教えてやるよ。
多分の湿気を含んだ屋内が急速に冷えていき、床を、壁を、部屋そのものを凍らせていく。
「ギャアアアァァァッ!!」
「足がっ! 足がぁっ!!」
冷気は部屋全体に行き渡るとその進行を留めることなく悪漢達へと狙いをつける。
足先から凍らされ、逃げることも叶わない者達の絶叫が部屋の中で木霊していた。
「ど、どうなってんのよっ……!?」
先程までセルティスを散々殴打していた女は信じられないと言うふうに目を見開いている。
だがそれもそのはず、何故なら今目の前で起きている現象が普通ならば絶対にありえないことだったからだ。
室内が凍ってしまうほどの冬期なんて北の領地では一切来たことがない。 ましてや今の季節は春だ、自然的な現象は万に一つもありえない。
ともすれば考えられるのは魔術、だがそれはありえない。
ヘラは実用的な魔術は使えない、後ろのゴロツキ共も同様である。
そして目の前の三人は万全を期す為、魔術錠による拘束も行っていた。
魔力の行使などできるはずもない。
だからこそありえないのだ。
ヘラが最も恐れている相手はこの場に現れていない。
そして、その娘の片割れが魔術の素養を開花させてはいるがここまでの出力は出せない。
なにより幼年の少女がここまで来れるはずもないのだ。
そうなれば考えられるのは一つしかない。
自身の前に立ち塞がる銀色の髪の少女、その後ろから発せられている魔力の粒子。
『氷』の魔術を使う一門はこの大陸で一つしかない。
「ルゥイ・フルーヘイム……っ!」
『西』の公爵家フルーヘイムの嫡女、落ちこぼれと言われてきた少女の目覚めの瞬間だった。
「くそっ!」
ヘラは思わず舌打ちを漏らす。
(こんなのは予想していなかった! いやそもそもできる訳がないっ! 魔術師としての素養の開花、それはどんな場合においても兆候が見られるはずのものだ。 だがこのガキには一切それが見られなかったはずだ……! それにーー。)
ルゥイの手首には間違いなく錠がはめられている。
仮に覚醒したとしても一度も体内の魔力を行使したことがない子供がこんな土壇場でまぐれを起こせるはずがなかった。
考えられるのは二つ。
一つは先天的な魔力操作の才能。 稀に己の得意とする術式を即座に理解し行使できるものがいると聞く。 だがその才も魔力自体に封を受けているとあっては意味を為さない。
となれば答えは二つ目。
魔術錠ですら抑えることの出来ない圧倒的魔力保有量。 この少女は何の小細工も働かず、ただその身に宿る力を垂れ流しただけで拘束を破壊したのだ。
(はっ! 結局アンタも選ばれし者ってワケね……っ!)
この場にいる者全てにのしかかるあまりにも濃い魔力の奔流、その出力が段々と増加していき脳が危険信号を発するほどのモノとなっていく。
「お、ね……がい……ヘラ……。」
この魔術の発生源である少女が、裏切ったはずのメイドをまだ信じているかのように手を伸ばす。 その手首には少女の魔力に耐えきれず自壊した錠がはまっていた。
(ふざけんなよ……。 ちょっと前まで私の陰にびくびく怯えていた癖に……上に立ったと思った瞬間これかっ……!!)
「いいよ……?」
ぼそっと口を開いたヘラがルゥイに近づいていく、そして交戦距離まで接近するとその喉を潰そうと刺突の体勢に入った。
「いけないっ! ぐぅ……っ!」
セルティスが咄嗟に動き出す、だが度重なる負傷でまともに動けず足のバランスを崩してしまった。
「お嬢様危ないっ……!!」
アニスが叫びをあげるのと同時に肉を裂くような音が耳に響く。
「ぐぅ……ぅっ!」
「アニス……!」
肩に刃が貫通したその激痛にアニスが苦悶の声をあげる、致命には至っていないがその出血は見過ごせないくらいの量だった。
「あ〜あ、本当に最後まで邪魔してくれるわねアニス。 苦しいでしょう? 今楽にしてあげるわねっ……!」
ナイフを逆手に持ち、アニスの心臓部に狙いをつけて振り下ろす。
それを横目に見ていたアニスは諦観するように目を閉じる。
(叶うならば、最期までお仕えしたかった……。 お嬢様……どうか、どうか生きて……っ!)
