本当の悪
「失礼します」
侍女が一礼する。
僕もその後に続いた。
扉が開く。
その先にいた人物を見た瞬間、体が勝手に強張った。
ロザート。
今、僕の目の前にいる人物は――
かつて天使国の国王を殺した男。
頭では分かっている。
敵だ。
警戒しなければならない。
なのに。
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
ドクン。
ドクン。
自分でも分かるくらい、緊張していた。
ロザートはそんな僕を見て、静かに口を開いた。
「アテーナ」
低く落ち着いた声。
「今から私は、お前をここへ連れてきた理由を話す」
「……」
「だから」
少し間を置く。
「怒らずに聞いてくれ」
僕は黙って頷いた。
理由は単純だった。
逆らったら殺されると思ったからだ。
ロザートはそんな僕を見て、少し悲しそうに笑った。
「そうか……」
「まず、昔の話をしよう」
「お前の母親が、まだ生きていた頃の話だ」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥がわずかに揺れた。
「私は、お前の母とは仲が良かった」
「いつも一緒に行動していた」
「軍事演習の時も」
「魔物が活性化した時も」
ロザートは遠くを見る。
「いつも、隣にいた」
その表情には、今の冷酷な国王という姿ではなく。
昔を懐かしむ一人の人間の顔があった。
「ある日の明け方だった」
「魔物が街まで来たという報告を受けた」
「私たちはすぐに向かった」
「今回もすぐ終わる」
「そう思っていた」
ロザートは拳を握る。
「私たちは手分けして魔物を掃討することにした」
「私の方は、すぐに片付いた」
「だが……」
声が少し低くなる。
「お前の母の方は違った」
嫌な予感がした。
聞きたくない。
でも。
僕は動けなかった。
「その時」
「悪魔国の王が、その魔物を操っていた」
空気が重くなる。
「私が到着した時には……」
ロザートは目を伏せた。
「皆、倒れていた」
「そして」
「そこに一人だけ立っている悪魔がいた」
「その悪魔は私に言った」
『安心しろ。今倒れている者たちは死んでいない』
『ただし――』
『呪いをかけた』
『一時的に眠っているだけだ』
ロザートは淡々と続ける。
「私は聞いた」
「呪いの効果は何なのか」
「発動条件は何なのか」
「すると奴は笑って答えた」
『次代の悪魔国王が呪文を唱えれば発動する』
『効果は……』
『その時のお楽しみだ』
「私は悟った」
ロザートの声が震える。
「勝てない、と」
「いや」
「正しくは――」
「見逃された」
沈黙。
「その呪いの事件をきっかけに、私の同期たちは皆軍を抜けた」
「それから私は、あいつらと距離ができた」
ロザートは苦しそうに言った。
「私は探した」
「悪魔国の次期国王を」
「ずっとだ」
「だが、見つからなかった」
そして。
ロザートは僕を見る。
「事態が動いたのは」
「アテーナ」
「お前たちの卒業試験の日だ」
心臓が跳ねる。
分かってしまった。
分かりたくなかった。
でも。
もう気づいてしまった。
「あの日」
「国王が変わった」
ロザートは唇を噛む。
「そして」
「呪文が唱えられた」
「呪いが発動した」
「皆……」
一瞬、言葉に詰まる。
「魔物になった」
胸の奥が空っぽになる。
母さん。
仲間。
あの日の出来事。
全てが繋がっていく。
「私は誓った」
ロザートは言う。
「呪いによって奪われた仲間たちに」
「悪魔国を滅ぼすと」
僕は黙っていた。
でも。
どうしても聞かなければならないことがあった。
「……待ってください」
声が震える。
「善良な悪魔だっているはずです」
「その人たちも……」
一瞬迷う。
でも聞いた。
「殺したんですか?」
ロザートは目を閉じる。
「王族になる可能性がある者」
「つまり純系悪魔は」
「申し訳ないが……殺した」
その答えに、胸が痛む。
「じゃあ」
僕は顔を上げる。
「僕の父さんは」
「なんで殺されたんですか?」
ロザートの表情が変わった。
「……何?」
「父さんは混血です」
「王族じゃない」
「それなのに、なぜですか」
しばらく沈黙。
そして。
「その情報は……」
「おそらく間違っている」
「どうして言い切れるんですか」
「天使軍の兵士には首輪がついている」
「知っているだろう」
僕は頷く。
「あれは兵士の監視装置だ」
「一般人を殺せば、発動する魔道具でもある」
「なら」
僕の声が少し荒くなる。
「なんで父さんは死んだんですか」
ロザートは苦しそうに答える。
「多分だが……」
「お前を私たちに敵対させるためだ」
「……」
「お前と私たちが仲間になれば」
「エーギルたちにとって都合が悪い」
僕は黙る。
分からない。
でも。
少しずつ、何かが繋がっていく。
「呪いが発動した日」
ロザートは続ける。
「悪魔国は天使国を滅ぼそうとしていた」
「しかし、ネフィリムの国の動きが読めなかった」
「だから表面上の平和が続いた」
「私が国王を殺した日」
「二国の繋がりが分かった」
「だから翌日」
「私は王族を狙って兵を送った」
「だが――」
ロザートの表情が険しくなる。
「エーギルたちは民間人を大量に虐殺した」
「天使を憎む理由を作るために」
「悪者を作るために」
僕は黙って聞いていた。
そして最後に。
ロザートは頭を下げた。
「グレゴリウスを内通者として送り込んだ時」
「お前の能力に気づいた」
「その力があれば」
「二つの国を滅ぼせる」
「平和な世界を作れる」
「そう考えた」
「だから」
「お前を連れてきた」
「手荒な真似をしてすまなかった」
「だが……」
「頼む」
「天使側についてくれないか」
僕は情報を整理する。
つまり。
天使側が言いたいことは――
・世界を壊そうとしている存在を滅ぼす
・僕の力を貸してほしい
・天使国が新しい秩序を作る
・拉致したことは謝る
この四つ。
確かに。
筋は通っている。
でも。
だからといって、簡単に信じるほど僕は単純じゃない。
「……少し」
「考えさせてください」
そう言って、僕は部屋へ戻った。
僕の能力。
多分。
僕の中にいる「あいつ」の力だ。
死者を呼び出す。
あの魔法。
部屋に戻ると。
そこにはグレゴリウスがいた。
「アテーナ」
「先ほどの話に補足があります」
「貴方の中にある能力は」
「貴方のお母様の能力と同じです」
いつもの敬語。
でも。
もう、僕の知っているアラロスの口調ではなかった。
「……ありがとう」
「助かるよ」
僕はそう言って、部屋を出るよう促す。
しかし。
グレゴリウスは動かなかった。
「これから会議ですよ」
「もちろん、アテーナも参加します」
「……」
「あの戦いの後」
「初めての会議です」
そうだった。
僕はまだ知らない。
あの戦いがどうなったのか。
皆がどうなったのか。
聞かなければならない。




