33. 勇者の旅路・その三
シシリの宴は町のそれに比べて、かなり静かな、けれどシシリという国を凝縮したような色に溢れていた。
女王陛下の天幕前、大きな焚火を中心に敷物が敷かれ、その上にはクッション。俺たちは天幕の扉を背にする女王陛下の席の両隣から挟むように、焚火を中心にした円座を組んだ。女王様とちょうど焚火を挟んで真反対の位置には、四角い箱に竿と弦がついた弦楽器や横笛に縦笛、太鼓を携えた楽団の人たちがいる。
流れてくる不思議な調べの中、回されてきた器には、よく煮込んでほろほろになった肉と根菜類の入った透明な淡い黄色のスープが注いであった。それに大皿に乗った平たいパンが、敷物に座る二人一組の間に置かれていく。
「お肉が入ってる……」
俺の左隣からスープの中身をみたヴィオの、驚きを隠せない呟きが聞こえる。それが聞こえたのだろう、ヴィオと反対隣、つまり俺の右手側に座ってるイングリディア陛下の笑い声が耳に届いた。
「ホホ……狼の同胞らと違い常ではないが、我らとて越冬や越冬後の滋養回復のため、肉や魚を口にすることはある。そなたら、珪藻土というものを知っているか?遥か昔の藻が積もってできたという土だ。西方の海辺へ移動するときは、その土を使った料理も食すのだぞ」
「土が、食べれるんですか……!?」
ヴィオの紫色の目がますます円くなった。向こう側ではラーシドが「土、土……?」と唸りながら首をひねっている。多分自分は食べれるかどうか考えてるんだろうな。無理するな。
「無論、土のみを食すのではないがな。とろみと甘みがでて実に美味なるものだ。美味といえば、そなたたちは野菜と肉を均等に食さねばならないのだろうが――――ネブハの戦士よ。我らのすだれ羊肉の味は如何か」
「!!は、大変美味であります!」
よく見ると、ラーシドの器には溢れんばかりの肉がこんもり盛られていた。
「それは重畳。森の民よ、我らの酒は口に合うか」
「私は生き血などに悪酔いしがちなのですが……乳を使った酒とは、これは爽やかで美味なるものですね。森にはない味わいです」
「御前の土産に持っていくかえ?」
「いえ、あの飲み方は……あの方だけですので」
杯を傾けていたフィンリアスが、何か苦いものを思い出したように珍しく眉を寄せていた。エルフにもいろいろあるんだな。フィンリアスを見てる限り、エルフは果汁やお酒しか口にしないみたいだ。町でも焼き肉や料理の類には一切手を付けてなかったし。
「なんだ貴様は、それでもあの御前殿の縁戚か!」
「飲み方が違うというだけだ」
「ホホ、ランドリン殿は健啖よの。見ていて気持ちがよい」
「は、有り難うございます!」
たしかにランドリンはもう何杯目かわからないスープのお替りをしつつ、羊肉の串焼きまで食べてた。昨日あんなに食べたのに。フィンリアスとの間に入ってるタクサスが胸やけしそうな顔で見てる。
ゼニラは早々にスープを食べ終わったのか、デザートに出されたのし果実――数種類の干した果物を重ねて押し伸ばしたお菓子だそうだ―を齧ってた。
カイドウは杯を片手に、楽団の音楽に聞き入っている。音楽好きだからなあ。俺たちと会う前にいた雑技団のこと思い出してるのかな。
「――――ときに、勇者よ」
「!はい」
ぼんやり周りを見てたら、ちょっと反応が遅れた。陛下はそれを気にした風もなく、灯りを掲げたあの布張りの屋根の下から、こちらへ少し身を乗り出した。
「そなたたちのあの大荷物、中身はほとんど果物や肉類とみたが、相違ないか?」
「あ、はい……町の人たちからお土産にって……」
野苺やサクランボ、干し葡萄や林檎。それにあの焼き肉までお土産にと包んでくれたのを、断り切れなかったのだ。痛む前に食べきらなきゃなあと遠い目になっていたら、なるほどなと陛下の呟く声が聞こえる。
「そなたたちさえ良ければ、あの品々、我らの干し肉や干しパン、のし果実と交換するかえ?」
「え、いいんですか?」
「よい。我らにとっても生鮮なる食は希少ゆえな。肉類は狼族に欠かせぬ」
一応みんなを見回したら――特にタクサスが――頷くのが見えた。
「えっと、じゃあお言葉に甘えて」
「そう畏まるな。これは施しではなく交換だ。そなた達には借りもある」
「借り、ですか?」
一つ頷いた陛下の頭上で、あの琥珀たちがちゃりんと音を立てた。
「一昨日の晩の牙嵐……あれは我らの家畜を狙った魔狼どもを追い立てた際に、常ならば諦めて散るところを、そのうちの一頭があの野牛の群れにまで襲い掛かった末の出来事だ」
「魔狼が、あの群れを襲ったんですか……?」
それも一頭で?
