02. 王妃の決意
大丈夫だと言っているのに自分の寝台に押し込められ、侍医が来るまで絶対出ないようにとまで言われてしまった。あの僧侶の治癒を信用していないのかしら。それとも頭の中身を心配されているのかしら。きっと、おそらく、両方ね。失礼だこと。
それにしても横抱きなんて乳母にされたことがあるかないかぐらいよね。勇者の腕は私のこの枝のようなものと違って、柔らかいけれどたくましかったわ。何とはなしにあの横顔を凝視してしまったけれど、悪夢の中の憔悴しきった姿とはちがって、頬は血色もよく瞳は澄んでいた。
「……ゆめ……」
本当に?
あの道中の土のにおい、魔王城の黴臭さ、そして最後の血のぬめりと臭いまで思い出せるのに?
……だめね。やっぱり頭が混乱しているわ。
こういう時は一度情報を整理しましょう。
わたくしはベルグリンデ・ヴェルフ・エリネッド・オブ・グウィンアルト。歳は一八。
中つ国の名門貴族、エリネッド侯爵家の一人娘――――だった。いまは、といっても八年前から中つ国王家、グウィンアルト王朝の国王、エゼルレッド・アプ・カドヴァン・オブ・グウィンアルトの妻。
そうよ。一〇歳で嫁いだの。
お家騒動で正妃と側妃の生んだ後継者が全滅したグウィンアルト王室。その結果、先代の火遊びで子爵令嬢との間に出来た庶子で、当時遍歴騎士として戦場を渡り歩いていた彼、エゼルレッドに白羽の矢が立った。
彼としても蒼天の霹靂だったに違いないけど、それはわたくしとて同じこと。
ろくな後ろ盾のないエゼルレッドは、お家騒動に嫌気がさしていた時の宰相とわたくしのお父様に言われるままわたくしと結婚し、彼らという支援者を得てお家騒動の置き土産のような反乱を次々に鎮圧していった。
わたくし?一〇歳の子供に結婚のなんたるかが理解できると思う?
もし理解できていたなら、泣き喚いて部屋に立てこもってでも嫌だと言い張ったはずよ。
乳母だった侍女と僅かな下女と一緒に王城へ放り込まれたわたくしは、右も左も分からないまま王妃教育が始められたわ。下女たちも結婚だ、出産だと一人また一人と辞めていき、最後まで残ってくれた乳母も流行り病で亡くなってしまった。
そしてお父様は、新たな侍女をエリネッド家から出すことを許さなかった。
今にして思えば、一刻も早く王城の暮らし、侍女たちに慣れさせるための措置だったんでしょうけど、そんなの当時のわたくしに解るわけがないでしょう?
わたくしにできることといえば、子供だから解るまいと思ってあれこれ喋る侍女や下女の顔を覚えておくこと。そして机にかじりつくことだけだった。
わたくしの意思なんてどこにもなかった。誰からも必要とされていなかった。
だからわたくしも、必要としなくなったのよ。
侍女も下女もどうでもいい。王妃の殻を被っていれば、あとは好きにさせてもらうわ。
そう決めたわたくしが買い物という数少ない趣味を見つけた頃、ようやく夫であらせられるエゼルレッド陛下が城へ戻ってくるようになった。彼がわたくしを「王妃」と呼ぶから、わたくしも彼を「陛下」と呼んだわ。
それが八年前。それから八年、わたくしたちはそのまま。
変わったことといえば宰相が代替わりしたこと。それと、反乱を鎮圧した手腕と功績で、急速に陛下の地盤が固められていったことくらいかしら。
いまもわたくしは「王妃」で、彼は「陛下」のままよ。寝室も当然のように別。
これが正常なのかなんて、考えるのはとうにやめたわ。
それがわたくし。中つ国の王妃ベルグリンデ。
「……それがどうして」
死ぬ間際になって勇者から求められたり、斬り殺されたりするような生々しすぎる悪夢を見るの!?
