12. 王妃の告白
あの悪夢を見た日から、早いもので半月が過ぎた。
月は一〇に入り、太陽の沈む時間は日に日に早くなっている。
わたくしは相変わらず謹慎の身だが、変わったことが一つ、いや、三つ、だろうか。
「――――待て、ベルグリンデ。その手紙はなんだ」
「勇者たちの足取りの報告書です!どこにいるか、何を退治したのかを報告させているんです。これでよろしいですか?」
「そこまで手を回していたのか」
「彼らから聞き出した分だけでは物語が足りなかったんです」
陛下同伴でなら、外出も面会も、手紙のやり取りも許可が下りたということだ。
ようは条件付きの軟禁状態だと本人がいる前で愚痴ってやれば、早速呼び出されたファーウェイは口の端を引きつらせながらも両手を挙げてどうどう、のポーズを取って見せた。
わたくしたちの間のローテーブル、そして長椅子の向こうには、ファーウェイが持ち込んだ、というかわたくしが発注しておいた勇者グッズと、これまでの報告書が、山をなしている。
「まあまあ……あ、物語といえばご注文の歌劇も幕が上がってますよ」
「知ってるわ。観てきたから」
「えっ?もうですか?というか、殿下が観てこられたってことは……」
ファーウェイの目がちらりとわたくしの横に動いた。
「観たぞ」
「わたくしの顔を、でしょう。陛下は」
呆れ半分の指摘を涼しい顔で受け流し、陛下は勇者のぬいぐるみを手に取ってまるで仕込み針でもあるのではと言わんばかりに検分している。
そんなわたくしたちを見ていたファーウェイが、ティーカップを手にしつつどこか乾いた笑みを零した。
「ははは……本日はお日柄もよく両陛下は大変仲がおよろしいようで」
「!?なに訳の分からないことを言ってるのお前まで!」
手元の報告書から思わず顔を上げたわたくしに、ファーウェイはなぜか遠い目になる。
「いや……だってお忍びでお二人が観劇デートされるなんてこの八年と一〇か月間で初めムグ」
「デートじゃないわよ、そうしないと外出許可が出ないから結果的にそうなったの!いい!?」
その駄弁しか出てこない口に焼き菓子を突っ込んでやると、ようやく静かになった。
しかしそれのなにがいけなかったというのか、陛下のファーウェイへ向ける眼差しの温度が目に見えて下がる。
それに気づかないわけもなく、木の実を得たリスのように焼き菓子を高速咀嚼してハーブティーで流し込んだファーウェイは、それではまたご贔屓に、と言い残し逃げるように帰っていったのだった。
「――――もうっ最近の陛下の態度はやりすきです!」
ファーウェイが逃げ去ったあと、妙な空気に取り残されたわたくしは空気の入れ替え、もとい気分転換に庭園を散歩することにした。
もちろん、陛下のエスコート付きで、だが。
「いままでが無防備すぎたんだ」
こちらの抗議には相変わらず涼しい顔で、なんの動揺も見せはしない。
「それに……」
「?」
陛下が立ち止まれば、自然とわたくしも立ち止まることになる。
なによ、と見上げたら、あの薄青い目が真剣そのものですと言わんばかりの眼差しでこちらを見ていて。
「もう、呼ばないのか」
「!あ、あの時は寝ぼけていたのだと何度も申し上げたでしょうッ?」
真面目な顔で何を言い出すかと思えば!
最近の陛下の態度は本当にやりすぎとしか言いようがない。
その中でも特にわたくしを困らせているのは、あの、あの時の呼び方を――――あなた、とわざわざ呼ばせようとすることだった。それも一回二回ではない。
ヒステリックなわたくしの叫びにも、ふ、とその目元を緩めるだけで。
「寝ぼけた君に会えば、また呼んでくれるということだな」
「なにを……中つ国の王妃が寝ぼけて人前に出るなど、はしたない真似はいたしません!」
「ああ、人前ではなく――俺の前だけでいい」
「!!」
それだって人前には違わないじゃないの、と思っても口に出せないことが悔しい。最近の陛下は、おかしい。公務のときの「私」ではなく、おそらくは素である「俺」でわたくしに話しかけてくるし、わたくしが王妃らしからぬ動揺を見せるのを、まるで楽しんでいるようだ。
ああ、空気はすっかり秋の涼しさだというのに、頬や背中がやけに暑い!
