門を潜るとき瘴気には耐えられても、師匠の言葉通り風魔法が必要な事態になったらアステルたちまで保護する自信が俺にはなかったからだ。
全部終わったら、また会いに来てもいいですかと聞いた俺に、陛下は笑っていつでも来いと言ってくれた。
「じゃあ、またな。アステル……って、ちょ、押さない、舐めないの」
生まれ故郷に着いて上機嫌だったはずのアステルは、俺たちが出立する日に会いにいくとぐいぐいと首と頭を押し付けてきた。また顔も舐められた。ヴィオも舐められてた。
馬は賢いから、俺たちがした決断が伝わったのかもしれない。
意外にも最後まで別れを惜しんでたのはランドリンだった。ドワーフは乗馬の習慣がないからこそ、初めて乗れるようになった――走らせてたのはタクサスだけど――愛馬が可愛くて仕方ないといった様子だった。
フィンリアスは彼の白馬と額を合わせ何事かを囁くと、それで挨拶は済んだというようにお互いに踵を返していた。
ラーシドは戦士らしく、首筋をぽんぽんと撫ぜてこれまでの道中を労っていた。
カイドウはゼニラの帽子を噛もうとするトモエを宥めるのに苦労してた。嫉妬深くてな、と笑ってたけど、これまでの道中も地味に大変だったのかも。
そんな風にみんながそれぞれの愛馬と別れを済ませた後、俺たちは陛下からどっさりもらった干し肉、干しパン、のし果実――フィンリアスは乳酒――を雑嚢に詰めて、旅支度を整えた。
「救世の勇者たちに幸いあれ。その御魂に宿した光明こそが、異界を行く汝らの導たらんことを」
草原を渡る風に装束を靡かせた陛下が俺たちに祝福を授けてくれると、控えていたあの楽団の人たちが一斉に角笛を出して吹き鳴らす。
俺たちは角笛の音、風に翻る旗の音に見送られながら、シシリの境界線までマクティレさんに案内してもらった。
「――――さて、ここからはまた道なき道を歩き旅か」
久方ぶりだな、とカイドウが笑う。空は快晴の旅日和だけど、カイドウのいう通りここから先に道はない。
風があって涼しい平原だから、足を取られそうな雑草が少ないことだけが救いだった。
「う、う、ディアマンテ……」
「いい加減泣き止んでくださいよっていうかそんな名前決めてたんですか?」
俺知らなかったんですけど!?なんてタクサスの声が聞こえる。振り返ると、タクサスの隣を歩くランドリンはすっかりしょんぼりしていた。そんな二人を横目に、フィンリアスが口を開く。
「この旅が終わった後、また会いに行けばいい」
「貴様、何を簡単に」
「それともドワーフはこの旅を生き残る自信がないか?」
「ッそんなわけがあるか!!長生きだけが取り柄のエルフと一緒にするな!!」
あ、元気になった。というかぷんすこ怒ってるだけだけど。
フィンリアスは涼しい顔でまた前を見る。
この二人、実は結構仲がいいんじゃ?
「女王陛下……必ずや無事に帰還し、御身の偉大さを我がネブハにも……」
こっちはこっちで別方向にしょんぼりしてる戦士がいるし。
なんかすっかり賑やか?になってきたなあ。
「ゼニラ、大丈夫?」
「だいじょばなかったらカイドウに乗るー」
「俺は馬か」
一行の中で一番小柄な分歩幅も小さいゼニラをヴィオが気遣ってる。
飄々としてるゼニラだけど、体力のなさはどうしようもないから今日の野営地は早めに決めないとな。
できれば岩の影とか、風を避けられる場所がいいな。
そんなことを考えている間に、平原は姿を徐々に変え、フィンリアスが蜜を吸っていた赤紫の花も見られなくなってきた。まるでやすりをかけられたように、視界からあれだけ豊かだった緑が消えて行く。
さらには道、というか向かう先が緩やかな傾斜になり、足元は細かく砕けた礫という、地味に体力が削られる場所へと出た。
シシリを出発してから数時間歩き通して、日はすでに頂点を越しつつある。
「岩の影っていうか、岩場だな。これはもう……」
「ゼニラ……」
「だ、いじょーぶ」
「無理するな」
振り返ると、息を切らしたゼニラの背中にカイドウが手をあてていた。
ラーシドたちもゼニラの様子に気づかわしげな視線を送っている。
「休もう」
「いい、明るいうちに……ちょっとでも」
「女王陛下が言ってたけど、兵は拙速を尊ぶんだってさ」
「?」
「でも俺たちは兵じゃないから、万全の状態で行けって」
多分そういうことを言われたはず。うん。
ゼニラが諦めたように帽子のつばの影でため息をついた。
「というわけで休憩!」
ゼニラが魔法で作り出した水を俺たちの水袋に入れてくれる。俺もやろうとしたけど、魔力を取っておけって言われてしまった。ちょっとぐらいなら大丈夫だと思うんだけどなあ。
