この流れ、伏線にないです。(ないよね?)
朝起きて日課のランニングに出る。
アメリカに行っている間に日本は気温をぐんと下げていて、走り出した時に吐く息が白いのにはまだ慣れていない。
少し前までは先輩も一緒に走っていたのだが、寒さに負けて布団から出てこなくなってしまった。
月曜の朝で、早朝にはまだ人の影はない。
そとは薄暗くて、走り始めて初めて小さい懐中電灯を握っている。
息を整えながら、いつもの距離を走る。
大体半分を超えたあたりで橋を渡ると、向こうで佇む人影があった。川面を見ているその人物はよく見た服装をしていて、横目に走り去る俺を見て勢いよく顔を上げた。
「ちょっと待って!!」
なんとなく。本当になんとなく、そう言われるような気がして、歩調をゆるめるタイミングだった。
止まりながら振り向こうと体を動かす俺を追って、その人は思いっきり突っ込んできて、
「ぐぇッ!」
止まってから引いた足に自分の足を絡ませて、思いっきりつんのめって見事に転んで見せた。
それはまるで俺がこの人に足を引っ掛けて転ばせたかのような光景に見えたことだろう。
顔面からコンクリートにダイブして、見る限りおおよそ受け身と呼べるものをいっさいしていないように見えたその人は、制服のスカートが思いっきり背中を覆っていた。
オレンジと白の縞々のパンツを世界に晒し上げ、痛みに堪えるその姿を俺は眺めることしかできなかった。
あまりの出来事で、息の上がった俺には酸素を脳に送り込む時間が必要だった。
断じてパンツに気を取られていたわけではない。ないが、体を起こそうと動くお尻の動きに目がいってしまっていたのは言い逃れの余地がなかった。
そしてそんな俺を橋の真ん中あたりから肩で息した先輩が見ていた。多分、由利亜先輩に叩き起こされたのだろう。
俺が先輩に気づいた時、制服姿のその人はどうにか立ち上がって少しフレームの歪んだメガネを直しながら言った。
「…………痛い……」
でしょうね。
そうとしか言いようがなかったけれど、先輩の姿に気づいて我に返った俺はようやく言葉を発することに成功した。
「だいじょうぶですか?!?!」
顔を上げて俺の問いに答えようとするその人の言葉を遮るように、先輩が飛んできて、
「おそい!!!!!!!」
おもっくそ頭を引っ叩かれた。
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女性には下着を上下揃えるという概念がある。
その論から言えば、いま目の前に座るこの人はオレンジと白の縞々のブラジャーをつけているということになる。
見えるはずのない制服の奥。俺は神秘に触れようとしている。
「太一くん、箸とまってるよ」
視線が露骨すぎたらしい。箸は絶対に止まっていなかったのに、由利亜先輩は俺を睨む。
ランニングの途中のハプニングは全て回収して家に持ち帰り、先輩によって全てが包み隠さず開示されていた。結果、俺がはっきりと凝視していたことをされていた本人も知ることになって、めーーっちゃ気まずい。
「ほ、ほんとうにお騒がせしてすいません……。朝ごはんまで、頂いちゃって」
芽吹柊と名乗ったその人は、俺たちと同じ高校の3年生。
メガネに三つ編み、まくれ上がっていたスカートはしかし膝を隠す長さにはかれ、本来であればお尻など見えることはありえないほどの着こなし。
絵に描いたような優等生。
話し方まで堅苦しいとなると、正直できすぎな感がある。
「いいんですよ。騒がしかったり慌ただしかったりは日常茶飯事なので」
一応は家主なのでそういうが、芽吹先輩は俺の方は絶対に見てくれない。
「気にしないでください。太一くんが女の子を連れて返ってくるのは日常茶飯事なので」
「……!?!?」
見てくれた。でもすごい下卑たものでも見るような目で見られている気がする。
「由利亜先輩、なにも俺だって好きで拾ってくるんじゃないですよ……?」
「……そう、ですよね……ご迷惑ですよね……」
ああ、あちらを立てるとこちらが立たない……。
ええい……! ままよ!!!