わたくしはつぼみを膨らませつつある薔薇の植込みのところまでくると、陛下のその腕をぐいっと引っ張った。方向転換させて、向かう先はエディス達が待つ庭園の入り口だ。
「も、もう散歩は結構です。部屋に戻りますわ。陛下もわたくしにかまけてらっしゃらないで、執務へお戻りください」
「わかった。ベルグリンデ」
「な、なんです、か――」
それは生垣の角を曲がり、わたくしたちを待って立っている回廊のエディスたちが見えた――つまりエディスたちにもわたくしたちが見える中で起こった。
わたくしの右手を乗せていた陛下の左手が静かに抜き取られたかと思うと、彼の右手がわたくしの手を掬いあげるように、その口元へと近づけて。
息を呑むわたくしの目の前、唇の寸前で、止まった。
「晩餐に、また」
まるで指先へ囁くように。そう言った陛下はそっとわたくしの指先を解放し、一足先に自分の護衛たちを連れて回廊を歩み去っていった。
そしてわたくしはといえば、なぜか目の合わない騎士たちと、対照的に目を輝かせているエディスを連れて、自室に戻っていったのだった。
(――――なんなのあの男は!)
自室へ戻るなり、わたくしは長椅子のクッションへと無言パンチを叩き込んでいた。
(わたくしと話すならもっと大事なことがあるでしょう!?)
ただ、ボスボス、と間抜けな音を立てる哀れなクッションに情けをかけたわけではないが、わたくしのパンチの勢いはあっという間に衰えて、しまいにはがっくりと項垂れるに至った。
解っている。わたくしと話すなら重要なことを、と言ってるわたくし自身が、結局のところあれ以来話題を切り出せていないことが、現状の一因でもあるのだと。
でも、慣れないものは慣れないのだ。いつまでたっても。どうしたって流されてしまう。
萎れたまま長椅子に座り込んだわたくしへ、庭園からここまでなぜか上機嫌を崩していないエディスが和やかに話しかけてきた。
「妃殿下、新しいお茶をご用意いたしましょうか?」
「……ええ、お願い」
畏まりました!とエディスが退出すれば、わたくしはしばし部屋の中で独りになる。
下女たちは食事や身支度の時しかエディスが連れてこないから、この部屋は彼女がいないと途端に静かだ。わたくしはぼんやり視線を動かして、ふと、一旦本棚の空きスペースへ納められたままになっている勇者グッズが目についた。
立ち上がり本棚の前へ行くと、あらためて自分が発注した品々――それにファーウェイが独断で作らせてみたという試作品――の数に、我ながらずいぶん仕事したものだと思う。
その中でもまず最初にわたくしが手に入れた勇者グッズ。これだけはこの世に一つしかない、肖像画を手に取った。
印刷工房での役目を終えたそれは、あらためて見ると三日で描きあげたとは思えない上々の精密画だ。
これからちゃんと額装させて部屋に飾らせようと思いつつ、画面の中の二粒の青――勇者の瞳と見つめ合う。
(勇者、ユーリヒト……)
彼らと話しているときやその冒険譚を聞いているときは、これを世に広く知らしめなければという使命感と高揚感に胸が躍っていたわ。
悪夢が一つの未来かもしれないと思っていた時は、わたくしたちは勇者の味方だと覚えてもらいたいという打算もあった。
そして悪夢が――――予知夢だと確定したいまとなっては、彼らの旅路の無事を祈る気持ちと、北の果ての魔界門にたどり着く前に魔族の真実を、討伐すべき存在などいないのだということを伝えなければいけないという思いが、ある。
それこそがいまのわたくしの使命だという確信も。
(ただ……)
森から帰った時のわたくしには、いえ、わたくしたちにはなかった変化。
いまのわたくしは、『あの』陛下と向き合って話さなければいけない。
話して、そして信じてもらわなければいけないのだ。そうしないとなにも始まらない。
(そう、解っているのに)
いまの陛下と二人で向き合って話すのだと思うと、心臓が跳ねる。それはときめきなどという生易しいものではなく、痛いほどの勢いで。
緊張、しているのだと思う。いまの陛下と話すことを、どこかでわたくしは――――怖いと、思っている。
ただ、それがなぜなのかと考えても、結局答えは見つからずじまいで。
大きなため息を吐いたところに、お茶の支度をしたエディスが戻ってきた。
肖像画を手にため息を吐くところを見られてしまったが、いまさらである。
最近ため息が増えていると、数日前に指摘をもらったばかりだから。
「増えてらっしゃいますねえ。勇者様の旅路に、なにか心配事でもございましたか?」
「ないわよ。全く。とても順調、と報告が来てたわ」
「それはなによりです!」
「そうね……」
なぜか北じゃなくて逆方向の南に向かって出発してるらしいけど、まあ彼なりの考えがあるのでしょう。それに遠回りしてくれることは、こちらとしても時間的な余裕が出てくるので決して悪いことじゃない。
よって勇者の旅路に心配事は、ない。まったくない。
