03. 王妃の握手会
右も左も分からない状態でどうなることかと思ったけど、やってみれば案外なんとかなるものね。
いまわたくしの私室の応接スペースに据えられた長椅子の向こう、火のついていない暖炉の前には、勇者を始めとする彼の仲間たち、計四名が整然と立ち並んでいた。
顔に緊張が見えるのは……僧侶のヴィオレットくらいかしら。あとの三人は良く言えばリラックスした、悪く言えばふてぶてしい顔つきで立っている。
勇者ユーリヒトに、小柄な精霊魔法使いのゼニラ、みんなから頭一つ飛びぬけた格闘家のカイドウ。
彼らのことはよく覚えていてよ。悪夢のなかの情報だけだけれど。
「みんな、よく来てくれたわね。勇者に僧侶は先日ぶりね。あの時はありがとう」
「いえ、俺は大したことはしてないので、それはヴィオ――義妹に」
「お、恐れ入ります妃殿下。でも、私も僧侶として当然のことをなしたまでですので……」
うんうん。素直な反応でよろしい。
ゼニラとカイドウはなんのことか一応聞いてはいるらしい。にっこり、というかにまにまと勇者、よりも緊張しきりのヴィオレットの様子を横目で見ている。仲間思いだこと。
「魔法使いと格闘家は初めましてよね。あらためて、わたくしが中つ国王妃のベルグリンデよ」
「初めまして王妃殿下、お目にかかれて光栄です。精霊魔法使いのゼニラです」
「同じく、恐悦至極に存じます!自分はカイドウと申します!」
どこかマイペースでぼんやりした響きのゼニラと、対照的にはきはきしたカイドウの声が部屋に響く。
夢で知ってる彼らの姿はほとんど憔悴したあとのものだったから、本来の姿はこうなのねと新鮮さに少し胸が熱くなった。
と、いけない。わざわざ呼び出したのは、彼らに自己紹介させるためだけじゃないんだから。
部屋の隅で見守ってるエディスから教えてもらった『推し活』の一つ、そう、握手会。
わたくしはこの日のために用意した青いドレスの裾を揺らして立ち上がると、初めて、少しだけ目を見開いた勇者の前に進み出た。
そうして、わたくしの右手を差し出したの。
本来は王妃たるもの、やすやす他人と触れ合ったりはしないわよ?でも今回は特別。
「あなたたちへの褒賞は陛下が必ず用意します。だからわたくしからは、まず敬意を表させてね」
「――――ありがとうございます、王妃様」
「に、義兄さん、こういうときは妃殿下ってお呼びするって何度も……!」
「あ、そうだった。すみません」
「いいのよ。好きに呼んでちょうだい」
「お、恐れ入ります妃殿下……!」
勇者の手は私より大きくて、内側に武器の扱いで出来たのだろう胼胝があって硬かった。ヴィオレットの手は年相応の柔らかさだったけれど、やっぱり僧侶の杖を扱いなれてる胼胝が出来ていたわ。それに対してゼニラの手はしっとりしてぷにぷに。水魔法でお肌の調節をしてるって知らなかったら、美容法を聞いていたかもしれないわね。カイドウの手はもう握手というより、わたくしの手が手のひらに包まれてしまってるような状態。ごつごつとして硬く大きな手だった。
わたくしの『推し』は勇者だけれど、勇者が大切にする仲間たちだって『推し』に含まれるのよ。
だから当然、全員と握手したわ。それから、皆に長椅子や一人掛けのソファ、どこでも好きなところに座るよう指示した。
機を見計らっていたエディスが、完璧なタイミングでお茶や茶菓子を並べていく。
「実はね。わたくし、ずっとあなたたちとお話がしたかったのよ」
「え、俺たちと、ですか?」
きょとんとした顔の勇者に頷いて見せる。そうよ。これはとても重要な機会なんだから。
「ええ。あなたたちのこれまでの冒険を、聞かせてちょうだい。この城の中にいたら、聞くべきものも聞けないときがあるから」
「そういうことでしたら、はい、よろこんで!」
一転して朗らかな笑顔になった勇者が元気よく頷く。
ヴィオレットがちょっと青い顔になったのは見なかったことにして、わたくしも余所行きの笑顔を貼り付けながらティーカップを手に取った。
……そのカップが空になるころには、笑顔なんか剥がれ落ちてるなんて露知らず。
「…………なんてことなの」
「あ、えーと……おう、じゃなかった、妃殿下……?」
「だ、だから義兄さんシーサーペントの大鍋作りなんか妃殿下のお耳に入れるようなものじゃないって……!」
わたくしの手はいまやカップでなく、拳を握っていた。その拳はぶるぶる震えている。
無論、怒りでだ。
その様子を見たヴィオレットが青ざめ、ゼニラは我関せずの顔で茶菓子を食べ、カイドウは面白そうな顔でこちらを眺めている。
そしてその中でやっぱりきょとんとした顔の勇者が、わたくしの顔を覗き込むように小首をかしげた。
「なぜこれだけの活躍がわたくしの耳に届いていないの!?」
「へ?」
「ふあ!?」
もう我慢できなかった。心からの叫びだったわ。余所行きの笑顔?捨てたわよそんなもの。
だって、南東砂漠では巨大化したエンペラーコブラを倒し、南方山脈ではワイバーンの群れを討伐し、東の樹海では森を食い荒らす大魔猪を討って、北西の湖では船を荒らしたシーサーペントを討ち果たしたのよ!?
