19. 王妃の再会
月が変わり、空に白いものがちらつき始めた。
わたくしが元摂政、トリスタンを拘束し、要人用の牢獄である高塔へ送り込んでから二週間ほどが経っていた。
彼の拘束は最高機密扱いになり、その不在は急病と偽った。わたくしは摂政のそのまた代理人として、経験がないなりに彼の仕事を大臣たちへ割り振り進めるように手配した。
経験がないとはいえ、これでも王妃教育を受けた人間だもの。それに、皮肉だけど朝議の報告はトリスタンが欠かさなかったから、議題にもついていけた。
そしてその間に――――瘴気汚染の拡大と報告を握りつぶした容疑で、神官長ドニロドトスの拘束も果たしたわ。
南方神殿の使者の手紙を届けた早馬の入城記録と、ゼニラとヴィオレットの証言をもとにわたくしは南方神殿からの報告書を提出するよう要求し、曖昧な態度を続けるドニロドトスを詰問した。
その押し問答の中で、むこうから口を滑らせたのよ。
『――――ですから、妃殿下、該当神殿の報告書を今お出しするのは難しく……』
『なぜ難しいの?直近で南方神殿からの使者は、この二回しか来ていないはずよ』
『瘴気汚染の報告は七つの神殿より常日頃から新しいものが上がっております。ゆえにすぐに南方神殿のものを見つけるのは困難なのです』
『陛下からはこの数か月間神殿の報告を受けていないと聞いているわ。必ず神殿の報告を王に伝える務めを怠っていたというの?』
『!そ、それは……』
『いいわ。それだけ大量なら人手が必要よね。第一騎士団の者たちを派遣してお前の保管する六月からの記録をすべて確認させます』
『ッ妃殿下!恐れながら御身にそのような権限は』
『勘違いしないことね――――いまのわたくしは摂政代理よ。そしてこの城に寄せられた書状は神殿ではなく王家の物。報告を受ける権利も、城内の捜査権限も摂政代理たるわたくしにあるわ』
結局、強制捜査で南方神殿からの報告書のみが在るべき場所から消失していることが判明し、わたくしは公式文書の紛失追及へと舵を切った。
やがて神官たちを巻き込んだ取り調べの中で、南方神殿の報告書二通が確かにドニロドトスの手に渡り、それきり忽然と姿を消したことが判明した。
国内の瘴気発生という大事に関わる重要な機密文書だけを抹消した。わたくしは公的にそう判断し、ドニロドトスを神官長という立場にありながら瘴気調査を阻んだ容疑で拘束するよう命じたの。
そこからは、もう完全にむこうの自滅だったわ。騎士に拘束されてなお足掻こうとしたドニロドトスは、とうとうわたくしへこう言い放った。
『妃殿下は大局が見えておられない!瘴気が消えるだけで真の平和が訪れるとお思いかッ!?いいや!巷にはモンスターを狩るしか能のなかった冒険者どもが溢れ賊となり、威光と役目を喪った神殿は寂れ、人々は道に惑いましょう!!瘴気は――あれは必要悪です!国内に発生したのであれば、国内の冒険者どもを遣わされればよろしいだけのこと!それをッこのように大げさに―――』
『瘴気は消えてもモンスターは残ります。冒険者たちが今日明日で仕事にあぶれることなんてない。神殿もまた信仰のよりどころとしての道が残されている。人の世は流れ、移り変わるのよ。お前如きが人の未来を断じないことね』
この発言が決定打となって、ドニロドトスを一般囚人の牢獄へ放り込むことに成功したの。
連れて行きなさい、と命じたあとも、その踵が床を叩く音がうるさかったこと。本当に見苦しい最後だったわ。
こうして中つ国国内に発生した瘴気汚染と、それにまつわる一連の問題は一つの区切りを迎えた。
けれど日々の業務が軽くなるなんてことはもちろんなくて、むしろ摂政と神官長を喪った中枢部はより忙しくなったけど、幸いなことに季節は冬。
徴税といった政治的な行事よりも、宗教的な行事の方が多く移動も少ない季節だから、わたくしたちは協力し合ってなんとか日々をこなしていった。
そんな日々を過ごして――――迎えたその日は、薄っすらとした雪が正門前広場へ降り積もり、一層しんと冷えた朝。
トリスタンを拘束後も、なんとなく日課になっていた朝のバルコニー訪問。
寒さが染み入るようで、わたくしはエディス達が風邪をひかないように今日はすぐに戻ろうと、踵を返した時だった。
遠くから、角笛の音が聞こえたのは。
石畳の坂道を、跳ね橋の板を叩く蹄の音。
わたくしは思わず振り返り、薄雪が手を濡らすのにも構わずバルコニーの縁へ手をついた。
「伝令ーッ!伝令!」
