洗礼
ベルに案内され、僕らは隊室に向かうべく、王宮の廊下を歩いていた。
赤い絨毯は足音を飲み込み、壁に掛けられた燭台だけが静かに揺れている。その光景はまるで、城全体が息を潜めて僕を見定めているようだった。
隣を歩くアラロスも、さっきまでの明るさはどこかへ消えていた。背中の羽を小さく震わせながら、それでも前だけを見つめている。
「緊張してる?」
そう声を掛けると、彼女は少しだけ笑った。
「……はい。隊長さんって、怖い人なんでしょうか。」
「さあね。でも、エーギルが任せられるって言うくらいだから、悪い人じゃないと思いたい。」
そう言ったものの、自分でもその言葉に自信はなかった。
この国に来てから一日しか経っていない。
なのに、僕の常識は何度も壊されてきた。
隊室の前に着いた。8と書いてある。
「アテーナ君、ここが僕たちの部屋だよ。」
「アラロス、お前は私と来い。」
「は、はい。」
スレイバーに呼ばれたアラロスは小さく頷き、何度も僕を振り返りながら部屋を出ていった。
扉が閉まる。
静寂が落ちた。
部屋には僕とトーマス、二人だけ。
沈黙は糸のように細いのに、切れる気配はなかった。
トーマスは笑ったまま椅子へ腰掛ける。
「座って。」
僕も向かいへ座る。
机を挟んで向き合う形になった。
「さて。」
彼は両手を組み、ゆっくり口を開く。
「アテーナ君。何でここへ来てもらったか分かる?」
「……魔法を確認するため、ですか?」
「それもある。」
笑顔。
変わらない。
まるで彫刻だ。
「でも、本当の目的は別。」
その瞬間だった。
閉じていた目がゆっくり開く。
黄金色の瞳。
まるで猛禽類だった。
獲物を観察する目。
逃げ道を与えない目。
「君がロザート側についていないという信頼を得るためさ。」
空気が一変した。
「もちろん、100%白だという証明はできない。
結局はその人の意思だからね。嘘だってつける。」
「だから僕と戦って証明してもらう。僕が君を信頼して、仲間と呼べる人なのかを…さあ、始めようか。」
僕は取り乱しながら質問した。
「ちょっと待ってください。僕が信頼を得られず入隊できなかったらどうなるんですか?」
笑顔のままトーマスは僕に口を開いた。
「君が僕の信頼が得られなかったらアラロスを殺す。アラロスは王族の末裔だもんね。殺しても誰も文句言わないよね。むしろ戦果上げてるから称賛されるよ。」
トーマスさんは不気味なくらい笑っていた。
僕は怒りがふつふつと込み上げてきた。やがてそれが沸騰してあふれ出た。
「わかったよトーマスさん。僕がお前を殺してアラロスを助ける。死んで取り消せ、さっき言ったことをな。」
トーマスは興奮気味で叫んだ!
「そうゆう顔になるのをずっと待ってたよ!やっと
…やっとやる気を出してくれて隊長うれしい。
…さあ、面接を始めようか。」
彼は右手を静かに掲げ、詠唱を紡ぎ始める。
「──堕天使ルシファーよ。星空は真実を隠し、虚像だけを照らせ。」
その瞬間、部屋の景色が音もなく溶けた。
次の瞬間、世界から光という概念が奪われた。
視界は一瞬で漆黒に塗り潰され、部屋の輪郭も、自分の足元さえも消えていく。耳に届くのは自分の鼓動だけ。まるで宇宙へ放り出されたような静寂だった。
やがて、その闇の中に無数の光が灯る。
一つ、また一つと、小さな星が夜空を泳ぐように流れ始めた。
息をのむほど美しい光景だった。
だが、その美しさは毒花のようだった。思わず見惚れてしまえば、その隙に喉元を裂かれる。そんな確信が胸の奥で警鐘を鳴らしていた。
――幻惑魔法。
この星の中にトーマスがいる。
そう理解した瞬間には、背中を冷たい汗が伝っていた。
この魔法は、目で見たものを信じた時点で負ける。
氷魔法しか扱えない僕には、この空間そのものを壊す術はない。ならば突破口は一つ。
**本物を見抜く。**
僕は呼吸を浅くし、視線だけを動かした。
星は規則もなく流れているように見える。だが、よく見ると一つ一つの軌道が微妙に違う。流れる速度、揺れ方、光の強弱──ほんのわずかな違和感を頭の中で切り分けていく。
焦るな。
焦れば、相手の思う壺だ。
心臓の鼓動を無理やり押さえ込みながら、一つ、また一つと星を見送る。
すると、その中の一つだけが、不自然な軌道を描いた。
流れに逆らうように。
獲物へ忍び寄る獣のように。
ゆっくりと、確実に僕との距離を詰めてくる。
──いた。
口元がわずかに緩む。
これだけ露骨なら見逃すはずがない。
僕は床を蹴り、一気に間合いを詰めた。
「トーマスさん、さすがにこれは分かりやすすぎるぜ。」
そう言って、迷いなくその"星"へ拳を叩き込んだ。
「…っ痛い。」
僕の背中から生ぬるい液体が滴っていた。
何故だ?僕は今、確かにトーマスを殴った。
でも僕はトーマスに刺された。
トーマスは興奮気味で言った。
「僕は軽いものなら幾つでも操れるし空間を暗くだってできるんだよね。君が殴ったのは石だよ。」
「お前…いつからそこに。」
「魔法使ってすぐ。」
トーマスはニコニコして答えた。
「もう終わりかい?君の魔法まだ見てないのに。」
トーマスは残念そうにしていた。そんな奴に僕は
悪い笑みを返して言った。
僕は傷を押さえながら、ゆっくりと右手を掲げた。
「――屍たちよ。我に従え。」
足元に黒い魔法陣が広がる。
空気が重く濁り、土の匂いと鉄臭い血の匂いが入り混じる。
やがて魔法陣の中から、朽ち果てた腕が一本、ゆっくりと地面を掴んだ。
それを皮切りに、何体もの亡骸が這い上がってくる。
生者と死者の境界を踏み越えた存在。
空洞の瞳が、一斉にトーマスへ向けられた。
それでも彼は表情を崩さない。
「ねえ、アテーナ君。」
まるで雑談でもするような口調だった。
「こいつらは、ただ動くだけ? それとも魔法も使えるの?」
試すような声。
情報を引き出そうとしているのが見え透いていた。
僕は口元だけで笑う。
乾いた笑みだった。
「……知らねぇ。」
怒りが言葉を荒くする。
「お前に教える義理はねぇよ。」
トーマスの笑みが、ほんのわずかだけ深くなった気がした。
その笑顔が、僕の神経を逆撫でする。
もう会話を続ける気はなかった。
僕は屍たちへ視線を向け、静かに命じる。
「……屍たちよ。魔法を使うことを許可する。」




