ミレーの砂浜(2)
男は言葉が通じていないとわかると意外そうに目を見開き、サラが訳す前に自らライニール語で言い直した。
「どうか警戒しないでください、と言いました。私はエンディン王国のシーライン商会に勤めているアンディー・ロカと申します。もしかして、フランクリン公爵家のご令嬢でしょうか?」
「――はい。ミレー・ロイヤルホテルの馬車に乗っているのを見ておわかりになったのですか? あなた方が宿の前にいるのをお見かけしました」
「おっしゃる通りです。ミレーの街は公女様と王弟殿下夫妻の噂でもちきりですよ。このタイミングでミレーに滞在していて幸運でした」
「騒がしいだけではありませんか? 貿易のお仕事をされているのでしたら、なおさら」
アンディー・ロカは「いえ」と微笑み、上掛けの端を持ってヒラヒラと振った。
「シーライン商会は、この服に使われているようなエンディン綿や、展示館に飾られているようなガラス工芸品を販売しているんです。ライニール北部が独立して新たな貿易港が開かれたとしてもメリットはありません。こんな軽い生地、寒さの厳しい北部では売れないでしょう?」
内政問題に口出しする気はないと言いたいようだった。商会でどのような立場にいるのか、着ているスードラは高級品。所作にも高位貴族らしい品の良さがあるが――、
「ミスター・ロカ。あなたは貴族のように見えますけど、エンディン貴族でロカという家門は聞き覚えがありません。あなたを信用していいか迷っています」
「ロカ子爵家に生まれましたが幼い頃に父母が死に、領地は隣接するシルス大公領に併合され、私は公子様の遊び相手として引き取られました。今はシルス大公家が支援しているシーライン商会で働いているのです」
シルスの名が出たことに驚いた。
エンディン王国で王家の次に力を持つのがシルス大公家。エンディン最大規模のユアリスク港を有するのもシルス大公家だ。スタンリー卿は剣の柄に添えていた手を離した。
「ミスター・ロカ。あなたの事情はわかりましたが、シルス大公家の関係者であれば北部独立に興味がないのは不思議です。北部が目指す大陸貿易は石炭輸出を基盤に据えるもの。シルス大公家にもメリットがあるのではありませんか?」
「ライニールには〝捕らぬ狸の皮算用〟という言葉があるでしょう?」
アンディー・ロカはこの会話を楽しんでいるようだった。それが少し癪に障るが、「ええ」と相づちを打った。
「今のところ、シルス大公閣下は北部独立を現実的でないとお考えです。独立を支持してもライニールの内戦を煽るだけ。それよりも、現体制下で安定した国家運営をしていただくほうが良いのです。
そもそも、両国王室の仲を取り持ってきたのはシルス大公家とフランクリン公爵家でしょう? ライニール王室が北部独立はないと明言しているのに、シルス大公家がそれを支持しないわけがありません」
それなりに納得のいく話だった。大公家の関係者がここまで言うのなら、エンディンが北部と手を組む可能性は低いと考えていいのかもしれないが――。
「ラニア様」
アンが私の顔をのぞき込んだ。
「おふたりの話を聞いていて少し思ったことがあります。的外れかもしれませんが――」
「話してみて」
アンはアンディー・ロカにちらっと目をやり、相手は笑顔でその視線を受けとめる。
「私はラニア公女様の侍女、アン・モーラと申します」
「ああ、モーラ伯爵家の方でしたか。でしたら、なおさらご令嬢の考えに興味があります。どうぞ遠慮なくお話しください」
「では、未熟ながら考えを述べさせていただきます。――仮に、ライニール王国北部が独立し、北方に新たな貿易拠点ができたとします。エンディン王国の北側に位置する国々は、きっとこれを歓迎するでしょう。なぜなら、エンディン王国の領海を通ることなくライニールの港に出入りすることが可能になるからです。大東洋貿易を支配してきたシルス大公閣下は、これを回避したいのではありませんか?」
アンディー・ロカは好奇の眼差しをアンに向けた。そのあと、表情を緩めて私を見る。
「ライニールに来てからというもの公女様の噂を色々と耳にしましたが、良い侍女をお連れのようで安心しました。公女様が不当な扱いをされているのではと心配していたのです。腕の立ちそうな護衛もついているようですし、噂は噂ということでしょうか」
余計なお世話だと言いたいのを、ぐっと堪える。と同時に、シルス大公家の人間と接触しているという今の状況が望ましくないことに気づき、周囲を見回した。




