真実を話そう2
「会議は、最初はいつも通りだった。」
エーギルは遠くを見つめながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「三人の王は円卓を囲んで座り、各国の情勢を報告し合っていた。食糧の流通、魔物の出現状況、士官学校の制度……。昨日までと何一つ変わらない、平和な会談だった。」
その声は静かだった。
だからこそ、続く言葉がより重く響く。
「だが、一つだけおかしな議題があった。」
エーギルは拳を握る。
「ロザート王が、新しい闇魔法の研究成果を発表すると言い出したんだ。」
僕は黙って耳を傾ける。
「その魔法は国民を魔物に変えてしまうというものだった。もちろん魔物にされた人は死ぬ。アイビー様はすぐに眉をひそめた。」
エーギルはその時の口調を思い出すように、少し声色を変えた。
『ロザート。その魔法は、必要ないだろう?』
部屋は静まり返っていたらしい。
ロザート王は微笑んでいた。
怒っているわけでもない。
焦っているわけでもない。
春の日差しのような、穏やかな笑みだったという。
だからこそ、不気味だった。
『もちろん必要です。平和を守るためには。』
優しく。
あまりにも優しく。
そう答えたらしい。
「だが、フェルディア様は納得しなかった。」
『平和を守るための魔法なら、なぜ平和を脅かす魔物を作る必要があるのだね?』
『その魔法は国民まで巻き込む。』
『説明していただこう、ロザート。』
その一言で、部屋の空気が変わった。
張り詰めた糸が、ゆっくりと切れ始める音がした。
「俺たち騎士は壁際で待機していた。」
エーギルの声が少し震える。
「誰も動けなかった。」
ロザート王は静かに立ち上がる。
衣擦れの音だけが会議室に響いた。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
二人の王へ歩み寄る。
怒りもない。
憎しみも見えない。
まるで長年の友人へ挨拶をしに行くような足取りだった。
『……二人とも。』
ロザート王は柔らかく笑う。
『私はずっと考えていたのです。』
その笑顔は、絵画に描かれた聖人のように穏やかだった。
『この世界から争いを無くす方法を。』
誰も口を開かない。
『悪魔がいるから争いが起きる。』
一歩。
『ネフィリムがいるから秩序が乱れる。』
また一歩。
『ならば答えは簡単でしょう?』
その瞬間だった。
ロザート王の右手がゆっくりと持ち上がる。
詠唱はなかった。
魔法陣も見えなかった。
ただ、指先が赤く光る。
次の瞬間。
轟音すら響かなかった。
アイビー王の首が、音もなく紅蓮の炎に包まれた。
燃えた。
叫ぶ暇すらなく。
肉が、骨が、命が、
一瞬で灰になった。
「……っ。」
僕は思わず息を呑む。
エーギルは唇を噛み締めながら続けた。
「俺たちは誰一人動けなかった。」
「速すぎたんだ。」
フェルディア王も立ち上がった。
『ロザート……貴様!』
怒号が響く。
だが、それが最後の言葉になった。
ロザート王は表情一つ変えない。
まるで予定通りの仕事を片付けるように左手を軽く振る。
紅い閃光が走る。
次の瞬間。
フェルディア王の身体も蒼炎へ呑み込まれてた。
豪炎ではなかった。
むしろ静かな火だった。
静かだからこそ恐ろしい。
命が燃えている音だけが、広い会議室に響いていた。
鉄臭いが部屋を満たす。
誰も叫ばない。
いや、叫べない。
恐怖とは、あまりにも大きすぎると声すら奪うらしい。
「俺もそうだった。」
エーギルは拳を震わせる。
「剣を抜こうと思った。」
「でも身体が動かなかった。」
「目の前で二人の王が殺されたのに。」
その声には、自分自身への怒りが滲んでいた。
「そしてロザート王は、炎の向こうで笑っていた。」
エーギルは静かに俯く。
「あの笑顔だけは……今でも夢に出てくる。」
「ロザート王は……天使だけの国を創ろうとしている。」
エーギルは静かにそう言った。
「これまで一般人に魔法の使用を禁じ、違反者を処刑し、傷つけてきた法律も……全部、平和のためなんかじゃなかったのかもしれない…」
彼は拳を握り締める。
「自分に逆らう可能性のある人間を、少しずつ減らしていただけだったんだ。」
その瞳には、消えることのない怒りが燃えていた。
静かな炎だった。
