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勇者は王妃の『推し』ですわ!  作者: gen.
第二章

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11. 王妃の観劇





 その劇場内は、熱気に満ちていた。

 熱源は灯されている獣脂蝋燭の数だけではない。人々の期待と興奮が、まるで真夏へ逆戻りしたかのような熱となって、舞台を前に渦巻いていたのだ。

 季節は九月も半ばを過ぎ、唐突に暑さが途切れて涼しい風が吹き始める頃。

 昼の熱も逃げきった夕刻を少し過ぎた時刻に、わたくしはほとんどエディスの勢いに押されるまま――――なぜか自分に謹慎処分を科したはずの国王陛下と共に、お忍びでその劇場へと足を運んでいた。

 本当に、この状況はなんなのだろうか。

 ボックス席の座席に収まっても、なお、わたくしは混乱から抜け出せずにいた。

 謹慎令は解かれていない。森の御前との対話内容も話していない。つまり、肝心なことは一歩も進んでいないのに、こんなところに来るなんて。

 玉座とは比べ物にならないほど、近く並べられた隣の座席に陛下がいる。

 お忍びということもあり、懐に余裕のある貴族然とした装いに身を包んだ彼は、夕刻の合流時から行きの道中まで、普段と変わらず言葉少なだった。

 なにを考えているのかしら。本当に、陛下も――――そう思いながら状況に流されてる、わたくしも。

 舞台前の楽団から、弦楽器と管楽器の音色が響き出し、観客席のざわめきが波のように引いていく。

 舞台の幕が、上がろうとしている。


(……仕方ないわよ。ここまで来てしまったんだもの)


 結局、言い訳だと自覚しながらも自分にそう言い聞かせたわたくしは、緞帳前へ進み出てきた劇団長の口上へと意識を集中させるのだった。

 歌劇の内容は、わたくしが勇者から聞き出したなかでもその仲間たち全員がそろって果たされた、北西の汽水湖を荒らしまわるシーサーペント退治。丁度一年ほど前、本来海に出没するはずのシーサーペントが大嵐の荒波に乗じて湖へと侵入し、湖畔の輸送船を襲うという事件が起きた。そこへ通りがかった旅の勇者一行が、シーサーペントの魔力で荒れ狂う湖水をものともせず、仲間たちと力を合わせてこれを討伐した――――という話である。


(……さすがに、よくできてるわね)


 わたくし自身の観劇体験といえば、季節の祭事などで王城へ招かれた劇を観る、程度。王家に嫁ぐ前はどうだったかというと、一度や二度、お父様に連れられた気がしないでもないが、なにしろその頃のわたくしはじっとしてるのが大の苦手だったから、劇の内容なんて全く覚えていない。

 そんなわけで、王家に嫁いで文化の促進が自分の仕事の一部になったあとも、市井の劇団一つ一つを回るなんてことはしたことがないし、興味もなかった。

 だから選定はファーウェイに丸投げし、口も出さず先立つ物だけたっぷり与える、という方針を選んだのだが。

 やはりそれは正解だったのだろう。

 煌めくヴェールを翻して現される大波や、数人がかりでうねらせ舞台上を暴れまわっては咆哮するシーサーペントの迫力。そして剣を掲げた勇者たちの勇ましい歌声。素人目にも、それがどれだけ素晴らしいものかがひしひしと伝わってくる。


(欲を言えば、ヴィオレットはもっと緊張していたらしいし、ゼニラは水魔法と火炎魔法の合わせ技でもっと活躍してたはず。カイドウなんかシーサーペントの体に飛び乗って大立ち回りをしてたっていってたし……)


 まぁ、主役は勇者でと注文をつけたのはわたくしなのだから、この辺りは妥協点なのかもしれない。

 でも気になるのは気になるのよね。わたくしの『推し』は勇者だけど、勇者一行もその中には含まれてるのよ。彼らをふくめて、勇者ができあがっている、そんな気がしたから。


(今後、機会があればその辺をファーウェイ伝いに指摘してもいいかも。今日はお忍びだし、無理だけれど……)


