因縁
◇
「あっちは本格的に始まったようね。」
遠くで雷鳴のような轟音が響く。
夜空を赤く染める炎が、戦いの始まりを告げていた。
ラピスは視線だけを戦場へ向けると、何事もないように指先を軽く振る。
次の瞬間、森の木々が焼かれ、乾いた葉が次々と燃え広がっていく。
燃え盛る木々は逃げ道そのものを奪う壁となった。
ベルはその炎を静かに見つめる。
「ラピス、私は貴女と戦いたくありません。」
ベルの声はどこか震えていた。
「さっきのは仲間の前だったからで……本当は話をしたいから……。」
ラピスは鼻で笑う。
「うるさい。」
短い一言だった。
だが、その一言には五年間積もり積もった憎悪が詰まっていた。
「……もう手遅れなんだよ、ベル。」
炎が彼女の紅い瞳を照らす。
「もう私は、お前を信用できないんだよ。反逆者。」
その怒声は森の奥まで響き渡った。
ベルは目を閉じ、小さく息を吐く。
「五年前、お前は私の両親を……。」
静寂が二人を包む。
やがてベルはゆっくりと瞳を開いた。
そこには迷いは残っていなかった。
「……そうですね。」
穏やかな声だった。
「もう、その事について話し合おうとするのはやめます。」
諦めではない。
覚悟だった。
「結局、私達のような庶民は貴女達とは分かり合えない様ですね。」
ベルは一歩前へ踏み出す。
炎が彼女の横顔を妖しく照らした。
「……思う存分、殺し合いましょう、ラピス。」
その瞬間。
ベルの口元に妖艶な笑みが浮かぶ。
その笑みは慈悲を捨てた者だけが浮かべられる、冷たく美しい笑みだった。
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――五年前 ネフィリム王宮
「ただいまー! お父さん、お母さん!」
幼いラピスは満面の笑みで廊下を駆け抜けた。
「今日ね、街のみんなと一緒にお花植えたんだよ!」
その無邪気な声に、国王は書類から顔を上げる。
「そうなんだ。」
優しい笑みが自然とこぼれた。
「花はいつ頃咲きそう? 咲いたら皆で見に行こうか。」
「本当?」
ラピスの瞳が星のように輝く。
「絶対だよ! 約束だからね! 忘れないでね!」
小さな小指が差し出される。
国王は笑いながら、その指に自分の指を絡めた。
「指切りしよ。」
幼い約束。
それは何よりも固く、何よりも脆い約束だった。
当時の国王は国民から深く慕われていた。
市場へ出れば笑顔で挨拶され、祭りの日には子どもたちが城門まで迎えに来る。
誰もが、この平和は永遠に続くと信じていた。
誰一人として、その終わりが翌日に訪れるとは思っていなかった。
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翌日―
空には灰色の雲が広がり、小雨が街を静かに濡らしていた。
「……ただいま、お母さん。」
ラピスは俯いたまま帰ってきた。
濡れているのは服だけではない。
心まで雨に打たれたようだった。
王妃はすぐに異変へ気付く。
「ラピス、何か嫌なことでもあった?」
椅子の横へしゃがみ込み、目線を合わせる。
その優しい問い掛けに、ラピスは小さく頷いた。
「……今日ね、地下街に行ってね……。」
少し言葉が詰まる。
「『私の両親を元に戻せ』って言われたの。」
王妃の表情が、一瞬だけ固まる。
「何のことか分かんなくて、『何のこと?』って聞いたの。」
ラピスは思い出すだけで胸が苦しくなる。
「あの子がね、『国王が魔法の実験をするために誘拐したんじゃない』って……。」
その言葉を口にするたび、心に棘が刺さる。
「お母さん……お父さんはそんなことしてないよね?」
雨音だけが部屋を満たした。
「するはずないよね?」
王妃は娘を抱き寄せる。
「そんなはずないじゃない。」
声は優しかった。
「だって、あんなに優しいお父さんがそんな酷いことをするような人に見える?」
ラピスは首を横に振る。
「見えないわ。」
王妃は微笑む。
「だから心配しなくて大丈夫。」
その笑顔は優しかった。
だが、その胸の鼓動だけは嘘をつけなかった。
早く。強く。
焦るように鳴り続けていた。
「やっぱりそうだよね!」
ラピスの曇った表情が一気に晴れる。
「明日あの子のところに行って、誤解を解いてくるね!」
