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灰色の楽園  作者: ぼろぼろの世界
灰色の空編
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13/40

俺がこの目で見たもの

 砂浜を駆け抜ける風が、戦いの痕跡を少しずつ消していく。


 背後では、砂に呑まれた騎士たちの怒号がかすかに聞こえていた。


 だが、誰一人として振り返らない。


 振り返る余裕など、もう残されていなかった。


 エーギルを先頭に、僕たちはひたすら走り続ける。


 砂浜が終わり、やがて地面は固い石畳へと変わった。


 荒れ果てた景色も少しずつ姿を消し、草木が増え始める。


 信じられなかった。


 つい数キロ先では街が燃え、人々が命を落としているというのに、この場所には鳥のさえずりが響いていた。


 まるで戦争そのものが存在しない世界だった。


「もう少しだ。」


 エーギルが息を整えながら言う。


「この先がネフィリムの国だ。」


 視線の先には、空へ届くほど巨大な壁がそびえ立っていた。


 灰色の石を積み重ねて築かれたその城壁は、まるで一つの山のようだ。


 壁の上では見張りの兵士たちが弓を構え、周囲を警戒している。


 要塞――。


 そんな言葉が自然と頭に浮かんだ。


 僕は思わず足を止める。


「……すごい。」


 悪魔の国にも城壁はあった。


 けれど、これほど高く、これほど厚い壁は見たことがない。


 エーギルは小さく笑う。


「昔から魔物の侵攻が多い国だからな。」


「自然と守りも堅くなった。」


 そう言うと、大きく息を吸い込んだ。


「開門!」


 低く響く声が城壁へ反響する。


 しばらくすると、重い歯車が回る音が鳴り響いた。


 ギギギギ……。


 巨大な門がゆっくりと開いていく。


 その音はまるで、この国そのものが僕たちを迎え入れているようだった。


 門をくぐった瞬間、僕は思わず息を呑む。


 目の前には大通りが広がっていた。


 露店には色鮮やかな果物が並び、子どもたちは笑いながら駆け回っている。


 夫婦らしき二人が買い物を楽しみ、老人たちはベンチで穏やかに談笑していた。


 誰も怯えていない。


 誰も空を見上げていない。


 誰も戦争の話をしていない。


 その光景は、昨日まで僕が暮らしていた街と何も変わらなかった。


 いや――。


 変わらなさすぎた。


 胸の奥に、言いようのない違和感が広がる。


 まるで一枚の美しい絵画を眺めているようだった。


 完成されすぎていて、どこか現実味がない。


 僕は小さく呟く。


「……気持ち悪いくらいに平和だ。」


 その言葉は、自分でも驚くほど自然に口からこぼれ落ちた。


 エーギルは足を止めることなく、静かに答える。


「その理由も、これから話す。」


 短い一言だった。


 だが、その声には重たいものが滲んでいた。


 僕はそれ以上何も聞かなかった。


 いや、聞けなかった。


 また、聞きたくない真実が待っている。


 そんな予感が胸を締めつけていたからだ。


 しばらく歩くと、一人の女性がこちらへ歩み寄ってくる。


 メイド服を身にまとい、長い銀髪を後ろで束ねた女性だった。


 姿勢は真っすぐで、その立ち振る舞いには一切の無駄がない。


「おかえりなさいませ、エーギル様、アラロス様。」


 深々と一礼する。


 エーギルはようやく肩の力を抜いた。


「ああ、ただいま。」


 その表情は、戦場で見せていた険しさとは別人のように穏やかだった。


「ベル、会議室の準備は?」


「すでに整っております。」


 ベルは即座に答える。


「いつでもご案内できます。」


「助かる。」


 エーギルは僕へ視線を向けた。


「アテーナ。」


「これから、この世界で何が起きているのか……全部話す。」


 その一言だけで十分だった。


 僕は静かに頷く。


 もう後戻りはできない。


 父のいない世界で生きると決めたあの日から。


 僕の運命は、平和だった昨日とは違う道を歩き始めていた。


           ◇


 「2人共、席についてくれ。今から…説明する。

…俺がこの目で見た全てを。」