正門前広場で急停止したその騎手は、ほとんど転げ落ちるように馬から降りた。バルコニーのわたくしへ気づいたのね。直角に顎を上向けて、確かにこちらを見ながらこう叫んだの。
「エゼルレッド国王陛下、王都正門にご到着!王都正門にご到着なり!――無事のご帰還です!!」
わたくしは緩やかに降り積もろうとする雪を舞い上げて踵を返した。
後に続く、エディスたちの足音を聞きながら。
雪を降らせる雲は相変わらず空に流れているけれど、その合間からわずかな青空がのぞき、陽が差し始める。
正門前広場には第一騎士団と廷臣たちが居並び、装いを新たにしたわたくしもまたその列の最前に立つ。
ほどなくして、城下町の坂道を上り、あの日見送った馬車列の先頭が見えてきた。
「っ……!」
でも、その全体が見えてくるにつれて、誰ともなく息を呑んだわ。
たなびく旗は破れ、第三騎士団の面々は前を向きながらも明らかに負傷者を多数抱えていた。それになにより、陛下の乗っている馬車には出発時にはなかった傷がいくつもついていたから。
(……大丈夫、大丈夫よベルグリンデ。陛下はご無事。伝令はそう言っていたじゃないの)
それでも手が震えそうになる。スカートの上に重ねた、手袋をはめた右手を左手で握りこむことで耐えながら、わたくしはその時が来るのをひたすらに待った。
馬車列が正門前広場へ入り、車体がゆっくりと車止めに――――わたくしの正面にやってくる。馬車列の全体が停止し、痛いほどの静寂が満ちる中、駆け寄った侍従の手で側戸が開く。
「エゼルレッド国王陛下、ご到着!」
その時、雲間から太陽が完全に顔を出した。先ほどとは比べ物にならない明るさに一瞬目を細めたとき。
そう、ほんの一瞬だったのよ。
その一瞬で、わたくしの体は温かい腕の中に抱き竦められてた。
「へ、陛」
「ベルグリンデ」
あいたかった。
雪なんてすぐに解け消えてしまうだろう、熱い吐息が耳に触れた。
わたくしはそれだけで、咄嗟に距離を取ろうと、突き放そうとしていた手が止まってしまった。
あいたかった――――あいたかったですって?
誰の台詞だと思ってるのよ。この人は。
「……なら、もっと……っはやく、おもどりください……!」
「すまない。これでも出せるだけの速さで戻って来たんだ」
「ゆるしませんッ」
だから今度こそ突き放してやろうと思ったのに、わたくしの手はまったく言うことを聞かず、陛下のマントと背中の合間へと滑り込んでいた。
温かい。力強くて、逞しい腕の中。ああ、ようやくわたくしは、帰ってこれたのね。
その胸元に顔をうずめながら、目頭が熱くなるのを止められない。
「すまない……怪我もしていない。だからどうか、許して顔を見せてくれ。ベルグリンデ」
「っ……」
ベルグリンデ。
その声で名前を呼べば、わたくしが言うことを聞くなんて思っているなら大間違いよ。
でも、今日だけは、あなたを無事に帰してくれたすべての者たちに免じて。
許してあげるわ。
「……あなた」
「……またすこし瘦せたんじゃないか」
「食事はきちんと摂ってます。あなたこそ、目の下に隈ができてらっしゃるわ」
「馬車での旅は、遠征とは勝手が違うからな」
それに寒さもあって、と目元をほころばせながら言う、その声のやさしさ。
たった一月離れていただけなのに。これからの行事ではもっと長く彼が離れることもあるというのに、わたくしは本当に、自分が変わってしまったのだとこれほど思い知ったことはなかった。
あなたがいない日々を耐えることはできた。でも、辛かった。寂しかった。
忙しさが束の間だけ、それを忘れさせてくれたのよ。
節がはっきりした太い指先が、そっとわたくしの目元を拭った。
わたくしはそこでようやく、一呼吸を置くことができた。
「……なら、騎士たちの疲れも相当なものでしょう」
彼らを早々に開放してあげなくちゃいけないわ。陛下もわたくしの考えを読んだように、微笑んで頷くと、ご自身の後ろを振り返った。
駆け寄ってくる足音が一つと、それに続く落ち着いた足音が二つ。
わたくしの後ろから義兄さん、と声が聞こえた。そうね。もちろん彼らも出迎えて上げなくては。
「――――お帰りなさい、勇者。カイドウ、タクサスも」
「ただいま戻りました!」
彼らも奮闘してくれたのは、その装いのくたびれようを見れば一目瞭然だった。
わたくしも自分の後ろへ振り返り、待ちわびていただろう二人に頷いて見せる。