魔狼はモンスター化した狼だが、その中でも賢い生き物だ。あれだけ屈強な野牛の、それも大きな群れはその面倒さから避けるはず。飢えて弱ってたならなおのことだ。
「冬越えの時期は過ぎている。が、モンスターどもの凶暴性は収まるどころか増しておる。繁殖期の興奮状態というのを差し引いてもな」
陛下の指先が、その細長い円柱型クッションのひじ掛けを叩いた。
「――――瘴気が濃くなっているのやもしれぬ」
ぽつりとした、けれど実感のこもった呟きだった。
シシリは北方神殿が監視するダンジョンと、北西神殿が監視するダンジョン、その二つに挟まれた土地を移動する国だから、モンスターの動向には一番詳しいとエゼルレッド国王陛下は仰ってた。
その国の女王陛下がこうして懸念を口にするということは、それはほとんど事実に近いもの。
「……それも、時間がないってことでしょうか」
「まだわからぬ。これまでもモンスターの一時的な狂乱は歴史の中で観測されてきた。今回がそれに当てはまるのか否か。だが、勇者よ。今この世にはそなたがいる」
「…………」
勇者は世界が滅びに瀕するとき現れる存在。そして俺は、一つの世界を滅ぼし、一つの世界を救うと予言されている。と、円卓会議で初めて知った。
こんなとき、師匠がいたらなんて言っただろうか。俺を勇者として育てたあの爺さんは、今頃どうしてるだろう。
「明日にでも、出立します」
今の俺に言えるのは、ただそれだけだった。
でも陛下は、何故かその首を緩く横に振った。また、あの音が鳴る。
「勇者よ、忘れるな。兵は拙速を尊ぶとはいうが、そなたたちが向かう先に在るのは戦ではない。戦は過程に過ぎず、その先にある『要の一族』――魔王との会談こそ本丸」
弦楽器の流れるような調べが聞こえてくる。
陛下の濡れた黒曜石のような瞳が、真っすぐに俺に向けられる。そして続いたのは、俺にとっても意外すぎる言葉だった。
「ゆえに、慎重を期すのだ。魔界門は過去に幾度かの開門が確認されている」
「えっ……」
魔界門は、門とはいってもあちらとこちらを封じるための蓋のようなもので、だから鍵となる言葉は師匠や、エゼルレッド国王陛下みたいな一部の人しか知らなくて、なにより――――
「目的は不確かなれど、瘴気に満ちた世界への片道の扉を開くなど正気の沙汰ではない。その正気ではない輩が魔界で何を仕出かした、あるいは仕出かさんとしたかは想像するだに忌まわしい」
そう、魔界への道は普通片道のはず、なのだ。師匠は俺の風魔法があればどうにかなる、みたいなこと言ってたけどいまだに門まで行ったことのない俺にとって、意味はよく解らない。
ふと、俺の脳裏に中つ国で瘴気を広めたあの事件で、鍵となった指輪が思い浮かんだ。
あれの元々の持ち主は、邪神を信奉する隠れ信者だった、らしい。あくまで中つ国の事件だからと、俺も詳しくは教えてもらってないけど。
もし過去に魔界門を開いたのが、その邪神の信奉者だったのだとしたら。
「よって『要の一族』が瘴気を抑制している一族だとしても、決して来訪者を歓迎してくれるなどとは考えるな。彼らからすれば、我らこそ異界よりの異物なのだから。くれぐれも接触は慎重を期すのだ」
「……はい」
繰り返された言葉の重みが、俺の胸の中に石のようになって残った。
そうだ。魔界の人たちからしたら、俺たちは異世界から降って湧いてきたような存在で、そもそも今の言葉が通じるのかもわからない。精霊語、通じればいいな。
あらためて、魔界という存在が暗闇の中に溶けていく。正体の掴めないところへ、俺はみんなを連れていこうとしてる。
そんな実感が、今更湧いてきた。
周りを見れば、カイドウが始めた手拍子に合わせてみんなも楽団の人たちへ手拍子を送っている。リズムの早くなった旋律は、手拍子と一緒に大きな炎の熱に乗って、夜空へと舞い上がっていく。
宴の席は、その曲の演奏を最後にお開きとなった。
「――――あの、女王陛下」
「どうした」
「ちょっと、あの、個人的な相談をしても、いいですか?」
みんなにちょっと先に行ってもらった俺は、天幕へ戻ろうとしていた陛下に声をかけた。
宴の後片付けをしてる人たちには聞こえないように、気を付けながら。
陛下のお付きの人は信じられないものを見る目で俺を見る。いや、そうですよね。すみませんほんとに。
でも、こんなことを聞ける機会はもうないかもしれないから。