 エーギルは拳を強く握り締めた。


 その音だけが静まり返った会議室に響く。


「……昨日あの場で抵抗できた騎士は、一人もいなかった。」


 彼は悔しそうに笑う。


 笑っているのに、その顔は泣いているように見えた。


「王を守るのが騎士だ。」


「なのに俺たちは、王が殺されるのを見ていることしかできなかった。」


 しばらく沈黙が流れる。


 誰も口を開けない。


 開けば、その静寂まで壊れてしまいそうだった。


「そして翌日。」


 エーギルは重い声で続ける。


「天使以外の騎士全員が城へ集められた。たしか

午前2時ぐらいだったな。」


 広間には何百人もの騎士が並んでいた。


 誰も話さない。


 誰も顔を上げない。


 昨日まで隣で笑っていた仲間たちが、まるで罪人のように肩を落として立っていた。


 その最前列に、ロザート王が立つ。


 その口元には、薄い笑みが浮かんでいた。


「諸君。」


 穏やかな声だった。


 だが、その一言だけで空気が凍る。


「昨日見た通り、私に逆らえば死にます。」


 まるで今日の天気を話すような口調だった。


「そこで皆さんには選択肢を用意しました。」


 その言葉を聞いて、多くの騎士が安堵した。


 まだ助かる道がある。


 そう思ったのだ。


「私に従う。」


「あるいは反逆者として処刑される。」


 広間がざわつく。


 しかし誰も文句は言わない。


 言えなかった。


 ロザート王は満足そうに頷く。


「では、反逆者は前へ。」


 長い沈黙。


 やがて一人のネフィリムの騎士が前へ出た。


「私は従えません。」


 彼は震えながらも頭を下げた。


「あなたはもう王ではない。」


 その言葉を最後に、広間が静まり返る。


 ロザート王は怒らなかった。


 笑っていた。


「立派ですね。」


 その笑顔が、何より恐ろしかった。


「ですが。」


 王は指を鳴らした。


 次の瞬間、広間の扉が開く。


 連れて来られたのは、その騎士の妻と幼い息子だった。


「……お父さん?」


 息子は何も知らず笑っていた。


 騎士の顔色が変わる。


「やめろ……。」


 彼は声が震えていた。


 だが王は聞いていない。


「裏切りとは、自分だけの罪ではありません。」


 その声は優しかった。


 だから狂っていた。


「家族も同罪です。」


 騎士は剣を捨て、王の前へ膝をつく。


「従います!」


「だから家族だけは!」


 必死だった。


 騎士としての誇りも何もかも捨てていた。


 だが、


 遅かった。


「残念。」


 ロザート王は静かに呟く。


「見せしめは必要ですからね。」


 その一言で。


 広間中の希望が死んだ。


 誰も叫ばない。


 誰も動かない。


 ただ、絶望だけがゆっくりと広間を満たしていく。


 その日。


 全ての騎士が理解した。


 これは選択ではない。


 命令だ。


 従うしか生きる道はない。


 逆らえば、自分ではなく大切な人が犠牲になる。


 騎士たちはその瞬間、剣を持った兵士ではなく、人質になったのだった。


 エーギルは俯いたまま呟く。


「……あの二択は、最初から一択だった。」


 会議室は静まり返る。


 誰も言葉を返せない。


 アラロスは唇を噛み締め、拳を震わせていた。


 僕も何も言えなかった。


 怒りさえ湧かなかった。


 心が追いつかなかった。


 絶望とは、叫ぶことすら忘れさせるものなのだと、その時初めて知った。


 僕は疑問が一つ浮かんだ。


 「なあエーギル。君はなんで無事なんだい?」


 「そのことな。俺の家族は皆早くに死んじまった。だから堂々と逃げてきた。…続きいいか?」


 僕はゆっくり頷いた。


 エーギルは深く息を吐いた。


「……あの時、俺はもう終わりだと思ってた。だが一筋の希望が頭によぎった。」


 エーギルは少しだけ顔を上げる。


「ロザート王には、一人娘がいた。」


「あの商店街の事故の日、お前も見ただろ?」


 その言葉で、僕の記憶が蘇る。


 国王の後ろを歩いていた、小麦色の髪の少女。


 黙って犠牲者へ祈りを捧げていたあの子。


「まさか……。」


「そうだ。」


 エーギルはアラロスへ目を向ける。


