16. 王の決意
色づいた楓の葉が落ちだす頃、王城の閣議の間ではある決定がざわめきを生んでいた。
「聞いての通りだ。私は来る冬の開催に向け、円卓会議の招集をかける」
国王エゼルレッドの声は淡々としながらも、有無を言わせない強さに満ちていた。
一方、自分たちの聞き間違いではないことを再確認させられた閣僚たちは誰もが顔を見合わせその実現性について囁き合う。
円卓会議――――それはこの世界の各種族の代表、主として人間、ドワーフ、エルフ、獣人の長たちが一堂に会し、全種族へ影響すると思われる重要な議題を話し合う場である。
しかしその規模故か、人の歴史上では度々開催が提案されたものの全種族の代表――特にエルフ――が集まることは極めてまれであったという。
中つ国では先々代のそのまた先まで遡らなければ開催の提案があったことすら確認できない、半ば伝説と化しつつある儀式だった。
「恐れながら陛下、ご存じかとは存じますが、円卓会議はその実現そのものが極めて困難な会議となっております。一体、どうやって……」
いち早く混乱を脱したのは、やはり宰相のトリスタンだった。その場の全員の疑問を代表するかのような問いに、周囲の閣僚たちも目配せして頷きあう。
「此度の会議には、勇者を同席させる。世界の危機に対し現れる存在だ。各種族も無視はできまい」
「それは確かに仰る通りです――しかしながら、肝心の勇者の足取りは夏場の出発から掴めておりません」
「王妃が手の者を配している。直近の報告では西の森を抜けドワーフの王国がある山脈へ向かいつつあるとのことだ。そこで先んじてドワーフの王、巌の御館へ連絡を取り、彼らと合流のうえ向かってもらうこととする」
「なんと……」
エゼルレッドの回答はいずれも淀みなかった。全てはすでに彼の中で決定していることだと言わんばかりに。
それでもトリスタンは宰相として、最も重要な確認をせざるをえなかった。
「陛下、それでは……そこまでされて協議される此度の議題とは、一体如何なるものなのでしょうか」
閣僚たちの視線がエゼルレッドへ集中する。
「魔界に取り残されている初代勇者の末裔――――『要の一族』との会談についてだ」
「!!」
今度こそ、閣僚たちは驚きの声を隠せなかった。それも当然の反応である。
魔界とは瘴気に満ちたこの世の裏に存在する世界であり、いわば世界そのものが表世界の敵であり、ゆえに、そこに存在するものは悪しき魔族のみであると、永く、それこそ有史の初めから伝わっていたと、そう信じられてきたのだから。
トリスタンすら言葉を失った空気の中で、それでもエゼルレッドは常の無表情を崩すことなく、己の言葉を口にしていく。
「円卓会議の開催場所は北方神殿を指定する。至急神殿側と連絡をとり、関連部署にも通達を出すように」
「魔界には魔族しかおりません!」
王城と神殿側との連絡を担う立場にある神官長ドニロドトスが、とうとう我慢の限界だと言わんばかりに声を上げた。
長らく伝えられてきた教えに対する反逆とすら言えそうなエゼルレッドの言葉に対し、反発心を隠すでもなく机へ手を叩きつけ、立ち上がる。その場の全員の視線を集めたことに一瞬躊躇する様子を見せたが、それでもドニロドトスは神殿を代表し、中つ国へ赴いている者として発するべきだろう言葉を繋げようとした。
「恐れながら、陛下!その議題はそもそもが――――」
「エルフの王に確認済みの事項であったとしてもか?」
「ッ!?」
だがその主張すらも、エゼルレッドの冷淡な声に断ち切られていく。
神殿が人間の信仰の主柱であるなら、エルフの予知と伝承は世界の主柱である。
絶句し、それでも「しかし」「だとしても」と言葉を探しながら狼狽えるドニロドトスを一瞥したエゼルレッドは、朝議のため自身の前に並べられた書類を見ながら指先で机を叩いた。
「それと……ここしばらく我が国内で瘴気汚染が広がっているというのに、各神殿からの連絡は滞っている」
「!」
びくりと肩を跳ねさせたドニロドトスではなく、神殿関係の書類を欠いた机上を見つつエゼルレッドは続けた。
「そのことを踏まえ、北方神殿への連絡は早馬を使い二回に分けて行え。使節を遣わしてでもかまわん。必ず回答を得ろ。これは世界に関わる議題である、とな」
「ッ~~~……!」
下唇をかむドニロドトスへ最早一瞥をくれることもなく、エゼルレッドは自身の右腕へと視線をよこす。
「トリスタン」
「はッ」
「私が不在の間、君を摂政に任命する。王妃をよく支えてやってくれ」
「――――!」
