冷たい雨
――隊長がニッセと対峙している頃。
「アラロス」
エーギルは静かに名前を呼んだ。
「お前、俺が潜入していたことを密告したな」
問いかけというより、確認だった。
アラロスは少しだけ目を細める。
「ええ」
あっさりと認めた。
「だからこそ、貴方たちが拠点を離れている間に侵略する作戦でした」
「……でした?」
エーギルが聞き返す。
アラロスは小さくため息をついた。
「トーマスが保険をかけていたのが、少し厄介でしたね」
まるで他人事のような口調。
自分たちが敵地にいるという緊張感など、微塵も感じられない。
「別に、拠点そのものを奪いたいわけではありません」
アラロスは続ける。
「目的はただ一つ」
「アテーナの逃げ場を無くすことです」
エーギルは眉をひそめた。
「……つまり」
「アテーナの誘拐ってことか?」
確かめるように問いかける。
「ええ」
アラロスは笑顔で答えた。
その表情には罪悪感も迷いもなかった。
「敵なのに、随分と喋るじゃねぇか」
エーギルは挑発する。
しかし。
アラロスは気にした様子もない。
「構いませんよ」
「なぜなら――」
アラロスは空を見る。
「もうすぐ到着しますから。ここに。」
その笑顔を見た瞬間。
エーギルは理解した。
こいつは、勝利を確信している。
「……全員、聞け」
エーギルが隊員へ命令する。
「裏切り者を粛清。そして、アテーナを保護しろ!」
隊員たちが動く。
その様子を見て、アラロスは笑った。
「やめておいた方がいいですよ。私の魔法は、貴方たちとは、格が違いますから」
「ごちゃごちゃうるせぇな!」
スレイバーが前へ出る。
「魔法、スレイブチェーン!」
瞬間。
アラロスの周囲に鎖が現れた。
手首、足首、そして首。
完全に動きを封じる。
「引きちぎれ!」
スレイバーが叫ぶ。
鎖が一気に締まる。
次の瞬間――
アラロスの四肢と首がはじけ飛んだ。
「……安らかに眠れ」
スレイバーは目を伏せた。
勝った。
誰もがそう思った。
その時だった。
アラロスの瞳に、光が戻る。
いや。
違う。
もしかしたら――
最初から、あの瞳は偽物だったのかもしれない。
アラロスはゆっくりと手を伸ばす。
そして。
スレイバーの隊員へ触れた。
「……?」
隊員が魔法を使おうとする。
しかし。
何も起こらない。
「おかしい……」
隊員の表情が変わる。
「魔力が……吸い取られている」
次の瞬間。
その隊員の四肢がきぢれた。
その場にいた全員が息を呑んだ。
「……っ!」
スレイバーの表情が変わる。
「貴様……何をした!」
怒りが声に滲む。
だが。
エーギルは冷静を装いながら言った。
「おい、落ち着け」
「……落ち着けって言ってるだろ」
しかし、その声には明らかな動揺があった。
四肢と首が元通りになったアラロスが、静かに口を開く。
「身代わりの山羊・スケープゴート」
「それが私の魔法です」
「簡単に説明すると、受けた攻撃を別の対象へ移す魔法です」
アラロスは微笑む。
「安心してください」
「この魔法は魔力消費量が非常に高い」
「使えるのは私だけですから」
そう言い終えると、アラロスは撤退の準備へ移る。
「まだ終わってねぇぞ!」
エーギルが魔法の詠唱を始める。
その瞬間。
空から光が降り注いだ。
「グレゴリウス様」
「お怪我はありませんか?」
そこに現れたのは、背の高い黒衣の女だった。
その姿を見て、エーギルは目を細める。
純系悪魔。
特徴的な尾。
「おい、そこの悪魔。なぜ天使の味方をする!」
しかし。
女は答えない。
ただ静かに立っているだけだった。
「……ああ、母なる大地よ」
エーギルが詠唱を続ける。
「その穢らわしき者へ、天罰を。
ストーンキャノン」
放たれた魔法。
しかし。
悪魔との間に、白い巨大な生き物が割り込んだ。
「ロールズ様、アラロス様。撤退しましょう!」
ナナだった。
普段の冷静さとは違い、明らかに焦っている。
アラロスが尋ねる。
「どうしたのですか?」
「何か問題でも?」
ナナは答える。
「四翼ニッセを倒した男が、こちらへ向かっています」
「それに……」
一瞬、言葉を詰まらせる。
「私のタイムリミットも、そろそろです」
アラロスは少し考えた。
「四翼の崩壊……」
「その男、ぜひ手合わせしたいところですが…今はやめておきましょう」
アラロスは笑う。
「さあ、撤退しますよ」
その時だった。
森の奥からジェシーが現れる。
「隊長!」
「アテーナが拉致られます!」
「神龍の口の中にいます!」
その報告を聞いて。
アラロスは笑った。
「もう手遅れですよ~」
「では、さようなら」
悪魔の女が指を鳴らす。
瞬間。
光が周囲を包む。
アラロスたちは、その光の中へ消えていった。
「おい、待っ――」
エーギルが手を伸ばす。
しかし。
もう届かない。
静寂が残る。
そして。
街に雨が降り始めた。
ザーザーと。
まるで、この戦いの終わりを告げるように。
「4番隊隊長が来たら帰還するぞ」
スレイバーは、表情を変えずに言った。




