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灰色の楽園  作者: ぼろぼろの世界
平和と破壊の狭間編
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平和が続きますように

この世界は、平和だった。


 ――平和すぎて、気味が悪いほどに。


 悪魔の国《アイビー王国》、天使の国《ロザート王国》、そしてネフィリムの国《フェルディア王国》。


 三つの国は争うことなく共存し、国境という言葉すら忘れてしまうほど互いに交流を深めていた。市場には三種族の商人が肩を並べ、子どもたちは種族など気にも留めず遊び回る。


 そんな光景が、僕にとっては当たり前の日常だった。


「アテーナ、買い物を頼めるかい?」


 台所から父の穏やかな声が聞こえてきた。


「いいけど、今日は何を作るの?」


 振り向きながら尋ねると、父は柔らかく笑う。


「レモネードとシチューだよ」


「本当!?」


 思わず声が弾んだ。


 父の作るレモネードは世界一だ。


 夏の風をそのまま閉じ込めたような爽やかな甘酸っぱさで、一口飲めば嫌なことなんて全部忘れてしまう。


 僕は本気で、父より美味しいレモネードを作れる人はいないと思っている。


 シチューも嫌いじゃない。大きな肉がごろごろ入っていて、食べ応えがある。


 夕食を想像しただけで自然と頬が緩んだ。


「行ってきてくれるかい?」


 父は僕の返事を待つように優しく微笑む。


「任せてよ!」


 そう言って買い物袋を手に家を飛び出した。


     ◇


 買い物はすぐに終わった。


 いつもなら、そのまま真っ直ぐ帰る。


 ――だが、その日だけは違った。


 何となく。


 本当に、それだけの理由で遠回りを選んだ。


 今思えば、あの小さな気まぐれが僕の運命を変えたのだ。


 人気の少ない石畳を歩いていると、不意に肩へ強い衝撃が走った。


「いたっ……!」


「ご、ごめんなさい!」


 慌てた声と共に、一人の少女が頭を下げた。


「急いでいて……前を見てなくて……」


 顔を上げた彼女を見た瞬間、思わず息を呑む。


 陽の光を受けて宝石のように輝く長い小麦色の髪。


 透き通るような白い肌。


 どこか神秘的な雰囲気をまとったその姿は、本当に天使が舞い降りてきたようだった。


 僕は一瞬、言葉を失う。


「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」


 彼女は心配そうに僕の顔をのぞき込む。


「あ、ああ……平気だよ」


 その微笑みはあまりにも綺麗で、胸が少しだけ高鳴った。


「君、名前は?」


「アラロスです。あなたは?」


「僕はアテーナ。よろしく」


 彼女は小さく笑い返す。


 その笑顔は春風みたいに柔らかかった。


「ところで、そんなに急いでいて大丈夫なの?」


 そう尋ねた瞬間、彼女は目を丸くする。


「あっ、忘れてた!」


 額に手を当てて苦笑したかと思うと、


「またね、アテーナ!」


 そう言い残し、風のような速さで駆け去っていった。


 残された僕は、その後ろ姿をぼんやり見送る。


「アラロス……」


 どこかで聞いたことがある名前だった。


 けれど、どうしても思い出せない。


 その時の僕は、また会うことになるなんて夢にも思っていなかった。


 アラロスと別れたあとも、僕はしばらくその場に立ち尽くしていた。


 彼女の笑顔が頭から離れない。


 名前を呼んだ時の澄んだ声も、春風のように揺れる小麦色の髪も、不思議なくらい鮮明に脳裏へ焼き付いていた。


「アラロス……」


 どこかで聞いたことがある名前だった。


 けれど、どうしても思い出せない。


 考え込んだまま歩いていると、見慣れたレンガ造りの校舎が視界に入る。


 士官学校だ。


 卒業して二年が経った今でも、ここを通るたびに学生時代を思い出す。


 ――そういえば、ここへ向かった理由を忘れていた。


 ぼんやり考え事をしていたせいだろう。


 そのときだった。


 どこからともなく、美しい歌声が聞こえてきた。


 風に乗って届くその旋律は、まるで空を泳ぐように穏やかだった。


 中庭では音楽の授業でもしているのだろうか。


 少しだけ気になって、僕は塀の向こうをそっとのぞき込む。


 すると、思わず目を見開いた。


「……アラロス?」


 そこには、さっきぶつかったばかりの少女がいた。


 仲間たちと肩を並べ、優しく歌っている。


 さっきまで慌てて走っていた姿とはまるで別人だった。


 柔らかな表情で歌うその姿は、まるで一枚の絵画のように美しい。


 思わず見惚れていると――


「……ーナ! アテーナ!」


 背後から聞き慣れた声が飛んできた。


 僕は慌てて振り返る。


「エーギル!」


 そこには、学生時代からの親友が立っていた。


「久しぶり!元気だったかい?」


僕は親友との再会に歓喜した。


「まだ騎士として働いているんだっけ?」


「ああ、まあな。」


「久しぶりに食事でもどうだい?おいしいパスタが

あるお店見つけたんだ。」


エーギルは申し訳なさそうに答えた。


「悪い。今日も仕事でさ。」


  エーギルは苦笑する。


「書類仕事も山ほどあるし、今日は帰れそうにない。」


「騎士も大変なんだな。」


「お前、辞めて正解だったかもな。」


 その言葉に僕は少しだけ笑った。


 ――二年前。


 あの日の出来事を思い出す。


 卒業演習。


 あれが僕の人生を変えた。


 商店街を襲った魔物。


 血に染まった石畳。


 倒れていた騎士たち。


 そして、生き残ったのは僕とエーギルだけだった。


 あの惨劇以来、僕は騎士団へ入ることをやめた。


 誰かを守る力よりも、人を失う恐怖の方が大きくなってしまったからだ。


「アテーナ?」


 エーギルの声で我に返る。


「あ、ごめん。昔のこと思い出してた。」


「……そうか。」


 彼も同じ記憶を思い出したのだろう。


 一瞬だけ表情が曇る。


 だがすぐに笑顔を作った。


「じゃあ行くわ。またな。」


「ああ。また。」


 エーギルは手を振りながら街の雑踏へ消えていった。


 僕はその背中を見送り、小さく息を吐く。


 この時の僕は知らなかった。


 これが平和な日常で交わす、最後の約束になることを。





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