そんな一念が俺の背中を押した。
「……よい。ついておいで」
「陛下……!」
「しばし人払いせよ。わらわは客人と大切な話がある」
唖然とするお付きの人たちに頭を下げて、俺は開かれた天幕の扉の向こうへと足を踏み入れた。
「して、相談とはなんだえ」
陛下の天幕の中は地図や駒やなにかのモンスターの頭蓋骨らしきものなんかが整然と配置されている、賑やかだけど不思議と整った空間だった。
その柱を中心とした空間の最奥に、一際大きくて豪華な、あの弧状の長椅子が上掛け替わりなんだろう毛皮と一緒に置いてある。
俺はそこへお座り、と言われるまま、柱を背にした長椅子との間の空間、絨毯が敷かれた上にある布張りの椅子に腰を下ろしていた。
「仲間たちの……いえ、特に義妹のことなんですが」
「ほう?」
ゆったりとクッションの一つに頬杖をついた陛下が首をかしげる。
そこで俺はこれまでの旅のことを全部話した。中つ国に瘴気が発生したこと、それが中つ国の人の手による邪神の力を使った呪いだったこと、犯人は自分の家族まで呪っていたこと――――義妹のヴィオがいち早く真相の片鱗に気づいて、真相が解った時は一番ショックを受けていたこと。
「……なるほどな。あの妹御にそのようなことが」
「僧侶は光明神を強く信仰しますから、ヴィオもこれまでの教えを信じてました。でも、今回の事件で全部がひっくり返ってしまって……」
いまでこそヴィオは何でもない風にしてるけど、時々ぼうっと杖を見て考え込んでる時間があることに俺は気づいていた。
気づいていたけど、何もできなかった。
「そんなヴィオを、このまま魔界に連れてっていいのか。陛下のお話を聞いて、そう思ったんです。俺が歓迎されないのは覚悟のうえです。でももしヴィオが、もっと傷つくようなことになったらって思うと……」
「恐れているのだな」
「……はい」
そう、俺は恐がっていた。初めて未知の旅が恐いと思い始めていた。
もしも過去に魔界へ行った人間が、『要の一族』の人たちに酷いことをしていたら。
今度こそヴィオの心は取り返しのつかない傷を負うんじゃないだろうか。
そう考えてる俺の前で、陛下が、静かに頬杖を解いて体を起こした。
「心の傷を癒す方法は一つ。許すことだ」
「許す……?」
許す。許すってなんだろう。ヴィオを傷つけたやつらを?それは、俺には。
想像するだけで膝に置いた手が拳になる。
そんな俺に対して、陛下は静かに続けた。
「傷ついた己を置いて、未来へ進むことを自身にな」
「!」
思いがけない言葉に、自分の目が丸くなるのが解った。
「心の傷というものは、なにより自身を容易く傷つけ、その足を戒めてくる。怒り、悲しみ、それらに囚われた心がこう訴える――――『この私を忘れるのか』『そんなことは許さない』……だが、運命は立ち止まってはくれぬ。ゆえにいつか人は、その傷を過去に置いて歩み出さねばならぬ」
陛下の黒く深い瞳が、何かを思い出すかのように遠くなる。
「その歩みがいつになるかは、傷を抱えた本人にしか解らぬことよ。ゆえに傍らに立つ者こそは、健やかであらねばならぬ。妹御が歩み出したとき、その手を引いてやれるように、時には背を支えてやれるようにな。……その旅路が魔界への道中というのは、いささか常人には堪え切れぬものかもしれぬが――――勇者よ」
「はい」
言葉を切った陛下の目が再び、俺を見据えた。
「勇者の旅を支えた僧侶は、そこまでか弱い女子かえ?」
「ッ…………」
ヴィオ――――ヴィオは。
モンスターに襲われて両親を喪い、孤児になったヴィオを引き取ったのは師匠だった。お前の妹だと言われて最初は訳が分からなかった。でも、夜中にモンスターが怖いといって泣くヴィオの頭を撫でていたら、きっとこれが妹なんだと思うようになって。それから、ヴィオの神聖魔法の才能を知った師匠が神殿で修行を積ませた方がいいって預けてしまって。俺は初めて師匠と喧嘩した、というか俺が一方的に怒ってた。だってヴィオは夜中に泣き出すんだ。誰が慰めてあげるんだって。
でも、それでも。俺が旅立ってすぐ、神殿に迎えに行ったヴィオは、もう夜中に泣き出す女の子じゃなくなってた。どんな酷い怪我をみても怖がらずに治療して、悪人には厳しく出ることもできる立派な僧侶になってた。俺が無造作に斬った悪人が光明神の御許にいけますようにと葬ってあげるような、優しい心ももっていた。
