図書室の幽霊(3)
公爵は人払いし、私とテーブルをはさんで向かい合って座った。呼び出されるときはいつも執務室で、公爵は執務机、私はその前に立ったままだったから、こんなふうに目の高さが同じ位置にあるのは慣れない。
「ラニア、不自由はないか」
「まだ着いたばかりですので、特には」
「そうか」
会話はすぐに途切れ、空気がひどく重い。
「……あの、何かお話があって来られたのでは?」
「ああ……、だが、……いや、話しておくだけでも話しておこうか」
ふたたび沈黙が落ち、私はうっすら話の内容を察した。二度目の人生は一度目よりも変化が早いようだから、今の時点でこの話が出ても不思議ではない。
「公爵様、もしかしてアリシアに関することでしょうか」
「そうだが……、少し、……あまり例のないことをアリシアが望んでいてな」
「どのようなことでしょう」
「……やはり、やめておこう。アリシアも落ち着けば気が変わるかもしれない。アリシアにもう一度確認してから話すことにする。邪魔をした」
公爵は足早に部屋から出ていこうとし、私はその背に声をかけた。
「私に侍女になってほしいと言ったのではありませんか? 王宮に一緒に来てほしいと」
公爵は振り返り、「なぜそう思う」と無表情で問う。その声がわずかに震えたようだった。
「そんな気がしただけです。アリシアも何かと不安を感じる時期ですから。それに、王太子妃教育を受けておらず社交経験も浅いので、『女官』という発想はないかと。だとすれば『侍女になってほしい』と言うと思ったのです」
「仮にそうだとしたら引き受けるのか?」
「政治的な判断をするのは私ではないはずですが」
「たしかにその通りだ」
公爵はこめかみを押さえ、深いため息をついた。
「公爵様。私は心づもりをしておいたほうが良いでしょうか。正直なところ、元婚約者と妹が仲睦まじくしている姿を前に平静でいられる自信はありません。レイモンド殿下の回りをうろうろしていれば良くない噂を立てる者もいるでしょう。私は〝不貞を働いた裏切り者の娘〟ですから」
公爵は片手で顔を覆い、「やめなさい」と掠れた声を漏らした。怒って声を荒げるだろうと思っていたから、少々意外な反応だ。
一度目の人生では実際に私は侍女として王宮に上がった。けれど、それはアリシアのわがままが通ったというだけの単純な話ではなかったようだ。フランクリン公爵領――特にミレー地区では、今のように領民と外国人の諍いが起きていたかもしれない。エンディン側からの追求があってもおかしくはない。公爵も対応に追われたことだろう。ただ、あの当時それが私の耳に届くことはなかった。
「おまえの言う通り、アリシアはおまえに侍女になってほしいそうだ。あの子も女性王族の世話を仕切るのが女官だということは知っている。ただ、それについてはレイモンド殿下にダメだと言われたらしい。もちろん侍女ならいいという話ではないのだが、アリシアは結婚を待たずこの秋にも王宮で暮らし始めることになりそうでな」
「そうなのですか?」
「王太子妃教育を集中的に行うためだ。その際に侍女として一緒に来てほしいとアリシアは言っている」
やはり、今世は変化が早い。
それはたぶん、私が変わったから。
「つまり、女官の下に付く侍女ではなく、あくまで公女アリシア・フランクリンの侍女として王宮に行くということですね」
「ああ」
「婚約者を奪い返そうとしていると言われます」
「ラニア」
「私には何を決める権利もありませんのに、決定事項だけを伝えていただければけっこうです。期待するだけ落胆も大きいですから」
公爵は何度目かのため息をつき、疲労を滲ませた目で私を見た。私が「お見送りします」と立ち上がると、罪を犯した者のように視線をそらす。
「少し変わったな、ラニア」
「変わったとおわかりになるほど私のことをご存知とは思えません」
「……そういうところだ」
公爵は力のない笑みを浮かべて出ていったが、晩餐でふたたび顔を合わせた時には社交用の愛想笑いを浮かべていた。
テーブルを囲うのは王弟殿下夫妻と私と公爵。話題は貿易関係者によるデモのことが中心だった。
デモは王弟殿下がミレー港に直接赴いたことで一旦収まりそうだという。今回のデモは北部独立の噂がきっかけで起きたものだが、問題はその構造に隠れた貿易関係者と大規模漁業会社の対立。
環大東洋漁業協定について、蒸気船の航行ルートやトロール漁領域などの策定を含めて包括的に見直すべきという話が以前から出ているらしい。漁業者は領海拡大のために対岸のエンディン王国に対して難癖に近いような批判を行い、一方、貿易業者はエンディン王国と良好な関係を維持したいためデモで介入――というのが現状で起きていること。
さらに、生業とは関わりのない感情的な反エンディン派というのも存在し、漁業会社の船乗りを煽ってエンディン批判を広めているらしい。そして、帆船で漁を行う個人の漁師たちが「蒸気船で漁場を荒らすな」と漁業会社に喧嘩を売る――。
果菜ふうに言うなら「まじ、カオス」。
いつどこで火種が燃え上がるかわからない状況だ。
領地にいる公爵は想像していた以上に苦労が絶えないようだった。公爵が私のことを知らないように、私も公爵のことを知らない。二十年以上、同じ屋根の下で寝起きしているというのに。
2026.8.10
お詫び:エピソード20にあたる『中身の止まった人間(3)』を抜かして掲載していましたので追加いたしました。一読いただけると幸いです。建国伝説のざっくりした説明などが書かれた回です。
※割り込み投稿に失敗して『中身の止まった人間(2)』が8月10日公開になっていますが、本文は入れ替えてあります。




