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勇者は王妃の『推し』ですわ!  作者: gen.
第二章

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20/43

20. 王の裁定





「まだ、何も話さないつもりか」


 寒さが一段と厳しくなり、高塔の屋根にも雪の降り積もる頃。

 貴族の罪人を収監するその一室の中、据えられた暖炉では赤々とした火が燃えていた。それでも石造りの床や壁、ガラスの向こうに嵌った鉄格子から与えられる染み入るような寒々しさを、完全に拭うことはできない。


「…………」


 自領に瘴気汚染を広げ、自らの父を呪った容疑者として、元摂政にして宰相、トリスタン・グレイはそこにいた。彼は窓際に置いた椅子へ腰を下ろしたまま、微動だにしない。

 その視線は扉を開いてエゼルレッドが入ってきた時から、窓の外へ固定されていた。

 自ら武勇に優れ、扉の外に騎士を伴っているとはいえ――――容疑者の部屋に国王自らが入るなど、中つ国では異例中の異例のことだった。

 それもこれも、扉ごしの問答、いや語りかけでは埒が明かないとエゼルレッドが判断してのことである。

 トリスタンの罪状はグレイ領内の捜索、およびグレイ城内の私室で見つかった数々の証拠――それは呪いが発動していない状態での件の貴石が嵌ったアクセサリーから、その元の持ち主を城地下の牢獄で拷問したと思われる記録まで――によりほぼ確定されていたが、肝心のトリスタン本人は沈黙を貫いていた。

 証拠はある。本人の身柄も抑えている。そこに、動機だけが欠けている。

 いまや証拠の一部から存在が明らかとなった、冥王復活を望む隠れ信奉者の一人だったのか、別の誰かに唆されたのか、それともまた別の理由なのか。

 動機。その一点が明らかにならないと、トリスタンの刑は定まらないのである。


(しかし、中つ国に瘴気を広めた以上――――)


「――――生涯を幽閉で過ごさせるか、即座に極刑を課すか」

「!」


 暖炉で燃える薪が、小さく弾けた。

 その音と同じほどささやかな声でも、この静けさの中では十分に聞こえた。


「そのどちらかで迷っておられるのでしょう」

「……トリスタン」


 久方ぶりに聞く宰相の、いや、かつて心を許していた――言葉にはせずとも、友に等しく思っていた人物の声だった。

 だがエゼルレッドの呼びかけに振り返るでもなく、トリスタンの深緑の瞳は灰色の外を見つめたままだった。


「しかしあなたの薄氷(うすらい)のような危うい治世では、宰相が瘴気をもたらした、などという醜聞を表沙汰にできない。だから私は父上同様、急な病を得たこととなり、表舞台から消える」


 まるで他人事のように、しかし確信を得ているかのように、彼は淡々と続けた。

 そして、それは事実だった。エゼルレッドのそもそもの後ろ盾は、即位当時宰相だった先代グレイ伯爵と、中つ国有数の名門大貴族エリネッド家のみ。そこからお家騒動に乗じた反乱を鎮圧し、あえて言うなら力ずくで地盤を固めてきたのである。また、エゼルレッド自身も即位する準備などしていなかったところから始まり、八年という年月を費やしてようやく王として安定期を迎えた。それが、中つ国の、この現王朝の現実だった。


「あなたはこれからもその薄氷を踏み続ける。踏まれた薄氷へ閉じられた者になど見向きもせず、前だけを見つめて――……そう、あなたは、前を見つめざるをえない人だから」

「君がいれば、この先は薄氷などではなかっただろう」


 手が拳に変わったのが解る。ぎり、と身に着けた手袋の革が軋む音を聞きながら、エゼルレッドは自身の語尾が熱を帯びるのを止められなかった。


「その道もありました」

「何故選んでくれなかった」


 一歩、エゼルレッドは踏み込んだ。マントが揺れる。

 それでもなお、トリスタンの白い貌は無表情を保ったまま、視線を動かすことすらなかった。

 長い沈黙が下りた。

 また、薪が弾ける。その白い灰のような雪が鉄格子に降り積もるのを見つめたまま、エゼルレッドの記憶より色の薄くなった唇が動いた。


「あの指輪は……」

「指輪?」

「冥王の呪いが消えても身に着けた者の心身を蝕みます。お世継ぎを望まれるなら、二度と触れぬように、とお伝えください」


 伝える――――誰に?

