図書室の幽霊(1)
フランクリン公爵邸に到着して馬車から降りたとき、この場所を知っていると感じた。夕焼けに映える白壁の邸宅がノスタルジックな雰囲気だったせいかもしれない。もしくは、どことなくミレー・ロイヤルホテルの外観に似ているせい。
「王弟殿下と王弟妃殿下を当家にお迎えすることができ光栄です。ごゆっくりおくつろぎください」
エントランスでは昨夜と同じ光景が繰り返されている。同じフランクリン公爵邸でも王都邸宅とは違い、出迎えた使用人たちが私を無視したり目をそらすことはなかった。
ただ、私は「フランクリン」であるにも関わらず迎える側ではなく迎えられる側。王弟殿下夫妻に同伴する『客』だ。
王弟夫妻は公爵自らが案内し、私には執事が付けられた。背が高く、モノクルが似合うその男はベン・ヘイリーと名乗った。
「ラニアお嬢様、お部屋までご案内いたしますのでこちらへどうぞ」
「果菜! 果菜ーっ!」
執事の声にかぶせるように、聞き覚えのある声。ロビー階段の手すりを滑り降りてくるのは出目ちゃんだ。スキージャンプするように私のところに飛んできて、興奮気味にぐるぐる回転する。
「昨日、鯨に会ったんだ! 鯨だぞ、鯨!」
鯨――は、おそらく精霊だろう。
執事は階段を上がり、私たちは彼についていく。出目ちゃんは移動しながら回っている。
「公爵ののっぺりが緩んでたから気になって観察してたんだ。気づいたら馬車に乗ってた。そしたら鯨が出たんだ!」
まるで幽霊が出たような言い草だが、実際そうだったのだろう。
「すごーーーーーーく、大きかった! デミュチューンなんか比べものにならないぞ。鯨の目だけでもぼくより大きいんだ。口もすごーーーーーーく大きくて、喋るだけで吹き飛ばされそうだった。その鯨が言ってたんだ。公爵はエンディンの王女が死んでおかしくなったって。いつも悩んでるみたいだって」
「悩む?」
うっかりつぶやくと執事が振り返った。「なんでもないわ」と私がごまかしているあいだも出目ちゃんは喋り続けている。
「嘘じゃないぞ。昨日の夜は公爵の部屋にいたんだが、果菜に冷たい態度をとってしまうのを悩んでるみたいだった。たぶん、王都で洗脳されて、領地で洗脳が解けて、また王都で洗脳されての繰り返しなんじゃないか? 案外、悪魔から離れるだけで症状は改善するのかもしれないぞ」
公爵の〝のっぺり〟が緩んでいるのは予想していた。でなければ出目ちゃんが公爵について行くはずがないから。
しかし、悪魔と離れているだけで洗脳が解けるはずがない。
アリシアが王都邸宅を長期間空けることもあったが、そのあいだ侍女長が優しくなったかといえばそうではないし、むしろ主人の留守を守らねばという使命感からか、普段よりも酷い体罰が行われることもあった。
〝疑問〟が洗脳を解くための必要条件であることは間違いないだろう。ということは、公爵は領地に戻ると疑問を抱いて洗脳が解ける――?
「ラニアお嬢様のお部屋はこちらになります」
案内されたのは王都邸宅の自室と似たような間取りの部屋。アリシアもこの部屋を使っているのか気になったが、聞くのはやめておいた。
「ヘイリー。弟たちはここに来たとき何をして過ごしているのかしら?」
「訓練場に行かれることが多いです。特にイーノックお坊ちゃまは、騎士に混じって熱心に剣を振っておられます」
「デリックはここでもイーノックに付き合わされているのね。図書室のほうが好きでしょうに」
なにげなく口にすると、執事はふっと表情を緩めた。フットマンが部屋に荷物を運び込み、アンに引き継いで戻っていく。
スタンリー卿は扉の外に立ち、アンは荷物を手に隣のクローゼットルームへ向かった。ベン・ヘイリーは周囲をサッと見回して小声で会話を続ける。
「お坊ちゃま方は夜になると部屋を抜け出して図書室で肝試しをされるんです。図書室にはお化けが出ると教えたメイドがいて、それ以来毎年、何度も、何度も」
「本当にお化けが出るの?」
「夜中に明かりが動いているのを見た者がいて、その当時、メイドたちが幽霊じゃないかと騒いだんです。図書室はクレア前公爵夫人がよくお過ごしになっていた場所で、夜中でもランプ片手に本を眺めておられましたから。ただ、使用人が見たのはクレア様の幽霊ではなく、公爵様だったと後でわかりました。もうずいぶん昔のことですし、又聞きした若いメイドが軽い気持ちで話したようです」
「そう……」
ふと何か思い出しそうになったけれど、霧のように不確かで掴むことができなかった。
「……ヘイリー」
「はい」
「バリー・ハルフォードとは面識が?」
唐突だったせいか、執事は少々面食らった顔をした。