戦場の厳しさも知りながら、俺よりずっと、本当の意味で優しい心の持ち主。
じゃあ――――優しくあり続けるというのは、本当に弱い人にできることだろうか。
「答えは出たようだの」
あとは早くお休み、と微笑む陛下の言葉に促されるまま、俺は気づいたら天幕の外に立っていた。
「……」
足は自然と、俺たちの天幕に向かう。
俺とラーシドの天幕は、四つ並んだうちの一番左端。でも俺はそこを素通りして、一つ隣の天幕の布扉を叩いた。
ぼすぼす、という間抜けな音と一緒に、俺は呼びかける。
「ヴィオ、起きてる?」
すぐに足音が一つ、こちらへ近づいてきた。布扉を捲る音と一緒に、ヴィオが顔を出す。
「義兄さん?どうしたの」
この暗い中じゃあの紫色は見えないけど、円くなった目に映る自分が、せめて間抜けな顔をしてなきゃいいと思った。
「……腹ごなしにちょっと歩こうと思って。一緒に行く?」
「今から?義兄さんひとりで?」
「うん。ヴィオがいたら二人だけど」
「もう!いくらシシリの兵隊さんがいるっていっても危ないでしょ」
待ってて、私も行くから、と言い残したヴィオの顔が一度引っ込み、中のゼニラとなにか話す声が聞こえた。布って結構音吸うんだな。何喋ってるかまでは判らなかったけど、マントを被ったヴィオがすぐに出てくる。手にはしっかり杖が握られてた。
「行こう。でもあんまり夜更かしはだめだよ。折角女王陛下が休めるようにって図らってくださったんだから……」
「うん」
行こう。俺たちは天幕の間を縫って、羊たちの釣鐘が聞こえる方へと歩き出した。確かあっちの方が、見晴らしはよかったはず。
囲いの横を通り過ぎる途中で巡回する狼の戦士に会ったけど、俺たちの顔を見ると軽く頭を下げて先に行ってしまった。どうやら、顔は完全に覚えられたらしい。
羊たちに食べられて、むき出しになった草の青臭さが風に乗って飛んでいく。夜はどんどん温かくなっていた。
今にも降ってきそうな星空を見上げて立ち止まると、ヴィオの足音も隣で止まる。
「なあヴィオ」
「なに?」
「怖くないか?魔界へ行くの」
「え……」
「俺は怖い」
みんなに何かあったら――――ヴィオを傷つけるものがあったらと思うと、まだ恐い。
「魔界への道は、ほとんど川を下るようなもので、上ってこれるかは分からない。あと、『要の一族』の人たちが、俺たちにどんな感情を持ってるかも分からない」
吟遊詩人たちが、妃殿下が応援してくれてたこの世界とは全く別の世界だ。
だから、と言いかけた俺の手に、温かいものが触れた。
「大丈夫だよ」
「なんで?」
「私は……義兄さんたちがいるから。義兄さんには、私たちがいるから」
だから大丈夫。そう繰り返すヴィオが、小さい子にするおまじないのように俺の片手を両手で包む。
「俺が、壊すことしか能がなくても?」
「もう、そんな風にいわないの!」
叱られた。
「壊すことしかできない人が、お礼に詰め掛けた人たち全員の相手をしてあげるわけないでしょ?ラーシドさんだってそんな人認めてくれないよ。ゼニラもそう、カイドウもそう、タクサスさんだって……私だってそう」
フィンリアスさんとランドリンさんは、まだちょっと解らないけど。そんな自信なさげな声が付け足されて。
「義兄さんは大丈夫。私たちがいるから。私たちが守るから」
ヴィオは真剣な顔できっぱり言い切った。
ああ、そっか。
「……そっか」
「うん」
俺はみんながいるから、壊すことしかできない勇者にならずに済んでるのか。
師匠が旅に出ろと言った、一人の限界を思い知れと言ってた理由が、また少し解った気がした。
みんなには背中を預けられると思ってた。俺もそうできるから。でも背中を預ける以上に、多分、心の方を支えてもらってた。
陛下の言ってた通りだった。
ヴィオはやっぱり、全然弱くなかった。弱くなってたのは俺の方。
「ヴィオは、強いなあ」
「なにそれ」
「昔はよく泣いてたのになあ」
「ちょ……いつの話してるの!」
もう帰るよ!と言ったヴィオに引っ張られて、俺は歩き出した。
いつかヴィオが、本当にあの傷のことを置いていけるようになったら、今度は俺がこうやって手を引こうと、そう思った。
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