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灰色の楽園  作者: ぼろぼろの世界
アウトサイダー編
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18/40

暴走の代償


 瞼の裏に白い光が滲んだ。


 重く沈んでいた意識が、水面へ浮かぶようにゆっくりと浮上していく。


 ──ここは……。


 目を開くと、石造りの天井が視界いっぱいに広がっていた。冷えた空気が肺に入り込み、鉄の匂いが鼻を刺す。


 身体を起こそうとすると、鈍い痛みが全身を走った。


「……動く。」


 指を握る。


 腕を持ち上げる。


 ちゃんと、自分の意思で動く。


 思わず安堵の笑みが零れた。


「戻れた……僕の身体だ。」


 だが、その笑みは長く続かなかった。


 記憶の断片が頭の奥から浮かび上がる。


 凍り付いた部屋。


 血飛沫。


 トーマスに向けた殺意。


 そして、自分ではない"誰か"の声。


 胸の奥が氷を飲み込んだように冷えた。


「……僕は、一体何を……。」


 周囲を見渡して、ようやく気付く。


 鉄格子。


 石壁。


 錆びた鍵。


 ここは牢だった。


「お前、やっと起きたか。」


 低い声が響く。


 顔を上げると、鉄格子を挟んだ向こう側にスレイバーが腰掛けていた。


 豪快な女性のはずなのに、その表情には濃い疲労が滲んでいる。


「スレイバーさん……。」


 僕は立ち上がり、鉄格子へ歩み寄った。


「すみません……どうして僕はここに? それと、アラロスは……無事ですか?」


 それだけが気掛かりだった。


 もし彼女まで傷付けていたなら。


 そう思うだけで胸が締め付けられる。


 スレイバーは短く息を吐き、静かに口を開いた。


「安心しろ。アラロスは生きてる。」


 その一言だけで、肩から力が抜けた。


 しかし次の言葉は、その安堵を簡単に砕いた。


「お前は一か月寝てた。」


「……え?」


「トーマスに眠らされてから、丸々一か月だ。」


 頭の中が真っ白になった。


 一か月。


 そんな長い時間が、一瞬で消えたというのか。


「副長が、お前を危険人物と判断した。それでここに収容された。」


 淡々と語る声には責める色はない。


 事実だけを並べている。


「トーマスは腕を一本失った。だが命は助かったし、今も普通に戦えてる。」


 その言葉に胸が痛んだ。


 僕が。


 僕の身体で。


 腕を奪った。


 記憶は曖昧でも、それだけは理解できた。


「……すみません。」


 掠れた声しか出なかった。


 スレイバーは首を横に振る。


「気にするな。」


 苦笑しながら続ける。


「あいつが大隊長の命令を無視して、お前を挑発した結果だ。半分以上、自業自得だ。」


 その言葉に少しだけ救われた。


 それでも罪悪感は消えない。


 胸の奥に黒い石が沈んだままだった。


 しばらく沈黙が流れる。


 やがてスレイバーは懐から一枚の報告書を取り出した。


「さて、本題だ。」


 紙を軽く振りながら言う。


「報告書を見る限り、お前はいろんな系統の魔法を使っている。」


 氷、死霊、召喚、拘束


 どれも系統が違う。


「普通、一人の人間がここまで扱えることはない。」


 低い声が牢屋に響く。


「こんな芸当ができる奴は、アウトサイダーにもロザートにも片手で数えるほどしかいない。」


 僕は黙って聞いていた。


「もし、この報告が全部本当なら。」


 スレイバーは僕を真っ直ぐ見た。


「お前なら殺せる。」


 一拍置く。


「……天使の皮を被った魔王を。」


 その言葉の重さが、牢屋の空気をさらに冷たくした。


「で、どうなんだ?」


 僕は迷わず答える。


「僕が使えるのは氷魔法だけです。」


 即答だった。