それを合図に、いまは下女ではなく侍女のようなドレス姿のヴィオレットたちが、勇者たちに向かって駆け出していく。
さあ、一仕事を終えた人たちの次の仕事は、休むことよ。
城の女主人として、万全に準備させた出迎えのほどを見せなくちゃ。
わたくしは勇者たちの方から聞こえる歓声からゆっくり目をそらすと、差し出された陛下の腕をとって城の中へと入っていった。
本当なら、このまま一週間でも一月でも休んでいただきたいところだけれど。
差し迫った問題がそうすることを許してはくれない。それはわたくしと陛下で共通した認識だった。
一日たっぷりと王城で湯を浴びて、食べて、眠ってもらったあとは、すぐわたくしと勇者一行へ陛下から召集がかかった。
場所は陛下の執務室。陛下は閣議の間での閣僚たちによる挨拶と朝議報告を終わらせてから、勇者たちの待機する執務室へ姿を現した。わたくし?朝議の場から一緒にいたわよ。一応摂政代理ですもの。
勇者一行が執務机前のローテーブルを囲んでいるのを確認し、執務椅子に腰を下ろした陛下が、近くに置かせた椅子に座ったわたくしへと視線を向けた。
「まず――――陛下のご不在の間に、グレイ領へ瘴気を広めた主犯の容疑者と、南方神殿の報告を握りつぶしていた犯人を逮捕いたしました。前者は……残念ながら陛下の予想された通り宰相……トリスタン・グレイ伯爵でした。現在は急病ということにして、高塔へ幽閉中です」
「グレイ伯爵?」「宰相って、あの……」と同じく不在だった勇者たちから声が上がる。
このことはわたくしが説明するまで誰にも言わないように、とヴィオレットたちにも口止めしていた。彼女たちはちゃんと約束を守ってくれたのね。
ヴィオレットは、すこし思いつめた表情で俯いていたけれど。
わたくしの報告を黙って聞いていた陛下が、静かに口を開く。
「トリスタンの領地で彼の目を盗み、あれだけの規模の魔法工事を行える者などいはしない……人の国にはな」
その言葉には彼の手腕に対する信頼や、それに比例する失望は滲んでいなかった。ただ、淡々としていた。
それが意識してのことなのかは、まだわたくしには判らなかったわ。
だからわたくしも淡々と、報告を続けた。
「南方神殿の報告を握りつぶしていたのも、予想された通り神官長のドニロドトスでした。こちらは自爆……いえ、自白もあったので公的に罪人として、一般の牢獄に拘束中です」
「……驚くには値しない」
わたくしの報告は以上だ。
そこで小さく息を吐いた陛下は、あらためて勇者たちへ目を向ける。
「これで中つ国における、瘴気発生は人間の手によるものであり、魔界は関与していないことが明確になった。詳細は事態が事態なため、私自らが取り調べることになるだろうが――――それは中つ国内の問題だ。君たちは君たちの任務の準備へ集中するように」
その言葉に、わたくしもまた一つの確信を得る。
「円卓会議は……成功されたのですね。陛下」
「ああ。エルフ、ドワーフ、獣人族からの協力も取り付けた」
そしてわたくしとヴィオレットたちは、各種族からの代表として監督役の戦士が来ること、馬や浄化の装備と防具が新たに供出されることを聞かされた。
監督役はともかく、瘴気に負けない馬やエルフ秘伝のミスリル装備、それにこの世で最高峰の鍛冶職人と謳われるドワーフの武具まで出るとは。
円卓会議がただの合意形成で終わらなかったことに、わたくしは内心驚いていた。
「……今更ですけど、水と炎の浄化って両立するんですかねえ」
「もしものときの調整はおまかせー」
「お、おまかせ……」
タクサスのぼそりとした呟きに、ゼニラが二本指をぴ、と立てて見せる。ヴィオレットもそのポーズを真似ようとして、少し失敗してるのが微笑ましい。
その様子に少しなごみかけた心を引き締めて、わたくしは勇者、ユーリヒトへ目を向ける。
「勇者」
「!はい、妃殿下」
体をこちら側へと向けた勇者へ、わたくしは今回の会議の結果に伴い、まだ彼に伝えていなかったあることを明かすことに決めた。
「今回や南方への旅でも解ったことがあると思いますが、何かを、誰かを救うということは、時に倒すより困難なことです」
「……はい」
「救う以前に必要なことの一つに、相手の信頼を得る、ということがあります」
勇者はわたくしの言葉へ、深くうなずいた。彼にも心当たりがあるのだろう。
「そのため、もしも『要の一族』の長……魔王の信頼を得られなかったときのために、予知の証拠としてかの王の名前を教えましょう」