各々が岩に腰を下ろし、喉を潤す。ふと見るとフィンリアスだけ何も飲まずに小高い岩の上で周囲を見渡していた。
「フィンリアス、休まなくていいの?」
「この程度は平気だ。酒も節約したい。魔界に喉を潤すものがあるとは限らないからな」
言われてみると、フィンリアスが口にできるものって花の蜜とか果汁とかお酒とか、森や人里から離れると手に入りにくいものが多い。
エルフは生き血も飲むって言ってたけど。
「いざとなったらさ」
「?」
「飲む?俺の血」
「気持ちだけ受け取っておこう」
血は悪酔いする、と付け足してフィンリアスは岩から飛び降りた。
「それと、勇者が軽々しく身を差し出すんじゃない」
叱られた。最近は叱られてばかりだ。
そんな俺たちを見てたのかタクサスから声が飛んでくる。
「あ―もっと言ってやって言ってやって。悪い癖です、ほんと」
「別に軽々しく言ったわけじゃないよ。怪我はヴィオが治してくれるし……」
「言い訳無用」
ぐぬう。
「そういうタクサスこそ、いいの?」
「なにがです?」
「もうすぐ魔界門まで着いちゃうけどさ。このままだと魔界まで一直線だよ」
「なにをいまさら。こんな大層な装備一式までもらっちゃって、引き返せませんって」
肩竦めながらさらりと言うけど、ほんとにいいんだろうか。片道しかない旅かもしれないのに。
まあ、俺は嬉しいから、いいけど。ね。
短い休憩を挟み再び歩き出した俺たちだったけど、変わったのは登り道から下り道になったことぐらいで、相変わらず岩場を進んでた。時々見かける僅かな緑は、岩の隙間から偶然生えたと言わんばかりの低木だけ。
そうこうしているうちに岩場から出られないまま陽が沈み、俺たちは岩に囲まれた窪地で野営することになった。
「ほんと、今更なんだけどさ」
ゼニラの灯してくれた明かりを囲んでる間に、俺はどうしても聞きたくなったことを口にしていた。みんなの視線が集まる。いや、タクサスには昼間にも聞いたことなんだけど。
「もしかしたら帰れない旅になるかもしれないんだけど、みんなはそれでいいの?」
「本当に今更だな」
腕を組みながら岩に背中を預けていたカイドウが呆れたような声を出す。平たい岩をベッドに、カイドウの膝を枕にしてたゼニラに至っては無言で背中を向けられてしまった。
でも大事なことだし。
「あのな勇者。いやユーリヒト。人生というものは流れの決まっとる川みたいなもんだ。誰しも流されるのは変わらん。ただ右の支流にいくか左の支流にいくかだけは選べる。俺たちはこの流れを選んだ。ただそれだけだ」
「うーん……」
わかるような、わからないような。
でもそれは俺だけみたいで、ラーシドやランドリンたちはうんうん頷いてる。なんだろ。今すごく子ども扱いされてる気がする。
「お前も解る。いつかな」
「ほら、もういいでしょ義兄さん。寝よう」
ヴィオにまで。
俺はなんだか釈然としない気持ちを抱えつつも、その場に寝転がってマントに包まるのだった。
礫の転がる音がする。
「――――」
目を開いた俺は、寝転がった姿勢のまま地面を伝う音の数を数えた。一、二、三、四……四頭か。少ないな。
人の目には不毛の地でも、そこに生きる生き物はいる。
あるいは追い立てられ、そこでしか生きられなくなった生き物が。
ゼニラの明かりはあくまで魔法なので、術者の意識が途切れると消失する。俺たちはいま青黒い夜闇の中にいた。
目が暗闇に慣れるのを待つ間、音の方向を確かめながら、剣の柄を握って俺はその時を待った。
――――来る。
「ふんッ!」
「ギャィンッ!!」
しかし跳ね起きた俺が見たのは、暗闇に閃く戦斧の一撃と、それをまともに食らった魔狼だった。
血しぶきを上げながら斬り飛ばされた魔狼がもう一頭にぶつかる。同時にそれらを飛び越えて襲い掛かってきた顎を、今度は上下に分けるような一撃が叩き込まれた。
悲鳴も上げずに屍となった魔狼を蹴り除けて、戦斧の持ち主はその柄尻を地面に叩きつける。
「ランドリン?」
「寝てろ――――どうした。かかってこい」
よろめいていた一頭と、様子を窺うもう一頭を挑発するように睨み合うのはドワーフの戦士。やがて劣勢を悟ったのか魔狼は踵を返し逃げようと、したのだが。
「判断が遅い」
「ギャンッ」
飛来した矢に二頭とも並んでこめかみを射抜かれ、重なるように倒れ伏した。
「おい、俺の獲物だぞ!」
「逃がそうとしてただろう」
「逃がそうとしたんじゃない、逃げたんだ!くそっ」
岩場を飛び越えて降り立ったフィンリアスが、無造作に魔狼だったものから矢を抜いて回収していく。
「お前こそ逃したんじゃないだろうな」
「まさか。今夜はもう静かに過ごせる」
ひょっとして、数が少なかったのはフィンリアスが後詰めを始末したから?