「!……そうだわ」
わたくしの生家エリネッド侯爵家の歴史は古く、中つ国の創設期にまで遡れる。そして祖先にはエルフの姫もいたということを、誇りの一つにしてきた。
エルフ――――この世界で唯一、創造神たる光明神から予知の権能を授けられた森の民。人が勇者を生む権能を、ドワーフが浄化の炎を操る鍛冶技術を、獣人族が優れた肉体を授けられたように。エルフの予知は絶対だと言われ、これまでも勇者の誕生や様々な慶事凶事を予言してきたという。
もしわたくしの体に流れるエルフの血筋が、なんらかの拍子に目覚めたのだとしたら――――
「――――なんて、あるわけないわよね……」
これまでも予知夢なんて見たことは一度もない。
そう思うのに、不吉な予感がべったりと背に張り付いて消えてくれない。
だってもしも、もしあの夢が予知だったのだとしたら。
勇者の旅は失敗する。魔王討伐という名を被せられた陰謀によって。
ただ、おそらく陰謀を仕掛けた人間にすら予想外だったのは、勇者が魔王の騎士となって城を攻め上げたこと。『国のお偉方』と『神官長』がどちらも中つ国の者なら、あの城攻めで死んでしまったに違いない。
謀略を仕掛けた人間が策に溺れて死ぬ。それ自体はどうでもいいことだ。
問題は、それにわたくしたちまで巻き込まれてしまうということ。
いま中つ国は瘴気汚染という問題を抱えている。悪夢に見た通り、本来ダンジョンのそばでしか発生しない瘴気が国内に発生したのだ。
さらに勇者の登場――といっても彼が突然生まれたわけではない――によって、中つ国は瘴気汚染の罪を魔王に着せて勇者を送り出す。
すべてが決まっていたことのように、ぴたりと当てはまるピースのような、よくできた筋書。
「……勇者たちが城にいるということは、王命が下る直前、よね……」
すくなくとも、夢ではそうだった。
瘴気汚染が発覚し、魔界への対応に悩む中、勇者一行の話を聞きつけた陛下は彼らを王城へ招集し、魔王討伐の任務を与えるのだ。
そしてわたくしはその任命時、人形のように座ってただ話を聞いているだけだった。いつものように。
もしこれが予知なら、わたくしになにをしろというのだろう。もうすぐ勇者たちは旅立ってしまうというのに。
「~~~~っああもう!」
予知か、ただの悪夢か。結局堂々巡りで確かめることなんてできやしない。
苛立ち紛れに掴んだクッションを投げつけようとしたその時、ノックの音が控えめに部屋へ転がり込んできた。
侍女は、いない。わたくしが撒いたのだから当然だけれど。今頃これ幸いにとお気に入りの侍従と乳繰り合ってるか、侍女同士でおしゃべりに興じているかのどれかだろう。
そんなだからわたくしが庭園で突っ伏してても、勇者たちが通りがかるまで誰も気づかなかったのよね。まあそれはともかくとして。
「どうぞ」
つまりはわたくしが声を発さないと何も始まらない、ということ。
把手が静かに遠ざかり、年季の入った扉の開閉音が続く。
そしてそこに立っていた人物に、わたくしは軽く目を見開いた。
「――――陛下?」
「……具合はどうだ」
てっきり侍医が来たのだと思ったのに。
と、思ったら陛下の屈強な体の後ろからひょこりと顔を出した侍医が、失礼いたしますと断っておずおず入ってきた。どうやら道中で一緒になったようだが。
「何の問題もございません。勇者一行の僧侶――――ヴィオレットといいましたか?彼女がきちんと癒してくれましたから」
勇者の義妹である彼女の腕前なら――悪夢の中だけど――知っている。だからなんも心配ない、と思っているのはわたくしだけのよう。それも仕方のないことだけれど。
もちろん、侍医があれこれと質問するのに一つ一つきちんと答えてあげたわ。ここですねるほど子供じゃないもの。
そして陛下といえば、なにをするでもなく腕を組んだままこちらを見ているだけ。なんなの?せめてそこの椅子にでも座ればいいのに。
ほどなくして侍医からも問題なしの太鼓判が押され、ようやくわたくしは解放された、わけでもなく。
「君の女官たちは、全員を解雇する」
何を言うかと思えば。
侍医が退出していったあとで、ようやく口を開いたかと思えばこれだ。
「然様ですか」
お互い様とはいえ、主人を放置する侍女下女の行く末に興味などあるはずもない。
陛下はわたくしに負けず劣らず淡々と続けた。
「庭園の衛兵たちも配置換えだ。不審人物の出入りがなかったか、捜索させている」
「然様ですか」
それ以外何を言えというのだろう。
怖かった?痛かった?生憎、どちらも感覚が曖昧だ。後者はちょっぴり感じたが。
