図書室の幽霊(4)
「ラニア、食事は口に合ったか?」
デザートにレモンのグラニテが運ばれてきたとき、公爵がワインで赤らんだ顔を私に向けた。王弟殿下が興味深いものを見たというように口の端を上げ、ミローナ妃殿下はたおやかに微笑んでいる。私はアルコールのおかげで少し気分が良くなっていた。
「おいしくいただきました。肉よりも魚料理のほうが口に合うようです」
ここは魚介の豊富なミレーに隣接するセントラ地区。料理は魚介類がメイン。王都では生魚を食す文化はないが、今夜の晩餐には生の魚も供されていた。
鮮魚とタコとを野菜と一緒にマリネしたもの、貝類のワイン蒸し、イサキのアクアパッツァ風料理など地中海料理を思わせるものが多い。肉料理は羊肉の香草焼きくらいで、ロイヤル列車から見えた羊を思い出した。
「このあたりでは牛肉や豚肉はあまり食さないのですか?」
「まったく食べないわけではないが、海が近いから基本は魚介。クライナ地区で牧羊が盛んだが、食肉用はわずかでほとんどが羊毛用だ」
「サビナ公爵夫人はわざわざ中部から食肉を仕入れているようです。腐らないよう氷漬けにしてまで。中部の肉はそれほどおいしいのでしょうか」
「慣れた味を好むのだろう」
公爵は夫人の話題を避けるように短く答え、「中部の肉か」と王弟殿下が会話に入ってきた。
「聖征記念祭の宴ではいろんな肉が出る。鹿、猪、鳥、兎、熊が出たこともあったか。王都に多く出回ってる肉と違うところと言えば肉質と匂いだろう。王都のものは食肉用の家畜で脂肪が多く臭みも少ないが、中部のジビエは筋肉質で、良く言えば噛み応えがある、悪く言えば固い。野生特有のクセもあるが、まあ、クセがあるという点では羊肉も同じか」
「中部でも徐々に畜肉が主流になってきています。ジビエが流通しているのは狩りが盛んなレイラング周辺くらいで、これも鉄道が通れば畜肉にとって変わられるでしょう。そのほうが安価ですし、人口増加の著しい現代において狩りだけで食肉を賄うのは現実的ではありません」
「たしかにな。だが、それは公爵夫人も同じ見解か? レイラングの肉を好んでいるのだろう?」
「妻とこういった話をすることはないので考えはわかりません。ですが、レイラング産の肉を今後も食べ続けたいのなら、むしろ狩猟制限を検討すべきでしょう。あれだけ広い大東洋でも乱獲が問題になっているというのに、山ひとつ分の獣など、いつ狩り尽くされるかわかりません」
公爵が話しているのは一般論。その口ぶりからすると、おそらく豊穣会については何も知らないようだった。王弟殿下もそう判断したらしく話題は領海問題に移り、私と妃殿下とは先に休むことになった。
部屋に戻り酔い覚ましに水を飲み、ベッドの上で晩餐での会話を反芻する。
豊穣会のことを考えた。
豊穣会は狩りが基本。
肉と酒で人を集め、貧民を狩り要員として連れていく。それが何十年も前から行われているはずなのに、レイラング周辺では狩人や住人が増えているという話は聞かない。獣が狩り尽くされている様子もない。
これは、いったいどういうことだろうか。
「果菜、肝試しに行かないのか?」
目を開けると闇の中に黒い出目金が浮いていた。窓からは青白い月明かりが差し込み、青みを帯びた鱗は出目金の亡霊みたいだ。
「図書室の幽霊は公爵よ」
「じゃあ行かないのか? ラニアの母親のお気に入りの場所なんだろう?」
ラニアと呼ばれるのは不思議な感じだった。出目ちゃんはいつも「果菜」と呼ぶけれど、私が果菜とは別人だということをちゃんと理解している。
果菜の記憶は、色褪せたフィルム映像のように懐かしさを喚起する。と同時に、どこか他人事のような感覚があった。果菜とは所作も口調も価値観も違うし、果菜のように振る舞えと言われても羞恥心に駆られてできないだろう。ただ、頭では果菜の感覚が理解できる。それが自分を客観視するのに役立っている。
私はここの図書室に興味がある。
それは、母のためではなく公爵のせい。
公爵が夜な夜な図書室に出入りしていた理由が、母を懐かしんでのことだと思うから。
「せっかくだから行ってみようかしら」
ベッドから体を起こすと、出目ちゃんがジェットコースターのようにくるっとひと回りした。
「案内してやる。この屋敷の造りは完璧に把握した!」
私と離れている間に探索したのだろう。悠々と尾ビレを振って部屋から出ていく金魚の後ろを、私はランプを手について行った。
深夜にも関わらず通路にはガス灯が灯されたまま。使用人たちもまだ働いており、すれ違うたびに「何かご用が」と声をかけられる。私は「眠れないから少し歩いているだけよ」と答えた。庭園も明るく照らされ、ライニール騎士とフランクリン家の警備兵の姿が見える。
「同じフランクリン邸でもずいぶん違うな」と出目ちゃん。
「王族が泊まっているからよ」
「そうじゃない。果菜はここではイジメられないだろう?」
金魚のくせにずいぶん聡い。
「あ、果菜、こっちだ」
階段を降りるとガラス窓のついた部屋があり、その奥に書架が見えた。扉の前には警備兵。制服はライニール騎士のものではなくフランクリン公爵家の警備兵のものだ。
出目ちゃんは扉をすり抜けて入っていき、警備兵が私に歩み寄る。
「こんな時刻にどうされましたか、公女様」
「図書室に来てみたの。デリックとイーノックがここで肝試しをするとヘイリーに聞いたから」
訝しんでいた警備兵の表情に笑みが浮かび、彼は「どうぞ」と扉を開けた。
【再掲】
お詫び:エピソード20にあたる『中身の止まった人間(3)』を抜かして掲載していましたので追加いたしました。一読いただけると幸いです。建国伝説のざっくりした説明などが書かれた回です。
※割り込み投稿に失敗して『中身の止まった人間(2)』が8月10日公開になっていますが、本文は入れ替えてあります。