 エゼルレッドは食い入るように見つめた。いつ何時、それが最後の言葉になるか判らない状況であると誰より理解しながら、あえてその言葉を紡いだトリスタンの横顔を。

 エゼルレッドにとってトリスタンがそうだったように、替えの利かない――今となっては価値などつけられないほど、大切な一人の姿が、脳裏に浮かぶ。

 エゼルレッドの世継ぎを産めるのは、産んでほしいと望むのは、その一人しかいない。


「……君は……まさか――――」

「…………」


 トリスタンの唇は、真実それを最後に閉ざされてしまった。

 愕然としたエゼルレッドだけがその部屋の中で生きているかのように、瞬きすら見せず、彼はただ、外を見ている。

 その窓はただ、彼に外を見せている。白い雪が降り積もる、世界を。



 高塔を出たエゼルレッドは、その足で真っすぐに城内の一室へと向かった。

 伴った騎士のノックで扉が開かれると、もはや顔なじみとなった筆頭侍女が目を瞬かせながらも、エゼルレッドへ丁寧な礼を見せる。

 脇によけた彼女の前を通り過ぎ、エゼルレッドは室内へ足を踏み入れた。

 そこでは長椅子に腰掛けたこの部屋の主が何かしらの手紙へ目を通している最中だったが、彼女は顔を上げるなり侍女同様、目を瞬かせつつ立ち上がる。


「陛下?」


 ローテーブルへ手紙を置き、彼女――ベルグリンデがエゼルレッドの許へ足早にやって来る。

 朝食の席で顔を合わせて、最近になってようやく当たり前になった彼女の小言や、いま取り組んでいることなどの話を聞き、別れて以来。時間にしてたった二、三時間ほど前の別れであったが、エゼルレッドは温かな室内でベルグリンデの声を聞くと、それがずいぶんと遠い出来事のように感じた。


「何事です?」

「ああ……」


 どこか曖昧な返事をするエゼルレッドに怪訝な顔を隠しもせず、ベルグリンデはともかく国王たる夫を立たせたままでは、と判断したのか、彼を自分の座っていた長椅子へ導いた。

