28. 王妃の代償
雨が降っていた。疎らな雲が青空を覗かせ、光の梯子を下ろしながらも、しとしとと降り注ぐ。春の雨が、バルコニーに繋がる窓を濡らしている。
わたくしたちはその滴る音も聞こえる静けさの中、一枚の便せんを前に黙り込んでいた。
「――――…………」
「申し訳ございません、摂政殿下」
「なぜお前が謝るの」
「あの場で御身をお止めできるのはわたくしのみでございました」
「決めたのはわたくしよ。思いあがらないことね」
「は……」
あえて厳しい言葉で突き放してみても、ファーウェイの表情は硬いままだった。
罠だった。イノケンティウスの求めていたのはわたくしの出席でも拒否でもない。わたくしの返事そのものが、目的だったのだ。
聴衆の貴族層を厚くしていたのは、王城へ書簡を届けるにたる名目を得るため。
わたくしの返事は、貴族層に見聞きさせるため。
すべてがこの時のための罠だったのだ。
『ご体調が優れない旨、確かに拝読いたしました。国王陛下ご不在の折り、摂政殿下のご体調に問題が発生されたことは、昨今王都に蔓延る邪説の悪しき影響と心得ましてございます。つきましては殿下のご体調回復祈願および、邪説信奉の徒を思い改めさせるべく、私どもの管理しております聖地、清めの泉における水垢離を謹んで勧奨させていただくもので御座います――――西方神殿長 イノケンティウス』
神殿長主導による、摂政の水垢離の勧め。
それを承知した場合、意味することなど一つしかない。
王城が、いやこの中つ国が神殿の指示に従ったということ。
通常なら出しゃばるなと一蹴してもかまわないような内容だ。だが、今の王都は。
イノケンティウスがわたくしたちの手が入った小説を『邪説の書』と断じ、またわたくしの体調不良を『邪説が蔓延る王都を放置した代償』などと吹聴した結果、完全に信仰に厚い層が動き出してしまっていた。
煽動。それこそがイノケンティウスの最終目的だったのだろう。
もはや彼らはイノケンティウスがなにを言わずとも、かの小説を広場で焚書したり、劇場前で邪説を広めるなという主張を展開しているという。
その根底にあるのが、わたくしの体調不良、その一刻も早い平癒を願ってという善意――という名の正義感からくるものなのだから、一層手に負えない。
一方で、既に新解釈を受け容れて久しい層も黙っていなかった。なにせこちらは数が多い。小説を愛する一部の文化層、歌劇を愛する観衆や、純粋に魔界に残された同胞を心配する心はないのかと憤る者たちと、信仰熱心な層の間でいさかいや衝突が起き始めている。
燎原の火とも言うべき早さで思想対立は燃え広がり、王都の民は分断されつつあった。
「最新の説法では、とうとう『摂政殿下が邪説に染まっている恐れ』を口にし始めたとのことです」
「……つまり、時間がないということね」
わたくしが沈黙を貫けば貫くほど、王都の分断は進んでいくだろう。過度の不安は治安の悪化を招き、陛下からお預かりしたこの地を燃やし尽くすまで止まらない。
イノケンティウスが素知らぬ顔で王都を離れる前に、わたくしは行動を示さねばならなかった。
「水垢離……」
暦は三月も半ばを過ぎた。日が温かいとはいえ、日陰を通る空気はまだまだ肌寒さが残っている。
「――――清めの泉とは、どんなところかしら」
「摂政殿下、それは……」
「いけません殿下!!」
その強い声は、思いがけない方向から降ってきた。
「エディス」
「い、いまのご体調が優れないのは本当のことではありませんか!それなのに外の泉に浸かるなんて……!そんなの、そんなの却ってご体調の悪化を招くに決まってます!!」
いつも大人しく控えてくれているエディスが、顔を青ざめさせながら必死に言い募る。
彼女の言わんとしていることは解る。わたくしの体は、いまわたくしだけのものではない。
「心配してくれてありがとう。エディス」
「殿下……!!」
「けれど、わたくしはいま戦場に立っているの。陛下からお預かりした戦場に――――民を守るという、国の盾として」
王家は国家と命運を共にする。それは国の盾として。
統治創始記念日で陛下の口にされた言葉が、わたくしの中に響く。