 その他の細かな指摘箇所を頭の中でまとめながら、わたくしは帰りの馬車に揺られていた。車窓から見える辺りはすっかり暗くなり、街中は疎らな明かりが灯っているだけ。

 馬車の中も宵闇の青さと静けさに満ちていた。


「……王妃」


 城まで続くのだろうと思っていた静けさが、唐突に破られる。

 ぼんやりしていたわたくしは一拍遅れて、慌てて声の主へと視線をやった。


「はい、なんでしょう。陛下」

「楽しかった、か?」


 本当に、最近は予想外なことばかりが起きる。

 陛下が事実確認ではなく、わたくしの胸中を確認するなんて、そんなことが今まであっただろうか。

 けれどその驚きは表に出すほどのものじゃなかったから、わたくしは落ち着いて答えることができた。

 そんな落ち着きが馬車の揺れともども吹っ飛ぶなんて、予想もせずに。


「ええ、細かな粗は見えましたが及第点ではありました。陛下こそ、楽しまれたのですか?」

「すまない、こういうものには疎くて」


(すまない????)


 ……いま、この人、わたくしに謝ったの?

 陛下が?『あの』国王陛下が?

 馬車の中が暗くてよかった。さもなければわたくしは――――



「真剣に観ている、君の横顔を見ていた」



 ――――きっと、とんでもない間の抜けた顔をしていただろうから。


「そ、それでは劇場に行った意味がないではありませんか」

「そうだな。君の……『推し』というものを、知る機会かとも思ったのだが、いざ、観ていると」


 けれど陛下は、その言葉に振り回されてるわたくしの様子に気づいた風もなく、なにかを思い返すようにその顎へ手をやり、訥々と言葉を続けた。


「この主役が君の……瞳を奪っているのかと、思って……」


 今度こそ、絶句したわたくしの沈黙で、さすがの陛下もはっと顔をあげた。

 自分が言った言葉の意味に、今やっと気づいた、とでも言うかのように。


「しゅ、出資者なのですから真剣に観るのは当然のことでしょう?」

「そ、そうだな。その通りだ」

「まったく、なにを……それでは――――」


 ――――それではまるで、あなたが勇者に嫉妬したようではないですか。

 なんて、言えるわけもなくて。

 それきり、わたくしたちの会話は途切れた。馬車は坂を上り、もうすぐ城の跳ね橋を渡るころだろう。

 一刻も早くついてほしい。さもないと、なにか、またとんでもないことを口にしてしまいそうな気がするから。

 そんな風に思う一方で、わたくしはこのもどかしいような空気が、決して嫌ではない自分に気づかないふりをしていた。

 馬車は何事もなく進んでいく。やがて、ガタゴトと音を立てながら跳ね橋を渡り、正門前広場の車寄せへと無事に到着した。

 差し出された陛下の腕をとり、城の門を潜って侍女や侍従たちのおかえりなさいませの声を聞きながら、ほんの束の間だった腕を放す。

 仮にも謹慎中の身であるから、陛下から離れたわたくしはすぐ、第一騎士団の騎士たちに両脇を固められた。

 そのまま、すぐにでも挨拶をして別れるべき、だったのかもしれない。

 けれど、あれだけ逃れたいと思っていた空気が薄らいでいくのを感じつつ、わたくしは自分を見下ろす陛下に、それとは違う言葉を口にしていた。


「陛下、今日は……ありがとうございました」

「!……ああ」


 言うべきことも、聞かれるべきことも、山ほどあるというのに。わたくしは。

 まるで、ずっと言いたかった言葉を口にしたような充足感に満たされながら、今度こそ夜の礼をとったのだった。


「おやすみなさいませ、陛下」

「……おやすみ、王妃」


 思いがけず穏やかな気持ちに包まれて、踵を返したわたくしは自室へと帰った。途端、わたくしの帰りを待ちわびていたのだろうエディスがどこかぼんやりしたわたくしの手を取り、着替えから夕食、入浴の準備、入浴から髪を乾かすところまでをてきぱきとこなしていく。

 まるで鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌のエディスに、劇を観に行ったのはわたくしなのに、なんでお前がそう楽しそうなの、と思いながらも、わたくしは何も言えず、されるがままになっていた。