 そして当然のように、隣へ腰を下ろす。


「なにを、していたんだ?」

「……ファーウェイに任せていた市井への工作が、どの程度進んでいるかの報告書を読んでおりました」


 彼女の言葉通り、ローテーブルには幾つかの書類が――あの御用商人の紋章入りのものが並べられている。

 「そうか」と呟きつつ、それを見るともなく眺めていたエゼルレッドの目が、不意に隣のベルグリンデへと向けられる。


「近頃、君はいつも何かしらの仕事をしているが……その、体調に、変わりはないか?」

「体調、ですか?いつも通りです。ご心配されるようなことは、なにも」


 書類はある程度読み終わっていたのだろう。筆頭侍女のエディスがローテーブルの傍らへやってきて、ベルグリンデの目配せ一つでそれらを片づけ始める。

 いつも朗らかなエディスは、表情に乏しいエゼルレッド対し過度に恐れるでもなく、かといって不敬にもならない距離で今日も微笑んでいた。


「ええ、陛下。最近はお食事もよく召し上がられてて、陛下がご不在の間も全てのお皿を空にしてくださってたんですよ」

「そこまで言わなくていいのよ……!」


 どうせ別の人が報告してるんだから、と刺々しく呟きながらも、頬にのぼる紅色は隠せていない。

 そんなベルグリンデにもにこにこと笑ったまま、お茶のご用意をいたしますね、とエディスは退出していった。


「きゅ、急にいらしたと思ったら食事のお話なんて……」


 急用かと思ったではありませんかと、ベルグリンデが唇を尖らせる。

 そんな王妃らしからぬ――あの人形めいたころの彼女とは程遠い一つ一つの表情が、いまのエゼルレッドの視界には温かな、小さな光となって映った。


「……大切な話だ。君の体調に関わることなんだから」

「もう、そのお話は結構です。エディスのいう通り、食べ残しはしておりません。これでよろしいですか?」


 今にも膨らみそうな赤い頬を、エゼルレッドの指の背がそっと撫でていく。

 不意のその仕草へ驚いたように、斜め下へ逃げていたベルグリンデの瞳が、エゼルレッドを捉えた。

 彼女の瞳には、いま自分しか映っていない。


「ああ、君は細すぎるから、それで丁度いい。それで、……」


 いい、という呟きが、果たしてベルグリンデに聞こえたかどうか。

 エゼルレッドは細すぎる、と評したその体を静かに抱き寄せて、自らの腕の中にしまい込んだ。

 ベルグリンデは突然の抱擁に目を瞬かせながらも、エゼルレッドからその口にした言葉通りではない何らかを感じ取ったのか、大人しく抱き締められていた。

 やがて彼女の華奢な手がそっと腕の中を抜け出し、エゼルレッドの大きな背中を撫で始める。

 エゼルレッドはもう、寒さは感じなくなっていた。

 ただ、守るべきもののために――――一人の夫として、そして王としての務めを果たすときが来たのだと、そう思った。







「――――以上が、そなたの息子、トリスタン・グレイの罪状である。事の重大性を鑑み、賜薬の刑が妥当と判断した故、これを執行した」


 そこは謁見の間ではなく、まして玉座の間ですらなかった。

 中つ国国王の執務室。王家に忠誠を立てた第一騎士団の騎士たちのみが控えるそこで、マドック・グレイ先代伯爵は背筋を正し、王の通告を謹聴していた。

 マドックにとってその通告は、衝撃的なものではなかった。

 最も大きな衝撃はすでに――ほかならぬ息子が「城の花をあしらった」と贈ってくれて以来身に着けていた指輪こそが、自身を蝕んでいたと知った時に――彼の中を通り過ぎていた。

 さらに居城への捜査と北の森に発見された洞窟の調査が進むにつれて、先代の宰相たる彼の意識は、それを拒もうとする父としての自身と裏腹に、かつ冷徹に、来るべき時への覚悟を固めていった。

 そして、ついにその時が来たことを、王家の(バナー)を翻した使節が城の門前へ到着した時点で、彼は悟ったのである。

 まだ初雪もない自領から、雪の降りしきる中央へ。早馬の馬車に揺られること五日間。

 職を辞して以来の登城を果たした彼を、国王は彫刻めいた無表情で出迎えた。

 それは中つ国、いや人の世を揺るがしかねない大罪を犯した罪人の遺族を迎える、王の顔であった。


「なお、トリスタンの死は急病による病死として公表する。本件は国内の混乱を防ぐべく極秘とし、そなたの生涯において口外を禁ずる。何か質問はあるか」

「ございません」


 禁忌を破った時に何が起きるのか。かつてはそれを通告する側であったマドックに細かな説明は不要だった。

 主君たる国王、エゼルレッドはマドックの決然とした声になんら動揺を、また情を見せることもなく「そうか」と静かに頷いた。

 エゼルレッドの片手が持ち上がる。侍従のように控えていた騎士が、やはり彫像のように手にしていた台をローテーブルの上に置いた。


「署名を」

「畏まりました」


 そこにあるのは、沈黙の誓約書だった。

 マドックは何一つ疑問を挟むことなく、口にすることなく、ローテーブル前の椅子に腰を下ろし、若き王の目の前で自身の名を書き記す。

 さらに騎士の差し出した小刀で親指を浅く切ったあと、その血判を署名の脇に捺し、やはり騎士の差し出した布切れで傷を手早く縛り上げ、即座に席を立った。

 儀式めいたそのやり取りを終えて、マドックが席を立ってしばし、エゼルレッドは沈黙していた。

 マドックもまた沈黙していた。


「……マドック・グレイ」

「は」


 静かな声がマドックの耳に届く。通告時とはまた異なる静けさを、マドックは感情の浮かばない顔で受け入れた。


「急病により、我が国の宰相が没した。そなたも承知の通り、これは国家の円滑な運営を阻害する大事である。故に、早急に次代の宰相を決定しなくてはならない」


 続く言葉を、マドックは知っていた。


「内政に通じた経験豊富な人材が必要だ。そこでそなたを、再び宰相職へ任命したい」

「――――誠に恐れながら、国王陛下。老齢不肖の身に余る重責となります故、謹んで辞退させていただきたく存じます」


 エゼルレッドもまた、マドックの答えを知っていたかのように、その間をおかぬ返答へ表情を崩すこともなかった。

 ただ一度、静かに瞬いた。


「そうか」

「また、無礼を承知でお願い申し上げたき義がございます」

「聞こう」


 時刻は昼を迎えようとしていた。

 その日は久方ぶりに王都上空の雪雲が晴れ、澄んだ青空を貫くような日の光が差していた。

 大窓から差す光が角度を変え、エゼルレッドを見つめて立つマドックを照らし始めていた。

 マドックが、色のないその唇を開く。


「此度の事態の責を鑑み、(わたくし)マドック・グレイは現グレイ伯爵領をグウィンアルト王家へ返上し、自身は市井へ下らせて頂きたく存じます」


 それは、トリスタン・グレイの罪が公表されていたのなら、執行されていたであろう家門の取り潰しを自ら願い出るという、前代未聞の発言だった。

 昼の光の明るさの中で、マドックの緩やかに垂れた瞼の奥の瞳が、その深緑色をエゼルレッドに見出させた。

 彼の息子もまた、同じ色の瞳をしていた。


「却下する」


 エゼルレッドの声は、震えず、揺るがず、ただ静けさに満ちていた。


「国王陛下――――」

「――――()()()