「すくなくとも、わたくしが水垢離に応じれば……頭に熱を上らせた者たちを押し留めることができるでしょう」
そう、水垢離の結果がどうであれ、一旦は応じたという事実があれば。
燃え広がった分断の炎を、鎮めることはできるはず。
「……西方に詳しい商人仲間がおります」
「ファーウェイさんッ」
「清めの泉について調べましょう。聖地というなら、それなりに知られた地のはずです」
この場でわたくしを止められるもう一人だったはずのファーウェイの言葉に、エディスの悲痛な声がかぶさる。
それでもファーウェイはわたくしを見たまま、わたくしの決断を確認するかのように言葉を紡いだ。
「それで、よろしいのですね。摂政殿下」
「ええ。早急にお願いするわ」
「畏まりました。それでは――――」
すらりと立ち上がったファーウェイが一礼し、帽子をかぶり直して退出していく。
呆然とその様子を見ていたエディスは、扉が閉ざされると同時にわたくしのもとへ駆け寄り、跪いた。
「殿下ッ……どうか、どうかお考え直し下さい!殿下の仰ることは私にも解ります。解りますがこんなことは……!」
「落ち着きなさい、エディス。水垢離には応じると返事をするけれど、件の清めの泉とやらに問題があれば、それを理由に中止することだってできるわ」
「でも……!」
不安なのね。……わたくしもよ、エディス。
わたくしのドレスのスカートに縋りつきながら、そこへ額を当てたエディスの髪を、わたくしはそっと撫ぜた。
いま、王都にはエディスのようなわたくしの体調を慮るゆえの不安と混乱が蔓延っている。
ならわたくしは、たとえわたくし自身へ危険が及ぼうとも、その混乱から民を守る盾にならなくてはいけない。
(これはあくまで、民のためよ。勘違いしないことね……イノケンティウス)
この混乱を鎮めた後は、一体どう責任をとらせてやろうか。
わたくしはエディスを宥めながら、窓の外を睨みつけていた。
後日、ファーウェイの調査の結果、清めの泉とは西方神殿と中つ国国境の丁度中間にある森の中の泉であることが判明した。
そこは西方神殿の監督者や修行者たちが度々訪れては水垢離や水行を行う地であり、彼らは常在しないため近くの集落の者が定期的に訪れては周囲を清掃し、その清潔さを保っているという。常時、非常に透明度の高い――――西方山脈からの雪解け水も湧き出すという、まさに清めの泉という名に相応しい聖地。
つまり、わたくしがかの地の不衛生さや状況の問題で断るという退路は、これで断たれた。
わたくしは宰相に水垢離へ向かう旨を通達し、数日の不在の間の摂政職は彼へ委任することとした。
国内の事情に精通した彼を説得するのに、多くの言葉はいらなかった。ただ「無事のお帰りをお待ちしております」という、あのいつもの真面目くさった表情に、心底からの心配のようなものを見出して、気づけばわたくしも笑みを浮かべて頷いていた。
「エディス、酔い止めのハーブをお願い……」
「はい、殿下!こちらです」
エディスが巾着から取り出した、小さな瓶に入っている琥珀色の飴。
わたくしは残り少ないその一粒を震える手でなんとか摘まみ上げると、口の中へと放り込んだ。
(馬車の揺れが、こんなに厳しく感じられるなんて……)
甘みと共にジンジャーとレモンの香りが口の中に広がり、こみ上げていたものの波が一旦引き下がっていくのを感じる。
まるで自分の体ではないかのようだ。揺れは大きく感じるし、頭の中をかき回されるような吐き気が止まない。心なしか、頭痛も出てきた気がする。
わたくしはハンカチで口元を抑えながら、もう一方の手でずっと腹部を撫でさすっていた。
どうかこの子に悪い影響がありませんようにと、祈りながら。
その一方で、お母様をどうか見守っていてちょうだい、とも。
「……殿下、見えて参りました」
エディスの言葉に、閉じていた目をそっと開く。
街道が整備されていたのは不幸中の幸いといえただろう。王都から出発して三日目の昼。わたくしたちを乗せた馬車列は、清めの森を管理しているというその集落へ到着した。