わたくしのこれは、心配事、と言っていいのかすら定かではないけど。
「……ねぇ、エディス」
「はい?」
てきぱきと喫茶道具を準備するエディスへ声をかけながら、肖像画を棚に置いたわたくしは、長椅子のほうへ戻って、そこに腰を下ろした。
彼女の淹れてくれるハーブティーはいつも美味しいし、その時の気分に合っている。
その香りを吸い込んだからかもしれない。
思わず、わたくしの『心配事』を口にしてしまったのは。
「……話すべきことがあるのに、解っているのに話せないなんて、おかしなことよね?」
「え―――」
「話しても信じられなかったら、信じてもらえるまで話せばいいだけなのに、それを……怖いと思うなんて」
自分一人で考えても、答えは出なかった。かといってこんな時、相談する相手というものが――物語の中では、それは友人だったり家族だったり恋人だったりするらしいが、あいにくどれとも縁がない――いないのだ。
いない、と、思っていた。でも、いつもわたくしの気分を汲んでくれる彼女なら、あるいは。
そんなことを思いながら、訥々と繋げた言葉に、最初は目を丸くしていたエディス。
やっぱり急にこんなこと聞かれても困るわよね。そう、言おうとした時だった。
「おかしくなんかありませんよ」
エディスの穏やかで、柔らかな声が降ってくる。
思わず顔をあげた――いつのまにか俯いていたわたくしににこりと微笑んだエディスは、空になったお盆を抱いたまま、わたくしの傍らに膝をついて、目線の高さを揃えてくれた。
「信じてほしいから、信じてもらえないのが怖いんですよね」
「……そう、ね、多分」
「それはですね、妃殿下。へい――いえお相手のことを、妃殿下が好いていらっしゃるからですよ」
「……は!?」
突然飛躍した話に、今度はわたくしが目を丸くする番だった。
けれどエディスはわたくしに対し、至って真剣に続けた。
「どうでもいい相手にそんな気持ちはおこりません!信じてもらえなかったら、相手の意に沿わないことで嫌われてしまったら……それが怖いのは、お相手のことが好きだからです」
「す……好きって……『推し』ということ?」
「うーん、似てるけどちょっとちがいますね」
似てるのに違う?
混乱するわたくしを前に少し考えこんだエディスは、やがて何かを思いついたのか、ぴ、と人差し指を立てた。
「どちらも好意ではありますが、妃殿下、勇者様とお話されるときにドキドキしたりいまおっしゃられたような緊張はされましたか?」
「いいえ……」
「でしょう?『推し』への気持ち、その根っこにあるのは『応援したい』って思いなんです」
まあ私は『推し』を前にしたら緊張すると思いますけど、と照れくさそうに付け加えるエディス。その姿はわたくしにはない素直な愛嬌があった。
「でも、でもですね殿下。好きって気持ちは――恋というものは、お相手に『好かれたい』って思いがあるんです」
だから怖くもなるし、自分の一挙一動がお相手にどう見えるか気になったりするものなんですよ、と。
……そのあと、晩餐までどう過ごしたかわたくしは記憶がない。
いまこうして夜の装いをして、食堂で食事をしてるということは、あのあとエディスのハーブティーを呑んで午後を過ごしたはずなのだが、そのあたりがすっぽ抜けている。
それでも染みついた王妃としての動きというべきなのか、いつもより味のしない食事を切り分けて口に運ぶ、という作業はなんとかこなしていた。
こなしていたが、脳内にはずっと、エディスの言葉が渦巻いていた。
好き?好かれたい?わたくしが?誰を?――――誰に。
「ずいぶんな考え事のようだな」
「っ!」
不意打ちの一声に、思わず上げそうになった声を呑み込む。
ワイングラスを傾けつつ、陛下は見慣れた無表情で「いつもは数口の皿もすべて平らげていた」と続けた。
「……そんなところまで見てらっしゃるんですか」
思わず刺々しい声で返しながら、わたくしは目の前に置かれたデザートの皿を睨む。
今夜は旬を迎えた葡萄をふんだんに盛り付けたケーキ。艶やかな果肉とクリームを挟んだそれは、普段のわたくしならこれを食べるため、他の皿を控えめにしただろう逸品だ。ただ、今夜はいつもより腹部が圧迫されてるような気がしてた。
気のせいではないと、知りたかったわけじゃないけれど。
「いつも見ている」
「っ……いつも、なんて」
晩餐はこの八年間の中でも、わたくしたちが儀礼以外で顔を合わせる数少ない機会だった。とはいえ執務に追われる陛下は食堂で召し上がらないということも珍しくなく、わたくしもそれを気にしたことなどはなかった。
毎晩二人でこうして食べるようになったのは、ここ最近のことだ。
わたくしの部屋に、陛下が駆け付けてくださった、あの日から。
「いままで来れないときは、報告させていた。君は食が細すぎるようだから」
「え……」
何でもないことのように告げられて、呆気にとられる。
報告させていた?なにを?……わたくしの食事の様子を?