 エゼルレッドの声が、マドックのそれを遮った。

 差し込む光に似て、透徹とした響きの声が。


「もしも、そなたがなんらかの事態により、重大な贖いを望んでいるというのならば――――現グレイ領を健全に治め続けることこそ、その贖いと心得ろ」


 大窓の光を背にしたエゼルレッドの顔は、逆光の中に沈んでいた。

 しかし、マドックはそこに、この部屋へ迎えられた当初のあの彫像めいた表情を重ねられずにいた。


「これまで通り、領民を導き、実り豊かな、あのグレイ領の……聡明な領主たれ」


 その声に、微かな、願いの音を聞いたためかもしれない。

 マドックは沈黙し、エゼルレッドもまた沈黙した。久方ぶりの日差しを喜ぶ小鳥のさえずりが、窓の外からわずかに漏れ聞こえていた。

 マドックの、親指に布を巻いた手がわずかに震えた。


「…………謹んで……っ承ります……」


 深く下げられた上体のマドックの背から、真白い結い髪が滑り落ち、その顔の横に揺れた。

 彼は自身の、磨き上げられた革靴の手前に滴るものが、執務机の落とす影になっていることを幸いに思った。

 そして、逆光の中エゼルレッドの瞳に透明な膜が張られつつあることには、最後まで気づかずにいた。







 その声と鎖のたてる音は、石造りの地下の獄中にあってひどく反響した。該当の階層に、他の囚人がいないのは不幸だったのか、幸いだったのか。

 だがそもそもとして、城の獄中に囚われている囚人は、すでにその人間一人になっていたのだから、エゼルレッドは自身の考えの不毛さを自嘲した。

 表情には、何一つ浮かべずに。


「ですから陛下!私のなしたことは……!」


 鉄格子を掴む老人――――ドニロドトスの主張は日々形を変えていたが、根底は一貫していた。いわく、自身は報告書を紛失しただけである。いわく、報告書の内容は既存の体制で対応可能なものである。いわく――瘴気はこの既存の体制を支える、必要悪である。

 その全てをまとめれば、このように劣悪な環境へ置かれるまでの大罪をなした覚えはない、ということだった。

 エゼルレッドは、ドニロドトスの取り調べをトリスタンの一件が落ち着くまで棚上げしていた。

 その間に放置されていたこの老人は、神官長であった頃の威厳も自尊心も何もかもかなぐり捨ててしまったらしい。

 今はただ、鉄格子前に置かれた椅子へ腰を下ろしたエゼルレッドに向かい、自分の主張を繰り返し慈悲を乞うばかりの存在になり果てていた。

 そして今日、これまで手を変え品を変えて繰り返してきた主張が、エゼルレッドの琴線になんら触れることがないとようやく気づいたのか、息切れをしながらずるずるとその場にへたりこんだ。


「……話は、それで終わりか?」

「ッ……!!」


 冷徹なエゼルレッドの声にびくりと肩をそびやかしたドニロドトスは、鉄格子を掴み直した。

 言葉少ななエゼルレッドのその一言が、最後通牒に等しいものだと気づいたのだろう。

 だが、鉄格子を掴み、顔を上げようとしてはやめるのを繰り返す姿を、ただの拙い時間稼ぎと断じたエゼルレッドが立ち上がったその時、その声は一際大きく響いた。


「――――なんだと?」


 出口へと向かいかけた歩を止め、顔だけを振り返らせたエゼルレッドの反応を見、ドニロドトスはとうとう光明を見出したと思ったのか、引きつった笑みを浮かべた。

 笑みを浮かべながら、今度は静かに、しかし明瞭に、同じ言葉を繰り返した。


「宰相閣下です……!陛下、すべては宰相の指図だったのです!」

「………」


 エゼルレッドの沈黙を前に、ドニロドトスは滔々と語り出した。これまで秘めていた、その本当の事情を。


「わ、わたくしはそのような恐ろしいことはと躊躇いたしました。しかし宰相が、あの若造めが――――勇者が魔界にて倒れ、瘴気も収まらぬとなれば陛下のお立場は危うくなろうと……そ、そのとき、妃殿下にお世継ぎさえ産まれていれば――陛下を、は、廃位に追い込み……自らは摂政となって妃殿下と御子をお支えし、国を真に平らげて、その、すべては、信仰の賜物であると……そう、強く信ずる王朝へと導いてみせると……!」