本来の、一般的な王室であれば、その頂点たる国王が不在の場合、摂政を担うのはそれに次ぐ地位の王族、すなわち王妃である。だが中つ国の王妃ベルグリンデはもうすぐ迎える誕生日を越しても弱冠一九歳、さらに内政経験など皆無であった。
その彼女を飛び越え、二五歳の宰相を任命するというのは異例の重用ではあったが――――この場に、その決定へ異を唱える者はいなかった。
宰相トリスタンとは、すでにそれだけの地位を確立していたのである。
「ははッ……謹んで、拝命いたします」
そして彼の了承は、すなわち円卓会議に向けて動き出すことを、この国の宰相が了承したということでもあった。
最後まで何とか立ち続けていたドニロドトスも、ついにはその膝を折ったように自身の椅子へどさりと腰を下ろしたのだった。
そこから中つ国の中枢は、円卓会議の開催へ向けて一斉に舵を切り、動き始めた。
西の山脈にあるドワーフの都へ、北東にあるエルフの森へ、そして内海を越えた南端と最北にある獣人族の国へと中つ国国王の書状を持った使節が遣わされ、彼らの返事を待ちながらも、久方ぶりの国王の不在という大事に対しての準備が進められていった。
日に日に紅葉した木々の葉が落ちていくように、王城内に起きた異変は徐々に王都内へも伝わっていく。人々は王の不在に対する不安と、円卓会議というもはや伝説の中の出来事が復活することへの好奇を隠せずに、王都内の空気はどこか浮足立っていた。
誰かが「王様が都を出られるなんていつぶりだろう」と囁き合い、吟遊詩人へのリクエストに「円卓会議の歌はないのかい」と声がかかるほどに。
一方、円卓会議の開催に向け王城の関連部署が奔走するなか、中つ国は暦に則り執り行われる祭りへの準備も進められていた。豊穣を祝う祭りは例年通りに執り行われたが、パレードの中の国王と王妃を見つめる目には期待と不安が入り混じる複雑なものがあった。
豊穣の祭り、秋の節目を越えれば、今度は耐え忍ぶ冬が来る。
しかし今年の冬は例年の通りとはいかないものになるだろうことを、誰もが予感していた。
その日の晩は一際空気が澄み、円い月が明るく輝く夜だった。
祭りの余韻をのこす王都は、まだちらほらと明かりがついている。
地上に落ちた小さな星々のようなそれを眺めていた王妃ベルグリンデは、その肩へかけられたローブを抑えつつ、振り返った。
「体を冷やすな」
エゼルレッドの声はこの夜のような静けさと、妻に対する温かな心配に満ちていた。
ふ、と目を細めたベルグリンデは、ローブへ袖を通しつつ礼を言う。
そこはエゼルレッドの私室のバルコニーだった。どこからか飛んできた落ち葉が白い石の床に落ち、また飛んでいく。
「なにを見ていた?」
「秋の終わりを……まだ、終わりたくないと言ってるような街の明かりを」
妻の言葉と目線を追うように、エゼルレッドの目もまた城下へ向けられる。
宵闇の濃い藍色を混ぜた黒の中に、ぽつりぽつりと橙色の明かりが見えた。
それを見ていたエゼルレッドは、しかし妻のように秋の風情を味わう気分になれず、視線を傍らの彼女へと戻す。
「すまない」
「……?」
「本来なら、来月は君の……」
言いかけたエゼルレッドの言葉を読んだように、ベルグリンデがくすりと笑う。
「誕生日なら、来年もやってきます」
その未来を確信しているかのような彼女の言葉で、眉尻を下げたエゼルレッドが腕を伸ばす。ベルグリンデは大人しくその腕の中へ収まると、夫の逞しい胸元へこめかみを預けた。
「書状の返事が、届いたのですね?」
「ああ。すべての……エルフも含めたすべての王が、今回の会議に参列する」
円卓会議は動き出した。それはすでにエゼルレッドの手を離れ、この表世界中に共有された催事となったことを意味していた。
「喜ばしいことではありませんか」
「そうだな。だが……」
エゼルレッドは腕の中の華奢な存在を見下ろす。とうに政治的なパートナーの枠組みを超えて、自分の中の無二の存在となった妻を。
「不安はないか?」
「ないといえば、嘘になります」
すべては彼女の予言、いや予知夢から始まった。
その時から覚悟していたこととはいえ、いざ、この温もりと長く離れることになるのだと思うと、エゼルレッドはそれを知らなかった頃の自分がどんな気持ちと覚悟で遠征に出向いていたのかすら思い出せなくなっていた。
「陛下こそ、ご不安はないのですか」
「……君に嘘はつきたくない」
だが夫の体面も崩したくない。そんなエゼルレッドの言葉に、また腕の中からくすくすと笑い声が聞こえる。
近頃の妻は、エゼルレッドの前でよく笑うようになった。笑う姿を、見せてくれるようになった。
そう思うと一層この温もりに対する離れがたさが増すというのに、エゼルレッドは自身の気持ちをもはや抑えられないでいた。