ヘラが刃を振り下ろすと同時に辺りに鮮血が飛び散る。
この時点でこの場の誰もがアニスの死を覚悟していただろう。
だが予感していた痛みが無いことにアニスが後ろを向く。
「そ、んな……っ!」
アニスが驚きの声をあげているのと同様にヘラが驚愕の様相を浮かべていた。
アニスを庇い、その首と肩の間に深くナイフを刺し込まれた少女はあまりの痛みに嗚咽を漏らしている。
「何のつもりだ……アンタっ!!」
ヘラの問いに、少女は震える手でナイフを掴みながら言葉を吐いていく。
「助け……られた、から……。」
「アァ……?」
「言って……くれ、た……から。 ルゥイが、話せ……なくても……笑顔が、でき……なくって、も……。 どこまでも一緒って……言って、くれたから……!」
「っ!?」
それはとある日の馬車のなか。
アニスが初めてルゥイと出会い、共に過ごし、寝ている彼女に向けて誓った言葉。
その言葉は夢見の中にいたルゥイにも確かに届いていた。
周りを信じることが出来ず、自分の言葉を伝えることにすら恐怖を感じていた少女にとって、それがどれほどの救いになったことか。
だから動けた。
その一歩を踏み出すことが出来た。
彼女を救うために。
例え何もかもを奪われたとて……。
決して譲れないものがあるのだと聲をあげる為にーー!
「ぐぅあああああっ!?」
ルゥイが触れていたナイフから冷気が広がり、柄を握る手ごとヘラの身体を凍らせていく。
そのあまりの激痛にヘラが叫び、ナイフを抜こうとするが既に傷口とナイフが氷によって固定されてしまっている。
「くそ……っ! 離せっ! 離せぇっ!!」
痛みに耐えかねたヘラが凍っていく方とは逆の手でルゥイの顔をこれでもかと殴りつける。
だが口内が切れ、鼻を負傷し、どれだけ血が流れていようとルゥイは一歩も退かない。
「離……さない……。 ルゥイがこの手を離したら……ヘラはアニスに……ひどいことをしようとする……。 でも……それじゃ、ヘラが……悪者に……され、ちゃう……。 そんなの……いやだ……!」
「なに、言ってんだよ……! 私はお前を散々苦しめたんだぞ? 汚い金持ちに売ろうとしたんだぞ……!」
「ーーいっしょにいてくれたっ!」
「は……?」
少女は泣きながら言葉を続ける。
「ヘラ……いじわるだったけど、いつも一緒にいてくれた……。 ルゥイが迷子になった時も……アニスと一緒に探してくれ、た……!」
ルゥイは自分が馬鹿を言っていることは自覚していた。
ヘラは母親を傷付けていた、家族がバラバラになるよう仕向けてもいた。
その事でどれだけ家族が……そしてルゥイ自身も傷付いたかは分からない。
けれど専属になる以前、ヘラは確かにルゥイと仲が良かった。
今のように溝はなく主人とその従者としての確かな親交があったのだ。
そしてある日を境にヘラの様子がおかしくなり、今のような性格に変わり果ててしまった。
だからルゥイは信じたい。
たとえ今までが駄目だったとしても、言葉を持って互いに歩み寄れば分かり合えると信じたいのだ。
「お嬢様……。」
アニスがルゥイを気遣うような視線を向ける。
「…………よ。」
「え……?」
「もう、何もかも遅えんだよっ!!」
激昂したヘラがルゥイの腹に膝蹴りを浴びせる。
その衝撃で魔力供給が途絶えた右手の氷が壊れ、ルゥイの身体が後方へと飛ばされる。
「お嬢様っ!?」
驚いたアニスが直ぐ様駆け寄ろうとするも多量の出血で立ち上がることすら出来ない。
「ヘ……ラ……なん、で……。」
「もう止めだ……ここで殺さないとっ……。 でないと、私が私じゃ無くなる……。」
ヘラがおぼつかない足取りでルゥイの元まで歩みを進める。
「お嬢様逃げてくださいっ! 逃げてぇっ!!」
「アニス……。」
アニスが懸命にルゥイに呼び掛けた。
だがルゥイの身体は魔術に目覚めてから初めて過度な魔力放出をしたこともあり、ナイフの刺傷もあって指一本動かすこともままならなかった。
逃げるどころか立ち上がることさえ出来ない有り様だったのだ。
「くそ、やりやがってあのガキ……!」
「ぶっ殺してやるっ!」
ヘラと同じく凍度の拘束から解かれた男達も少女にとどめを刺そうと足を引き摺りながら向かっていく。
そうして最初にルゥイまで接近したヘラは疲労の浮かんだ目で彼女を見やる。
「ヘ、ラ……。」
「……。」
「もう……戻れ、ないの……かな……?」