 スレイバーの瞳から期待の光が少しだけ消えた。


「そうか。」


 それでも彼女は諦めず、もう一つ質問を投げる。


「じゃあ、お前の身体を乗っ取った奴には心当たりは?」


 僕は静かに首を振った。


「……ありません。」


 本当に分からない。


 あの声も。


 あの記憶も。


 まるで他人の人生を見せられたようだった。


 スレイバーは立ち上がる。


「分かった。」


 短く頷き、扉へ向かう。


「副長と大隊長、それからアラロスを呼んでくる。」


 足音が遠ざかり、再び静寂が牢を支配した。


 僕は冷たい壁にもたれ、深く息を吐く。


 もし本当に内通者がいるなら。


 エーギルの作戦は全て筒抜けになる。


 そうなればアウトサイダーは滅びる。


 そして天使以外──死ぬ。


 その未来を想像した瞬間、背筋を冷たい指で撫でられたような悪寒が走った。


 戦争が始まってから初めてだった。


 心の底から、死ぬことが怖いと思ったのは。


 その時だった。


 廊下から慌ただしい足音が聞こえる。


 勢いよく牢の前まで駆け寄ってきたのは、アラロスだった。


「アテーナさん……!」


 涙を堪えながら笑おうとしている。


 その表情だけで、一か月という時間の長さが伝わってきた。


「本当によかった……もう、お話もできないと思ってました……。」


 僕は思わず笑った。


「ごめん、心配かけた。」


 鉄格子越しに彼女を見る。


「もう大丈夫だから。」


 その言葉を聞いた瞬間、アラロスの肩から力が抜けた。


 続いて現れたエーギルが、静かに頭を下げる。


「アテーナ。」


 昔と変わらない、真っ直ぐな声だった。


「うちの部下が失礼な真似をした。本当にすまなかった。」


「いや……僕も城で暴れたみたいで……。」


 苦笑しながら答える。


 そこで僕は、ある言葉に引っ掛かった。


「……部下?」


 エーギルは少し照れくさそうに頭を掻いた。


「ああ、そういえば言ってなかったな。」


 一歩前へ出る。


「俺がアウトサイダー大隊長、エーギル・ティウスだ。」


 その言葉に、思考が止まった。


「……え?」


 士官学校で共に笑い、共に地獄を生き延びた

親友がこの組織の頂点だった。


「そして。」


 背後から聞き慣れた女性の声が響く。


「私は副長、ベル・ノーマリーです。」


 まさかのベルだった。


 頭の中で点だった情報が、一つずつ線になって繋がっていく。


 エーギル。


 ベル。


 トーマス。


 この組織の全貌が、ようやく見え始めた。


 エーギルは表情を引き締める。


「再会を喜びたいところだが、時間がない。」


 空気が一変した。


「敵について、新しい情報が入った。」


 僕は自然と息を呑む。


「ロザートは大規模侵攻を一か月に二回程度しか行わない。」


 慎重なのか。


 それとも別の狙いがあるのか。


「そして次の侵攻は明日。」


 静かな一言だった。


 だが、その重さは戦場の鐘より大きく胸へ響いた。


「場所は南方海岸の街。」


 エーギルは真っ直ぐ僕を見つめる。


「選んでくれ、アテーナ。」


 一拍置いて続けた。


「戦うか。それとも休むか。」


 身体中の傷はまだ癒えていない。


 一歩踏み出すたび痛みが走る。


 それでも、、、


 ロザートへ近づけるなら。


 父の仇へ、一歩でも近づけるなら。


 …答えは最初から決まっていた。


「戦う。」


 僕は迷わず言った。


「……もしまた暴走したら、その時は迷わず僕を殺してくれ。」


 牢屋の中とは思えないほど静かな沈黙が流れる。


 エーギルはゆっくり頷いた。


「分かった。」


 その目は、昔と同じだった。


 太陽みたいに真っ直ぐで、少しだけ眩しい。


「だが、お前をこんなところで死なせるつもりはない。」


 その一言が胸に深く刻まれた。


           ◇