「……君を襲った人間を見たか」
「見ておりません」
仮に見ていたなら、わたくしはここにいなかったでしょうね。少なくともわたくしならそうするもの。
陛下もどうせ同じ考えではあるのだろう。何かを考え込むようにあの眉間の皺を深くして沈黙している。
わたくしにとってどうでもいい話題はここまでだろうか。なら、今度はこちらの番だ。
「それよりも、わたくしを救ってくれた人間に目をやってくださいませ。特にあの勇者と僧侶、彼らのおかげでいまわたくしがここにいるのですから」
「……ああ」
「中つ国の王妃を救ったのです。褒賞金を――――」
そこまで口にしてはっと脳裏にひらめいた。そうだわ。これがあった。
「――――いえ、旅の支度金を金貨一〇〇枚に変えてはいかがでしょう」
悪夢の中で、勇者は『王城に味方はいない』と考えていた。けれどわたくしが彼らを後援してあげれば、少なくとも仮にあれが予知夢だったとしても夫婦でまとめて撫で切りされることはなくなるんじゃないかしら。わたくしを要求したことは……まあいったん脇に置こう。
我ながら名案だと思った次の瞬間、陛下がその唇を開いた。
「……王妃」
「はい」
「長い旅に金貨は却って重荷となる。両替商のある集落ばかりではない。金貨一〇〇枚は額として妥当でも、無用の長物になりかねない」
「っ!」
そうだ。この男は元遍歴騎士。旅のことならわたくしよりずっと長じている。
かといって、せっかくのひらめきをむざむざと捨てるわけにはいかない。
「でしたら――――最高級の装備を贈るのはいかがでしょう。彼らの装いを見ましたが素朴に過ぎますわ」
「旅人はみな着慣れ、扱いに慣れたものが一番だ。これから彼らに馴染むものを誂えてやるには時間が足りなすぎる」
うぐぐっ……!
思わずこぶしを握ったわたくしをどう思ったのか。腕組みを解いた陛下は空中で不自然に片手を止め――何もせずにおろした。
なに、いまの間は?
「彼らへの褒賞は私が考える。君はしばらく身辺の安全を優先し、外出を控えるように……以上だ」
「――――って、じゃあどうやって勇者たちを応援すればいいのよ!!」
「おお本日も天気晴朗なれども波高しでございますねぇ~~」
「お前にも言ってるのよファーウェイ」
「おやヤブヘビ……いえいえ、もちろん拝聴しておりますとも」
あの後引き留める間もなくさっさと出ていった陛下から実質の外出禁止を言い渡されたわたくしは、昔からわたくしにできる数少ない発散方法を選ぶことにした。
すなわち、買い物である。
目の前のこのへらへら男は言動こそ紙のようにぺらっぺらだが、その実やり手の御用商人ファーウェイ。ドレスやお菓子、果ては情報、兵器まで、なんでもそろえて見せますと胸を張るのは伊達ではない。
わたくしはよくこの男を呼びつけては最近のトレンドをチェックしたり、それに合うものを買ったりしているのだ。相当の額を使ってやっているのだから、ついでに愚痴も引き取らせてる。それぐらいは当然のサービスよね。
「とにかく!お前も出しなさいアイディアを!あるでしょうなにか!」
「と、おっしゃられましてもぉ~陛下のおっしゃりようはものすご~く理にかなってらっしゃるのでえ……」
「お前、どっちの味方なの……?」
「もちろん最上顧客様であらせられる妃殿下様です!!」
じわりと滲ませた殺気におびえたようにクッションを構えているが、この程度で怯むわけがないのだ。この狸が。
「とにかく、時間もお金もかけずに勇者たちの負担にもならない応援方法!必要な商品はそれよ!」
「これはまた難題でございますね……」
投げつけかけたクッションを置いてソファに座り直したとき、部屋の片隅から控えめな、というよりも怯えたような小声が聞こえてきた。
「あ、あのう……」
「――――なに?」
わたくしの振り返った先には、一人の侍女がおずおずとこちらを伺っていた。
陛下がサボり魔の女官たちを全員クビにした後、とりあえず侍女なしとはいかないため侍従長が送り込んできた新しい侍女である。いつまで続くか知れたものではないけれど、一応名前は覚えた。
エディス・レイン伯爵令嬢。
「あっいえ、その、ひょっとして妃殿下は、勇者様のことを……『推し』てらっしゃるんですか?」
「『推し』……?」
ってなによ、それは。
わたくしの怪訝な表情が出ていたのか、エディスが慌てたように両手を振る。
「あっあっそのっ妃殿下が勇者様御一行のことをすごく『推し』――いえ、応援されたがってらっしゃるので、そうなのかなって……!」
「後援のことを、いまは『推し』というの……?」
