ミレーの砂浜(1)
外に出ると頭上に太陽があった。
ウミネコの鳴き声。
いくつかの鳥影が澄んだ海へと向かっていく。
「ラニア様、日差しが強いですからこれを」
アンが日傘を開いて手渡した。王都から持ってきたもので、先の金属部分は頑強かつ鋭利に仕上げてあるという。彼女が用意した〝武器〟のひとつだ。アン自身も同じように隣で傘をさし、先頭にサラ、後方にスタンリー卿。
サラの麻ベストの裾の陰に拳銃が隠れているのは間違いなさそうだった。フランクリン領の銃の所持規制は王都よりも緩いが、それでも領主の許可は必要。公爵でなければ王弟殿下が許可したのかもしれない。案内役を頼れと伝言を残したのは殿下だ。
海岸通りを横切る時、展示館の門前にいた警備員四人が総出で馬車を止めた。そのうち二人は私たちと一緒に道を渡り、砂浜を散策するあいだ周辺監視すると申し出た。
「婚約解消前より警護が厚くなったみたい」
「それだけ王都が安全だったということなので、油断はされませんように」
スタンリー卿は護衛というより兄のような口ぶりで、「足元にお気をつけください」と手を差し出した。砂浜は想像以上に歩きにくく、砂地に潜む何かが私の足を引っぱっているようだった。それが嫌なわけでもなく、ぐっ、ぐっ、と砂を蹴り上げて歩く。こっそり楽しんでいたらフッと隣から笑い声が聞こえた。
「今、笑ったでしょう」
「申し訳ありません。妹の幼い頃の姿を思い出してしまいました」
「レイラ嬢とは兄妹仲が良いのね」
軽口を交わしていると、「公女様」とサラが足を止めて振り返った。
「裸足のほうが歩きやすいと思いますが、靴をお脱ぎになりますか?」
「そうするわ」
私が答えると、サラは足元に跪いて足首のリボンを解いた。
素足で触れた砂は熱かったが、つま先で砂を掘り返すとひんやり湿っている。懐かしさがこみ上げるのは幼い頃の記憶だろうか。それとも果菜だった頃の海水浴の記憶だろうか。
衝動的に、私は海に向かって駆けた。
「公女様、お待ちください!」
「ラニア様!」
「公女様!」
三人の声が追いかけてくる。
湧き上がる解放感。
「アンも靴を脱ぎなさい!」
後ろに向かって叫んだとき、視界の隅に動くものが紛れ込んだ。馬だ。馬上に一人、馬の横で手綱を引く男が一人。
スタンリー卿が拳銃に手をかける。一方、海岸通り沿いに立つ展示館警護員とサラは警戒していないようだった。サラがスタンリー卿に何か囁き、スタンリー卿は銃から手を放して私のところに駆け寄って来る。ただ、その手は剣の柄に添えられている。
「エンディン王国公認の宿屋の客のようです。あれは宿の馬らしく、頭にかかっている布の紋章がその証だと。素性のはっきりした者でないと宿泊できないそうです」
「宿屋……」
馬を連れた二人はもうすぐそこまで来ていた。彼らのまとう幾何学模様のスードラに見覚えがある。馬車の中から見かけた二人だ。
「宿屋って、展示館の隣の?」
追いついたサラが「そうです」と言う。裸足で駆けてきたアンは日傘の柄をぎゅっと握りしめ、何かあれば傘の先で突くつもりのようだった。
馬は五メートルほど離れた場所で止まり、馬上にいた男だけが馬から降りて近づいてくる。その男も馬の手綱を握る後ろの男も二十代半ばくらいだろう。
「サラの知ってる人?」
「いえ、初めてお見かけする顔です」
大陸人らしい彫りの深い目鼻立ち。目は垂れ目。くせ毛の金髪を組み紐でくくっているが、うさぎの尻尾のように短く、後れ毛が首に張りついている。
スードラは袖のない浴衣のようなものだが、その上に羽織って肩で留める上掛けを、男は右肩に無造作に引っ掛けていた。両腕と膝から下は素肌があらわになり、騎士団の制服を着たスタンリー卿と比べるとずいぶん涼しそうだ。
「シー ラヴィ トロネ イ シア」
男が言った。エンディン語のようだった。