「…………ええ。」
「そ……っか……そっ、かぁ……。」
ルゥイは既に焦点の合わない眼でヘラを一瞥し、静かに目を閉じる。
「……さよならです、ルゥイ様。」
ヘラがナイフを掲げる、対面する二人は既に自身の運命を受け入れていた。
だがその結末に異議を唱える者がいる。
「投げ……出すのかい? そうやって、何もかも。」
ルゥイが閉じた目を見開く。
「お姉……さん……。」
「きみは確かに言ったはずだ……。 彼女がアニスを殺してしまえば、もう後戻りは出来なくなってしまうと。 けどそれは、きみを手に掛けてしまったって同じじゃないか……。 きみは彼女が戻れなくなっても良いって言うのかい……?」
「それ……は……。」
「意味が無いんだよ……。 いくらきみ自身の意思で死を選んだとしても、残された者達はどう納得すればいい? いや、納得なんか出来るはずがない。 きみ一人が受け入れていても、誰が彼女を恨まないなんて言い切れる……? その先に待ってるのは終わりのない応酬だ、それこそどちらかが滅ぶまでの。」
「だったらーー。」
「だったら……どう、すればいいの……?」
ルゥイの目尻から堪えようのない涙が溢れてくる。
「もうきみは知っているはずだよ? 周りに手を差し伸べてくれるひと達は必ずいると……。 だから思い出して欲しい。 きみを一番に愛し、そのペンダントに願いを込めたひと達のことを……!」
「……っ!」
◇
ルゥイは思考した。
アニスの出血は既に無視できない域だ、このまま放っておいたらすぐにでも死んでしまう。
銀色の髪のお姉さんも打撲の傷によって動くこともままならない。
そして自分も既に満身創痍、体内の保有魔力は空っぽであり満足に身体を動かすことも出来ない。
ヘラはルゥイも含めた三人を殺そうとしている。
だかそれを止める手段が無い。
彼女も含めた全員が助かる為にはどうしても手が足りない。
首元のペンダントがチャリっと音を鳴らす。
「これはパパとママからの贈り物だよ、私達が二人の事をいつでも見守っているという証だ。」
激痛に顔を歪めながら、震える右手でペンダントをぎゅっと握り締める。
『二人が心から救いを求める事があった時、このペンダントに願いを込めるといい。 きっと……きっと力になってくれるからーー。』
そう……なのかな……。
信じて、いいのかな……。
胸の内の不安は拭えない。
けれど信じたい。
自身が一度放してしまった家族の絆を。
大切な人達を助けるために……。
もう一度だけーー。
「お願い……です……。」
力を貸してくださいーー。
ーーーー「助けて……パパ……!!」
その瞬間、突如として建物を破壊し飛来する者が現れる。
巻き上がる煙によって視界が不明になるなか、現れた男は幼い少女を胸の内に抱き締める。
「良かった……。 なんとか、間に合ってくれた……。」
「あ……。」
「ありがとうルゥイ……。 助けを求めてくれて……パパを信じてくれて……っ!」
「パ……パ……っ!」
大粒の涙が流れる。
止めたくても次から次へと溢れてきて止まらない。
だって来てくれたから。
少女自身が失ったと思っていた絆は確かにそこにあったのだから。
「パパ……あの、ね……?」
「分かっているよ、後は俺に任せて眠るといい。」
「う、ん……。」
男がルゥイの目蓋に手を這わせると、少女は安堵したように眠りにつく。
それを確認した男は次にヘラへと目線を向ける。
「いろいろと言ってやりたいことはあるが、娘たっての願いだ。 今はまだ生かしておいてやる。」
男が射殺すように睨みつけるとヘラは身体をビクつかせた。
「さて……。」
周囲の状況を確認すると悪漢が少女達を取り囲むようにジリジリと距離を詰めてきている。
「聞く気はないだろうが一応警告してやる。 大人しく投降しろ、そうすれば命だけは取らない。」
「はっ! んなもん誰が聞くかよ。」
「人数差見て言ってんのか? あぁん!?」
男が慈悲を持って投降を促すが、悪漢達は聞く耳を持たない。
だがその様子を見て男は逆に笑みを浮かべる。
「そうしてくれると助かるよ。 でないとこの腸が煮えくり返るような怒りをどこに向ければいいかと悩んでしまっていた。」
そう胸の心情を吐露すると同時に周囲に膨大な凍度の魔力が吹き荒れる。
「教えてやるよ……。 お前達が誰の娘を傷付け、敵に回したのかを。」