けれど、その炎は胸の奥深くで燃え続け、決して消えることはないのだろう。
エーギルは真っすぐ僕を見つめる。
「俺は、こんな世界を認めたくない。」
その声は震えていた。
恐怖ではない。
怒りと悔しさが混ざり合った震えだった。
「アテーナ。」
一歩近づき、右手を差し出す。
「お前だって同じ気持ちだろ。」
「頼む。」
「俺に力を貸してくれ。」
「ロザート王を裁いて……もう一度、みんなが笑い合える世界を取り戻そう。」
差し出された手は、小刻みに震えていた。
その震えは弱さではない。
大切なものを守ろうとする者だけが持つ、人間らしさだった。
僕はその手を握る。
温かい。
その温もりだけが、壊れた世界でまだ失われていないもののように思えた。
「当たり前だ。」
自然と言葉がこぼれる。
「もう一度、平和を取り戻そう。」
一度途切れた未来を。
父が信じていた世界を。
もう一度──。
エーギルは力強く僕の手を握り返した。
「ありがとう。」
短い言葉だった。
だが、その一言には何より重い覚悟が込められていた。
しかし、その穏やかな時間は長く続かなかった。
エーギルの表情が再び引き締まる。
「だが、時間がない。」
彼は周囲へ視線を走らせる。
「九時から本格的な侵攻が始まる。この浜辺も安全じゃない。まずはネフィリムの国へ避難する。」
その言葉を聞いて、僕の胸に一つの疑問が浮かぶ。
いや、疑問ではない。
聞くことを恐れていたことだった。
「……父さんは。」
喉が詰まる。
「父さんは…どうなった。」
エーギルは何も答えない。
ただ俯き、唇を強く噛み締めていた。
波の音だけが響く。
その沈黙が、何より残酷だった。
やがて彼は震える声で言う。
「……騎士団に、殺された。」
その一言で、時間が止まった。
波の音も。
風も。
世界のすべてが遠ざかる。
僕の中だけが、深い海の底へ沈んでいく。
昨日まで当たり前に帰る場所があった。
「おかえり」と笑ってくれる人がいた。
父のレモネードを、世界一だと笑い合えた。
そんな日々は、音もなく砕け散っていた。
涙は出なかった。
いや、出せなかった。
涙を流した瞬間、本当に父がいなくなってしまう気がしたからだ。
僕は必死に息を整え、震える声で尋ねる。
「……最期に、何か言ってた?」
エーギルは目を閉じる。
「『息子を頼む』。」
一拍置いて続ける。
「それだけ言って……倒れた。」
彼は深く頭を下げた。
「すまない、アテーナ。」
「助けられなかった。一番近くにいたのに。」
その姿を見て、責める気持ちは消えていた。
エーギルだって戦っていた。
命を懸けて。
父も、それを分かっていたから彼に僕を託したのだ。
「……謝るな。」
僕は静かに首を振る。
「ありがとう。」
「父さんの最期を教えてくれて。」
熱いものが込み上げる。
喉の奥までせり上がるそれを、僕は無理やり飲み込んだ。
今は泣いている時間なんてない。
父ならきっと笑って言う。
『生きろ』と。
「行こう。」
僕は前を向く。
「時間がないんだろ。」
エーギルはゆっくり頷いた。
少しだけ表情が和らぐ。
だが、その安堵も束の間だった。
彼の顔色が一変する。
「……アテーナ。」
遠くを見つめたまま言う。
「今、何時だ?」
僕は時計を取り出す。
「八時四十三分。」
その瞬間、エーギルの瞳が見開かれた。
「あれを見ろ。」
震える指が水平線の向こうを指す。
白い砂浜を黒い影が埋め尽くしていた。
甲冑が朝日に鈍く光る。
その列は、まるで黒い津波だった。
「騎士団だ……!」
次の瞬間、エーギルが叫ぶ。
「逃げるぞ!」
僕たちは砂を蹴り、一斉に駆け出した。
背後で弓弦が鳴る。
空気を裂く音とともに矢が飛来した。
一本。
二本。
三本。
僕たちは間一髪でかわす。
しかし足を取られ、僕は砂浜へ倒れ込んだ。
身体が言うことを聞かない。
立ち上がろうとしても、足が震える。
このままでは二人とも逃げられない。
そう悟った僕は叫んだ。
「エーギル!僕のことはいいから…だから…ロザートを止めてくれ!」
エーギルは立ち止まり、振り返る。
その目に迷いはなかった。
「断る。」
短く言い切る。
「俺はお前のお父さんと約束した。」
剣を抜きながら笑う。
「だから、お前だけは絶対に生きて帰す。」
そう言うと彼は一人、迫り来る騎士団へ駆け出していった。
その背中は、誰よりも大きく見えた。