「魔王の、名前……」
「ええ、けれど決して、安易に口外してはいけません。これを口にするのは、かの王と対面し、書状や言葉での説得ができなかったときのみ。最後の手段となさい」
「――――わかりました」
この場にいる面々に聞かれてしまうのは、やむをえないことだろう。
わたくしの口にした禁忌を破る彼らではないことは、もう解っている。
「かの王の名前は――――」
●
陛下の執務室からの帰り道、雪の降る中庭を通る回廊に出た。
寒い寒いと言いながら先行くゼニラたちの背中を見つつ、俺は一つの足音が遅れて、やがて止まったことに気づいた。
「ヴィオ?」
「…………グレイ領にも、もう雪は降ってるのかな」
雪はごく淡い灰色をぼかした空から、しんしんと降っては中庭の植栽に降り積もっている。
まだ本格的に積もるほどじゃないだろうそれを見上げるヴィオの瞳は、遥かかなたのグレイ領を見ているかのように、遠い。
「……まだじゃないかな。相当南の方だし」
「……なら、薪集めも間に合うかな」
グレイ領の薪集めは、瘴気問題で立ち入り禁止になっていた北の森で行われると、先代グレイ伯爵が俺たちに教えてくれていた。
だから俺たちは今回の調査で、北の森にある大楠木の手前までなら、いまのところモンスターにも遭わずに済む可能性が高い、という報告をしていた。
そのあと、陛下が手配してくれた冒険者を含む強力な僧侶と上級神官たちの調査団が派遣され、あの洞窟の本格的な調査と、あの指輪の解析が行われていた。
「間に合うさ。きっと」
「……呪いを」
呪い――そう、あの指輪にかかっていたのは、非常に古い呪いだったという。それは神聖魔法による浄化しか受け付けず、呪いが解除されたとしても、指輪は身に着けた者の心身を蝕む危険な毒そのものとして残ることが判明していた。
「……呪いを、自分の、お父上にかけるなんて」
「ヴィオ……」
「それで土地も汚してしまう人が、いるなんて……」
先代グレイ伯爵は、立派な人だ。すくなくとも俺はそう思ったし、ヴィオもそう思っただろう。
そして捕まったという宰相も、俺には、俺たちには優しかった。陛下の信頼が特別に厚い人なのだと、いろいろ案内してくれた侍従長も言っていた。
「……義兄さん、私、解らないの。どうしても。どうして……そんな酷いことができるの?」
一〇歳とすこしで俺たちと離れたヴィオは、一五で旅立った俺と再会するまで、神殿で修行を積んできた。その中で、光明神に対する信仰というものも、仲間の中では一際強くもっているのがヴィオだった。
「瘴気をまき散らしてるって教わった魔族は、本当は瘴気を抑えてくれていた人間の末裔で……その古い呪いを、瘴気をまき散らす人間が、こちら側にいて……」
ヴィオの声は震えていた。ゆっくりと俺の方に振り返った菫色の瞳が、子供のころのように揺れていた。
「にいさん、私、もうわからないの」
俺はようやく、ヴィオがひどく、傷ついていることに気づいた。
ヴィオは、俺と違って、きっと本当の意味で優しいから。
信頼していたものが全部ひっくり返ってしまったヴィオは、その予兆にも最初に気づいていたヴィオは、どれだけショックだっただろう。
「……ヴィオ」
「にいさん、わたし……」
「理解なんてしなくていい」
俺はその手をとって引っ張ると、そのまま腕の中にヴィオをしまい込んだ。子供の時、モンスターに襲われたときの夢を見た、と泣いていたヴィオに、そうしていたように。
「ヴィオに酷いことをしたやつのことなんて、無理に理解しなくていい」
「……にいさん」
「ヴィオのせいじゃない。ヴィオは悪くない。だから……悲しいだけでいい」
その悲しい気持ちを、理屈で抑える必要なんてない。
「泣いていい。ヴィオ」
「っ…………!に、ぃ、さ……っ……――――」
それ以上、ヴィオの言葉は形にならなかった。
俺は肩口を濡らす熱いものを感じながら、しがみついてきたヴィオの頭を撫でる。
(……本当に、人を助けるということは、俺には難しいです。妃殿下)
大事な義妹がこれほど傷つくまで気づいてやれなかった俺に、一体どこまでのことができるだろう。
(でも――――諦めたくない)
諦めたくない。難しいことは、諦める理由にはならない。
音もなく、雪の降り続ける空を見上げる。ヴィオの泣き声が収まるまで、俺たちはそこにいた。
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