いつのまに、と、呆気に取られてた俺がいつまでも剣を手にしたまま見てるのに気づいた二人が、同時に振り返って口を開いた。
『いいからもう寝ろ』
やっぱり仲がいいんじゃ、ない?
そうして何日か過ぎて俺が気づいたのは、どうやら俺抜きで俺の見張り当番――というかお守りというか――をみんなが決めているらしい、ということだった。
ある時はラーシドとタクサスが、あるときはカイドウとゼニラが、夜の警戒にあたっていてその分俺とヴィオを休ませることに専念してた。回復役のヴィオはともかく、体力の少ないゼニラまでやるなら俺も見張るといったけど、呆気なく満場一致で却下。
俺ってそんな信用ないんだろうか。ちゃんと休んでるのに。
さらに魔界門へ近づくにつれて、モンスターの襲撃は頻度を増していった。ダンジョンからこんなに離れた場所にまで出てくるなんて、今までの旅じゃ考えられないことだ。
まるでどこからか瘴気が湧いてるみたいに――――
その疑問の答えが出たのは、シシリを出発してから七日目の朝だった。
「門が見えたぞ。だが……」
高台に登ったフィンリアスの声が途切れる。
「だが?」
「……信じられん。周囲に瘴気が湧いている――なぜだ?」
俺たち――ヴィオとゼニラとカイドウとタクサス――は思わず顔を見合わせた。
自分の目を疑うようなフィンリアスに対し、真剣な表情になったヴィオが顔を上げる。
「いえ、考えられる瘴気の発生原因があります。それを、私は浄化できます」
「!?瘴気を止めるということか?」
「正確には瘴気を止めるというより、ダンジョンの瘴気を呼びよせてる魔法陣を消去するんです」
「瘴気を、呼ぶ……!?」
驚愕を隠せないラーシドやランドリン、降りてきたフィンリアスに対し、俺たちは中つ国で起きた瘴気発生事件の顛末を説明した。
「邪神信奉――――そんな馬鹿もんがこの世にいるのか!!」
ランドリンは驚き以上の怒りの声を上げる。フィンリアスは顎に手をあてて何かを考え込み、内海を挟んでそもそもダンジョンが遠いネブハ出身のラーシドは、完全に理解不能という顔をしていた。
「でも、これで一つはっきりしたことがある」
俺の声に、みんなの視線が集まった。
「女王陛下が言ってたんだ。過去に何度か魔界門を開いた何者かがいるって、そいつらが戻ってきた形跡はないらしい」
「何ィ!?」
「魔界門を開いたのは邪神信奉者。瘴気はそいつらのうちの誰かが設置していった足止めだ」
「つまり、よりにもよって一番最悪な事例が『要の一族』には知られてるってわけですね。クソみたいな第一印象が」
ほんと面倒しか起こさねえな、とタクサスが吐き捨てる。
「魔界に着いたときの現地民との接触には、一層注意しなければいけないということか」
「うん。でもとりあえずいまは」
「呪いの貴石を浄化して、あの魔法陣を消し去る」
俺の言葉を継いだヴィオへ頷き、眉間に皺を寄せているフィンリアスへ振り返った。
「フィンリアス、瘴気を呼ぶ魔法陣のある場所には、四本の柱があるはずなんだ。魔界門の近くにそういうのはあった?」
「……ああ、あった」
「どの方角?」
「このまま進めばいい」
「え――――」
俺たちの視線を浴びたフィンリアスは、険しい顔のまま続けた。
「――――魔界門。そこが四本の柱で囲われている」
そこは近づくだけで、炎や水の浄化を纏った装備がヂリヂリと音をたてるほどの瘴気に満ちた場所だった。もとは沼地か湿地だったらしいが、黒煙のような瘴気に晒され続けたせいなのか、水気がある場所は薄緑色に濁り、不穏な泡が立っている。
タクサスの先導で、俺たちは枯草のような雑草が生え、水面から露出している地面を選んで、蛇行するように魔界門へと近づきつつあった。
もう俺の目でも四本の柱は見えつつあったが、地形が一直線に行かせてくれない。
飛んでいこう、という俺の提案は、門を開くために必要な魔力をとっておけというゼニラの一言で却下されていた。