国境の外とはいえ、中つ国の王妃という名は強力だ。それになにより今回は、彼らも良く知る西方神殿の長が同行している。
当然、馬車は別にしたが。
「――――神殿長様、そして王妃様、このような村里までハイ、よくぞお越しくださいました」
杖を突いた村長が帽子を取り、馬車を降りたわたくしたちへ深く礼をする。
挨拶と名乗りを終えた彼が、その日に焼けた顔を皺くちゃにしながら素朴な笑顔でこちらへ向き直る。
「ハイ、この度は王妃様がかの泉をご使用されると伺いましたため、村民総出であらためて周囲を掃き清めさせていただきました。泉自体はいつもと変わらず、その清浄さを保っておりますので、ご安心ください、ハイ」
「心遣いに感謝します。村長」
「摂政殿下、この村はみな信心深く聖地を任せるに足る人々です。私からも清めの泉までの道、そして泉自体の清浄さは保証させていただきます」
お前には聞いてないのよ。
と口にするわけにもいかず、わたくしはイノケンティウスへ「その言葉を信じましょう」とだけ返した。
村長との挨拶を終えたわたくしたちは再び馬車に乗り込むと、村民の先導のもと、馬車が入れるところ、清めの泉のほど近くまで馬車を進めた。
「到着しました!」
村の若者の声が響く。そこは鬱蒼とした森の中にあって、差し込む陽の光を湛えた水面だけが輝く、評判通りの清浄さに満ちた泉だった。古代のものと思われる白い石柱が四本建っているが、うち一本は半ばで崩落しており、残りの三本は長い年月の中丁寧に磨かれ、それでも拭いきれなくなったのだろうシミや摩耗が見出せる。それがかえって、この泉がどれだけ長い年月の間大切に守られてきたのかを思わせた。
「……美しいところだわ」
「然様でございましょう」
いつの間にかやってきたイノケンティウスとそのお付きが、わたくしの素直な感想へしみじみと同意する。その後ろでは別の神官たちが、彼らの馬車から何かの大きな木箱を取り出し、運んでくるところだった。
「それは?」
「水垢離の際、我らが使っている砂時計でございます」
「砂時計……」
「はい。この砂が落ちきるまで御身を清められれば、水垢離は果たされ、光明神の御元へその清らかなる御意思が届きましょう」
つまり、ただ身を沈めるだけでは足りないということね。
「よく解りました。エディス、わたくしたちも準備を」
「……はい、殿下」
厳しい顔でイノケンティウスを見つめていたエディスが、彼女らしくもない渋面のまま従者たちへ指示を出した。
馬車から降ろされた衝立が展開され、イノケンティウスらの視線を遮る。
わたくしはエディスの手を借りながらマントを脱ぎ、結婚指輪以外の宝飾品、ドレス、コルセットやペチコートを取り払い、タイツを脱ぐ。さらに腹部に撒いていた毛皮の帯も取り去ると、髪を下ろしシュミーズと素足にはいた靴だけとなった。
体を戒めるものがなくなり、呼吸が自然と深くなる。
だが、深緑の香りと共に入ってくる空気は、肺に冷たい。
「殿下、今からでも――――」
「エディス」
その先は言わないで。籐編みの衝立があるとはいえ、イノケンティウスたちはすぐそばにいるのだから。
泣き出しそうな顔になったエディスの背をぽんぽんと叩き、彼女が用意されていた木箱へわたくしの衣装とマントをしまい込む。
「用意が出来ました」
わたくしは衝立の向こう側へと行く。
イノケンティウスたちは木箱を開けた一人を除いて、みな頭を下げていた。
王妃の下着姿を視界に入れまいとする程度の礼儀は心得ているのね。
石畳へ進み出たわたくしは、そこで靴を脱いだ。じわりと染み入るような石の冷たさを感じる。
そして、一歩を踏み出した。
「時計を逆さにせよ」
わたくしのたてる水音を合図にしてか、イノケンティウスの声が飛ぶ。肩越しに見遣れば、真鍮と木の枠組みの中に入った大ぶりの砂時計が逆さにされるのが見えた。
わたくしは、くるぶしに嚙みつくような水の冷たさを感じていた。玉砂利が徐々に細かなものとなり、水を吸った上等なリネンの薄さが、今回ばかりはまとわりつく冷たさとなってゆっくりと体の周りを取り囲んでくる。
冷たい。私自身の体の持つ熱が薄い壁のように感じる。