それも勇者ユーリヒトが一五歳で旅に出て、義妹のヴィオレットをはじめとする三人の仲間たちを集めながらの、たった三年間で!
英雄も英雄、大英雄じゃないの。それもろくな褒賞ももらわず、ただ「困ってる人がいたから」という理由でよ?
いえ、だからこそ陛下の耳には彼らの噂が届いたのでしょう。問題は、わたくしよ。
同じ城の中にいながら、この情報格差は一体何?
いくらわたくしが他人に興味がないからといって、ファーウェイや下女侍女の噂話にのぼるくらいはあってもよかったんじゃない?
いえ、あってしかるべきよ。中つ国中の民が知るべき大偉業よ。
「これは、この冒険譚は国中に知られるべきだわ。今すぐ吟遊詩人を呼んで叙事詩を作らせます!」
「えっえ、ちょ、ちょっと待ってください妃殿下!」
止めても無駄よ。勢いよく立ち上がったわたくしを追いかけるように、勇者もまた立ち上がった。
どうどうと宥めるように両手をあげた彼だったけれど、次の言葉がかえってわたくしの火に油を注いだ。
「俺たちほんとにそんな大したことしてないんです!俺たちみんなでできたから、困ってる人がいたからしただけで……その人たちに十分お礼もしてもらってるし、それで――」
「謙虚は美徳よ、勇者」
自分の言葉を遮られたからか、それともわたくしの声色が厳しいものに変わったと気づいたのか。先ほどとは違う驚きで勇者の目がすこし見開かれた。真昼の日を吸い込んで、黒に近かった色が瞳が澄んだ青に変わる。
わたくしはその青い瞳をまっすぐに見つめながら言葉をつないだ。
「けれどそれは、感謝の気持ちを軽んじていい理由にはなりません。人が人を救う。それはあなたたちにとっては容易い行いなのかもしれない。でも実際は、とても難しく、そして立派なことなの。それこそ、助けられた側には一生の恩ができるほどの」
「…………」
黙り込んだ勇者と、言葉を発さない彼の仲間たちにも語りかけるように、わたくしは続ける。
「あなたたちの活躍が届かなかった理由が、いますこし解りました。きっといままでもあなたたちに救われて、感謝の気持ちを表しきれずに歯がゆい思いをした人たちがいたことでしょう。だからこそいま、わたくしが、動かなくてはなりません」
「妃殿下……」
ヴィオレットの声が聞こえる。彼女は僧侶なりに勇者よりも俗世というものを知っているようだから、わたくしの言い分にも心当たりがあったのだろう。
「これは決定事項よ。手始めに肖像画、それから活躍譚の叙事詩に戯曲――時間がないわ。忙しくなると思いなさいな」
「肖像画……?」
「ぎ、戯曲ですか……!?」
ぽかんとした顔になった勇者の向こうからヴィオレットの声が重なる。
そうよ。これでもまだ足りないくらい。ああなんて時間を無駄にしてきたのかしらと悔やんだところでそれこそ時間の無駄。いますぐ動き出さなくちゃ!