不意に、タクサスが片手を挙げて立ち止まる。俺たちもそれに倣って立ち止まり、不安定な足場にバランスを崩しかけたヴィオを俺とラーシドの腕が支えた。
「こーゆー場所でいっちばん出てほしくないのが……」
先頭から苦々しい声が飛んでくる。ぼこり、ぼこりと大きく泡立つ音も。
「スワンプマンなんですよねえ――――!」
スワンプマン。毒気のある沼地に現れるモンスター。その凶悪さは体自体が毒を帯びた汚泥であるということもだが、なにより。
「走って!」
後ろゼニラから指示が飛んだ。這い出てきた人の成り損ないのような泥の塊へ、瞬時に火球が飛び、その水分を消し飛ばす。乾いた土くれになって崩落するそれらを前に、口笛を吹いたタクサスが駆け出し、俺たちも後を追った。
「映し取られる前に、全部焼き尽くす!」
ゼニラの本気の声が聞こえ、次々に火球が飛んでは泥人形たちを土くれに還していく。
そう、スワンプマンの最も凶悪な特性は、相対した相手の姿形だけでなく、その能力までそっくりになって襲い掛かってくるというところにある。ただ完全に立ち上がり姿を映し取られるまでは脆く動作も遅いため、その時点で対処できればよし。
できなければ、文字通りの泥仕合が待っている。
「ぜってェ俺の前に出ないでくださいよ!」
タクサスの言わんとしてることは解る。一番最悪なのは、俺の姿が取られることだ。
ただこうして走ってる間にも、沼地のあちこちから泥の手が伸び、枯草を掴んでいた。
「ああああもう鬱陶しい!!カイドウ、かついで!」
「応よ!」
完全にキレたゼニラの声へカイドウが応えるのは聞こえたが、前を走っているため二人の様子は解らない。ただ急速に周囲の温度が上がってるのは解った。
「全部燃やす!!」
前方を行く俺たちの視界にも入るほど、巨大な火炎の輪が頭上に広がりつつあった。
ああ、本気だ。これはまずい。よりによっていまゼニラの手にあるのは、炎の浄化を宿したドワーフ謹製の杖。相性が良すぎるのだ。
「ヴィオ、離れるな!」
「う、うん!」
俺はこっそり風の精霊を呼び出し、みんなの周囲に展開した。キレたゼニラは手加減を忘れるから。
「落ちろ――――!!」
特大の火炎輪から降り注ぐ火球の雨が、立ち上がろうとした、あるいは立ち上がったばかりのスワンプマン達を次々に灰にしていく。
当然のことながら、俺たちを狙ってるモンスターは俺たちの周囲に発生するわけで。その火球雨は俺たちのすれすれを熱風と共に過ぎていく。
「ヒゲが!」
ラーシドの悲痛な声がきこえた。ごめん、カバーしきれなかった。
露出した地面のわずかな雑草に火がつくのも見えたけど、走ってる勢いで踏み越える。
火の海となった沼地を背に、俺たちはゼニラのやや強引な魔法行使でなんとかスワンプマンの群れを突破した。
行く手に、四本の柱――――そしてあの紫色の光が見え始める。
「あとちょっとです!」
「ヴィオ、浄化魔法準備!」
「はい!」
唐突に足元が固くなるのが解った。沼地を抜けた!
瘴気で視界が悪すぎてよく解らないが、そこは土だけがむき出しの地面に石造りの柱が四本建ち、その中心には巨大な石板を積み上げたような段差があった。目を凝らすと段差は円形だということが解ったが、それよりも重要なのは。
「ありました!貴石の―――なんだあれ、いや、とにかく例の石です!」
最上段で展開されている魔法陣の中心に、半壊した水晶玉のような、今までで見た中で一番大きなあの貴石の塊が転がっていた。目にしただけでゾワゾワとした寒気が背筋を駆け上がるそれに、俺は一瞬躊躇した。
「ヴィオ――――」
「大丈夫!」
けれどそんな俺の横をすり抜けて、ヴィオが杖を振り上げる。
『光明神よ、御身に願い奉る!これなる穢れを照らし祓い給え!』
迷いのない高らかな詠唱と共に、杖の先端が妖しい紫色の中心へと振り下ろされた。
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