その笑顔は、雨上がりの虹のようだった。
ラピスが部屋へ戻り、寝息を立て始める。
王妃は静かに立ち上がった。
窓の外を見る。
そして誰にも気付かれないよう、城門を抜ける。
後ろには三人の騎士だけを従えて。
その背中は、母ではなく王妃のものだった。
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翌日―
珍しく朝早く目が覚めた。
食卓には、祝いの日のような豪華な料理が並んでいる。
「お母さん!」
ラピスは勢いよく立ち上がった。
「昨日の子の誤解、解いてくるね!」
その元気な声は食堂いっぱいに響く。
しかし、王妃は静かに首を振った。
「ダメよ。」
冷たいほど落ち着いた声だった。
「その子は昨日、引っ越しちゃったの。」
「え?」
「だから、もう会えないわ。」
「どこに引っ越したの?」
「とっても、とっても遠い所へ。」
王妃は微笑む。
「だから諦めてね。」
ラピスは小さく頷いた。
「……うん。」
そう答えた。
だが、その胸の奥では別の答えが決まっていた。
(自分で確かめる。)
昼過ぎ、宮殿を抜け出したラピスは地下街へ向かう。
昨日の子を探すために。
だが地下街は昨日とは別世界だった。
人々は彼女を見るなり目を逸らし、足早に離れていく。
まるで疫病神を見るような目だった。
ようやく逃げなかったのは、足の悪い同年代の少年だけ。
「ねぇ。」
ラピスは笑顔を作る。
「昨日引っ越した子、どこに行ったか知ってますか?」
少年は冷たく見上げた。
「……お前、何様のつもりだよ。」
その目には憎しみしか映っていない。
「帰れよ。」
「……え?」
「殺人鬼の子供。」
ラピスは理解できなかった。
「あたし、何もしてないよ?」
涙が滲む。
「お父さんもお母さんも優しいし……。」
必死だった。
「絶対に何かの間違いだよ!」
しかし少年は首を振る。
「お前、相当バカだな。」
呆れたように笑う。
「家に帰って、その優しい振りしたお父さんとお母さんに聞くんだな。」
そして最後に吐き捨てる。
「……とにかく出てけ。お前の寿命が早く尽きることを祈ってるよ。」
その言葉は刃より鋭かった。
ラピスは胸を押さえながら歩き出す。
振り返ることもできない。
その背中へ、地下街中から声が飛んだ。
「死ね!」
「償え!」
「もう二度と顔を見せんな!」
無数の言葉が背中へ突き刺さる。
ラピスは涙を堪えながら地下街を飛び出した。
近くの公園でしゃがみ込む。
両親には心配を掛けたくなかった。
だから泣き終わるまで帰れなかった。
三十分ほど経った頃。
ようやく息を整えたラピスは立ち上がる。
(全部話そう。)
そう決めた、その瞬間だった。
街を揺らすほどの轟音が響く。
「火事だ!」
誰かの悲鳴が耳に届く。
「……宮殿だ!」
ラピスの身体は考えるより先に走り出していた。
「お父さん……お母さん……。」
祈ることしかできない。
城門が見えた。
その前に、一つの人影が立っている。
「誰かいるの?」
息を切らしながら叫ぶ。
「お母さん? 無事なの?」
その人影は王妃だった。
しかし、その姿は炎に包まれていた。
ラピスの胸が音を立てて崩れていく。
「お母さん!」
叫びながら駆け出す。
「あなた、お母さんを返してよ!」
勢いのまま飛び掛かろうとした。
その時。
足元の瓦礫につまずき、前へ倒れる。
視界の端に何かが映る。
焼け焦げた腕だった。
薬指には見覚えのある指輪…
ラピスの呼吸が止まる。
「……お父さん。」
震える声で呟く。
「……あなた、一体何者なの?」
襲撃者は狼狽したように首を振った。
「違う! これは私じゃない! 私はやってない!」
そう叫ぶと、そのまま闇へ走り去っていく。
「あれは確か……地下街の……。」
ラピスは震える足で地下室へ向かった。
「……えぇ、何これ。」
薬品、医療器具、割れた瓶…
そして床に落ちた、一枚の紙。
拾い上げる。
「ベル・ノーマリー……ひけん……50……せ……う……。」
赤い液体で汚れた紙は、とても読めるものではなかった。
「ベル…貴様がお父さんと…お母さんを…
許さない。殺してやる。」
ラピスの傷んだ心の傷に膿が溜まったような、
腹の中が悪いものを消化しきれないような、
そんな憎悪が、少女に生まれた。




