ペロっ。
「お嬢様、タオルを! お風邪を召してしまいます。」
ニフィーリアが大量のタオルを抱えて戻ってきた後、セルティスは自身のことはお構いなしに少女にタオルを渡そうとする。
だが少女はそんなセルティスの事を不思議がるようにジーッと見つめている。
「ふむ。」
彼女がいつまでも動かなさそうなので、セルティスは少女の濡れた手や足を拭いてあげると、フードに手をかける。
「外してもいいかな?」
拭かれている間も少女はセルティスの顔を見続けていたが、自身に聞かれている事に気付くとこくこくと頷いた。
少女がフードを外すと艷やかなホワイトブラウンの髪が顕になり、天色の瞳が陽の光にあてられてきらきらと輝いている。
その瞳の色を見てセルティスは、この子が以前ニフィーリアがぶつかったローブの子だと改めて確信した。
「やはりきみだったか。」
「……??」
「いや、こっちの話だ。 気にしないでくれ。」
セルティスはふっと笑いながら少女の濡れた頬を拭いていく。
その際ニフィーリアも後ろから列を形成するようにセルティスの頭を拭いていたのだが、その時前髪から落ちた雫がセルティスの唇に触れ、彼女がそれをペロっと舐める。
「ん……。 いつも飲んでいるモノとは香りが違うね。」
「香りぃ!? お嬢様がっ? いっつも『これ味しない。』とか言ってドボドボ砂糖入れてるのに?」
「ニフィーリア、黙って。」
実はセルティスは辛味や苦味の強いものが大の苦手だが、それとは対象的に甘味の類は超がつく程の好物だった。
それ故に気になってしまったのだ。
目の前の、自身が拭いてあげている少女から漂うまた別の甘い香りに。
ーーペロっ。
「……っ!?!?」
「ふむ、いかにも甘そうだと思ったがそうでもないな。 いや、いろんな種類を浴びたから匂いが混ざっているのかもしれない……。」
「おおおおお嬢様なにやってんですかっ!?」
「ん? ああすまない、この子はどんな味がするんだろうと気になってしまった。」
「言い方ァ!!」
主人の突飛な行動にそれはそれは動揺したニフィーリアだったが、舐められた当人を見ると突然の出来事に固まってしまっていた。
だが、振り返ったセルティスと目が合うとたちまち頬が赤くなりーー。
「ぁ、ぅ…………っ!」
そのままぴゅーっとどこかに行ってしまった。
「あー……なんて罪深いことを……。 あの子の人生観が歪まなければ良いのですが……。」
「何を訳の分からない事を言ってるんだい?」
幼い少女の今後を憂いている自身とは対象的に、自分がした事に何の自覚も無い主人を見てメイドはため息をついた。
「邸に戻ったらアイリス様に報告ですね。」
「待ってくれニフィーリア。 なぜそこで母上の名前が出てくるんだ。」
「今日は長くなると思いますから覚悟しておいた方が良いですよ? 場合によっては『お話』になるかもーー。」
「よし、取引しないか? 今週分のおやつを全て譲ろう、持っていくと良い。」
「今週分って明日までじゃないですか……。 不成立です。」
「後生っ! 後生だから!」
必死で頼み込むようにメイドの後を追いかける令嬢。
その遥か後ろの木々からは、密かに二人を観察する人の姿があった。
◇
「アッハハハハハハっ!」
「アイリス様! 笑い事じゃないですよ。」
お茶会が無事?に終了した日の夜。 アイリスはセルティスとニフィーリアを自室に呼び出していた。
現場を密かに見守っていた侍従達の報告もあり、大体の事情は把握していたのだが、娘の主観も聞いておこうと夕食後に声を掛けたのだ。
だがアイリスは、セルティスが自分でお茶を被ったところと、令嬢達がそれに続いたことで生まれてしまった地獄絵図を耳にしてから笑いが止まらないらしい。
現に今もお腹を抱えてヒーヒー言っている。
「は〜ごめんなさい。 どうしたらそんな事になるのか何度想像しても可笑しくて。」
笑い過ぎで目尻に溜まった涙をすくい取りながら愛娘を見る。
「おかげでこちらは心臓が止まる思いでしたよ……。」
ニフィーリアが頭を抱えながら嘆いた。
「そうね。 でも、お陰で学びはあったんじゃないかしら?」
「学び……ですか?」
ニフィーリアは首を傾げる。
「ええ。 極端な例ではあったけど、女の子達は自分達が発した何気ない発言が、時に思わぬ結果をもたらすと知れた事は大きいでしょうね。主催であり、当主でもあるクラウスは今回の件を何も咎めはしなかったけれど、貴族によっては子供同士の諍いすら利用し相手を貶めるような人間もいるわ。 それくらい階級制度というのは危ういものなのよ?」
ティーカップを傾けながらアイリスは言葉を続ける。
「そしてセルティちゃんが一人の女の子を助けようと動いた結果が、最悪の場合あの場にいた者達全員の処罰に繋がるところだった。 あ、でも自分から皆を水遊びに誘ったというフォローは良かったわよ? とても苦しい言い訳だったけれど、一番上の立場であるあなたの発言に異議を唱えられる人はあの場所にいなかったものね。結果的に全員を救った事になるのだから、他の『公爵家』もこの件を不問とするそうよ。」
にこっと表情を緩めるアイリスを見て、セルティスは安堵の息を吐く。
「あの場にいた令嬢達のご両親があなたにお礼を言っていたわ。 おかげで命拾いをしたとね。」
「ははは……。」
知らなかったとはいえ、その令嬢達の立場を危うくしたのも自分なのだがとセルティスは苦笑いを浮かべた。
「大変勉強になりましたお母様。 お母様のお言葉はいつもぼくの視野を広げてくれるものでもあり、立派な貴族になるための良い教訓だとも思っております。」
「あら? そこまで褒められると照れくさいわね〜。 セルティちゃんもママに色んな事を学ばせてくれた大事な娘よ? 産まれてきてくれた事にいつも感謝してるわ、ありがとう。」
「いえいえ……それでは夜も遅いので、ぼくはこれでーー。」
「待ちなさい?」
用件を終えてそそくさと出ていこうとするセルティスを、アイリスがとっても柔らかい声のトーンで呼び止める。
「セルティちゃん。 不自然なくらいママの事褒めてるけど……他に何か言うことなぁい?」
「ははははは、お母様。 ぼくには何のことだかさっぱり……。」
「ニアから聞いたわよ〜? 仮にも公爵家の令嬢であるあなたが、嫌がる女の子の顔を無理やり舐め回していたとね?」
「語弊がありませんかっ!?」
偏向報道にも程があるだろとセルティスは抗議の意を顕した。
「あら? では違うと言うの?」
「ええ! 正確には舐め回したのではなくこう、ペロッと……。」
「舐めたのは事実なのね?」
「あ……。」
墓穴を掘ったと気づいたときには遅かった。
「セルティちゃん……。 ちょっと『お話』していきましょうね?」
「待ってください母上!……間違えたお母様!」
「ママと呼びなさい。」
「その呼び方は去年卒業したはずですが!?」
母娘のやり取りを傍で見ていた主人大好きメイドは、この後室内で起こるであろう悲劇をチクった当事者ながらに憂い、そっと避難していった。