「こいつだ。」


 アラロスは静かに視線を落とした。


「俺は城の中を探し回った。」


「もし次期王女が無事なら、何か事情を知っているかもしれないと思ってな。」


 王城の廊下は静まり返っていた。


 兵士たちは皆、侵攻準備で持ち場を離れていた。


 静かすぎる城は、不気味だった。


 人気のない廊下を進み、一番奥の地下牢へ向かう。


 鉄格子の向こうから、小さな咳が聞こえた。


「……誰か。」


 か細い声だった。


 エーギルは松明を掲げる。


 牢の隅で、一人の少女が膝を抱えて座っていた。


 薄汚れた服。


 乱れた小麦色の髪。


 白い肌には赤く焼けただれた跡が残り、手首や足首には縄で擦れた傷が幾重にも刻まれている。


 まるで王女ではなく、罪人だった。


 エーギルは思わず息を呑む。


「……何だよ、これ。」


 少女は怯えたように身体を縮める。


「お願い……殺さないで……。」


 その言葉が、エーギルの胸を深く刺した。


 実の娘が、


 母親を恐れている。


 そんな光景を誰が想像できただろうか。


「安心しろ。」


 エーギルは剣を鞘へ戻す。


「俺は味方だ。」


 少女は信じられないという目で彼を見る。


「……本当に?」


「ああ。」


 エーギルは鉄格子へ近づいた。


「ここから出よう。」


「もう、お前をここには置いていけない。」


 少女の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。


「……ありがとう。」


 その小さな声だけで十分だった。


 エーギルは牢の錠前を剣で叩き斬る。


 鈍い音を立て、扉がゆっくりと開いた。


「歩けるか?」


 少女は立ち上がろうとする。


 だが、力が入らない。


 長い監禁生活で足が弱っていた。


 そのまま膝から崩れ落ちる。


 エーギルは迷わず彼女を支えた。


「俺が運ぶ。」


 少女は小さく首を振る。


「歩きます……。」


「もう、逃げるだけの人にはなりたくないから。」


 その言葉に、エーギルは少し笑った。


「そうか。」


「なら、一緒に生き延びよう。」


 二人は地下牢を後にした。


          ◇


彼女は自分の膝を見つめたまま、小さく息を吸う。


「……私は、お母様を止めなければなりません。」


 その声は震えていた。


 それでも、その瞳だけは揺れていなかった。


「私は天使です。だからこそ、お母様の間違いを見過ごすことはできません。」


 ゆっくりと顔を上げる。


「この戦争で、一番苦しんでいるのは悪魔でもネフィリムでもありません。」


「お母様自身です。」


 その言葉に、僕は驚いた。


 家族を奪われ、故郷を焼かれた人なら、普通は憎しみを口にする。


 なのに彼女は違った。


 母を憎むのではなく、止めたいと言った。


 その強さに、僕は言葉を失う。


 エーギルは静かに頷く。


「だから俺は、こいつを仲間にした。」


「ロザート王を止められる可能性があるなら、どんな小さな希望でも掴みたかった。」


 彼は僕を見る。


「そして今朝。」


「騎士団は最後の通告を出した。従うか、裏切るか。」


 苦々しく笑う。


「だが、あれは最初から選択肢なんかじゃなかった。」


「裏切れば家族を魔物に変えられ、従っても王の道具として戦わされる。」


「つまり、どちらを選んでも地獄だった。」


 エーギルは首元の首飾りを外し、机の上へ置いた。


 鈍く黒い光を放つ、小さな首飾り。


「これが、その証だ。ロザート王は騎士全員に呪いをかけた。壊せば人質が魔物になる。壊さなければ、王に居場所を知られる。」


 静かな声だった。


 だが、その内容はあまりにも重かった。


「……俺が着けているのは偽物だ。だからこうして動ける。」


 エーギルは僕とアラロスを見渡す。


「これが、昨日までに起きた全てだ。今ここに住んでいる人は騎士の人質だ。だから壁で閉じ込めている。」


 部屋に沈黙が落ちる。


 誰もすぐには口を開けなかった。


 それぞれが、それぞれの絶望を飲み込もうとしていたからだ。


 


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