ワイングラスを置いた陛下の目と、わたくしの目がかち合った。わたくしは思わずその視線を振り切るように、目の前の小皿へ集中しようとして、デザートフォークを手に取った。
手に取って、けれど、これではいつもの繰り返しだという自分の声が脳裏に響いて。
そっと、取り上げかけたそれを、テーブルに戻した。
「……陛下、この後はどう過ごされますか」
「仕事が残っているから執務室に戻る」
「ですからわたくしにかまけている場合ではないと――」
そうじゃない。首を振って、いつものようなお小言で流しそうになる自分を追い払う。
わたくしは、ここを乗り越える。乗り越えなければいけないのよ、ベルグリンデ。
咳ばらいを一つ挟み、あらためて陛下の方へと顔を向ける。両手はテーブルクロスの下で、ドレスの裾を掴んでいた。
「わたくしも同席してよろしいでしょうか。長くお邪魔はいたしません」
「君が?」
「大事なお話がございます」
そう、とても大事な話だ。
だから――――と、縋りそうになる手を、握りしめることで堪える。ドレスの裾に、音もなく皺が寄った。
わたくしにとっては永劫にも感じられた逡巡を経て、陛下は端的にこう言った。
「かまわない」
「ありがとうございます」
一つの山を越えた。本当に、そう思った。
そこでようやくデザートフォークを手に取ると、わたくしは今度こそ葡萄ケーキの攻略に取り掛かったのだった。
こちらに注がれる陛下の視線には、気づかないふりをした。
「――――それで、大事な話とはなんだ?」
晩餐のあと、わたくしは陛下のエスコートを受けてその執務室へとたどり着いた。
いまから丁度、約一月ほど前になる。あの出頭命令以来のそこは、本来の業務時間を過ぎているためか、一人の侍従と護衛の騎士たちのみで閑散としていた。
侍従がすべてのランプの明かりを点け終わるのを待って、わたくしは口を開く。
「お人払いを」
陛下の目が音もなく細くなる。
いま、わたくしの手元を隠してくれるものは何もない。
だからせめて無様に震えないようにと、スカートの上で重ねた手を握りしめた。
陛下の声は、やはり端的だった。
「全員、下がってくれ」
二つ目の、山を越えた。
退出していく複数の靴音を聞きながら、わたくしはそう思った。
同時に、ここから始まる三つ目の山が、一番の難関であるとも。
重厚なあの扉が閉ざされると、陛下は執務椅子ではなく、執務机の縁に腰を落ち着けた。
その正面に立つわたくしとの距離を、あえて短く保ったかのように感じたのは、わたくしの気のせいだろうか。
「森の御前との話だろうか」
「それも、ございます」
も、の付属に、陛下の眉がぴくりと動く。
わたくしは料理でくちくなった腹部に、それでも空気が入るよう深く息を吸い込み、背筋を伸ばした。
「森の御前とお会いしたのは、わたくしが知ったことが真実か否かを確かめるためでした」
陛下は何も言わなかった。わたくしはそれを促しと捉えて、先を続ける。
「御前は、それを一つの真実だと肯定なさりました」
「……君は何を知った?ベルグリンデ」
目の前に、三つ目の山が迫っている。
指先が冷たくなるほど、わたくしは自分のそれを握りしめながら、ランプの明かりを反射する薄青い瞳を真っすぐに見つめた。
「――――恐ろしい陰謀と、残酷な歴史の結末です」
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