ぱん、と響いたわたくしの手を打つ音に、委細承知の顔で頷いたエディスが控えていた下女に声をかけ、下女の一人が急ぎ足で部屋を後にする。
「たくさん話を聞かせてくれてありがとう。今日はこの辺りでお開きとしましょう」
そう、今日は、ね。
にっこり、と音が出そうなほどの笑顔を作ったわたくしに、勇者たちが怯んだような顔をしたのは気のせいね。多分。
「――――と、いうのが今回の注文なのよ。ファーウェイ」
「はあ、はあ、それは、また……えーと……素晴らしく妃殿下らしいご立派なご発注で……」
きっと頭の中では連絡をよこした早馬並みの猛スピードで算盤を弾いているのだろうファーウェイが、どこか薄ぼんやりとした返事をよこす。
肖像画、叙事詩、戯曲、と指折り数えていたその目がぱちりとこちらに焦点を合わせ直した。
「ちなみにどれからかかられるおつもりで……?」
「全部よ」
「全部ですかぁ!?」
「当然でしょ。彼らが城にいられる時間は短いのよ。明日にでもいま言った条件に合う画家をよこしなさい。わたくしの許しがあるといえば通るようにしておくから」
「明日ぅ!?あ、いえ、その、はい……」
散々動揺して見せてるけど、この男の表面上の態度なんて宛てにならないとわたくしは知っているのよ。
いままでもどれだけ無理難題、もとい扱いの繊細な発注を難なくこなしてきたくせに。騙されないんだから。
この動揺っぷりが物語っているのは、無理難題度合というよりも、もっと現実的な話しだろう。
「となりますと、妃殿下、恐れながらとびきりの早馬を相当数使わせていただきます。画家はなんとか手配いたしますが、作詞作曲に長けた吟遊詩人も合う合わないで選考がございます。それらを集めて引き留めている間にも、霞を与えるというわけには……」
ほらね。
「解ってるわ。とりあえずはいつも通りわたくしの私費からと思ったけど、事が事だから正式に文化推進事業として動かすつもりよ」
「そのほか諸々のご希望について換算しましても、今年分の予算は飛ぶかと――」
「問題ないわ。お前は一流を揃えることに専念なさい」
王妃の仕事は陛下の隣に座ってるだけじゃなくってよ。
市井の流れに任せてるように見える劇や詩歌の流行へ働きかけたり、宮廷に流れる音楽や飾りに気を配ったり、身寄りのない子供たちを育てる救済院だって、神殿だけじゃなくわたくし、というか中つ国王妃の名前で運営されてるところもあるんだから。
そして自分で言うのもなんだけど、わたくし、そこまで仕事熱心な王妃じゃなかったのよ。
だから流行へ働きかける文化推進費用――つまり事業予算はひたすら降り積もってるだけの状態だった。
化粧代や衣装代はほとんど毎年使い切ってたけどね。
こういうときこそ使うものを使わなきゃ。毎年衣装代に目を回してた財務大臣も、仕事を勧めてきた内務大臣も、これなら文句もないでしょう?
目の奥をきらりと光らせたファーウェイが、動揺の顔を引っ込めてすらりと立ち上がり一礼する。
「――――畏まりました。ではこのアヴェン・ファーウェイの名に懸けて、必ずやご期待にそう人材を揃えてごらんにいれます」
「任せたわよ。そのあとのこともね」
「はい、お任せを。では手配を急ぎますので、本日はこれにて御前失礼をば……」
わたくしがティーカップを傾けながら、ひらりと手を振って退出を許すと、勝手知ったる様子のファーウェイが腕利き御用商人の顔で出ていった。
わたくしもこのハーブティーを飲み終えたら、早速正式な仕事としてこの事業を手掛ける手続きに入らなくてはね。
「仕事が増えるわよ、エディス」
「おまかせください!」
元気のいい返事に笑ったその時のわたくしは気づいていなかった。
わたくしの耳に勇者の冒険譚が入ってこなかった理由。誰でも知っていそうなことを、自分が追い切れていなかった理由。それが、頭を打ったと自分が部屋に運ばれてからすぐ現れた理由――――あの男に繋がるということを。
●
「――――以上が現在の案だが、君はどう思う。宰相」
「問題ないかと思われます。今回の件で陛下が洗い出されました警備体制の不備に対する口止めを含みましても……」
王妃ベルグリンデが動き出したのと時を同じくして、城内の一室にノックの音が転がり込んだ。
その部屋は並ぶ大窓からの日差しが、見事な文様の絨毯が敷かれた床へと鮮やかな陰影を引き伸ばしていた。彫像のように居並ぶ護衛騎士、そして言葉を交わす二人の人物のものを、である。
「ならば、これで進めてくれ」
「御意に、陛下」
安堵のため息交じりにそう口にした一人は、白に近い灰銀の髪を掻き上げながら重厚な椅子へと背中を預けて、ノックの音がした方へと目をやった。
その傍らに立つもう一人は長く垂らして結わえた黒髪を揺らし、モノクルが特徴的なその目元を同じ方へと向ける。
この中つ国の国王、ベルグリンデの夫エゼルレッドと、彼を支える宰相トリスタンの前で扉が開き、装飾の控えめなお仕着せを着た侍従が素早く入り込んできた。