泉は最も深いところでも、わたくしの胸の真上程度だった。そこでようやくわたくしは歩みを止め、体ごと岸辺の方へと振り返る。
静かだ。わたくしは水の中で、せめてもの防御として、両手を下腹部へ重ねていた。
この静けさと冷たさの中を、あの砂時計の砂が落ちきるまで、わたくしは耐えなくてはならない。
(あの砂時計の大きさなら、一時間、といったところかしらね……)
不意に、ぶる、と震えがこみ上げてきた。わたくしの熱が持っていたごく薄い壁が崩れるのを感じる。
熱が、水の中へと編み物の糸を引くように解けていく。失われていく。
(しっかりなさい。ベルグリンデ――――)
わたくしの目はまっすぐ岸辺に向けられながらも、その意識はこれまでの歩みを振り返ることで、そう、別の意識に集中することで水の冷たさから逃れようとした。
わたくしはどうしてここに立っているのか。
なぜ、こんなことになったのか。
すべては、すべての始まりは、あの予知夢からだった。
いまにしても、なぜあの重大な予知がエルフの王ではなくわたくしへ降りたのかは分からない。
けれどその時から、止まっていたわたくしの時間は動き出した。
勇者たちに出会い、エディスから『推し』を教わり、彼とその仲間たちのことを世に広めなくてはと走り出した。
最初は全然思った通りの結果とは行かなくて、歯がゆい思いもした。
その一方で自分の見た夢が本当に予知夢だったのかと確かめるために、外交規則を無視してエルフの王、森の御前に謁見したりもした。
(我ながら、相当な無茶だったわね、あれは)
その結果陛下の怒りを買って謹慎を申し渡されて、けれどなぜかその陛下がわたくしを外に連れ出してくれた。二人だけで劇を観るなんて初めてのことだった。そして、また悪夢を見て、それから。
それから、陛下に予知夢を告白した。信じてもらえるか不安だった気持ちを、解いてくれたのはエディスだった。
陛下は信じてくださった。告白から間を置かずに勇者たちが帰還して、陛下は円卓会議に。わたくしは……信じたくはなかったけれど、あのトリスタンを罠にかけて捕えることに成功した。そう、ドニロドトスもね。
やがて円卓会議を成功させた陛下が勇者たちと戻られて、南方領に瘴気を広めた罪人たちは処罰され、中つ国からは瘴気が消えた。
(そして勇者は、また旅立っていった)
新たな仲間候補たち、三種族の三戦士たちと共に、魔王を倒すためではなく、彼らと世界を救うための旅へ。
「――――ッ……!」
体の震えを抑えようとして、下腹部に重ねていた手が思わず拳に変わる。
つま先の感覚はとうにない。まるで棒がくっついているかのようだ。
無様に音を立てそうになる歯を食いしばる。どんどん失われていく四肢の感覚と裏腹に、わたくしが吐き出す息は熱を帯び始めていた。シュミーズはとうに水そのもののように私の肩までを覆い尽くしている。
(陛下――――あなた、エゼルレッド、どうか、どうか無事であって。そうすれば)
わたくしたちも無事に帰れるはずなのだから。
勇者たちの旅立ちから、わたくしたちは一層寄り添い合い、時に喧嘩――わたくしが喚いただけだけど――もして、ようやくこの時を迎えたの。
そう、わたくしはずっと育てていた。
祝福と、命を。あの魔界に取り残されている人々を救うためのそれと、思いがけず授かったそれを。
(守って――――守るの……)
それがわたくしの選択。国母として、夫と並ぶ国の盾として。
だからわたくしは、ここにいる。
これがわたくしの選択。
ああ、けれど。頭が痛い。鼻先が冷たい。震えているのに息がどんどん熱く――――ずくりと、腹部が痛んだ。
その時だった。
「殿下!砂が落ちました!!――お早く!お早くお上がりください!!」
エディスの悲痛な声がわたくしの耳に届いた。視界がかすむ。
でも、砂は落ちた。落ちたのよ。だから、動いて、わたくしの足。
ちゃぷりと、水の音がする。わたくしは前に、進んでいると、思う。
一刻でも早く上がりたいのに、体は言うことを聞かなくなっている。
転ばないのが精々の、のろまな行進。ゆっくりと肩から下が水の中から解放されていくけれど、まとわりつくシュミーズがまだ水の中にいるのかと錯覚させる。