そんな夫の胸中を察したかのように、ベルグリンデの手が伸びたかと思うと、エゼルレッドの胸元をぽんぽんと優しく叩く。
「大丈夫、会議は必ず成功します」
「……それも君の予知夢か?」
「さあ、どうでしょう」
こちらを見上げてきたベルグリンデの瞳が、穏やかに細められる。
「ベルグリンデの言葉だけでは、ご不安ですか?」
気づけば、エゼルレッドはベルグリンデをその両腕で抱き締めていた。
筋骨隆々としたエゼルレッドの体躯に対してベルグリンデはあまりにも華奢で、その全身はすっかりと覆い隠されてしまう。それでも彼女の腕はその広い背中へと回され、宥めるようにそこを撫ぜるのだった。
「いいや……なににも勝る、俺の道しるべだ」
小さな頭の、その深い色の髪に唇を落としながらエゼルレッドは呟く。
ベルグリンデが静かに顔をあげた。普段の力強さをいまは秘めたその瞳が、真っすぐにエゼルレッドを見上げている。
月明りを浮かべたそこへ吸い込まれるように、エゼルレッドは顔を伏せた。
「――――……大丈夫、魂は共にあります」
互いの体温を交換するかのような束の間の口づけのあと、ベルグリンデの声は優しくエゼルレッドの心へ寄り添った。
やがて離れる二人の姿を、ただ、月だけが見ていた。
満ち足りた月が欠け、姿を消す頃。その日はやってきた。
ラッパの音と共に隊列が組まれ、正門前広場を一周した王族専用の馬車が車止めの位置でぴたりと停まる。
正門前広場周囲に居並び警護に当たっているのはいつもの第一騎士団だったが、隊列を組み、馬車列の先頭を行くのはブリン卿率いる第三騎士団の面々だった。
いつぞやの王妃の参詣を思わせる物々しい警護体制だったが、今回の場合はそれも当然と言える。
「よく晴れてくれましたね」
天鵞絨のドレスに身を包んだベルグリンデが、自身の腕を取っている傍らへと語りかける。
「ああ、風も少ないのは助けになるだろう」
重厚なマントの旅装に身を包んだエゼルレッドは、妻のいう朝日へいささか眩し気に目を細めつつ共に歩を進める。
開かれた馬車の側戸を前に自身の腕を放そうとしたベルグリンデは、しかしエゼルレッドの手にそれを阻まれた。
ベルグリンデの右手を自身のそれで掬いあげたエゼルレッドは、息を吹き込めるかのように――――ごく自然な動作で、その指先へと口づけを落とした。
「!陛下……!」
頬をさっと赤らめて周囲の目を気にする妻の姿へ、やはり眩し気に目を細めたエゼルレッドが今度こそその手を解放する。
「必ず帰ってくる。それまで、食事を欠かさぬように」
「子供扱いのお小言は結構です!」
国王と王妃の睦まじさに、最初は目を丸くしていた周囲の眼差しが温かいものへと変わる頃、ベルグリンデはきっと厳しい目で夫を見上げて言い放った。
「陛下こそ、ご自身は旅慣れていらっしゃるなどと思われませんよう。北方神殿までの道のりは北東のそれとはわけがちがうのですから」
「ああ、肝に銘じよう」
きつい目つきでじっとエゼルレッドを見上げていたベルグリンデだったが、不意にその目元から剣呑さが消えたかと思うと、真摯な眼差しでこう続けた。
「……いってらっしゃいませ、あなた」
「いってくる。ベルグリンデ」
国王であることを示す紋章が刺繍されたマントが翻る。その巨躯では不要にも思われるステップを踏んで、エゼルレッドは馬車に乗り込んだ。その後に続いて一人の侍従が乗り込み、もう一人大柄な侍従が馬車後ろのステップへと乗ると、側戸が閉ざされる。
角笛の音が晴れた秋空、いや冬の入り口に立つ空へと響き渡った。
その音に驚いて飛び立つ小鳥たちの羽音も掻き消して、無数の馬蹄が石畳を掻く音が続く。
国王を載せた馬車とその荷物を載せた馬車列が、騎士たちに囲まれて出発した。
一定の速度で進む馬車は、見守るベルグリンデの目の前から見る見るうちに遠ざかっていく。
最後の赤毛の騎士が正門前広場を出た後も、ベルグリンデはそこに立ち続けていた。
馬車が跳ね橋を渡り、城門をくぐり抜け、坂道の向こうに消えた後も。
「……妃殿下……」
エディスが声をかけてもなお、そこに立ち続けていた。
やがて角笛の音に逃げた小鳥たちがまた戻ってくる頃、彼女はようやく踵を返し城の中へと戻っていった。
その思いがけない健気さに驚いていたエディスを除く周囲の者たちは、それでも国王の旅路の進捗を報せる伝令がくれば、王妃の心配も癒えるだろうと考えていた。
しかし――――その日を境に、王の旅路に関する進捗は、一切城内に届かなくなるのだった。
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