入室の許可を求めないのは、その侍従の姿をした人物へ最初からそれが与えられているためである。ある一つの、エゼルレッドにとって最重要と言ってもよい項目についての報告が、彼の任務だったために。
「申し上げます。本日妃殿下はご自身の応接間に勇者一行を招集され、ご歓談されました。その際に殿下は一行の一人一人と握手を交わされておられます」
「――――握手?」
思わず、といった様子で声を漏らしたのは宰相だった。
少なからず驚いた表情の彼は、自身の傍ら――主君エゼルレッドへと目を向けた。エゼルレッドは無言で姿勢も変わってはいなかったが、その目が見開かれているのを見逃さず、再び侍従姿の監視役へと目を戻す。
「握手をされたのみか?」
「いいえ。そのあとのご歓談で勇者一行の冒険の仔細をお聞きになられた殿下は……その、ご自身の耳までその内容が届いていなかったことへ大変お怒りのご様子で、国中に勇者の冒険譚を推し広めるための文化事業立ち上げをご決断なされました」
「……なんと、それは」
先代宰相である父から弱冠二五歳でその地位を引き継いだ、切れ者と評判の宰相ですら次の言葉を探しあぐねた。
かの王妃の自発的な事業立ち上げなど、少なくともこれまで彼の見てきた記録の中には存在せず――おそらくはこれからも、変わらないであろうというのが、彼と周囲の共有された認識だったのである。
そして自分以上の衝撃を受けているだろう人物に、宰相は一拍を置いて語りかけた。
やや眉を下げて、柔らかく笑みながらの声で。
「……妃殿下の勇者一行への報恩のお気持ちは、本物だったご様子で」
「……ああ」
言葉少なに肯定したエゼルレッドは、その後それ以上の報告があるかだけを確認し、監視役を下がらせた。
その反応自体は常日頃のものだったが、彼の胸中には自身でも言葉にできない、かつてない複雑な感情が湧き上がってきているのを感じていた。
あえて無理やり、至極単純な言葉にしてしまえば――――混乱していた。
かの王妃、あの妻が、夫婦となってから八年間、自身を「陛下」と呼び貫き、触れ合いといえば儀礼時のエスコートのための腕組みが精々だったベルグリンデが、買い物以外で他人を部屋に招き入れ、あまつさえ握手をかわした、ということに。
そしてそんな事実へ動揺する自分という存在にも。
今年で三〇になったエゼルレッドの、その半生は平坦とは無縁だった。先代国王の庶子として生まれ、ただでさえ数のいた異母兄弟たちから、これ以上の邪魔が増えてはとばかりに騎士に叙されては国を追われるも同然で旅立った。それから大陸中の戦地を渡り歩き、その頭角を現し始めた矢先に突然、縁も切れたと思っていた玉座の方から転がり込んできたのである。
否やをいえる状況でもなかった。自身以上に混乱していた中つ国を鎮めるため、彼は先代宰相やエリネッド侯爵らから導かれるまま即位した。わずか一〇歳の花嫁と共に。
その花嫁との新婚の時期を、エゼルレッドは各地で起きていた反乱鎮圧に費やさなければならなかった。以来、彼女――ベルグリンデとは結婚当時の距離、すなわち他人と他人としか言いようのない距離が生まれ、距離はやがて壁になり、エゼルレッドの前に立ちはだかっていた。
半生を戦場に捧げてきたエゼルレッドに、幼い少女の心を開く術などはなかった。
彼にできたのはただ、ベルグリンデを煩わすものがないよう、身の回りの不足がないよう、彼女をかしましい世間の評判から遠ざけ、望みのものが何でも手に入るように周囲へ気を配らせることだけだった。せめて、王妃らしい尊重された暮らしだけはと。
実のところそれすら守れていなかった、と思い知らされたのが今回の昏倒事件であり、エゼルレッドは怠慢な女官たちや警備兵以上に己へ怒りを向けた。
本当に自分は彼女のことを見守ってきたのかと、今一度この目で確かめるために妻の寝室へ自ら足を運ぶこともした。
結果は、思いがけない提案こそあったものの、彼女はいつも通りの彼女だった、と、思われたのだが。
「――――……王妃」
その名前を、本人に向けて口にしたこともない女性の顔が脳裏に浮かぶ。
あの時、寝室で僅かに交わされた会話のとき、彼女はどんな顔をしていただろうか。
自分に提案を却下されて、まるで嫌いなものが皿に載せられた時のように眉を寄せていたのは確かだ。
けれどその表情に、僅かに波打った胸中も、ここまでのざわめきを感じてはいなかった。
「……陛下、妃殿下の件は」
「……一先ずは、好きにやらせておくように。不自由だけはさせず――――勇者のことは、さきほど取り決めた通り対処する」
「御意」
宰相のひかえめな声で我に返ったエゼルレッドは、もはやその声から感情の揺らぎを消していた。
戦場での過度な動揺は命取りになる。強固な冷静を保ち、ときにすぐ取り戻す術だけは心得ていた。
だが冷静さだけでは対処しきれないものがこの世にあることを、後々の彼は思い知ることとなる。
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