「…………いえ、好きで拾ってきてます……。いいもの見せてもらったんで……」
縋り付くような芽吹先輩の視線を受けて胸を撫で下ろす俺に、住民二人からは「あ、はい、もう今日の夜には絶対殺す」という心の声がダダ漏れな視線が送られてくる。
自分のプライドを捨て、何かを求めてきた人を立ててみたら、明日の自分の命が立たなくなってしまった。
生きるって難しいな……。なんておもっていると、テレビから聞き慣れた音楽が流れ出す。普段なら、この音楽の流れ終わりにテレビを消して家を出る。それが今日は未だ食卓に座り箸を持っている。
「今日は学校、諦めますか?」
月曜の朝。
週の一発目から、一週間を諦める俺がいた。
「それは困ります!」
ですよね、優等生っぽいっすもんね。
「片付けはいいから、とりあえず出よっか」
由利亜先輩のその言葉で、四人揃って残った料理を慌ててかき込むのだった。
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女性三人が髪の毛やなんかを整える時間が10分ほどあって、その間に机をざっと片付けて、そうして学校へと向かう。
振り返ってみると、まともに投稿するのはもうひと月ぶりくらいになる。もう学校の授業には追いつけないだろう。
そう言えば、生徒会選挙はどうなったんだろう。昨日の弓削さんからはなんの話題もなかったし、由利亜先輩も学校のことは特に話してこないから自分から聞くしかないのかもしれないけれど、人の話を遮ってまで聞きたいことでもなかった。
「───じゃあ柊先輩は書記の仕事を?」
「そうです。由井会長の下で働いていたうちのひとりということになりますね」
へへ、と少し誇らしげに笑う芽吹先輩の横顔を見ながら、「あの人の下でねぇ……」と東北地方の空の下で今も元気にやっているだろう人を思い出す。
とはいえ、俺以上に渋い顔をしているのは由利亜先輩だ。俺への暴力を許しがたく思い、どこぞの双六ゲームの一要素よろしくぶっとばしたのは誰あろうこの人なのだ。武力を厭う割に政治力をためらうことを知らないお嬢様。
先輩はそんなことつゆ知らず。いや、知っていても別に気にしないか、この人。
「突然の引越しでおどろきましたし文化祭の後は大変でしたが、それもいよいよ終わりですから」
「そっか生徒会選挙、来週でしたっけ」
「はい。花街先生の退職や夏休みの一件、それに世共があったりと忙しくて、今年は随分と後ろ倒しになってしまいましたがようやく選挙まで辿り着けました」
先輩が丁寧語で話すというのをなんとなく新鮮に感じながら話を聞き流していた俺に、由利亜先輩がちょんちょんと耳を貸すように促してくる。
「選挙、でる?」
耳を寄せるとウィスパーボイスで端的に聞かれる。ゾワっとむず痒さが全身を走って、身震いするようにそれを逃す。
訝しむ由利亜先輩に俺は首を横に振った。
「よかった。じゃあ太一くんは私に投票してね」
ニコッと微笑まれる。
「もちろんです」
言ってから、同級生からの依頼を思い出した。
まあいいか、と思い直すと、その会話を聞いていたのか芽吹先輩の視線がこちらを向いた。
メガネの奥で少し睨まれたような気がしたが、涼しげな目元はすでに俺ではなく由利亜先輩を見ていた。
何かを探るような感じは朝食からずっとで、俺はそれをおかしな三人の生活に対するものだと思おうとしていたが、流石にそろそろそうではないことはわかってきた。
わかった上で逃れられない事実として、この人は俺に会いにあんな朝っぱらから外に出て待っていたのだ。
行かれていると言えばその通りかもしれないが、それくらい急を要することなのかもしれない。ただまあ俺があそこを走るのは割と久しぶりで、あそこで待っていたからと言って必ずしも会えるということもないのだから、実はこの人は全く別の人を待っていたんじゃないかという疑問もないではないのだけれど。
「ところで、そろそろなんであんな朝から張り込んでたのか聞いてもいいですか?」
優等生が早朝から、しかも制服で。
芽吹先輩はやはり俺を少し睨むように見据えてから口を開く。
「えと、まず、朝あの時間に走っていることは三好さんからお聞きしていたんです。驚かせてしまっていたらごめんなさい。それから、待っていたのはお願いがあったからなんです」
なるほど、三好さんと顔見知りか。と納得し、お願いの内容を聞く体勢に入る。
どうせそうだろうとはおもっていた。またぞろこの人も兄貴の差金なのだろう。もしくは川上あたりだな。と。
しかしどうやら今回は風向きが違う。
「待ってください。太一くん、最近ようやく落ち着いてきたところで学校も今日から久しぶりに登校するんです。その話は来週以降じゃだめですか?」
逃げ場を探すこともなく、受付る姿勢だった俺の少し前に立って由利亜先輩が芽吹先輩を静止した。
鷲崎邸での一件をぼやっとしか知らない先輩も、
「そろそろ高校生らしくしてもらわないといけないよね」
どこ目線なのかわかならいことを言う。
「それなら安心してください。多分すごく高校生らしいことをお願いしたいんです」
すごく高校生らしいこと。俺にはとんと想像もつかないが、そんならしいの上をいく超らしい高校生とはなんなんだろう。
気にはなる。
「つまり、俺は一体何をお願いされるんですかね?」
「いいの太一くん?」
「まあ聞くだけタダですし」
断るという選択肢を思い出した俺には怖いものはない。
するとホッとしたようにこちらを見て、三年生は言う。
「生徒会長をやってみませんか?」
「あ、間に合ってます」
お断りの返事はとりあえず新聞勧誘の時と同じものを選んだ。