 胸に灯った温かいなにかが、口を開けば出て行ってしまうような、そんな気がして。

 おやすみなさいませ、の挨拶にわたくしはなんと返しただろう。いつもどおり、おやすみと言えただろうか。

 気づけば寝台の毛布にくるまって、わたくしは今日の出来事を――――馬車の中でのあの会話を頭の中で反芻していた。

 そうしているうちに、思いがけないことの連続で疲れてしまったのだろうわたくしの意識は、ふつりと途切れてしまったのだった。



『真剣に観ている、君の横顔を見ていた』


 それでは、意味がないではありませんか。陛下。

 わたくしは意識の中でこだまするようなその声に、そんなことを返そうとしながらも、くすりと笑うのを止められなかったわ。

 だからすぐ隣に――――あのボックス席の座席のような近くに、陛下の腕が見えたとき、わたくしもその顔を見てやろう、なんて思ったりしたの。

 どんな顔で主役を見ていたのかしら。それとも、もうわたくしの方を見つめているのかしら。

 視線が持ち上がる。腕の先から逞しい肩から首筋、そしてその顎先の、その上へ。

 向かおうとした視界が、赤く染まった。

 びしゃりと音を立てて、陛下の横顔を――まだ見れていないのに――汚す赤いもの。

 ああ、これは。

 わたくしの血。


『ベルグリンデ――――!!!!』


 傾いていく視界。わたくしはもう止められない。抱きとめられる衝撃。わたくしはただ見上げるだけ。

 赤く染まった陛下の頭上、振りかぶられる赤い刃を。

 あの声がこだまする。


『そなたに流れは止められぬ』


 美しく、冷徹な宣告が――――



「――――やめてッ!!」


 すべては霞のように掻き消えた。上手く呼吸ができない、心臓が痛い。こめかみを濡らすものを感じながら、歪んだ視界に映ったのは、伸ばされた手。月明りを透かす青黒い闇の中で、もがいた後のように、天蓋へ向かって、突き出された―――

