母の肖像(3)
王太子妃になったアリシアは、私が死ぬまでに二度フランクリン公爵領を訪問している。私はそのとき王宮で大人しく帰りを待っていた。
反エンディン派がいるから私は行くべきではないというアリシアの言葉は、間違いというわけではないだろう。サラの話を聞く限り、私の存在がエンディン人と領民の間に諍いを生んでいるのは事実。
けれど、アリシアが悪魔とわかると少々腑に落ちないことがある。ミレーが危険なら、むしろ私をそこに連れて行くのがアリシアのやり方ではないだろうか。
ミレーは多文化が共存し、大陸から来た外国人と、計算高い商人と、血の気の多い漁民がいる。悪魔の力で人々を惑わせて対立と衝突を煽れば、私を貶め、アリシアへの同情を集めることも難しくない。大陸進出への足がかりにもできたはずだ。
しかし、私の知る限りアリシアはフランクリン領で目立った行動をしていない。新聞記事も王太子妃の行事参加を報じる形式的なものだけ。そもそも、フランクリン領行きは二度ともとんぼ返り同然の日程だった。
アリシアが私をフランクリン領から遠ざけたのは、ここが悪魔にとって都合の悪い場所だったからでは――?
馬車に揺られながら車窓の景色をながめていると、ふとそんな考えが浮かんだ。
自由を感じさせるこの町は、悪魔よりも自由を求める魔法使いに似合う。展示館らしい建物はどれも個性的で、人々は多種多様な髪の色、肌の色、顔だち、体格、服。生き生きした表情で談笑する彼らは、どの国の言葉を話しているのだろうか。彼らはライニール語をどれだけ理解できるだろうか。
悪魔の洗脳は言語を介したものだ。
アリシアはライニール語しか話せない。
であれば、ライニール語を解さない外国人は洗脳できないのでは?
「サラ、サビナ公爵夫人はミレー・ロイヤルホテルに泊まったことがあるかしら?」
「なかったはずです。公爵夫人は毎年セントラ地区にあるフランクリン公爵邸に一泊してからご実家のグレイアム侯爵領に向かわれますが、ミレーは避けておられるようです」
意外だった。ここはフランクリン公爵領の第一の都市と言っていい場所。大陸貿易の拠点だというのに。
「どうしてかしら」
「……公女様を悪く言う人がいるように、公爵夫人に不信感を抱く人もいるんです。特にミレーは大陸出身者の外国人が多いので、エンディン王室出身の前公爵夫人が亡くなってすぐ公爵夫人の座についた今の公爵夫人を歓迎する雰囲気はありません。上の世代の人たちの中には、あの事件自体がおかしいと言う人もいます」
目から鱗だった。悪評を立てられるのは私ばかりだと思っていたのに、王都から離れるとこうも違うものだとは。しかも、フランクリン公爵領で。
「サラ、大陸人は国が違っても仲が良いのかしら? 言葉や文化が違えば諍いが起こっても不思議ではないけれど?」
「まったくないわけではありませんが、ここでは外国人は少数派ですから、身を守るために連帯している感じです。対立が起きるのは大陸対ライニールという構図ですね。ただ、単純化すればそう言えるというだけで、ここは貿易の街ですから、対立せずうまくやっていきたいと考える領民が大多数だと思います」
「漁師は?」
私が問うと、サラは苦笑を浮かべて海に目をやった。遥か彼方、水平線近くで蒸気船が黒い煙を棚引かせている。
「王都新聞でもたまに取り上げられている、『大東洋沿岸地域の反エンディン派』というのは、多くが漁業会社の労働者です。ひと昔前なら、こんな広い海をはさんで漁場を主張しあうことはなかったでしょうけど、今は蒸気船で遠くまで行ける時代ですから。――ただ、漁師も一枚岩ではありません。帆船に乗って近海で漁をしている漁師たちは、蒸気船の出入りで漁場を荒らされるのをよく思っていないようですし、蒸気船の底引き網漁による乱獲も規制を求めています。同じ漁師でも、ずいぶん違うんです」
「昔ながらの漁師たちは反エンディンではないということ?」
「私の印象では」
喋り過ぎたと思ったのか、サラは「もうじき着きます」と窓の外を指さした。目の前を通り過ぎたのは二階建ての宿屋。彼女が見ているのはその屋根の奥に見える別の建物だ。
宿から出てきた二人組の男性と目が合った気がしたが、その姿はあっという間に遠ざかっていった。スガールと同じガーゼ生地を使ったエンディン王国の男性の民族衣装、スードラを着ていたようだった。