「……宰相が、確かにそう言ったのだな?」


 エゼルレッドの視線が、ドニロドトスから外れた。それだけで恐慌状態になったドニロドトスは壊れた玩具のように何度も頷いて見せる。


「はい!はい!確かにそう申しておりました!じ、自分は――ひ、妃殿下さえ、妃殿下と御子さえいればと、確かに……!」

「そうか」


 エゼルレッドの手が動く。騎士を呼び何事かを耳打ちすると、騎士は番兵を呼び、やはり何事かを耳打ちした。番兵が一つ頷き、その鍵束を揺らしながらどこかへと立ち去る。

 それを見送ったエゼルレッドが「ドニロドトス」と、取り調べから初めてその名を呼んだ。


「はい……!」

「神殿より送られたとはいえ、城へ届いた書状は王家の所有物。それを紛失した罪は見過ごせん」

「は、ははァッ……!お、仰せの通り、わ、わ、わたくしめは重大な、過失を犯しました」


 ついに罪を認めてしまったと、だが、この場にいない件の人物よりはましな処遇になるだろうと。

 ドニロドトスは、そう考えたに違いない。中つ国に瘴気を広げ、簒奪まで目論んだ罪と、王家の所有物一つを紛失した罪。どちらが軽いかなど明白であるからだ。


「過失に因る紛失は懲役刑に相当する」

「は、はい……!」


 だが、しかし――――


「だが、しかし」


 ドニロドトスは真の罪を告白してからずっと、エゼルレッドを凝視していた。その眼差しの動き一つ見落とすまいと。

 そのはずが、なぜだろうか。



「貴様は、()()()()()()()()()()()()()()()()



 燭台の明かりを遮り立つ、エゼルレッドを覆う逆光の影が、一際色濃くなったように見えたのは。

 自分を見る薄青い瞳が、暗闇に冷たく、昏く輝いて見えたのは。



 後日、薄青い晴れと曇りともつかない明るい冬空の広がる昼間に、『瘴気汚染の報告を怠り中つ国に瘴気を広めた罪と収賄の罪』によって、北東神殿からその神職権限を剥奪された罪人、ドニロドトスの処刑が執行された。

 大衆が集まった鉄格子の向こう、刑場に引き立てられたドニロドトスは戒められた手とやせ細った足を振り回し、その首に縄をかけられてもなお身をよじり抵抗を示していた。

 それでも執行役人が処刑台のレバーを引くと、荒縄に吊られたその体は手を振り回すことをやめ、背を反るように幾度か痙攣し、やがて動かなくなった。

 不思議なことに――――儀式の際、よく通ることで知られたその声は、ついぞ、悲鳴の一つ形にすることはなかったという。







 その年の冬、グレイ領にも遅い雪が降り始めたある日の日暮れのこと。

 マドック・グレイ()()は真っ赤な冬薔薇で編まれたリースを、一族の墓地の中でも真新しい墓石にかけた。

 それは王妃ベルグリンデの名によってグレイ伯爵家へ届いた品であり、王家の温室で育った薔薇を王妃自らが選りすぐり、子息の冥福を祈って作り上げた旨を記した手紙が添えられていた。

 薔薇は摘まれてから日が経っているというのに、瑞々しい赤を喪っていなかった。

 あるいは、水魔法などで状態を保っていたのかもしれない。

 だがマドックにはそんなことよりも、この薔薇のように頬を赤くしていたころの少女と、彼女に振り回されるように外へ駆け出していった息子の姿が思い出されていた。

 それは領地同士が遠く離れたエリネッド家侯爵一家が、一度だけグレイ伯爵領へ冬を越しにやってきた時のこと。

 冬とはいえ常緑樹が目立ち、自領に比べて遥かに温かなグレイの土地をその少女はいたく気に入り、毎日のように外へと繰り出していた。

 そのわずか七歳の彼女が繰り出す無邪気な質問へ、当時一四歳だった息子は久方ぶりに本を手放し、あれこれと答えてやっていた。その時、マドックは胸を張った息子の横顔にグレイ領に対する誇りのようなものを見出して、微笑ましくなったものだ。

 その頃から陰りを見せ始めていた先代グウィンアルト王室の傍に在ったマドックは、寄り添う二人の姿にあるいは明るい未来を見出したかったのかもしれない。

 それが、いまや。


「……遠く、なってしまったな」


 すべてが遠く、彼方へ過ぎ去ってしまった。遠く、遠く、山並みの向こうへ没していく、日のように――――手の届かない場所へ。





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