 わたくしは上掛けと毛布を払いのけると寝台から飛び降りた。不寝番の下女の呼び紐を引くのも忘れていた。


「開けて!!」


 寝室を飛び出し、厚く閉ざされた自室の扉へ駆け寄ると、そこを何度も激しく叩く。

 やがて錠が外され把手が引かれる音と共に、何事かと顔に書いた衛兵が恐る恐る扉の向こうから顔を出した。


「陛下のところに行かせて!」


 そのわずかな隙間をいまにもこじ開けようとするわたくしに対し、衛兵は恐縮の様子を見せながらもそれ以上扉を開けてくれることはなかった。


「王妃殿下、恐れながら……まだ陛下が下された謹慎令は解除されていらっしゃらないのです」

「――――」


 生唾を呑み込んだ彼が、自分の職務に従いわたくしに告げたその一言が、わたくしを悪夢の恐慌から現実へと引き戻した。

 扉の隙間から、廊下の風が部屋の中へと入ってくる。廊下前の、薬草と花を練り込んだ蜜蝋燭の香りが。

 その香りはセージとディルに、ラベンダー。夏に収穫し、初秋に納められる季節の香り。

 初秋。まだ、勇者たちが旅立って一月ほどしか経っていない。


「……そう、ね。ごめんなさい。騒がせました」

「い、いえ。それでは……」


 再び、扉が閉ざされる。

 わたくしは感じていた。痛みを。扉に叩きつけた手が、いまさらしびれるような痛みを訴え始めていた。そして、裸足のまま触れている、座り込んだ床の冷たさを。

 そのあと、どうやって寝台まで戻ったのか。覚えていない。

 気づけばわたくしはまた上掛けと毛布のなかで、カーテンを透かす青白い月光は金色の朝日に移り変わっていた。

 朝を告げる鳥の鳴き声と、羽ばたきの音。時の経過をわたくしの頭は理解しながら、それでもそこから動けない。

 ノックの音と共に、下女たちを連れたエディスがやって来たことも――返事がなかったのでと詫びられたことに、どう返したのかも、分からない。

 ただわたくしは、されるがままに朝の支度をこなして、いつものように自室の中で朝食の席に着いていた。

 目の前には湯気をたてる、温かいスープ。わたくしは、これを飲まなくてはいけない。

 朝はとくに食が細いからと、様々な野菜を使って作らせているとエディスが言っていたポタージュスープ。

 飲まなくてはと、分かっているのに、スプーンに触れた手がそれ以上動いてくれない。

 わたくしの様子を見たエディスの、気づかわしげな声がする。けれどその言葉はまるで何重もの霞と布を通したように、遠い。

 いいえ、ちがう。彼女はすぐそこにいるのよ。

 解っているの。解っているのに、わたくしは。


「――……妃殿下?やっぱりお手が。お先に湿布を……」

「……陛下は」


 ぽつりと、そんなことを零していた。


「陛下は、どこにいらっしゃるのかしら……」


 あれは悪夢。ただの夢。いいえ、予知の一環。その一欠けら。

 頭の中で巡る声を割いて、零れた言葉だった。

 それを聞いたエディスははっとした表情になって「少々お待ちくださいね」と言い残し、踵を返したかと思うと下女たちも置いて部屋を駆け出していってしまった。

 ああ、お前は慌てるとすぐ転んでしまうから、危ないのに。

 わたくしは引き留めることもできずに、ぼんやりとその背を見送るだけだった。



 スープの湯気がか細くなった頃、わたくしはスプーンからも手を放してしまっていた。

 戸惑う下女たちには目もくれず、ただバルコニーの方を見ていたわたくしの耳に、慌ただしい足音が聞こえる。

 なにかしら。エディスが戻ってきたの?でも、あの子の足音はこんなに重たくはない。

 わたくしは扉の開く音がしても、バルコニーの向こうへ視線をやったまま動かずに、いえ動けずにいた。

 入ってきた足音の一つが真っすぐにわたくしへ向かってきて――――傍らで止まり、衣擦れの音とともに跪くまで。


「王妃」


 その声は。

 悪夢ではない、夢ではない。わたくしの反芻ではない、その声。


「……陛下?」

「ああ、私だ」


 振り返ったそこにいたのは、あの夢で見れなかった銀の髪に、薄青い瞳の人。

 わたくしの顔を覗き込むように、真剣な眼差しで見上げている、その人。


「どうして、ここに……朝の執務は……」

「君が、俺を探していると聞いた」


 陛下の向こう、扉のそばには、エディスや宰相までそろっていたけれど。

 わたくしの目はただ、目の前の青い瞳を見ていた。


「わたくし、が……」


 探していると言ったから。それを、エディスから聞いたから?

 ただそれだけで、そんな風に執務用の軽装のままで、飛び出してきてくれたというの。

 ただそれだけのために、わたくしの傍らに膝をついてくれているの。


「ああ。……ここにいるぞ。王妃」


 ただ、それだけの。

 会いたいと、わたくしが願ったというだけの、ことで。

 指先が震えて、ふらりと動いた。その手は昨晩、扉を叩いて痛めた手だ。

 今はもう痛みは引いて、かわりに痣が出来ていた。

 周囲が息を呑む。陛下はわたくしのそんな手を見て、痛ましげに眉をひそめたけれど。

 わたくしがその手を、彼の頬へそっと伸ばしても、されるがままになってくれた。

 触れたことのない、その輪郭。薄くやわらかな皮膚の下の、硬い頬骨の感触。わずかに触れる髪。耳殻の端。下あごの付け根から、口元まで。

 夢幻ではない。確かにそこに在る、息づいている。

 彼は生きている。生きて、ここにいてくれている。


「ここに、いらっしゃるのですね――――……あなた」


 その薄青の瞳が見開かれ、そしてなにかを、眩しいものを見たように、堪えるように細められる。

 かと思うと、わたくしの手は温かいものに包まれていた。

 わたくしが触れている彼の頬と、彼の大きな手の間に。


「ああ、ここに。君のそばにいる――――ベルグリンデ」


 名前。わたくしの。

 王妃ではない、陛下でもない。わたくしたちは、いまここに。

 わたくしたち自身として、触れ合っていた。


 そしてその時から、静かに、けれど明確に。

 わたくしと陛下の間にある歯車が、動き出したような予感をさせながら。





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