 エーギルたちの足音が廊下の奥へ消えていく。


 静寂が訪れると、牢の中には僕とアラロスだけが取り残された。


 鉄格子越しに見つめ合う。


 一か月ぶりの再会だというのに、気の利いた言葉は何一つ浮かばなかった。


 ようやく僕は苦笑しながら口を開く。


「……本当に心配かけちゃったね。」


 アラロスは何も言わず、小さく首を横に振った。


 その瞳は少し赤く腫れている。


 泣いた跡だった。


「心配しましたよ。」


 小さな声だった。


 けれど、その一言には一か月分の不安が詰まっていた。


「毎日ここへ来ていたんです。」


 その言葉に胸が締めつけられる。


「目を覚ますかもしれないって……ずっと信じていました。」


 僕は思わず視線を逸らした。


 自分は眠っていただけだ。


 だが彼女は、その間ずっと待ち続けていた。


 時間の重みが胸へ静かにのしかかる。


「……ありがとう。」


 それしか言えなかった。


 どれだけ言葉を並べても、その感謝は伝えきれない気がした。


 アラロスはいつものように優しく笑った。


「その言葉が聞けただけで十分です。」


 その笑顔を見て、ようやく僕の中の罪悪感が少しだけ和らいだ。


 すると牢の鍵が静かに回る音がした。


 ガチャリ、と乾いた音を立てて扉が開く。


「今日から監視付きだが自由行動を許可する。」


 スレイバーが腕を組みながら言った。


「まだ副長の判断待ちだから完全に信用したわけじゃないぞ。変な真似をしたら、その場で叩き伏せる。」


 厳しい口調だったが、その瞳には敵意はなかった。


「ありがとうございます。」


 僕は静かに頭を下げる。


 牢から一歩踏み出す。


 石畳を踏みしめる感覚が、やけに懐かしかった。


 自由に歩ける。


 それだけで世界が少し広く感じた。


 しかし、その自由は僕一人の力で勝ち取ったものではない。


 エーギルやアラロス、そしてトーマスが命懸けで繋いでくれた時間だ。


 無駄にはできない。


 廊下へ出ると、アラロスが僕の隣へ並ぶ。


「さて、何から始めますか?」


 いつもの穏やかな声だった。


 僕は少しだけ考え、すぐに答えた。


「まずは……トーマスさんのところへ行こう。」


「謝りたいんですか?」


「うん。」


 僕は頷いた。


「謝って済むことじゃない。でも、謝らないままでいるのはもっと嫌なんだ。」


 アラロスは少し微笑み、小さく頷く。


「きっとトーマスさんなら、笑って許してくれます。」


「そうかな。」


「はい。あの人、意外と優しいですから。」


 歩きながら、アラロスは一か月の出来事を少しずつ話してくれた。


「トーマスさん、本当にすごかったんですよ。」


 その表情は尊敬に満ちていた。


「暴走した魔物を一人で半分以上倒したんです。」


 僕は思わず立ち止まりそうになる。


「一人で……?」


「はい。でも、魔物化の魔法を受けてしまって。」


 アラロスは少し俯く。


「それ以上侵食されないように、自分で右腕を切り落としたんです。」


 言葉を失った。


 あの人は、そんな極限の状況でも生き残ったのか。


 敵ながら――いや、今は仲間として、その精神力には頭が下がる。


「……強い人だ。」


 自然と口から漏れた。


「だからこそ隊長なんですよ。」


 アラロスは誇らしげに笑う。


 しばらく歩くと、長い廊下の突き当たりに一枚の扉が見えてきた。


 扉には小さく、


**『第八部隊 隊長室』**


 と刻まれた金属板が取り付けられている。


 僕はその文字を見つめ、小さく息を吸った。


 胸の奥が少しだけ重くなる。


 謝罪を受け入れてもらえる保証はない。


 それでも、この扉を開けなければ前には進めない。


 僕は拳を軽く握りしめ、静かに扉をノックした。



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