聞いたことがない。横目でファーウェイを見遣るが、狸は素知らぬ顔でお茶を呑んでいる。
この役立たずは放っておいて、わたくしはあらためてエディスに問いかけた。
「お前、『推し』とはなにか説明なさい」
「!!は、はい!『推し』とはですね!誰かにお勧めしたいほどお気に入りの俳優ですとか憧れの騎士様ですとか貴公子ですとかとにかく心の底からこの人を応援したい!となるお相手のことを指す言葉でして実際の応援を『推し活』と呼びますが具体的にはグッズを買ったり公演に行ったり握手会に」
早い早い。というか情報量と熱量がすごいわ、この子。
「……というわけでして、まとめますといまの妃殿下のように心から応援したい!という気持ちが爆発するのが『推し』なんです」
爆発しているかはさておいて、なるほど。
ようはそれほど強い心で応援したい対象のことを指すなら、たしかに勇者はわたくしの『推し』かもしれない。
自分の命がかかっている――かもしれない――という動機は正しいのかはともかくとして。
「……そうね。それなら勇者はわたくしの『推し』だわ」
わたくしがそう言うなり、エディスは目を輝かせて胸の前で両手を組んだ。
「素敵です!妃殿下、『推し活』の素晴らしいところは、応援している自分も『推し』から元気をもらえるところなんですよ!きっと殿下の『推し活』も、殿下のこれからの活力になるはずです!!わ、私も微力ながら殿下の『推し活』を応援させていただきます!」
「『推し』から活力……」
は、別にもらわなくてもいいのだけど、張り合いが出るという意味ならまあそうなのかもしれない。別にこちらの要求を全却下した陛下に対抗しているわけではない。断じて、ない。
「エディス、『推し活』とは具体的になにをするのか。もう一度きかせなさい。ゆっくりね」
ゆっくり、の部分を一際強調しながらそこの一人掛けに座るよう指示すると、エディスは恐縮しながらもちょこりと椅子へ収まった。
そして始まったエディスによる『推し活とは何か』講演を熱心に聞くわたくしを、ファーウェイが面白そうに眺めていることに、その時のわたくしはまだ気づいていなかった。
「……不可能だわ」
「そ、そんな妃殿下、落ち込まれずに……」
「だって」
だって!
「『推し活』って相手の情報を知らなければならないんじゃないの!」
エディス曰く、具体的な『推し活』は――ちなみにエディスの『推し』は王都で人気の劇団俳優らしい――グッズを買う、公演を観に行く、握手会に行く、サイン会に行く、歌曲を歌う、他人にそれらをすすめる、などが当てはまるらしいが、勇者のグッズなど知らないし、勇者は公演などしないし、握手会もサイン会もやってるなど聞いたことがない。
相手が何かしらの行動をしていなければ、こちら側が出来ることなど限られてしまうのだ。
そもそもわたくし、いま外出禁止だし。
がっくりと項垂れたわたくしの耳に、役立たず狸のティーカップを置く音が届いた。
「なにをお嘆きですか妃殿下、貴女様らしくもない」
「わたくしらしくってなによ……」
「お相手ならいらっしゃるじゃないですか、いまこの城に。そして貴女様はこの城の女主人であらせられるんですよ?なら向こうからこちらに来てもらって、握手会なりなんなりなさればよろしいじゃあありませんか」
「!!」
その時、わたくしの体に雷が落ちてきた。
「まあ一応陛下の許可はいただいてから」
「よく言ったわファーウェイ!」
「あの陛下の」
「そうよ。わたくしともあろうことがなぜ気づかなかったのかしら。恩人を呼びつけるのはちょっと申し訳ないけど致し方ないわね!状況が状況ですし!」
「許可を……」
「それに、無いなら作ればいいんだわ!わたくしが!勇者のグッズを!歌曲を!」
「素晴らしいです妃殿下~~!まさに王妃の『推し活』でいらっしゃいますね!」
「ふふ、こうしちゃいられないわよエディス!さっそく謁見、いえ『推し活』の準備よ!」
「まずはドレス選びからでございますね!『推し』と色をそろえる『推し色』というのもありまして……」
「陛下の目も勇者の目も青いから、青のドレスなら有り余ってるわ。衣裳部屋に急ぐわよ」
「はい!」
「あのぉ~…………」
ちゃんと役に立った狸、もといファーウェイを置いて、わたくしたちは準備に急ぐのだった。
陛下の許可?自室から出ないのにそんなものいるかしら?ねえ?
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
下の☆☆☆☆☆から評価をいただけますと大変励みになります。ぜひお願いいたします!