わたくしはのぼる。玉砂利の坂を。泉の淵へと。
「水垢離、確かに果たされまして御座います」
「退いてください!!殿下ッ!」
イノケンティウスの淡々とした声が聞こえたかと思うと、わたくしはほとんど倒れ込むようにエディスの広げたマントの中へと包まれていた。
「殿下!お気を確かに――何をしているの、馬車を早く!」
エディス、お前そんな厳しい声が出せたのね。
まるでわたくしが叱られているようだわ、と。そう思ったのが最後だった。
痛みながら熱を孕んだ頭と、震えの止まらない体から、わたくしの意識はふっと離れてしまったのだった。
そこは以前もみた、暑くもなく、寒くもない場所だった。
暗く、ただ暗闇が広がっていて。
わたくしの体――意識はそこを揺蕩う。
ただ一点違っていたのは、寝ているのか立っているかもわからない私の目の前に、美しい光の輪が輝いていることだった。
輪は幾重にも重なっており、その中心にはまた光の円がある。
不思議なことに、目の前にあるはずのそれは手を伸ばしても届かなかった。
届かない。触れることのできない輝き。
綺麗、けれどわたくしはなにか言い表せない不安を抱いて、自分の体を抱きしめていた。
その時、わたくし自身の放つ光から――――いつか見た、小さな光が浮かび上がった。
小さな小さな、愛しい光。
わたくしは両手でそっとその光を包もうとする。
なのに、目の前で浮かび上がったはずのその光は、両手を通り抜けてさらに小さく、細くなっていく。
待って。
声は出ない。わたくしの体は進まない。小さく、今にも消えそうな光の粒となったそれは、光の輪の方へと向かっていく。
遠ざかっていく。
待って――――
両手を伸ばしても、届かない、光の環。その光の一筋へと、わたくしの、わたくしから分かたれた光は、還ってしまった。
届かなかった。
…………
聞こえる。誰かのすすり泣く声。わたくしを暗闇から引き揚げていく。わたくしの意識は、急速にその黒を失って、光輪の輝きへ、白へと呑まれていく。
「っ……」
呼吸しようと、体が跳ねた。けれど乾いた喉からは、ひゅ、と細い音が出ただけ。
その息苦しさに思わず目を開くと、そこは――そこは、馬車の天井ではなく。見慣れた天蓋があった。
「妃殿下!!」
エディスの声がかすれている。そんな大声を出すからよ。
顔を声の方へ傾ければ、予想通りエディスが私の顔を覗き込んでいた。
でも、どうして、そんな泣き腫らしたような眼をしているの。
ああ、それだけ心配をかけたのね。
寝台の中は温かく――むしろ少し熱いくらいだった。それが重ねられた上掛けの重みのせいなのか、わたくし自身の発する熱なのかは定かではない。
あのときのシュミーズも靴もドレスもなくて、変わらないものは左手の結婚指輪だけ。
侍医殿を、と叫ぶように指示しているのは侍従長かしら。珍しい。いつもはエディスに、侍女や下女たちを集めるのも一任しているのに。
わたくしの頭の中はどこかふわついていた。これは明確に熱を出している。
それと同時に、熱を出しているのに。
どこか、体が軽いような、そんな気がした。
「エディス……」
「っはい!はい、妃殿下。エディスはここにおります……!」
「体が……変なの」
「――――」
「……あの、腹帯は……?」
そうだ。いつも腹部を温めるために着けていた、リス革の腹帯がなかった。
あれだけは寝るときも外さないようにしていたのに。
どうして。
「妃殿下……っ申し訳、ございません」
どうして?エディス。
「侍医様や、神官長様が、手を、尽くされたのですが……――――御子を、お、お守りすることが、出来ませんでしたッ……!!」
申し訳ございません、と両手を顔で覆ったエディスがその場に膝を折った。
繰り返される謝罪の声。謝罪。なにに。
「……わたくしの、子が……」
エディス、あの子は、どこにいってしまったの?
わたくしのぼんやりとした問いかけに、返る言葉はなかった。
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