仲間
屍たちが低く唸った。
その声は人間のものではなかった。
生きている者が発する声ではない。死んだはずの存在が、無理やりこの世界に引き戻された証のようだった。
今回呼び出した屍の中には、一体だけ異質な存在がいた。
生前、他者を魔物へ変える魔法を扱っていた魔法使い。
そいつは僕の命令を理解すると、ゆっくりと手を掲げた。
魔法陣が展開される。
次の瞬間、五体の魔物が姿を現した。
濁った瞳。
歪んだ身体。
理性を失った獣。
それらは一斉にトーマスへ視線を向けた。
あいつを魔物に変える…殺すために。
トーマスはその光景を見ても、まだ笑っていた。
いや――心から笑っていなかった。
「……あーあ、タイムアップだ。」
トーマスは小さく息を吐く。
「急いで救援を……」
「させねえよ、カスが。」
言葉を遮る。
頭の中は怒りで満たされていた。
冷静になれ。
そう言い聞かせる自分と、目の前の敵を消せと叫ぶ自分が、心の中で殴り合っている。
でも、もう止まらなかった。
僕は残った魔力をかき集める。
「神様、どうかご加護を。」
冷気が周囲へ広がる。
「アイスロック。」
瞬間、部屋の扉が凍りついた。
分厚い氷の壁が形成され、外への逃げ道を完全に塞ぐ。
トーマスの眉がわずかに動いた。
初めて見せた小さな変化だった。
「魔物よ、そいつを食い殺せ。」
屍の魔法使いが命令する。
その瞬間、魔物たちが一斉に駆け出した。
獲物を見つけた魚の群れのように。
逃げ場を失った獲物へ群がるように。
トーマスへ襲いかかる。
さっきまで余裕に満ちていた彼の表情が、初めて崩れた。
笑顔ではなく、苦笑い。
「アハハ……まずいね。」
迫りくる魔物を見ながら、トーマスは言った。
「アテーナ君、僕を殺してもいいけど……アラロスは即処刑だよ。」
その名前を聞いた瞬間、
胸の奥で燃えていた怒りが、一瞬だけ揺らいだ。
でも、それ以上に腹が立った。
なぜこいつは、いつも人の大切なものを盾にする?
なぜ簡単に命を天秤にかけられる?
「お前はアラロスの何を知ってんだよ!」
怒りで声が震えていた。
「僕は誰であろうと、仲間の命を危険に晒すものは排除する。」
僕は手を向ける。
床から氷が伸び、トーマスの足を包み込んだ。
逃げ道を奪う。
動きを止める。
そして――
「トーマス。」
僕は冷たく言い放った。
「喧嘩売る相手を間違えたな。」
氷の軋む音だけが響く。
「後悔して死ね。」
僕はゆっくりと右手を掲げた。
氷に拘束されたトーマスは動けない。
魔物たちは低く唸り声を上げ、獲物へ飛びかかる機会を今か今かと窺っている。
あと一歩。
あと一撃。
それだけで終わる。
アラロスを脅かす者も、仲間を危険に晒す者も、この世から消える。
そう思った瞬間だった。
「――アテーナさん! 待って! ダメです、殺しちゃ!」
扉の向こうから、必死な声が響いた。
その声は凍りついた空気を裂き、一直線に僕の胸へ飛び込んできた。
アラロス――。
振り返ろうとした。
腕を止めようとした。
けれど。
動かない。
「……え?」
指先ひとつ、自分の意思では動かなかった。
まるで身体の主導権を、誰かに奪われたようだった。
胸の奥から、冷たい何かが這い上がってくる。
血管を伝い、心臓を掴み、頭の中へ入り込んでくる。
嫌な感覚だった。
自分という器の中に、自分ではない"誰か"が立ち上がる。
そんな恐怖。
僕は必死に叫ぶ。
**やめろ。**
**動くな、止まれ。**
それなのに、身体は笑っていた。
口元だけが、ゆっくりと吊り上がる。
僕の笑い方じゃない。
声帯も、呼吸も、何もかもが自分のものではないような違和感。
まるで鏡越しに、自分の身体を見せつけられているようだった。
アラロスは青ざめた表情で一歩前へ出る。
「アテーナさん……言うこと聞いて…」
その声には怯えと、不安と、それでも信じたいという願いが滲んでいた。
僕は答えようとする。
「逃げてくれ」と。
だが、口からこぼれたのは知らない言葉だった。
「……アラロス様。」
違う。
僕は彼女をそんなふうに呼ばない。
声も違う。
低く、静かで、どこか懐かしさすら感じる響き。
「ご安心ください。」
僕じゃない"誰か"が、一歩前へ出る。
「あなたに仇なす者は、私がすべて排除いたします。」
アラロスの瞳が大きく揺れた。
「……アテーナ、じゃない。」
震える声で、それでも彼女は僕を見据える。
「あなたは……誰なの?」
部屋が静まり返る。
僕の意識は暗い海の底へ沈んでいく。
薄れていく意識のの中で、その"誰か"は寂しそうな
笑みを浮かべた。
「……忘れてしまわれたのですか。私は――」
名を告げようとした、その瞬間だった。
「ごめんね。」
背後でトーマスが小さく呟く。
魔法陣が足元に浮かび、淡い光が部屋を包み込む。
「夜帳のヴェール」
柔らかな光が僕の身体を包んだ。
抗おうとしても、まぶたは鉛のように重い。
意識が再び闇へ沈んでいく。
最後に見えたのは、涙を浮かべながらこちらへ駆け寄るアラロスの姿だった。
――ごめん。
そう心の中で呟いたことだけは、確かに覚えていた。




