狼煙
エーギルの背中が遠ざかっていく。
その姿を見ながら、僕はただ立ち尽くしていた。
追いかけなければ。
そう思っているのに、身体が動かない。
足元の砂が、僕の足を掴んでいるようだった。
いや。
本当に僕を縛っていたのは砂ではない。
恐怖だった。
父を失った。
そして今、唯一残った仲間まで失おうとしている。
もう二度と、大切な人が消える瞬間を見たくなかった。
「エーギル……!」
叫びかけた、その時。
遠くから地面を叩く音が聞こえた。
最初は波の音かと思った。
しかし違う。
一定のリズムで響く音。
大地を揺らすような音。
馬の蹄だった。
僕はゆっくり振り返る。
煙の向こう。
朝日に照らされた砂浜の先から、複数の影がこちらへ近づいてくる。
もう終わりだと思った。
先頭にいるのは、一頭の白い馬。
その背に乗っている人物の髪が、風になびく。
小麦色の髪。
昨日出会ったばかりなのに、なぜか忘れられない色。
「……アラロス?」
僕が呟いた瞬間、その少女は馬を止めた。
後ろには数人の兵士が続いている。
全員が武器を持ち、戦場へ向かう覚悟をした顔をしていた。
アラロスは馬から降りる。
そして迷いなく僕の元へ駆け寄った。
「アテーナ!大丈夫?」
僕は言葉を失う。
「どうして……ここに。」
アラロスは一瞬だけ悲しそうな顔をした。
「エーギルさんから聞いたの。」
「あなた達が危険だって。」
彼女は後ろを見る。
そこには彼女についてきた仲間たちがいた。
「…私も戦う。」
その言葉には迷いがなかった。
「お母様が間違っているなら、私は止める。」
そのためにここへ来たんだから。」
その姿は、昨日士官学校の中庭で歌っていた少女とは別人だった。
けれど。
芯にあるものは同じだった。
誰かを傷つける世界を嫌う優しさ。
それを守るために立ち向かう強さ。
僕はようやく理解した。
彼女は天使だから強いんじゃない。
覚悟を決めたから強いのだ。
「アテーナ!」
アラロスが叫ぶ。
「エーギルさんを助けるよ。」
その声で我に返る。
そうだ。
まだ終わっていない。
エーギルは一人で戦っている。
僕たちは急いで彼の元へ向かった。
しかし、その時。
目の前に別の騎士が現れた。
逃げ道を塞ぐように、黒い鎧の兵士たちが立ちはだかる。
希望が見えたと思った瞬間に
再び絶望が姿を現した。
まるで光へ手を伸ばした瞬間、闇に引き戻されたようだった。
「……そんなに死んでほしいのか。」
僕は呟く。
騎士たちが武器を構える。
もう駄目なのかもしれない。
そう思った。
騎士がアラロスを見てニヤついた。
「これは裏切り者の次期女王様ではないですか。ロザート様に貴女を連れて帰れと命令されたけど…
めんどくせぇから戦死したことにしますね。」
僕は身を挺してアラロスを護ろうとした。
その時だった。
遠くからエーギルの声が響いた。
「二人とも!下がれ!」
彼が僕らの方に向かって叫んだ。
どうやら無事だったらしい。
僕は胸を撫で下ろした。
「魔法を使う。」
エーギルは手を地面につけて詠唱を始めた。
騎士たちが警戒する。
エーギルは目を閉じた。
「大地よ、聞け。俺はもう、奪われるだけの存在ではない。守れなかった命のため。これから守る命のため。俺に力を貸してくれ。
砂塵よ、道を閉ざせ。」
その瞬間。
砂浜が震え始めた。
まるで大地が目を覚ましたように。
「サンドゲート。」
次の瞬間。
砂浜に巨大な穴が空いた。
それも騎士団の真下に。
「うわっ!」
エーギルは騎士団の落ちた穴に、砂を上から
被せて埋めた。
ふー、っと一息ついて僕らのほうを向いた。
「時間がない。ネフィリムの国に行こう。」




