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灰色の楽園  作者: ぼろぼろの世界
アウトサイダー編
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15/40

ひとときの休息

翌朝、目を覚ましたのはまだ夜の名残が空を覆う午前五時だった。


 疲労は鉛のように身体へ沈んでいるはずなのに、瞼だけが眠ることを拒んでいた。


 戦争は人を眠らせない。


 静かな朝ほど、昨日の悲鳴が耳の奥で反響する。


 僕は布団から起き上がり、窓を開けた。


 冷たい朝風が頬を撫でる。


 昨日、燃え続けていた街が嘘だったように、ネフィリムの国には穏やかな朝日が降り注いでいた。


 その平和が、逆に胸を締め付ける。


 ――この国だけ時間が止まっている。


 そんな気がした。


 ふと昨日のことを思い出す。


 アラロスの焼け爛れた背中。


 あれほど美しい翼が、炎に焼かれた紙細工みたいに弱々しく折れていた。


 あれは虐待の跡だ。


 王女である前に、一人の少女だった。


 僕は何となく果物籠から赤い林檎を一つ取り、彼女の部屋へ向かった。


 扉をゆっくり開ける。


 規則正しい寝息だけが部屋に響いていた。


 アラロスは小さな身体を丸めて眠っている。


 警戒心を忘れられない猫みたいだった。


 長い睫毛。


 柔らかな寝顔。


 昨日あれほど泣いていた少女とは思えないほど穏やかだった。


「……起こしたくないな。」


 僕は枕元へ林檎を置き、静かに部屋を出る。


 その時だけは、この戦争を忘れられた気がした。


 やることもなく、中庭へ向かった。


 魔法の鍛錬でもしていなければ、余計なことばかり考えてしまう。


 氷の魔法陣を描く。


 冷気が足元から這い上がる。


「アイスランスΣ」


 空気を裂くように氷槍が飛ぶ。


 標的へ突き刺さる音が静かな庭へ響いた。


 だが、どれだけ魔法を撃っても心は晴れない。


 父さんはもういない。


 昨日まで当たり前だった日常は、灰になった。


 僕の中にも何かが焼け落ちたままだった。


 気づけば太陽は高く昇っていた。


「アテーナさんー!」


 遠くから明るい声が飛んでくる。


 振り向くと、アラロスがこちらへ走ってきていた。


 朝日に照らされた小麦色の髪が黄金色に輝く。


 翼はまだ包帯に覆われている。


 それでも彼女は笑っていた。


「ここにいたんですね!」


「探しましたよ!」


 肩で息をしながら僕を見上げる。


「ごめんごめん。」


「鍛錬に夢中になってた。」


 するとアラロスは少し頬を膨らませる。


「それより……。」


「ありがとうございました。」


「え?」


「林檎。」


「枕元に置いてありました。すごく嬉しかったです。」


 その笑顔は昨日より少しだけ自然だった。


 僕まで笑ってしまう。


「……気付いてたんだ。」


「もちろんです。だってアテーナさん、優しいですから。」


 その一言が胸に刺さる。


 優しい。


 そんな言葉を父さん以外に言われたのは初めてだった。


 僕たちは王宮へ向かう。


 石畳を歩きながら、アラロスへ尋ねた。


「そういえば君は監禁されていたのに、どうやって士官学校へ通っていたの?」


 彼女は少しだけ笑った。


「お父様が幻影魔法で身代わりを作ってくださっていたんです。」


「でも……侵攻の前日に見つかってしまいました。」


 その笑顔は途中で消えた。


「そのあと、お父様は……。」


 言葉は最後まで続かなかった。


 十分だった。


 僕は何も聞かなかった。


 聞けなかった。


 失う痛みは、僕も知っている。


 だからこそ沈黙が一番優しかった。


 そんな話をしていたら、王宮に着いた。 


          ◇


 二十分後―


 ベルが二人の人物を連れてきた。


 一人は細身で笑顔を絶やさない青年。


 もう一人は鋭い眼光を持つ壮年の女性。


 笑顔と威圧。


 まるで光と影が並んで立っているようだった。


「僕が第八部隊隊長、トーマス。」


 青年は穏やかに微笑む。


 その笑顔は柔らかい。


 柔らかすぎる。


 逆に何を考えているのか分からない。


 一方、女性は腕を組んだまま低い声で言った。


「第五部隊隊長、スレイバーだ。ついてこい。」


 たったそれだけ。


 命令だった。


 アラロスは小さく肩を震わせる。


 僕は二人を見比べた。


 この組織には、まだ知らない顔が山ほどある。


 味方……


 そう呼ばれている人間でさえ、誰も信用できない。


 そんな予感だけが、胸の奥で静かに芽を出し始めていた。

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